僕は7日後に死ぬ
親友の彼女は、彼の死後笑わなくなった。
高二の冬の終わりにスキルス胃癌が発覚した彼が死ぬまでの半年間、彼女は彼の闘病生活を笑顔で支え続けた。
なんでこんなに笑えるんだろう?
思わず聞いてしまった僕に、彼女は「彼との約束だから」とだけ教えてくれた。
涙も流さず笑顔で彼を包み込むひたむきな彼女の姿勢に、僕は感嘆や称賛より純愛を感じた。
彼の死後、彼を亡くした悲しさを彼女と共有するうちに、僕は死んだ友人のためにも彼女にまた笑ってもらいたくなった。私生活で彼女はまったく笑わなくなっていた。病気の彼といた時はあんなに笑っていたのに。
ある日、僕は道端で、偶然に犬や老人に笑いかける彼女の笑顔を見た。それは僕の思いに拍車をかけた。しかしいつしかその思いは、彼女に笑ってもらいたいから、僕に向けて笑いかけて欲しいに変化した。
そのやましい思考は僕の心をつついた。
「好きだ」と告白した僕を、彼女はじっと見つめた。
「私の言うことを信じてくれるなら、今なら彼と同じようにあなたとつき合える」
それが彼女の答えだった。
彼女には、誰もが蝉が7日で死ぬことを知っているように、人が死ぬのが分かるという。
彼女は親友との生前の約束を教えてくれた。
それは彼女の笑顔の秘密だった。
これからは死期がみえたなら、泣かずに笑顔でいろよ。
俺ならとびきりの笑顔で見送って欲しい。
それが癌におかされた親友が彼女に残した言葉だった。それを彼女は忠実に守り、彼の死後も実行していた。
彼女は真偽を疑う僕に、うっすら悲しげに笑って見せた。
「彼も道で会った犬もおばあちゃんも、みんな見えた通りに亡くなっちゃった。あなたも蝉と同じだよ。私は一週間しかあなたの彼女でいられない」
ああ…、この笑顔。僕は向けられた笑顔に悟らさせられた。彼女が浮かべたその笑顔は、彼が癌の告知を彼女に伝えた時に見せたものと同じだったから。
7日後、彼女を信じなかった僕は生きている。
あれからと言うもの、僕は彼女に笑いかけてもらえなくなった。
心にくすぶる恋は残っていた。それを完全に吹き消すことはできなかった。それでも僕は、彼女を信じないという決断で、はかない彼女との未来への期待を押しきった。
僕は彼女が彼に向けた笑顔を、純粋な思い出にしたかった。なんの打算も交渉もない心から沸き起こった感情だったと。彼と彼女の関係を穢れなき神話で終らせたかったのだ。彼女を聖女にしたかった僕は、愛の形に憧れていた。
死んだ親友と対称的に彼女を得られなかった僕の運命は、彼女の言葉を信じないということで変わったのかもしれない。
彼女が、教室から友達と話しながら廊下へ出て来るのが遠目に見えた。僕は思わず立ち止まった。
彼女は僕の存在に気づかず近づいてくる。
何気ない会話と笑い声が混ざり合う日常の雑音が僕の耳を通り抜け、開けられた窓から入り込んだそよ風が彼女の髪を揺らした。
彼女から視線を外した僕は目を伏せた。そして僕らは何事もなかったように廊下をすれ違った。