笹森 久賀久の場合②
狼に転生したくーちゃん。なぜか虎模様に驚きつつ、異世界生活を開始する。
一通りスキルや魔法の検証が終わった後、僕は新たな問題にぶち当たっていた。
それはこの種族ならではの問題というか、よく考えたら当たり前な事なんだけど。
そんな僕の目の前に横たわるは、名もなき小さな兎……の息を引き取った姿。
うん、死体とか考えるのはやめよう。精神的にくるものがある。
いや仕留めたの僕だけど。
ともかくなぜ名もなき兎を前に悩んでいるかというと、それはご飯の問題だったりする。
検証後にお腹が減り、じゃあご飯を食べよう! と思い立ったのだけど、僕の今の姿は狼であり人の言葉も話せない有様。
こんなんで人里に行ってお店でご飯を頼めるわけもなく、下手すれば迷い込んだ魔物扱いで討伐される可能性もある。
あれ? 詰んでない? とか思った矢先、ガサリと近場の茂みが揺れて顔を出したのが名もなき兎さん。
目があった兎さんが『やっべえっ!』という表情を見せてまさに脱兎のごとく踵を返したのだが、それを見た瞬間に狼としての本能が吠えた。
力強く駆動した四肢によりあっという間に兎さんに追いつき、直角に逃げようとした兎さんに雷魔法の『放電』を直撃させ硬直して動きが止まった所に喉元をがぶり。
かくして見事に仕留めて見せたのだけど、
「ウォフウォフーン(これ、生で食べるの?)」
兎肉なんて元の世界でも食べたことないどころか生なんて考えられないんだけど……。
しかしである。人として食べることに戸惑う気持ちがあるが、それ以上に目の前の兎さんがおいしそうに見えている自分がいる。
……そうだね。今の僕は元人間で現狼であるわけだし。色々思うところはあるものの、食生活は本能に任せた方がいいかもしれない。
じゃないと確実にご飯にありつけない未来しか見えない。
というわけで、
「ウォフフン(いただきます)」
僕は本能のままに兎さんをいただくのであった。
そうして初めて動物を生で食べるということを体験したんだけど…………えーっと、兎さん、おいしかったです。
☆
狼としての生活を続けること一週間ほど経ち、大分この身体にも食生活にも野宿にも慣れてきた。
今じゃ急カーブはもちろん飛び上がって樹を蹴り後ろへ一回転着地なんて曲芸じみたこともできたりする。
食生活も兎さんや手ごろな小動物を狩ることで満足できているけど、一度タスク・ボアーなるでっかい猪と出会った時には死ぬかと思った。
まず対格差がこっちの十倍くらいあるし、なによりあっちがなぜか僕を食べる気満々の目をして襲ってきたんだよ。
タスク・ボアーが直線的にしか突っ込んでこなかったので、身軽さを利用して避けながら雷魔法の『放電』やスキルの『毒の爪』で弱体化しつつ、動きが鈍くなったところを必殺の雷魔法『雷撃波』により丸焦げにしてなんとか勝利した。
ただスキルにより毒化していたことや魔法でほとんど黒焦げだったことにより食べることは叶わなかったのが残念というか。
あとあれだね。寝床だけど木のうろとかちょっとした空間のある茂みがあれば普通に寝れるし、動物な身体のせいか自分の体温で快適に眠れる。
しかし野宿ということや自身が他の動物とかから狙われるということもあり、寝ながらも警戒していたらある日『気配察知』と『索敵』なんてスキルが生えたのは不幸中の幸い? だろうか。
この二つのスキルがすごく有用で離れている相手もわかるようになり、これで狩りが各段にやりやすくなったり危険な反応がする動物や魔物が近づいてくれば身を潜めてやりすごすことができた。
そんなある日、いつものようにご飯を調達するために森の中を歩いていると『索敵』が捉えた二種類の反応。
しかしそれはいつもとはちょっと違うものだった。
『気配察知』でより詳しく探ったところ、片方は明らかに敵意を示している魔物の反応だったんだけど、もう片方が初めての反応であるもどこか親近感を覚えるようものであり、
「ウォウォン!(人の反応だ!)」
なんとなくわかる、という程度の感覚だけど僕には間違いなく人の反応に思えた。
やっぱりこの姿になって異世界に来てからというもの、まったく人と接点がないのでやはり人恋しいという気持ちがないわけではない。
しかし郷愁の念に囚われている暇はない。なぜならその人の反応を囲むように魔物の反応が動いている。
僕ははやる気持ちを抑えながら全速力で現場へと走り出した。
低い茂みを飛び越え、遮る木々を三角飛び出でかわし、風を切って一直線に疾走する。
走る速度に比例して徐々に反応が近くなっていき、目の前を茂みを突破したところでその姿が見えた。
ぱっと見た感じ、太ももに矢を受けて座り込む旅装束の女の人が四匹のゴブリンに遠巻きに囲まれている!
ゴブリン共はちょうど僕に側面を向けていてまだ気付いていなかったので、そのまま速度を落とさずに飛び掛かっていく!
「ウォルルッ!(喰らえ!)」
「ギョゲッ!?」
すれ違い際に正面にいたゴブリンの首を爪で切り裂き、着地してその勢いのまま手前にいたゴブリンの顔面に飛び上がり頭突きをかましつつ、零距離からの『放電』をぶちかます。
そのままゴブリンの体を蹴って距離を取って様子を見ると、攻撃を受けたゴブリンは二体とも倒れて動かず残りのゴブリンは呆然としている。
「ウォルン!(『雷走』!」
地面を走る電撃が立ち呆けていた二体のゴブリンに直撃し、身体を硬直させたその隙を逃さず僕は襲い掛かって首を嚙みちぎり爪を振るい、残りのゴブリンを倒すことが出来た。
……つい勢いで突っ込んだけど四対一ってけっこう危ない状況だったんじゃあ。ほんと慎重派どこいった、僕。
「あ、あはは……」
ちょっと自省していると聞こえてきた乾いた笑い声。
よく見れば旅装束の女の子は耳が長く……エルフだ! エルフの女の子が座り込んだままどこか虚ろな目で空を見上げているのはなぜだろう?
「ゴブリンだけでもやばかったのにぃ、小さいとはいえ魔法を使う狼とかぁ…………もう詰みましたねぇ。出来れば痛くない方法でぇ、死ねればいいですけどぉ……」
「ウォウォウォン!?(そんなことしないけど!?)」
「あはは、私はおいしくないですよぉ」
さらに遠い目になり涙まで浮かべるエルフの女の子。
うあああ、見てられない! 見てられないよ!! しかも僕があらぬ原因ではあるけど、すっごくいたたまれない気持ちになってくる!!
なんとか僕が危険じゃない事を伝えるすべはないものか……!
「もしかして、襲ってこないのはこのまま弱るのを待ってるんですかねぇ…………いっそ自死した方が楽なのかなぁ……」
うおおおっ! やめよう!? 虚ろな目で腰にあるナイフを見るのはやめよう!?
くっそ、こんな時に言葉を離せない弊害が出るとは! ラノベなら自動翻訳とかで話が通じるのに…………あ、そういえば!
この土壇場で思いつく僕ってナイス! さっそく実行!!
「ウォンウォン!<僕の話を聞いてくれ! あ、ここからだとスカートの中が見え……紐だと!?>」
「ひゃう!?」
エルフの女の子が急にびくりとしてばっと両手でスカートの裾を押さえた。
……あ、やべえ! 初めて見る紐パンにいらん心の声まで駄々洩れた!?
でもスキルの『念話』が通じたようでよかった! 尚、念話だけど声も一緒に出ちゃうのはご愛敬。
「な、なんですかぁ? いま変な声が頭の中に聞こえたような……」
「ウォ、ウォウォン!<あ、今の僕! 目の前にいる狼!!>」
「……え? ええええぇぇぇ……!?」
「ウォン<どうも>」
招き猫よろしく前足をあげるとようやく認識してくれたようで、エルフの女の子は目を丸くしながらもこっちを見てくれた。
「ほ、ほんとにあなたが話してる? んですかぁ?」
「ウォフ<ほんとほんと>。ウォフーン<ところで一ついい?>」
「うわぁ、ほんとだぁ。えっとぉ、なんですかぁ?」
ファーストコンタクトが成功したことは嬉しいんだけど、さっきからすごく気になってたことがあるんだよね。
僕はエルフの女の子の、スカートから延びる白い太ももに前足を向け、
「ウォンウォン?<矢、刺さってるけど、大丈夫?>」
思いっきり血がドクドク出てるんですけど。
「え……あ……あああぁぁぁ…………」
「ウォウォフーン!<あああ! ごめんね!? なんかごめんね!?>」
どうやら僕が指摘したことで太ももに矢が刺さっていることを思い出したのか、エルフの女の子は僕と矢を交互に見て、目からぼろぼろと涙を流して泣き始めるのだった。
何かに集中するとさっきまで覚えてたことを忘れることってありますよね。
作者はこの寒い季節はコーヒーを小さな魔法瓶に入れて飲んでるんですが、先日、蓋をゆるく開けていたことを忘れていて、中身を攪拌させようと勢いよく振ってしまい。
部屋の壁に殺人現場の血しぶきがごとくぶちまけてしまったという…………。
ええ、速攻拭いたおかげで染みなんかはできませんでしたけども。
皆様もちょい忘れにはお気を付けください。




