五枚目
春になり、僕らは福島県福島市渡利にある花見山公園に来ていた。山には濃淡の鮮やかな桜が咲き誇っていた。道路を観客のように桜の木々が囲んでいた。母は桜の木の斜め下にある、桜の木の色をしたベンチに座っていた。春と桜の香りが重なり、柔和な香りが鼻に抜ける。僕は少し離れ、桜に囲まれる母の姿を写真に収めていた。春になびく母の柔らかい髪の毛、母は元気な頃のように喋りはしないが桜を見つめる表情はあの頃のままだった。母の嬉しそうな表情は鮮明にカメラのレンズに吸い込まれた。僕はゆっくりと母のいるベンチへ歩んだ。
「ほら見て、綺麗に撮れたよ」
僕はそっと母の隣に腰を下ろすと、さっき撮ったばかりの一枚を見せた。すると母は少し目を見開き、怪訝そうな顔した。その顔を目にした瞬間、僕は悟った。
「どちらさま?」
その一言で僕の心臓はぐっと押さえつけられた。いつか聞くことになるであろうと、覚悟をしていた言葉は、到底受け入れられるものではなかった。愛につながれて母の元に生まれてきたのに、自分を息子と認識してもらえない。僕らはずっと一緒だったはずなのに。母の中の僕は、一瞬にしてどこか姿の見えないところまで行ってしまったのか。潤む視界に母の顔が透けた。僕は冷静を深く吸ってから、満面の笑顔を造ったおもむろに。
「いきなりすみません。あまりに綺麗だったので写真を撮ってしまいました。一緒に見てもらえませんか?」
桜の花びらと共にユラユラと揺れ出た声。情けないほどに大粒の涙が僕の頬を伝った。
「すみません、なんでだろう」
僕は乾いた声で力なく笑った。声は笑っているのに、引きつったままの頬の涙を拭った。すると温かい温度が僕の頬に触れた。
「あらあら、どうしたのかしらねぇ」
そういって母は僕の頬にそっと手を当てた。皺だらけの手に塞き止められた涙は、母へと合流する。ぼやける視界の中にいる母の頬にも涙が伝っていた。母の少し白くなった瞳には頬を濡らしたぐしゃぐしゃの僕の顔と、残酷なほどに綺麗な桜の花びらが舞っていた。きらきらにひかるまっすぐに見つめる母の瞳は、確かに僕の母だった。僕は頬にある母の温度をそっと握った。
僕は母の温もりを感じながら、重力に負け散り落ちていく綺麗な一枚の桜の花びらを見つめた。散ってしまった桜は2度と咲くことはない。時間の流れに逆らえない現実を、綺麗に舞う桜の花びらさえもが僕に突きつける。もう少しで瞳が捕らえていた花びらが地面にパタリと落ちてしまう……。
突然ビューッという音とともに突風が吹いた。咄嗟に閉じた瞼の隙間にそれは飛び込んできた。散っていたはずの桜の花びらたちが、ユラユラと宙を泳いでいた。それは日の光に照らされ、ただただ綺麗だった。桜の木々のざわめく一条の公明だけが、耳の奥でこだました。