(1)
閉館間際になると、貸出手続きをする人が急に増える。
後ろで順番を待っている人がイライラする気持ちもわかるが、もう少し余裕を持って借りてくれたらいいのにと思ってしまう。
利用者カードと本の裏にあるバーコードを機械で読み取り、返却日を伝えながら本を手渡す。
その作業を何度も繰り返し、やっと終わったと思ったその時、
「利用者カード発行できますか?」
腕時計を見ると、閉館10分前。
こんなギリギリに新規の利用者かと内心少し苛立ちながら、
「こちらの用紙に住所、生年月日、お名前をお願いします」
と、申込用紙とボールペンを差し出した。
細長い綺麗な指でボールペンを持ち、申込用紙に住所、生年月日を達筆な字で書いていく。
名前が書かれたところで、ハッと気がついた。
「今井 涼」
それは、中学3年生の時、偶然隣の席になった男の子の名前だった。
気付かれないようにちらっと目線を彼の顔に向けた。
シュッとした輪郭に筋の通った鼻、切れ長な大きな目。
長めの睫毛としっかりとした眉が目力を強調させている。
彼を彼と認識した瞬間、
「あ、これは夢だ」
と思った。
自然と当たり前のようにそう思った。
だって、彼が私の目の前にいるはずがない。
何かを見つめているようで何も見つめていない彼の暗い目はあの頃から変わっていない。
その目に私は吸い込まれそうになる。
「書けました。これを借りたいんですが」
彼は大きめの紙袋から脳科学や遺伝子など、難しそうな専門書を取り出し、私の目の前に置いた。
私はハッと我に帰り、自分をどうにか落ち着かせ、いつも通りに貸出手続きをして本と新しく作った利用者カードを手渡した。
「あの・・・」
彼は何か言いたげにこちらをじっと見ている。
私の心臓は無意識にどくんと一回、大きく跳ねた。
「この本を借りたいんですが、見つからなくて。この図書館にありますか?」
彼は手書きで本の名前が書かれた小さな紙をカウンターの上に出した。
「お調べしますね」
私は本のタイトルを目の前のパソコンで検索する。
《在庫あり》
「隣町の図書館にありますので、取り寄せになります。
明日の夕方には届きますので、取りに来て頂けますか?」
私は嘘をついた。
「あ、はい。明日取りに来ます」
彼は貸出手続きの終わった本を紙袋に入れ、振り返ることなくそのまま出口の方へと向かって行った。
私は彼の後ろ姿を見つめながら、10年前の「あの日」のこと思い出していた。
正確に言うと、「思い出した」のではない。
今までずっと忘れたことなんてなかった。
10年前のあの日、燃えていく図書室に彼がいたことを。
図書館の外からは、消防車のサイレンが聞こえてきた。