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夢から醒めて逢いたいのは、あなた  作者: 春野 泉
第1章 6月30日
2/37

(1)

梅雨の時期は嫌いだ。


雨ばかりで気が滅入るし、どんよりとした空気がじっとりと漂って少し気を抜くと余計なことばかり考えてしまう。


特に平日の図書館はあまりにも静かで、現実から隔離されているようだ。


3年前、大学を卒業した私は司書として地元の図書館ここに就職した。


学生の頃から本が好きだった。


サスペンス系の物語はハラハラしながら、

ミステリーは最後どうなるのか息をひそめながら、切ない恋愛物は胸をきゅんとさせながら、夢中になって読んだ。


本との出会いで私の中に色々な感情が溢れる。


この本が私以外の誰かの感情を動かすことができるかもしれない。


私はいつからか、本と人とを繋ぐ司書になろうと決めた。


けれど、司書の業務は実際やってみると本の貸出や返却ばかりで「本と人とを繋ぐ司書」なんかにはなれていない。


何者にでもなれるような気がしていた10代の頃と違って、25歳の私は「夢と現実は違うのだ」とゆっくりとその現実を受け入れていった。


「あら、つぐみちゃん、顔色悪くない?」


隣の貸出カウンターに座る吉永さんから声をかけられた私は、

「ちょっと寝不足で」

と苦笑い気味に答えた。


「梅雨ってなんだか元気が出ないわよね。

夜はじめじめしてて寝苦しいし、昼間も日が差さなくてやる気が出ないわ」


吉永さんは、商店街の名前が入った紺の扇子で顔を仰ぎながら言った。


「そういえば、知り合いから体の調子がよくなるお茶を売っているお店の話を聞いたんだけど、なんだか胡散臭いのよ」


吉永さんは、この図書館に10年以上勤めるベテランだ。


困ったことがあれば一緒に考えてくれるとてもいい人だが、どこからか仕入れてきた近所の噂話を誰彼かまわず右から左へと話すので、「東西町のスピーカー」とこの町では呼ばれている。


「駅前の商店街のパチンコや呑み屋が立ち並んでいる辺りがあるじゃない?

その近くにあるお店で、一人ひとりの体の状態にあったお茶をブレンドしてくれるらしいの」


「漢方のお茶ですか?」


「漢方は漢方みたいなんだけどね・・・」


吉永さんは、大袈裟に顔を歪ませて話し続けた。


「店主が自分の家の庭で栽培したものらしくて、その店主っていうのも薬剤師とかではない普通のおばあさんがやってるみたいなのよ。なんだか怪しそうなお店じゃない?」


「何て名前のお店なんですか?」


「あら、興味ある?」


吉永さんは、嬉しそうに目を輝かせた。


私が遠慮がちに「少しだけ」とだけ返すと、


「「夢屋」っていうお店らしいわ。

つぐみちゃんは帰り道だし、興味があるなら覗いてみたら?」


吉永さんは誇らしげな顔で言い、満足した様子で正面に向きなおした。


「って本題は違うの!」


吉永さんは自分にツッコミを入れ、再び私の方に顔を向けた。


「毎週金曜日の閉館間際に本を借りる、線が細い感じの女性わかる?」


「ええ、いつも一冊だけ小説を借りていく綺麗な人ですよね」


私より2、3歳上であろうその女性は、肌が白く、綺麗な薄茶色の髪が真っすぐ肩まで伸びていて、大人しそうだが目を引く容姿だった。


「一週間前にこの近くで一軒家の火事があったじゃない?

あの家の奥さんなのよ。

それでね、その火事で旦那さんが亡くなったそうなのよ・・・」


「え!?」


私は被害者が身近な人だったことに驚き、声が裏返ってしまった。


吉永さんは「でもね」と私の方に顔を近づけ、声を潜めて


「近所の人から聞いたんだけど、奥さん、不倫していたらしいのよ」


「え!?」


吉永さんは私の驚いた姿に満足気な表情を浮かべ、


「でね、もしかして、旦那さんのことが邪魔になって家に火を付けたんじゃないかって噂があるのよ」


と、小さな声で付け足した。


「もしそれが本当なら、ドラマみたいですね」


と私が言うのより先に、


「ドラマみたいよね~」


と吉永さんが扇子を仰ぎながら言った。


「前から思ってたんだけど、つぐみちゃんて少しあの奥さんと似てるわよね」


と吉永さんは私の顔をまじまじと見た。


「え、そうですか?」


私の髪は顎くらいまでの黒髪で、肌もあんなに白くはないし、唯一のチャームポイントといえば頬にできる笑窪くらいだ。


彼女が綺麗に羽化した大人の女性であるのに対し、私は成長が止まったサナギだ。


「落ち着いてるけど芯があるというか、自分の思っていることを胸に秘めているというか」


「あ、中身の部分ですね」


と言いながら、人の内に秘めたものを見透かすなんて吉永さんは占い師のようだと思った。


「うん、でも彼女が月とするならば、つぐみちゃんは太陽って感じね」


私の頭には「月と太陽」ではなく、「月とスッポン」という言葉が思わず浮かんだ。


どこかミステリアスな雰囲気を纏った彼女は確かに月というイメージが合う。


でも、私は・・・。


「あ、えっと、私はどちらかと言うとインドア派ですし、太陽っていうのは違う気が・・・」


「そうね、テンションが高いとかアクティブとかそう意味じゃなくて、単に2人を比較した時のイメージよ!」


「すみません、お話を伺ってもいいですか」


遮るように急に声をかけられ、前を見ると、カウンターの前にスーツ姿の男性2人が立っていた。


若い方の男性がスーツの内ポケットから警察手帳を取り出し、


「先日、この近くで起きた火事のことで」


と言う姿は、まるで刑事ドラマの1シーンのようだった。


隣で吉永さんの「あら、刑事ドラマみたい」

という声が聞こえた。


若い方の刑事は、背はそんなに高くはないが小顔で目が大きく、若手俳優顔負けの爽やかな容姿だった。


もう一人は、若い刑事の上司のようで、がたいがよく昔はラグビーをやっていたがその筋肉が脂肪になってしまったような中年の刑事だった。


「最近、この近辺で怪しい人を見かけませんでしたか?」


「怪しい人?見ていないわ~。

 ね、つぐみちゃん」


「ええ、特には」


「そうですか・・・。

家の中が荒らされた形跡があり、放火の可能性も含めて捜査しています」


と若い刑事が言った。


「怖いわ~。犯人の目途はついているの?」


「いえ、まだ・・・。

家の中の損傷が激しくて、何が盗まれたかまで断定できていないのですが、強盗目的の可能性があると思っています」


「え、怖いわ。

早く犯人捕まるといいんだけど・・・。 ね、つぐみちゃん!」


「ええ、本当に」


急に話を振られたことに驚き、またもや少しだけ声が裏返った。


「この町の安心安全のために全力で捜査しておりますので、何かお気づきのことがあれば、是非ご連絡ください!」


上司の方が熱がこもった口調で言った。


「あと、この方見覚えありますか」


若い刑事は、鞄から一枚の写真を取り出した。


それは、先程吉永さんと話していた女性の写真だった。


「あら!あの火事が起きた家の奥さんでしょう。さっき、つぐみちゃんと話してたところだったのよ」


「この女性について何かご存じですか?」


「毎週金曜の閉館時間ギリギリに本を借りに来るから、顔を覚えてるっていう程度よ」


「そうですか。先週の金曜もこちらに来ていたか覚えていますか?」


「どうだったかな~。最近、昨日のことも思い出せないくらいだから」


吉永さんは、目を細めながらその日のことを必死に思い出そうとしている。


「吉永さん、17時頃に本の場所を聞かれてませんでした?

ちょうど外で17時の音楽が鳴っていた気がします」


この町では、17時になると町内のスピーカーから「ゆうやけこやけ」が流れる。


いつも閉館間際にしか見かけないのに珍しいなと、印象に残っていた。


「あ、そうそう!」


吉永さんは、難問が解けてすっきりしたかのように目を輝かせて言った。


「彼女に聞かれた本、有名な推理小説家の新作だったんだけど、うちの図書館にはなかったのよ」


「では、その後、何も借りずに帰られたんでしょうか?」


「いえ、閉館ギリギリの19時頃に本を借りていかれました。同じ作家さんの少し前に出版された本を。私が対応しました」


 と私が言うと、


「そうですか・・・」


若い刑事は綺麗な細長い指を顎にあて、何かを考えているようだった。


「あの、彼女が疑われているんですか?」


2人の刑事は、少し驚いた表情を浮かべていた。


この質問をするとしたら、よくしゃべる吉永さんの方だろうと思っていたのかもしれない。


「説明不足ですみません。彼女が犯人でないことを証明するために伺っているだけなんです」


若い刑事は、安心させるように優しい口調で言い、事件について説明し始めた。


「出火推定時間は18時頃、隣人から通報を受けたのが18時半ですから、彼女が17時から閉館の19時にかけて図書館にいたのであれば、犯人はないと証明できます」


中年の刑事は、さも自分が話したかのように「うんうん」と頷いていた。


「この町のどこかに犯人がいる可能性があります。もし怪しい人を見かけたらご連絡ください」


若い刑事は上着の内ポケットから名刺入れを取り出し、吉永さんと私に1枚ずつ手渡した。


「相沢は、若いですが優秀な刑事なんですよ!何かあればご連絡ください!それで は!」


中年の刑事が力強く言い、若い刑事は丁寧にお辞儀をしてその場を後にした。


吉永さんの方を見ると、刑事の後ろ姿を眉をひそめてじっと見つめている。


「刑事さんからの聞き込みって、なんだか緊張しますね」


と私が言うと、


「あの若い方の刑事さん、どこかで見たことある気がするのよね。どこでだったかしら。イケメンは一度見たら忘れないんだけど」


吉永さんは事件のことではなく、若い刑事の謎を解き明かそうとしていた。


「それはそうと、放火だなんて怖いわね。

この町では10年前に連続放火事件が起きているから、警察も適当な対応はできないんでしょうね」


吉永さんは、心配そうな表情を浮かべた。


「10年前・・・」


「つぐみちゃんが中学生くらいの時かしら。中学生の娘を持つ親としては火事に巻き込まれないかすごい心配だったわ」


吉永さんは言い終えると、館内の柱に掛かっている時計を見上げ、


「あら、もうすぐ19時になるわ。そろそろ閉館の館内放送しなくちゃ。

つぐみちゃんは月末の締め作業をお願いね。

西口と東口の防犯カメラの映像をCD-Rに落とすのも忘れずにお願いね!」


吉永さんはすぐに気持ちを切り替え、テキパキと館内放送の準備を始めた。


「あと5分で閉館のお時間となります。

貸出、返却がお済みでない方は、カウンターまでお持ちください」


館内に吉永さんのハキハキとした綺麗な声が響き渡った。


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