87話 永久は狂気の月と共に狂い踊る
side クーリア
最悪です。トワちゃんがずっと抱えてきた感情が、今回の件で爆発してしまったのでしょう。負の感情に侵された魔力がひたすらに殺戮を求めて暴れています。
これが普通の人程度の魔力ならば、少し精神が不安定になる程度で済むのですが、トワちゃんは体全てが魔力で出来ている上に魔力量も神獣並みです。その魔力を押さえ付けていたトワちゃんの意識は先程からかなり希薄になっています。悪条件ばかりが揃っていました。
唯一の救いは、まだトワちゃんが無意識下の中では月の領域やその住人達に攻撃しないようにしていることでしょうか。でも、それもいつまで持つかわかりません。
「クーリア、主様をお救いする方法は無いのですか?」
魔法や魔力に詳しい私に、弥生さんが問い掛けてきました。私はまだ周囲に残っている魔物を塵一つ残さずに殲滅するトワちゃんを見ながら答えます。
「トワちゃんを突き動かしているのは、負の感情にまみれた魔力です。なので、魔力の大半を奪って昏倒させれば、トワちゃん本人の意識が帰って来た時に元に戻る・・・はずです」
あくまで理論の話です。トワちゃんの本人の意識が残っていなければいけませんし、そもそも、あの状態のトワちゃんの魔力を削るなんて、私達には不可能です。
「あるじさま!もうやめるのですー!!」
「っ!?卯月ちゃんダメ!!」
私の制止を振り切って、卯月ちゃんが暴れるトワちゃんの下へと走って行きました。紅い月の影響か、悔しいですが、私達では卯月ちゃんの速さについていけません。
「あるじさま!!あるじさ、きゃあ!!」
近付いていった卯月ちゃんを、トワちゃんは突き飛ばしました。ゼストの攻撃をことごとく避けていた卯月ちゃんですらも全く反応出来ないほどの速さで攻撃され、突き飛ばされた卯月ちゃんは私達が集まっている社まで飛んできました。
私が魔法でクッションを作り上手くキャッチすると、泣きそうな顔な卯月ちゃんが視界に移ります。トワちゃんに攻撃されたのがよほど堪えたのでしょう。
「うぅ・・・あるじさまぁ・・・」
「今はどうすることもできません。少なくとも、眷族である私達には」
眷族である私達には、戦闘能力云々よりも、主であるトワちゃんを本気で攻撃することはできません。どうあがいても、私達でトワちゃんを助けるのは不可能なのです。
(なにか策があるのか?ここの魔物を倒し終えたら、我が主は領域の外で暴れだすだろう。その時には他の神獣達も動き出すだろうが、その時には国が一つ滅んでいてもおかしくないぞ?)
聖獣の中でも特にトワちゃんに傾倒しているベガが私に視線を向けました。彼的には外の人間達はどうでもいいでしょうが、トワちゃんが自分で壊した人の国を見て心が壊れてしまうかも知れません。それだけはなんとしても避けなければ。
「わかっています。私達でトワちゃんは助けられませんが、私ならば、一時的にトワちゃんを封じ込めることは出来ます。その間に、フェニックスさん達に来てもらいましょう」
「止められるのですか?主様を」
弥生さんの言葉に頷きます。
「はい。私がトワちゃんの眷族になって覚えた固有スキル、〈虚無魔法〉を使えば、閉じ込めるくらいならば」
(聞いたことのないスキルだな。名称からしても危険そうな魔法だが、其方が眷族である以上、我が主を殺すことは出来ぬだろう。それに賭けるしかないか)
「ええ。クーリア、お願い致します。主様を、私達の大事な家族を、止めて下さい」
「私が出来るのはあくまで時間稼ぎです。それに、時間は止められません。トワちゃんを助けるためには一刻も早く、トワちゃんの意識が完全に消える前にあの魔力をなんとかしなければ!」
周辺の魔物を倒し終えたのか、トワちゃんが索敵をするために一瞬だけ動きを止めました。私はその隙を見逃さず、拳銃をトワちゃんに向けます。初めて使う魔法ですが、固有スキルだからか、使い方はしっかりとわかります。
「ほんの少しの辛抱です。少しだけ、そこで大人しくしてください!!」
引き金を引き、魔力を流すとともに〈虚無魔法〉を発動します。その一瞬前の僅かな時間、トワちゃんが振り向いて憎悪に燃えた紅い瞳の奥の奥にある綺麗な光が、私を捉えたような気がしました。
トワちゃんの周りに無の空間を作り出し、閉じ込めます。さすがのトワちゃんでも、完全な『無』の壁を壊すのはそうそう出来ないでしょう。むしろ、出来たら困ります。出来そうだから困ります。あとは祈るしかありません。
「一瞬だけ、目が合ったような気がします。トワちゃん・・・」
私は痛くなるくらい強く、トワちゃんに向けた拳銃を握りしめました。
「今度は、今度は私が、私達が、絶対に助けますから」
* * * * * *
side フェニックス
ケイルから〈思念伝達〉が来たのは、いきなりあちこちで乱れた地脈の魔力の流れを修復した直後だった。
(トワの領域に住んでいる聖獣から連絡が来た。どうやらトワ不在時に襲撃を受けたと。そして、後からやってきたトワが暴走状態になっているらしい。どうする?)
(は?)
一難去ってまた一難とはこういう時に使うのかしら。私は思わず額に手を当ててしまう。
私の様子の変化に気付いた眷族の二人が、近寄ってきて声を掛けてきた。
(どうされたので?)
(主様のその感じ、またトワ様絡みですかー?)
(ええ、そうよ。最悪な事態が起きたみたい。私は向こうに行ってくるわ。ここのことは任せたわよ?)
(御意!)(お任せあれー)
頼もしい二人の返事を聞いて、私はすぐにケイルの他にオロチとリルにも〈思念伝達〉を繋いだ。
(トワの領域が強襲され、トワが暴走しているそうよ。みんな来れそう?)
(はぁ?あやつが暴走しておるじゃと!?それは行かなければならんじゃろうが!!)
(こっちもちょっとドタドタとしていたけどぉ~。ちょうど手が空いたわぁ~)
(まぁ、フェニックスならばそう言うと思った。俺も準備は済ませてある)
全員の意思を確認した私は、一度人の姿になってから月の領域に転移した。しかし、転移位置がずれたような感覚がした。私の感じた通り、聖樹の森からかなり離れた位置に転移されてしまった。転移を阻害する空間魔法ね。これじゃあ〈思念伝達〉も繋がりにくくなるわね。
特定の魔力を持つ相手に空間を繋げて声や思念を届ける能力だから、〈思念伝達〉は空間系魔法の影響を受けやすい。とても便利な能力だけど、どんな能力にも弱点は存在するということ。
(ちょっと~!?違う場所に転移されたんだけどぉ~!?)
(やかましいわ!空間干渉じゃろう!!こんなことくらいでいちいち騒ぐでないわ!!)
リルとオロチが言い合っているけれど、そういうのはお互いのみでやってくれないかしら。
(とにかく、月の領域を目指すわよ)
私はうるさい二人の仲裁をしつつ、鳥の姿に戻って月の領域へと羽ばたいた。
(これは・・・)
北側から流れ込んでくる大量の魔物。それらを全体に行き渡らせる為に覆われた空間が捻られた結界。相当魔法を熟知した者によるものでしょう。正直、私でもこんな器用な結界は張れないわ。
(わたしぃ~ちょ~うど北側に居るから、魔物が出てきているゲートを壊すわねぇ~)
(妾が分身体で魔物共を駆逐するかの)
(ならば、俺は周囲を囲っている結界を壊そう)
(私は先に中に突入して、トワの様子を見てくるわ。任せたわよ)
トワが暴走してどれだけ時間が経っているかわからない。少なくとも、普段のトワならば中の鎮圧が終われば、外の結界やゲートも壊しているはず、それがされていないということは・・・
嫌な予感を振り払うように、私は領域内に突入した。歪んだ空間が行き先を阻害してくるけれど、私が突入する時だけ捻れた空間を修復して一気に突入する。そのついでに周囲に居た魔物も燃やしておく。
月の領域に入ると、私は思わず目を疑った。間違えて違う領域に来たのかと思うくらい酷い有り様だった。
森の木々のあちこちが薙ぎ倒され、激しい戦闘があったのが疑わせる。ところどころに、魔物がやったのでは無さそうな攻撃の跡が見えた。間違いなくトワが暴れた跡でしょう。
聖樹や、領域のあちこちから出ていた魔力の粒子は消えて無くなり、紅い月が世界の終わりを彷彿とさせるように領域全体を紅く照らしている。
領域の南側から突入した私は、とにかく領域の礎の核がある中央の聖樹の大木がある場所へと飛んだ。道中に居た魔物はオロチが倒すだろうから今は無視する。聖獣達は別の場所に避難しているのだろう、南側には一人も居なかった。あれだけ賑わっていた聖樹の周辺に暮らしていた動物の姿も見えない。
あれだけ居心地の良かった美しい領域の荒れ果てた姿に、ここの管理者でない私でさえ、怒りで魔力が溢れだした。でも、今は暴走しているというトワのことが心配だ。急がないと。
普段はトワや私達が揃ってお茶会をしている広場の中央に『それ』はあった。一見すると何も無いように見えるが、明らかに何も無さすぎる空間がある。しかもその中に膨大な魔力の反応が暴れまわっているのを感知した。あの中にトワが居るのでしょう。
礎の核が安置されているらしい建物の近くに降り立ち、人の姿になると、泣き崩れている子供達をあやす弥生の代わりに、クーリアという名前のトワが助けた元獣人が結界の外に出てきた。
「状況を教えて」
思わず威圧が出てきてしまうくらいに余裕がない。そんな私に臆することなく、元獣人の少女は説明を始めた。
「トワちゃんは今、溜め込んだ感情が爆発して、感応された魔力の意識に呑まれて暴走しています。まだ本人の意識はあるようですが、とても希薄です。ここの魔物を掃討し終えて、領域の外で暴れそうだったので、私の魔法であそこに閉じ込めています」
元獣人の少女はそう言って、私が感知した場所を指差した。私も知らない魔法。この特異な感じから固有スキルの魔法かしら。使い方次第では私でも消滅させかねない危険なものね。でも今は、この能力のおかげでトワが外に出ないで済んだわ。もし外に出て魔物のように自我を失って暴走していたら、さすがに最悪の選択肢を選ばざる得ないもの。
――この子の能力については後回し。今はトワのことね。
でも、そのトワのことも、話を聞く限り最悪な状況だ。直接、視てみなければわからないけれど、もう手遅れの可能性があるわ。
――その時は・・・
「フェニ~?こわ~い顔をしているわよぉ~?まだ諦めるのは早いんじゃないかしらぁ~?」
「そうだの。妾達がこれだけ揃ったのじゃ。不可能なことはないの」
「ああ。まだ死なせるには惜しいヤツだ。助けるぞ」
私がいざという時のために覚悟を決めていると、三方からそれぞれ、リル達がやって来た。
外のゲートと空間干渉の結界は破壊したようね。オロチはまだ分身体が帰ってきていないようだから魔物の掃討中かしら。
頼もしい永い付き合いの友人達の言葉で、私は悪い考えを振り切るように顔を横に振った。
「ええ、助けましょう。私達の、大切な友人を」
私がそう宣言した瞬間、トワを閉じ込めていた虚無空間が膨大な魔力と共に爆発した。
* * * * * *
side ??
暗くて、紅くて、何も見えない場所で漂うわたしの耳には、痛くなるほどの怨嗟の叫び声がずっと木霊していた。とっても煩いので耳を塞ぎたくなるけれど、どうやっても塞げないので諦めます。慣れてしまえば良いだけです。
ずっと慣らしていたせいでしょうか、あんなに煩く感じていた叫び声がむしろ心地よくなってきました。このまま、怨嗟の感情に身を任せたらとても楽になりそうです。
そんなことを思いながら、わたしはどんどんと沈んでいきました。
「・・・」
気付くと、目の前に懐かしい景色がありました。夜遅い時間にも関わらず、ビル群には明かりが消えない窓が多く、車のヘッドライトがあちこちで夜を照らします。今ではこの時間でも夜更かしにはならないのか、一軒家にも灯りがともっていました。
わたしはまた、このビルの屋上で月を見上げます。あの時と同じ、全く欠けの無い月がそこにありました。
「戻ってきてしまいましたね」
それはわたしの真上から聞こえてきました。見上げて見ると、黒い髪と黒い瞳をした少女が、わたしを抱きかかえて同じように月を見上げていました。
「結局、うさぎになってもゆっくり月を見上げる時間なんてありませんでしたね」
そう言って、少女はわたしを優しく撫でます。その眼は宝石のように綺麗なのに、全てを諦めたような絶望感を感じられました。
「どこにも、わたしの『――』が無いのなら」
世界がわたしの居場所を用意してくれないのなら。
「全てを壊して、そして」
少女はわたしを優しく抱きしめ、耳元に口を寄せて呟きます。
「消えましょう。今度こそ」
その言葉は毒のようにわたしの全身を駆け巡り、まさしく毒のようにわたしの意識を奪っていきました。
* * * * * *
side 永久
わたしはそっと閉じていた目を開けました。わたしの周りには何もない虚無の壁が囲んでいます。たしか、猫耳の少女が持っていた固有スキルでしたね。〈虚無魔法〉でしたか。
コロセコロセと訴える魔力を抑えつけ、アバレロアバレロと蠢く魔力を統制します。
妹の輪音が言っていましたね。何も無い空間ならば、何かを作り放題じゃないかとか。『無』の壁ならば、その『無』に干渉して壊せる壁を作れば良いだけです。
無の空間に干渉して、わたしは壁を創造します。何も難しいことはありません。いつも魔法で家を建てたりしているでは無いですか。あれと変わりません。場所と状況が違うだけです。
ずっとここに居ては、わたしは死ねない。ずっとここに居ては、この世界で受けたわたしの痛みを返せない。別に返せなくても良いのですが、少しくらい八つ当たりしてもいいですよね?何度も人の文明は終わっているのですから。わたしが終わらせても問題ないはずです。またいずれ、勝手に新しい人が生まれるでしょう。
わたしはわたしだから。わたしはこの世界でとても頑張ったのだから。それが報われないのなら、わたしが代わりに報復しましょう。
わたしはいつものようにオリハルコン製の槍を出します。イメージする槍は御手杵という天下三名槍の一つです。刃長がおよそ138センチ、柄の部分と合わせると全長が2メートルを超える非常に大きな槍です。
前の世界のわたしならば、槍術の心得が多少はあるとはいえ、扱えないものでしょう。しかし、この世界ではスキルという概念のおかげで、ある程度の心得さえあれば、あとは勝手にスキルが良い感じの動きに補正してくれます。だから、こんなアホみたいな大きさの槍をわたしみたいな女性でも扱えるのです。まぁ、この世界のわたしは人では無いですけど。
これから世界中に破壊の限りを尽くそうとしているわたしは、間違いなく化け物でしょうね。その辺の魔物となんも変わりません。食事という目的で人を襲う魔物の方がよほどマシかもしれません。
化け物はきっと討伐されます。そういう世界ですから。わたしを殺すことが出来る人がきっと殺してくれるでしょう。それまでの間の、些細な八つ当たり。
さぁ、始めましょう。
わたしは華麗に舞うように回転しながら、大きすぎる槍で周囲を薙ぎ払い、虚無から創造した壁を壊しました。
* * * * * *
side フェンリル
話が終わると同時に膨大な魔力と共に中央広場の一角が爆発した。どうやら、出てきてしまったみたいねぇ~。
「ウソでしょう。私の虚無魔法がこんなにも早く突破されるなんて・・・!?」
トワちゃんの新しい眷族になった黒猫ちゃんが驚いたように声を上げた。でも、気持ちもわかるわぁ~。私だったら抜け出すのに何年掛かるか~って感じだったものぉ~。あんな無の空間の壁をどうやって壊したのかしらぁ~?
――それにしても、凄まじい負の感情にまみれた魔力ねぇ。ちょっと気分が悪くなるわ。
でも、恨みや憎しみ、怒りとは違う感じがするわねぇ~。とても質の悪い感情なのは間違いないけどねぇ~。
舞い上がった土煙が一瞬で切り開かれ、質の悪い魔力がその持ち主の周囲を囲み始めた。そこには居たのはもちろんトワちゃん、なのだけれどぉ~・・・。
「ねぇ?アレ、進化していないかしらぁ~?」
「奇遇だの。妾もそう思ったところだの」
人間で言うと15、6歳くらいかしら?フェニと近い年齢になっているわねぇ。それに、黒髪黒目。この世界にも東側の人に居るけれど、彼女の黒は夜空を彷彿とさせる綺麗な黒だ。瞳も相変わらず宝石のように美しい色合いをしている。これほどの綺麗な黒は、今まで見たこともないわねぇ。
そして、更に成長したトワちゃんの容姿は、まだあどけなさが残りながら天上の美が舞い降りたかのような美しさ、夜に溶ける黒色でありながらも、その存在は月のように輝いていた。
――まさに、『月の女神』というやつかしらねぇ~。
でも、そんな彼女の表情だけはとても気に入らないわねぇ。全てを諦めたような、圧倒的な無表情。その黒い瞳に移る感情はそう、彼女を取り巻く魔力の感情と同じ・・・
「絶望、ね」
フェニが静かに、しかし、今まで見たこともないくらいの怒りを堪えるように呟いた。
「何に勝手に絶望しているのか知らないけれど、これだけの人が貴女を想って行動しているというのに、いい加減にしなさい!!」
「そうねぇ~。さすがに鈍感がすぎるというものよぉ~。今回ばかりは全員でお説教ねぇ~」
「嫌と言っても付き合ってもらうぞ。おぬしに拒否権は、無い!」
「そうだな。俺も、言葉を尽くすのは苦手だが、拳で語ろう」
「それはどうなのぉ?ケイル~?」
まぁ、トワちゃんならケイルと拳で語ってもいい勝負にはなりそうねぇ~。ちょっと、絵面的にどうかとは思うけどぉ~。
黒髪のトワちゃんは虚ろな目で私達の言葉を聞き、小さく、とてもか弱い声だけれど、確かに一言発した。その言葉を聞いた私は、流石に堪忍袋の緒が切れた。
「この期に及んで貴様はアホかぁぁあああああ!!!」
私が思わず叫ぶ前、オロチがぶちぎれちゃったわねぇ。でも、これは仕方ないわねぇ~。私も同じことを思ったもの。
「殺して」。確かに彼女はそう言った。殺してですって?ふざけないでよねぇ。そんな虚言を信じると本気で思っているのかしらぁ?私達をなめすぎよぉ。
「叫んでいるところ悪いのだけれど、まだ分身体が戻っていないオロチは下がっていなさい。本当に残念だけど、今のトワ相手に手加減は難しそうよ」
「ぐっ」
「フェニックスならば、トワを止められるか?」
「出来るわ。だけれど、私が触れるくらいまで接近出来て、かつ多少の時間が必要ね」
「私達は神獣よぉ?足止めくらい楽に出来るわよぉ~」
「そうだと良いけれど」
私達が一向に攻撃しないからか、トワちゃんは私達に興味を無くしたように顔を背け、空を見上げた。そして、ゆっくり空へと浮いていく。外に行くつもりかしらぁ?
「ケイル!」
「おう!」
フェニの指示でケイルが素早く飛びあがって上空に居るトワちゃんに殴りかかった。総合的な身体能力はケイルは神獣の中で二番目。いくら更に進化したトワちゃんでもそうそう簡単に止められないはず・・・
ケイルの突進のような攻撃は、見もしていなかったトワちゃんにあっさりと躱され、目も止まらぬ速さで、手に持つ大きな槍でケイルを地上に叩き落とした。
「ぐお!?」
その威力にあのケイルがなんと声を上げ、地面に大穴を空けて帰ってくる。受け身も取れなかったようねぇ。更に、攻撃したからか、こちらに意識を向けたトワちゃんが魔力の槍を作り出すと、手がブレて見えるほどの速さでその槍をケイルに向けて投げた。私は慌ててフォローに入る。
「〈万能鎖〉!!」
間一髪、私の鎖が槍を止めたけれど、その威力に私の〈万能鎖〉が数本壊された。あの程度の魔力の槍を投げられただけであの威力?背中に冷たい汗が流れる。これは、思っている以上にヤバイかもしれないわねぇ~。
「トワちゃんの紅い月は身体能力を大幅に上げるものです!今のトワちゃんはいうならば、接近戦特化型に強化されています。いつもと同じだとは思わないでください!」
「そういうのは早く言ってよぉ~!!」
「〈月の女神〉の能力ね。そういえば、月の状態によって能力が違うって聞いたことがあるわね」
「他は何があるんじゃ?」
「蒼い月ですね。あれは恐らく、魔力量と魔力回復量が急激に上がる魔力特化です。今の状況を考えるならば、むしろ紅い月が一番マシです」
あれが一番マシって、まさかトワちゃんがそんなに強かったなんて思わなかったわぁ~。
私が黒猫ちゃんの言葉に戦々恐々としていると、フェニが更に追い討ちをかけてきた。
「しかも、進化しているとなると、またスキルも変容しているかもしれないということね」
「そもそも、あれ以上に進化することがあるのねぇ」
「いえ、恐らくは、トワが無意識のうちに進化のレベルを下げていたのでしょう。というよりは、暴走した魔力を普段から抑えつけていたせいで、進化の際にその魔力が使われずに残り、レベルが下がってしまったのではないかしら?」
「そのようなことを悠長に話している場合かの?次が来るぞ」
もちろん、ただ悠長に話していたわけではないわよぉ。トワちゃんの周りに数十もの紅い魔力の槍が現れ、一斉に眼下に居る私達に向けて降り注いできた。
私は話しながら溜めていた魔力を使って、〈万能鎖〉を魔力の槍と同じ数だけ召喚し、それを通して〈絶対零度〉を発動する。
人、物、空間、時間さえも凍らせる私の〈絶対零度〉は、飛んできた魔力の槍を全て凍らせて動きを止め、そのままトワちゃんの方まで迫る。けれど、トワちゃんは大きな槍で一閃、薙ぎ払って自分の目の前の空間をぶった切って〈絶対零度〉の影響を食い止め、空間が修復する時のエネルギーを凍らせた空間に向けて爆発させた。
粉々になった氷の破片が降り注ぐ中、虹色の羽を生やしたフェニがトワちゃんの正面まで移動する。
「これで!」
全長五メートルはある火の鳥を十羽召喚したフェニは、一斉にそれをトワちゃんに襲わせる。あれ一羽一羽が魂に干渉する破滅の炎だから、触れただけでもとっ~ても危険な鳥。しかも、実態が無いから物理で切り裂くのは不可能。それらがトワちゃんを取り囲み、連携しながら絶え間なく襲い掛かった。
しかし、トワちゃんはまるであの鳥が何なのか知っているかのように、触れない距離で踊るように攻撃を避けると、まるで踊りの一部かのように自然に大きな槍を振り回して一羽の炎の鳥を風圧で消し飛ばした。
「〈大地の怒り〉で身体能力を上げた。これならば、引けは取るまい」
「それでも、速さなら私が上だしぃ~、援護するわぁ~」
「妾も分身体が全員戻った。加勢するぞ!」
ケイルはそのまま一直線にトワちゃんのもとへと跳びあがり、私は狼の爪を両手に纏って、風魔法で足場を作るようにして空へと駆けて行く。オロチは体から七体のヘビを出して、地上から様々な異常状態を引き起こすブレスをヘビの口から吐き出した。
炎の鳥が残り三羽になったタイミングでケイルがトワちゃんを殴りに行ったけれど、あっさりと攻撃を受け流されてそのまま、もう一度真下に投げられる。武器でやり返さずに投げ技を使うなんて、ケイルの〈大地の怒り〉の効果を把握しているような・・・やっぱり、何かあるわねぇ。
次いでオロチのブレスは槍で薙いで、再び空間を爆発させて防ぐ、一瞬動きが止まったのを確認した私は即座に〈神速〉で懐に踏み込んだ。
「っ!?」
懐に踏み込む直前、トワちゃんの視線がちらりと私を射抜く。それと同時に久々に聞く強烈な〈危険予知〉が頭に鳴り響き、攻撃する直前に反射的に回避行動を取った。
私でさえ見えない速度で突き出された大きな槍の突きは、その後、私の回避すらも予測していたかのように私の動きに合わせて薙ぎ払われる。辛うじて、〈万能鎖〉で防御して直撃は免れたものの、私はフェニの居る方向まで突き飛ばされた。
風のクッションで包まれるようにして、フェニの隣で止まると、フェニは苦々しい顔して手を振る。炎の鳥が全て倒されたのでしょうねぇ。追加でまた十羽召喚してトワちゃんの方へと向かわせていた。その間に三度ケイルがトワちゃんに肉薄し、まるで子供の遊びのようにあっさりとトワちゃんに投げられていく。
「恐らくだけれど、〈未来予知〉系の固有スキルがあるわね。こちらの動きは全て読まれているわ」
「それとぉ~、たぶん、〈鑑定〉系スキルの固有スキルもあるわねぇ~。今まで見せたことのない攻撃に対して、的確に行動しているわぁ~。ケイルのことなんて、もはやゴミのように投げることしかしてないしぃ~」
「物理攻撃の反射。それを防ぐために武器で攻撃するのではなく、敢えて手間のかかる素手で投げているのね。あのケイルがあんな簡単に投げられているのも信じられないのだけど。・・・ん、もう火の鳥はダメね。さっきよりも早く全滅したわ」
「・・・・〈全知の悪魔の加護〉かしらねぇ~」
「・・・・恐らくは」
以前にスキルを見せてもらった時にあった悪魔スキル。名前からしても、鑑定や予知がありそうなスキルだものねぇ~。
それにしても、私を越える速さに、ケイルを易々と投げる身体能力、高い武器術と柔術スキルに加えて鑑定と予知まである。これ、どうやって動きを止めれば良いのかしらぁ~?
「いっそ全員魔物化して戦ってみるぅ~?」
「懐に潜られて死角外から真っ二つにされたくなければやめておきなさいな。今は人の姿の方が楽でしょう。私なら大丈夫だけど、変身しても利点も無いからやらないわ」
フェニは人の姿でも鳥の姿でも、あまり戦い方が変わらないものねぇ~。
「とにかく、こちらは四人がかりなのだから、一斉に攻撃すれば予測出来ても捌き切れない場合があると思うわ。諦めずにいろいろと試してみましょう」
フェニはそう言うと、言葉の終わりに手を強く振って炎の刃をいくつもトワちゃんに飛ばした。私もそれに合わせて〈万能鎖〉を囲むように襲わせる。ケイルの攻撃やオロチの物量重視のランダム魔法攻撃も同時にトワちゃんに降り注ぐが、それら全てを僅かな時間差で来る攻撃に合わせて一つ一つ丁寧に捌かれていく。
そうして、御互いに決め手に欠ける攻防を何度か交えるも、私達はトワちゃんの動きを止めるどころか、まともに攻撃も当てられない状態が続いた。トワちゃんが受け身の態勢だからこそまだ余裕のある戦闘だけれど、もし、攻勢に転じたら、それこそ、殺さないようになんて余裕は無いかもしれないわねぇ~。
そして、私の心を読んだように、今まで防戦に徹していたトワちゃんが明確な敵意を持ってケイルの腕を掴んだ。
「さすがに、飽きました。わたしを殺す気が無いのなら、貴方達は邪魔なだけです」
聞き慣れた声のはずなのに、ぞっとするほどに感情がなく、まるで他人に対するかのような声音だった。
――それに、なんだか口調も少し違うような・・・?
ケイルは掴まれていない手でトワちゃんを拘束しようと手を伸ばしたけれど、その前にトワちゃんが槍の柄の部分をケイルに押し当てた。
「ダメージを与えなければいい。ですよね、ヘカトンケイルさん?」
「なに!?」
そのまま、トワちゃんは私達に突き飛ばすようにケイルを押し出した。その先には私が用意していた〈万能鎖〉が待機している。
慌てて鎖の軌道を逸らすと、先ほどまで回避するくらいにしか移動していなかったトワちゃんが一気に距離を詰めてフェニに近付いた。
「この世界に居る限りは死なないのですよね?なら、貴女しか居ない小さな世界で貴女が死んだら、どうなるのでしょうね、フェニックスさん?」
「っ!?」
嫌な予感がした私は、〈万能鎖〉をこれでもかと増やしてトワちゃんに向けて伸ばした。間一髪、まるでフェニを呑み込むようにして揺らいだ空間が展開するのが僅かに遅れた。その隙にフェニは一度距離を離すために自爆した。
「さすがに、ヒヤッとしたわ」
「実際ヤバかったのかしらぁ~?」
「わからないわ。わからないからこそ、恐怖を感じたわ」
フェニを完全に殺すことは、この世界の中では恐らくウロボロスくらいしか居ないと思っていたけれど、トワちゃんでも出来そうな気がしてきたわねぇ~。
「随分と余裕ですね。フェンリルさん?」
「あら~、こう見えてとっても焦っているわぁ~。それと、リルって呼んでってお願いしたと思うのだけどぉ~?」
離れた場所に居た筈のトワちゃんが、いつの間にか私のすぐ近くにまで移動してきていて刃を突き立てていた。鎖による自動防御が無ければ危なかったわねぇ~。
「〈万能鎖〉による自動防御と〈絶対零度〉による凍結攻撃。攻防一体の無茶苦茶なスキル構成ですね」
「貴女ほどでは、無いと思っているわよぉ~?」
「貴女達にヒントを上げます。わたしの動きを止めるのに一番当たる可能性が高いのが、フェンリルさんの〈絶対零度〉です。頑張って当ててくださいね」
「言ってくれるわねぇ~」
トワちゃんと話しているはずなのに、まるで別人のような感覚にとても気持ち悪くなるわねぇ~。
そんなに凍りたいのならば、全部凍らせてあげるわよ!
私が〈絶対零度〉を避けられないほどの広域に展開させようとした時、トワちゃんは無感情な目で私を見ながら口を開いた。
「ところで、自動防御だけでわたしの攻撃を防げるとお考えですか?戦闘中に気を逸らすのはご法度ですよ?」
「あ!?しまっ!?」
〈絶対零度〉の行使を中断して、〈万能鎖〉を即座に展開する。トワちゃんは強力な予知スキル持ちよぉ!自動防御なんかで完全に攻撃を防げるわけ無いじゃない!こんなに接近されているのにトワちゃんから一瞬でも気を逸らすなんて何考えているの私!!
〈万能鎖〉の展開は一歩遅く、〈危険予知〉に従って体を反らす。腕が切り落とされた感覚がしたけれど、今はそれに構っている場合ではないわ。距離を離さないと!
近くに居たフェニが炎の鳥を召喚して私との間に滑り込ませて、さらに地上から八体分の魔法の物量攻撃で援護してくれたオロチのおかげで、追撃で私の体がバラバラになることは無かった。ふぅ~。
「あら?逃げきれたとお思いですか?残念でしたね」
腕を再生した私はその声に振り返ることなく、〈神速〉スキルを使って即座に距離を離す。〈万能鎖〉を間に挟むも、一瞬で切り刻まれて間合いに入られた。トワちゃんの構えた大槍から途轍もない危険を感じる。これは、アーツかしら、すっごくヤバいわぁ!!
「リル!避けなさい!!」
「くそ!間に合わん!!」
「ちぃ!」
フェニ達の声が聞こえる中、トワちゃんは無表情なまま、槍を突き出した。
* * * * * *
side セラ
私がなんとか聖剣を滑り込ませて、攻撃の軌道を逸らすことに成功した。逸れた攻撃によって放たれたアーツがフェンリルさんの横を通り過ぎていく。
「し、死ぬかと思ったわぁ~」
「今のうちに距離を離してください!」
「感謝するわぁ~熾天使ちゃん」
気の抜けるような間延びした喋り方をする神獣に思わず苦笑する。あれだけ余裕そうだったのならば、直撃しても死にはしなかったんじゃないかな。
「おっと!」
聖剣で抑えていた槍がするりと力が抜けるよう抜け出し、そのまま目にも止まらぬ速さで斬り返してきた。私は慌てて〈攻撃予知〉で軌道を確認しながら一つ一つ捌いていった。最後の一撃を止めると、彼女と目が合う。
顔は間違いなく彼女だけど、髪色や目の色が変わっている。でも、それだけじゃない。なんとなく、彼女そのものに違和感を感じた。だから、私は思わず聞いてしまった。
「貴女、誰?」
私の質問に、彼女は無表情な顔のまま眉をほんの少しだけひそめる。
「一応、トワですよ」
「その『一応』がとても大事な部分だと思うんだけど?」
「他に表現のしようが無いもので」
淡々と喋る彼女は間違いなく私の知っているトワちゃんと同じような喋り方なんだけど、やっぱりどこか違和感を感じる。
再び幾度か剣と槍を交え合い、相手の攻撃の衝撃に合わせて一度距離を離す。私に距離を詰めようとした彼女はすぐに行動を変えて真上から降って来た弓矢を弾き落とした。
「エルアーナさんも、遠くからはるばると・・・。クーリアさんにでも呼ばれましたか?」
「まぁ、そんなところね」
サクッと弾いていたけど、今エルが放った攻撃は威力重視のアーツだ。おまけに精霊弓による精霊の加護も付与された必殺の一撃なのだ。あんな涼しい顔であっさりと弾くようなものではない。
「暴走してるって聞いた割には落ち着いて見えるから困るね」
「魔力の話ですか?暴走していますよ。だからこうして戦っているのでしょう?」
「普通は暴走していたらこんな風に話せないでしょう?」
「そうですか。でも、魔力の意志に逆らえないのは本当ですよ。わたしはただ、その意思に逆らわず、飲み込まれず、あるがままに受け止めているだけです」
彼女は2メートルは超える大きな槍を器用に一回転まわして横に薙ぎ払う。私は即座にその場から退いて、先に戦っていた不死鳥のフェニックスさんのもとへと向かった。私が居た場所は空間が真っ二つに切られ、空間が戻る際のエネルギーが集約し、爆発した。
「めちゃくちゃね」
エルが風の精霊を使って遠距離から私に向けて囁いた。
「トワちゃんがめちゃくちゃなのは前からでしょ」
「それもそうだけど」
私の代わりにすごく大柄な男の人、えっと、ヘカトンケイルさんだっけ?がトワちゃんに突っ込んでいく。身体能力は高くても近接戦闘術はそんなにないみたいだね。魔力の高さとその高すぎる身体能力故の弊害かな。
フェニックスさんの目の前まで降り立つと、単刀直入に質問する。
「トワちゃんを止められる方法、あるんですよね?」
「ええ。私が接近出来て、少しだけ動きを止めてもらえれば出来るわ。悔しいけれど、私ではトワに接近するのも難しいのだけどね」
「何か注意することはありますか?」
「強力な鑑定と予知スキルを持っているわ。こちらの攻撃は全て筒抜けになっていると思いなさい」
「えぇ・・・」
なにそれ。戦闘する中で一番嫌な組み合わせじゃん。私の〈攻撃予知〉より上のスキルだとすると、予知が予知されて危ないからスキルを切っておいた方がいいね。どおりで予知外からの攻撃がいくつか来てたわけだよ。身体能力は相手が若干上だけど、私の場合は剣技のスキルが上だからなんとかなっている感じかな。完全に熾天使化した私より身体能力が上とか、もう笑うしかないよね。
「エル、今のは聞いたよね。歌の精霊は使えそう?」
「ごめんなさい。トワちゃんの威圧で動けなくなってしまったわ。上級精霊までは使えなさそう」
「上級精霊を威圧だけで動けなくするって、ホント?」
「あら、私でも上級精霊ぐらいまでなら威圧で動けなく出来るわよ」
「あ、そうですか」
神獣ってつくづく規格外だなぁ。魔力量だけなら私もフェニックスさん以上にあるんだけどね。
「私達が用意した作戦は使えなさそうか、仕方ない、頑張って動きを止めてみようか、な!」
飛んできた槍を振り返りながら弾き落とし、飛んできた場所に視線をやると、鎖で周囲を囲まれている状態で無数の魔法が飛んできているのを、その場から全く動かずに槍を振り回して、全て切り刻んた彼女の姿が見えた。
「本気出しても止められる気がしないよ・・・。悪いけど、フォローは任せるからね」
「貴方達に良い印象は無いけれど、トワを助けるためならば全力を尽くすわ。存分にやってきなさい」
フェニックスさんに見送られながら、私は翼をはためかせて彼女の下へと向かった。
 




