8話 転生うさぎと血熊の死闘
広場の中央から『それ』を見た時に最初に思ったことが、どこかで見たことがあるような気がするという現実逃避でした。
赤黒い毛色に血のように赤い目。凶悪そうな爪や牙にはまだ真新しい血が滴っています。見た目は若干変わっていますが、平原から森の住処へ移動中に見かけたあの黒い熊でしょう。
――これは、思ったよりも絶望的ですね。
体格も大きくなったのか、太い二本の足で立つと三メートルはあるほどの巨躯で、そこから見下ろされる血のように赤く血走った瞳は威圧するように、小さなうさぎのわたしを見下ろします。
いや、事実威圧されているのでしょう。圧倒的な魔力を放ちながら見下ろされているだけで、体が震えて動けなくなり、戦おうという意欲すら無くなりそうになります。
――スライムさんが居ればなんとかなったかも知れないですが、わたし一人ではどうしようもないじゃないですか
絶望ともいえる状況からか、威圧による力なのか、震える体から力が抜けたように地面にへたり込んでしまいます。
――日本で平和に暮らしていたわたしに、ひどい仕打ちではないでしょうか?
ずっとため込んでいた不満が、ふつふつとわたしの中で沸き立ってきます。
――転生してすぐに襲われましたし、その日の夜にまた襲われて死にかけましたし、そもそも、うさぎに転生とかどんな罰ゲームですか!?
不満から出た怒りが、わたしを抑え込んでいた威圧から抜け出してわたしの体の震えが止まり、力が戻ってきます。
――それでも、この世界で生きたいと思ってしまった。安寧な生活手に入れて居場所が欲しいと思ってしまった。なにより、ここまで生きてきて、楽しいと思ってしまった。だから・・・
死ぬぞ!っと怒鳴るように警鐘が突然頭の中で響きました。わたしは咄嗟に身体強化をさらに強くしてその場から跳びます。その瞬間、わたしの居た場所に地面を叩きつけるようにして太い腕が振り下ろされ、凄まじい轟音と叩きつけられた衝撃で飛び散った土や石が当たりに撒き散らされます。
「ぐわああああ!!!」
今ので殺したと思ったのか、苛立ちをぶつけるように吠えた黒熊だったものは、血に飢え狂ったような目でわたしを睨みつけます。睨まれた瞬間に先ほどよりも強い威圧を感じました。わたしは震える体のまま立ち上がり睨み返します。
――黒熊・・・いいえ、血で赤く染まっているので、血熊と呼びましょうか。こんなやつに、こんなところで殺されてたまるもんですか。以前、狼に襲われて逃げ回っていた頃とは違うのです。今のわたしは狼を狩ることが出来る力を得ました。無駄だなんて諦めずに、最後まで抗ってやろうじゃないですか!
わたしはこの世界で生きると決めたのだから。
「がああああ!!」
わたしの強い意志が伝わったのか、血熊は苛立たしそうにもう一度吠えると、猛烈な速度でわたしに襲い掛かってきました。基礎の身体能力が違うとはいえ、身体強化で瞬発力を上げたうさぎの小さい体を生かせば、避けられない攻撃ではありません。相手の攻撃から視線を外さないようにしながら頭の中で考えます。
――わたしの攻撃手段は魔法だけです。相手との魔力量の差を考えるならば、可能な限り致命傷か、それに近い大きなダメージを与えなければ倒すことは出来ないでしょう。
加えて、身体強化と収納魔法に使っている魔力分を引くと、わたしが回避と攻撃に割ける魔力はそれほど余裕がありません。
――ずっと身体強化をかけて無茶な動きをしていたら、魔力の自動回復力だけでは補えないでしょう。それに魔法で攻撃なんてしていたらすぐに魔力が尽きてしまいます。さて、どうしましょうか?
思考をしながらも、血熊の攻撃はしっかりと余裕をもって避けます。攻撃速度は速いですが、振りが大きいので軌道予測がしやすく、避けるのにそこまで苦労はしません。相手もいら立っているようで、余計に攻撃が単調になっていきます。今のうちに考えられるだけ考えておきましょう。
――とりあえず、魔力の確保ですね。収納魔法に使う魔力を減らして容量を少なくして、減った分の魔力をスライムゼリーや他のため込んでいた物を食べて回復しましょう。
さっそく、収納魔法の規模を小さくして魔力量を確保し、同時に収納に仕舞いこんでいた魔力たっぷりのスライムゼリー団子を、敵の攻撃を避けながら食べて、魔力を回復していきます。
――そういえば、魔物を倒した時に石っぽいものが手に入ったのですよね。魔力を多く含んでいて、スライムさんにあげると喜んでいたので死体ごとあげていたのですが、いくつかわたしの分もあったはずです。
収納から魔物の石を取り出して口の中に放り込みました。石のように固いですが、少しずつ溶けて魔力となって吸収されていきます。これは使えそうですね。
――魔力の確保は出来ました。後は、攻撃手段ですね。とりあえず、いつもの魔法でどの程度のダメージを負わせられるか試してみますか。
わたしは敵の攻撃を避けるのに合わせて、相手の首を狙って風の刃で切り裂くように打ち出します。攻撃は当たりましたが、首元を浅く傷つけただけで、すぐに治療されてしまいました。
しかし、傷つけられた怒りのせいか、攻撃がさらに苛烈になり、慌てて跳び退きますが爪に前足が当たって
しまいました。
――痛ったあ!!
傷は浅かったのですが、この世界にきて初めて血が流れるほどの怪我を負いました。その瞬間、その怪我を直そうと魔力が活性化します。
――こんな傷で魔力を使うのはもったいないです!
慌てて活性化した魔力を押さえつけます。痛みはありますが、動いているうちに気にならなくなるでしょう。出血だけは止めておいた方が良いので、魔力をうまく操作して表面だけ治療します。しかし、今のではっきりしました。
――普段の攻撃では、勝つどころか弱らせるのも難しいですね。もっと殺傷力のあって魔力の消費が少ない魔法を思いつかなければいけませんね。
真っ先に思い浮かぶのは、前世での銃や爆弾です。
――銃なんて扱ったことないから当てるのが難しいですし、それに人間相手ならともかく動物相手には威力の高いものでないと効果が薄いと聞いたことがあります。そもそも、魔法でどう再現するのですか?よくわからないものの再現は魔力を大きく使うので却下です!
爆発系はイメージもしやすいのですが、一対一での戦闘で使うには魔力を多く使うので、候補として保留にしました。
「ガアアアアアア!!!」
思考の最中であろうとも、敵はお構いなく攻撃してきます。今度は雄叫びを上げながら突っ込んできました。わたしは木の方まで駆けて跳び付き、そのまま三角跳びの要領で相手の上を跳び背後を取ります。わたしに向かって突進してきた勢いのまま木にぶつかり、木はその力に耐えられず根本から折れて倒れました。
――木を倒す・・・チェーンソーとか?物は作れませんが原理を応用すれば、既存の魔法でも簡単に強く出来るのでは?風の刃にギザギザつけて高速回転させる?風がギザギザついて回転とかいまいちイメージしにくいですね。似たようなものは・・・たしか、ウォーターカッターって高圧力の水流を当てて物を削り切るのでしたっけ?形を刀の刃のようにして、圧力をかけて水を高速循環させる。水流の速度は速いやつでマッハ3ぐらいになるって聞いたことがありますね。これなら原理も理解できますし、既存のウォーターカッターを強化するだけなので簡単にイメージ出来そうです!
長い思考が一気に駆け抜けて、わたしは新しい魔法のイメージを固めます。頭をぶつけた血熊は、忌々しそうに倒した木を薙ぎ払うとわたしの方へ振り向きます。血のように赤い目が怒りに染まっているのが分かります。
わたしは、新しく作ったウォーターカッターの長い刀身を、振り向いた血熊を袈裟斬りするように打ち出しました。
「グガアアアアアア!?」
深く傷つけることに成功しましたが、さすがに両断とまではいかなかったようです。大量の血飛沫が辺りに撒き散らされ、周囲の空気が震えるほどの悲鳴を上げますが、傷は直ぐに塞がれてしまいました。あれだけの傷ならば、かなりの魔力を使ったでしょう。
――今ので倒せませんでしたが、凄まじいダメージですね。魔力の消費は刀身をもっと短くすれば更に低く出来そうです。近距離で使う必要がありますが、効率を重視しなければなので仕方ないです。
ウォーターカッターでは名前も長いので、水刃と呼ぶようにしましょう。これで、少なくともただ狩られる側からは脱却しました。最後の瞬間まで抵抗して、生き残ってやりましょう。
血熊はわたしのことをただの餌では無く敵として認識したようで、憤怒の表情の中に警戒心が見えるようになりました。
お互いが敵として認識して向かい合って睨み会うその時間は、この戦闘が始まって初めての、そして恐らく最後の静寂でしょう。
そして、お互いの定めた敵に向かって駆けます。わたしがこの世界に来て初めての殺しあいが始まりました。
どれくらい長いこと戦っていたのでしょう。戦い始めの頃はまだ日が高く青々とした空が見えていたのですが、気が付けば、空は暗くなってきていて、戦っている広場は血で赤く染まっています。
そんな広場でくるくると踊るようにわたし達は争っています。相手の攻撃の合間を縫って、接近しそのまま水の刃で切り抜けるように飛び抜けます。脇を深く抉り、鮮血が吹き出ますが直ぐに治療されて元通りになります。
長時間の高速行動も相まって、わたしの魔力はもう残りわずかしかありません。相手もかなりの魔力を使ったのか、傷を完全に癒さずに、傷が深く危険な場所のみ応急処置をするようになり、浅い傷はそのままで傷跡があちこちに目立つようになっています。
――わたしも限界が近いですが、相手も同じはずです。勝ちが見えてきました!
わたしの小さな油断が致命的なミスを犯しました。突如、相手のスピードが爆発的に上がり、わたしに体当たりしました。わたしは咄嗟に避けることが出来ず、途轍もない衝撃と共に空中に放り出されました。血熊は無防備なわたしに追い討ちをかけるように、鋭利な爪で殴るようにしてわたしを切り裂きます。
「きゅぅ!!!?」
抉られた傷から大量の血を撒き散らしながら、わたしは吹き飛ばされ、木に衝突してぼろ雑巾のようにずり落ちます。
――痛い!!何でいきなりあんな動きを!?血がすごく流れてる!!このままじゃ死んじゃう!!痛い痛い痛い痛い!!!!痛いならまだ生きてる!!考えなきゃ!!
大きな傷と痛みで頭の中がパニックになりながらも、必死に考えを巡らせます。さっきの攻撃は明らかに今までと動きが違いました。その答えは、相手の魔力を確認したらすぐにわかりました。
――魔力が急激に減ってる?まさか、身体強化!?この戦闘中にわたしが使ってるのを見て学んだということ!?
致命傷に近い一撃を受けたせいか、意識が朦朧としてきますが気合いでなんとか踏みとどまります。残っていた魔力が治療をするために使われいますが、満足に動けるようなるまでに魔力が尽きてしまいそうです。
――まだ、生きてる。ならば最後まで足掻くの。落ち着いて、考えて・・・わたしにまだ出来ることはなんですか・・・?
混乱した頭を落ち着かせ、勝手に動いてる魔力を一度止めて、すぐに考えを巡らせます。こんなことをしている間も、血熊は待っていてくれません。
――とりあえず、死なない程度の治療をして、残った魔力で総攻撃。これしかありませんね。どうせ完全治療には魔力が足らないのですから、ありったけやってやりましょう。
ここまでの結論に至るまでにほんの数秒。わたしは震えながら小さな前足を相手に向けます。相手が身体強化をかけた速さで迫ってきているのを確認しながら魔法を使いました。
いくつもの水の刃が迫ってくる相手を切り刻みます。多少速度を落としつつも、構わずにわたしに向かって走って来ます。僅か数秒のありったけの抵抗も空しく、真っ赤に染まった熊はわたしの前にたどり着き、手を大きく振りかぶりました。
――ここまでですか・・・
諦めかけたわたしは一瞬目を閉じます。この世界に転生して幾つもの記憶がその一瞬で走馬灯のように過ぎていきます。
――この世界でなら居場所を見つけられると思ったのに。
目を開けると、手を振りかぶった熊の後ろに大きい満月が見えました。わたしは咄嗟に魔法を使います。
――これで本当に最後です!!
今までよりずっと強力に魔力を籠めた水の刃は、傷だらけの熊の首をさらに深く傷付け、ついにその首を跳ねました。
血で真っ赤に染まった熊は、振りかぶったままの姿勢でゆっくりと後ろに倒れました。わたしはそれを見届けると、張りつめた気が抜け、意識を失いました。