89話 転生うさぎと永久(トワ)
最初に出来た友達といえる人は、わたしがまだ小学校低学年の頃の時に仲良くなった女の子です。
当時から私立の有名な学校に通っていたわたしですが、学業の成績は上位に食い込むくらいのちょっと優秀な程度でした。そんなわたしが仲良くなった子はどちらかというとあまり成績の良くない子でした。
それでも、わたしと彼女は仲良くなり、友達として一緒に過ごすことが多くなりました。
そして、ある日のこと。彼女は忽然と姿を消しました。
なんのことはありません。親の仕事の関係で引っ越すことになり、学校に通えなくなっただけです。わたしはあまりにも突然の別れに驚き、なんとかして彼女とコンタクトがとれないかどうか考えました。
結論として、親に相談したのです。まだ両親のことを慕っていたわたしは、父親と母親にその友達のことを話し、なんとか新しい住所が知ることが出来ないかどうか相談しました。そんなわたしに母親が冷めた目でわたしを見下ろしながら、顔だけは笑顔でこう言ったのを覚えています。
「あの子は貴女には相応しく無いわ。忘れなさい。そしてもっと才能のある人と付き合いなさい」
父親にも似たようなことを言われたような気がします。わたしは才能のある特別な人なのだから、同じ特別な人と付き合うようにと。
わたしは二人の反応で察しました。この二人が、わたしの両親が友達の親に何かして遠くに飛ばしたのではないか?わたしがあの子と仲良くなったせいで、彼女はこの場所を離れなければならなかったのではないか?
わたしのせいで。そんな思いを抱いたわたしは、この一件以来誰かと仲良くなることに恐怖心が芽生え、人と距離を置くようになりました。両親に対する不信感が芽生えたのも、この事件がきっかけだったような気がします。
中学生になったわたしは、今だに少し優秀な程度の成績しか出せず、妹の輪音のような特質した才能も芽生えないまま、両親に重圧をかけられ、他人と距離を置く生活をしていました。
優秀過ぎる兄になんとか追い付こうと、吐くくらいの努力をしても、わたしの成績はやはり少しだけ優秀な程度。わたし程度の成績の持ち主など、探せばごまんといるでしょう。どれだけの努力を重ねても結果が出せず、変わらず両親からの重圧と少しの失望の視線を受けながら一年を過ごし、中学二年生のある日、そんなわたしの精神と体に限界が来たのか、体育の授業でつまらないミスをして倒れてしまいました。
保健室で目が覚めたわたしの傍には、体育を見学していた女子生徒が椅子に座って本を読んでいました。教室で誰とも関わらずに本を読んでいる彼女ですが、学業の成績はたしか平均的だったはずです。国語はわたしと同じくらいでしたが。何故知っているのかと言うと、直接本人に聞いたことがあって見せてもらったことがあるのです。まぁ、参考までにという名目で。
わたしが目覚めたのに気付いた彼女は、わたしの額に手を当てて首をかしげ、「まだ顔色が悪い。もう少し寝た方がいい」と言いました。その言葉に、何故かわたしは涙が出てきて、それを隠すためにベッドの布団に深く潜りました。そんなわたしの傍で、彼女はなにもせず、ただ本だけを読んでいました。
これがきっかけで、わたし達は少しの交流を経て、放課後の僅かな時間だけ、彼女がよく一人で本を読んでいる街の図書館で一緒に本を読むようになりました。
あまり長時間一緒に居るとわたしの親に目をつけられるかもしれない。そうならないように、一緒に本を読む時は、顔を上げたら遠くに視界に入るぐらいの距離を空けています。帰る時もわたしは早々に退散しました。
お互いに人を遠ざけて過ごしているからか、同じクラスの彼女とはいろいろな行事で一緒の班になることが多くなりました。最も、ただ遠ざけている彼女と、外向けの偶像として内面に入らせないようにしているわたしとは大分タイプは違うのですが。
それでも、こんな僅かな交流が、携帯のアドレスも交換していない、友達ともはっきりいえないような関係が、人との繋がりに飢えていたわたしにとって、とても救いになったのです。
しかし、中学三年の半ば頃のことでした。その日も放課後で、彼女を視界の隅に入れながら読書をしていた時でした。珍しく、彼女がわたしの前まで近付いてきて、声をかけてきたのです。
「たぶん、近いうちに私はこの学校から転校すると思う」
「えっ?」
突然の告白に頭が真っ白になります。転校?こんな突然に?まさか・・・。
わたしの嫌な考えを肯定するように、彼女は言葉を続けます。
「これでも粘ったのだけど、余程自分の物が凡人に心を許しているのが許せないみたいね。ここ最近は成績も横ばいなのでしょう?」
わたしのせい?わたしのせいでまた・・・?
「ああ、この言い方だと、貴女を責めているみたいね。違うの。貴女は悪くないの。貴女の両親が異常なのよ」
彼女はわたしが何も言えずに呆然としているのを静かに見下ろし、体を乗り出して頬に優しく手を触れた。わたしは思わずその手を掴んでしまいました。わたしの手が冷えていたせいか、彼女の手がとても温かく感じたのを覚えています。
「この一年間、この絶妙な距離感で過ごしてきた貴女との時間はとても楽しかった。初めて、本の物語以外のことに興味を覚えたくらいには」
彼女が微笑みます。わたしはその顔を見て、握った手に力を込めました。失いたくないと思いました。
「貴女ならば他の人もきっと手を伸ばしてくれると思う。だから、貴女はあいつらのような人にはならないで。そのままの、純粋な貴女のままで居て」
頬に冷たいものが流れます。わたしはまた繰り返してしまったのです。あんなに戒めたつもりだったのに、わたしはまた大切な場所を守れなかったのです。
「きっともう、会えないと思うから、最後にこれだけ。こんな私と一緒に居てくれて、ありがとう。楽しかった」
「あ、・・・イヤ・・・」
「ごめんね。私がもっといろんなことが出来れば、私が凡人じゃなければ、貴女の傍に居られたのに。貴女を泣かせることなんて無かったのに・・・。ごめんね・・・」
違うのです。全てわたしが悪いのです。でも、その言葉を伝えることが出来ないまま、彼女はわたしの頬から手を引して優しくわたしの手を引き剥がしました。
「さよなら。この一年間、本当にありがとう」
わたしはただ呆然と、彼女が去っていくのを見ていました。そのあと、いつどのようにして家に帰ったのかもよく覚えていません。
ただ、その日の夜。あいつらに呼び出されたわたしは、今後のわたしの生き方について話をされました。あいつらが造った高等学校を卒業して、そのあとはあいつらの監視のもと、兄の管理している会社で仕事の補佐をするとのことです。わたしは見目だけはそこそこ良いから、それを上手く利用するのだとか言っていました。
更に、これから先死ぬまでずっと、わたしはあいつらと兄の命令に従って生きるようにと言われました。そのための教育も高等学校を卒業したら行うようです。凡人が天才に生かされるのは当然のことだとか。わたしにはもう理解の出来ない考えでした。
居場所を失い、未来すらも人形として生きることが決まったわたしは、この時に絶望したのです。この世界にわたしの居場所は無い。あるのはただ、絶望だけでした。
長い、長いわたしの話を聞き終えたわたしは、そっと瞼を上げました。
目を開けると満月の夜と幾つかの星々、それと、眼下に広がるビルや家、車の明かりが深夜の夜を明るく照らしているのが見えます。人工的な灯りですが、これも中々に綺麗な景色です。
わたしはぴょんと彼女の腕の中から飛び降りると、高層ビルの屋上の端に立つ彼女を見上げます。
「はぁ。助かってしまいましたね。残念です」
黒くて長い髪をたなびかせながら彼女が振り向くと、宝石のように綺麗な黒い瞳がわたしを見下ろします。
言葉とは裏腹に彼女は少し嬉しそうに微笑んでいます。わたしもこれくらい表情筋が動けば良いのですけどね。
「貴女が勝手に忘れているだけで、表情くらい変えられるでしょう?」
(・・・勝手に人の心を読まないで欲しいのですが)
「貴女はわたしなのですから、読みたくなくてもわかってしまうのですよ。不可抗力というやつです」
(・・・不可抗力でもスルーすれば良いのです。いちいち反応しなくてもいいのですよ)
わたしが耳をふるふるさせながら抗議すると、彼女はひとしきりクスクスと笑ったあとに背中をむけました。
「わたしの欲しかったもの。手に入りましたかね?」
彼女がどこか期待するように、そう、わたしに問いかけてきました。わたしは彼女を見上げながら答えます。
(・・・どうでしょう?もう答えは出ているような気もしますけど。貴女はどう思うのですか?)
「貴女が答えが出ていると言っているのに、わたしが解らないわけないでしょう?」
(・・・それならば聞かないでください)
「わたし、異世界で生活するようになって性格悪くなっていませんか?」
(・・・いろいろありましたからね。それと、性格の悪さは恐らくもとからかと)
「否定はしません」
彼女が再びクスクスと笑います。わたしもちょっと楽しそうに耳をゆらゆらと揺らしました。思っていたよりも自分と会話をするというのは楽しいものですね。痛い子ではありませんよ?
わたしは彼女の隣まで移動すると同じ月を眺めました。前世のわたしが最後に見た満月です。ずっと見ていると吸い込まれそうになるくらい綺麗なスーパームーンでした。
しばらくの間、無言のまま二人で揃って月を見上げていると、彼女がぽつりぽつりと喋り出しました。
「わたしは、とても愚かだったと思います。差し出された手を見えない振りをして過ごし、ひたすらに自分を殺して生きてきました。わたしの居たかった場所は全て相応しくないとあいつらに壊されていましたから、わたしのせいでこれ以上大切な人達が傷つくのが見たくなかったからです」
わたしは黙って彼女の言葉を聞きます。わたしと彼女は同じ存在ですが、まだわたしは月代 永久という存在の全てを思い出したわけではありません。きっと、わたしの記憶にない痛みを沢山背負っていたのでしょう。わたしはそれらを忘れるために自分のことを記憶から抹消したのかもしれません。いえ、彼女に押し付けていたのでしょう。
「そしてわたしは、わたしの『居場所』を見失いました。ただの偶像として、月代 永久という着ぐるみを着て過ごしていくうちに、死んで解放されたいと思った。死という終わりを目的にして初めて、わたしはあいつらへの精一杯の報復をすることを目的に偶像として生きようと思った。居場所を探すのを止めたあの瞬間に、きっと『わたし』は死んでいたのでしょうね」
彼女は月から目を逸らして俯き、悲し気な表情を浮かべて溜息を吐きます。
「勝手に絶望して勝手に死んで。わたしのことを見てくれていた人達を裏切って。わたしがこんなにも自分勝手でアホで愚かだったことに気付かされて、ちょっと死にたい気分です」
(・・・ホントですね)
「そこはフォローするところではありませんか?」
(・・・フォローして欲しかったのですか?)
「いえ、全然」
独白を終えた彼女はしばらく俯いた後、顔を上げて、慣れた作り笑顔を浮かべます。
「さあ、貴女はそろそろ帰って下さい。この世界の永久はもう貴女には必要ないでしょう」
――あぁ、とてもわたしらしいですね。
欲しいものが近くにあってもそれに伴う犠牲を恐れて拒絶する。本当の気持ちは全て心の奥深くに沈めて蓋をしてしまう。わたしの目の前で知っている人が苦しむのは見たくないのです。苦しみに慣れているわたしが全て背負えばいいと勝手にそう思い込んでいるのです。ただの自己満足に過ぎないと理解をしているはずなのに。
だから本当に。当たり前のことですが。彼女とわたしは同じなのです。
また彼女はこの場所で負の感情を溜め込むのでしょう。いつか自分が壊れてしまうのも構わずに、それでも、彼女は誰かに助けて欲しいとそう願っているのです。
だから、わたしは、人の姿になって彼女を抱きしめました。もう、彼女だけに全てを押し付けるのはやめるのです。
「・・・大丈夫です。もうわたしは、耐える必要はないのですよ。自分勝手でアホで愚かでも良いのです。だってわたしは本当の願いを口にしたでしょう?そして、その願いは叶えられたでしょう?」
「わたしと同じ顔と声の人に抱きしめられるなんて思いませんでした」
「・・・思考がすぐに逸れるのもわたしと全く同じですね。そこまで一緒でなくていいのですよ」
真面目な話をしているのになんで関係無いことを考えているのでしょうか?馬鹿なのでしょうか?あ、アホなんでしたっけ。じゃあ仕方ありませんね。
わたしは彼女から離れると、同じ位置にあるわたしと同じ顔の彼女を正面から見詰めます。その瞳は諦めたような、でもどこか期待するように揺れています。
彼女は逡巡しながらも、小さく口を開きました。
「わたしも、貴女と同じ場所に行っても良いのですか?」
「・・・当たり前でしょう。というか、同じ存在なのですから、嫌でも同じ場所に居なくてはいけませんよ。そもそも、こういう風に別存在みたいに話をしている状況がイレギュラーなのですから」
「それはきっと多重人格的なものでは?違う世界で生きたわたしが別人格として自立したのではないでしょうか?もともとのわたしの記憶もほとんど失っていたのも原因の一つかと」
「・・・ああ、なるほど。納得です。・・・納得ですじゃないんですよ。なんですぐ話題が逸れるのですか!?」
わたしが深々と溜息を吐くと、目の前の彼女は噓偽りのない笑顔で微笑みました。わたしも微笑み返そうとしますがやっぱり表情筋が動きません。
「怖い顔していますよ?」
「・・・うるさいですね。笑えないのですよ」
わたしがじとっと彼女を見詰めると、彼女が堪えきれなくなったように口に手を添えて静かに笑いだしました。自分で言うのもなんですが、笑った彼女の顔はとても綺麗で、背後にある満月が彼女の魅力を引き立てていてまさに月の女神様のようです。
ひとしきり笑った彼女は真面目な顔になって、わたしと目を合わせました。
「わたしはとても面倒な奴ですよ?」
「・・・知っています。わたしのことですから」
「一度は絶望して、死を選んだ愚か者ですよ?」
「・・・知っています。わたしのことですから」
「わたしは・・・」
「・・・知っていますよ。永久はわたしなのです。そして、貴女もトワなのですよ?だから、一緒に帰ってもいいのです」
わたしがそう言うと、彼女は驚いたように目を見開いたあと、「そう、ですね」と呟いてくしゃりと顔を歪ませて涙を流しました。感情豊かなようでなによりです。
わたしは彼女の肩に置いていた手を放して、指を絡ませるように彼女の手を取ります。
「・・・本音を言うと、いい加減うじうじしたわたしを見るのもうんざりなのです。さっさと帰りますよ」
「ふ、ふふ。・・・はい」
彼女は泣き笑いながら両手に力を込めました。さっきは女神みたいと言いましたが、今の彼女の美しさはもはや女神そのものですね。自画自賛ではないですよ?
そして、二人で手を繋いだまま額を合わせて目を瞑ります。今度こそ、わたし(永久)が異世界でお月見をするために。
「「・・・あの『居場所』に帰りましょう。そして」」
「「・・・生きましょう」」
わたし達の意識はやさしい月の光に抱かれながら、一時の眠りにつきました。




