プロローグ とある少女の最後
地上200メートルのビルの屋上から眼下の街を見下ろします。本来ならば一般は立ち入り禁止区画になっていて鍵のかかっている場所です。そこに今、わたしは居ます。
「ふぅ」
わたしは小さくため息をつくと、ビルの端までゆっくりと歩いていきます。
ビルの端までたどり着くと、先ほどよりも街の様子がよく見えました。街中のビルや商業施設、家の一軒一軒にはいまだに多くの光に溢れており、車のヘッドライトの明かりが道路を駆け抜けています。どれだけの時間が経っても、それらが完全に消えることはないのでしょう。
「夜遅くまでご苦労様です」
憐れむように眼下の光に向かって呟きます。大きな満月がわたしを照らし、ビルの屋上は風が強く吹き、スカートが大きくはためきます。今この場には、それをはしたないと咎める人は居ません。
わたしは普通の人です。少なくとも自分ではそう思っています。少し勉強が出来て、見た目がちょっと良いくらいの女の子。普通の家庭として生まれたならば、いたって平凡な生活をしていたでしょう。
でも、わたしの家族は違いました。少し勉強が出来ただけのわたしを天才だと言い、周りにもわたしが天才だと周知し続けました。幼い頃は、わたし自身でさえ自分のことを、他の人とは違う天才だと思っていた痛い子でした。
今思い出してただけでも、背中が痒くなってきます。
もし、過去に自分に会えることが出来たら、今すぐその勘違いを止めろと徹底的に再教育したいと思うくらい痛い話です。
ただ、そのまま勘違いしていた方が、楽に生きられたのかもしれません。小学校の高学年になったある日、わたしは気付いてしまいました。
わたしのテストの成績はクラスの上から十番目程度、図工や美術といった芸術関係も成績は良かったが、コンテストで入賞するような才能は無い。運動も、女子にしては満遍なく何でも出来ましたが、それでも、取り立てて凄いと盛り上がるようなものはありませんでした。わたしは何をやっても他の人より少し優秀というだけ。
わたしは両親にそのことを話しました。わたしは天才なんかじゃないと、必死に訴えました。それでも、両親はわたしのことを天才なのだと言います。曰く、
「私達の家系は全員が天才なのだ。だから、その血を受け継ぐお前も天才だ。今はまだその才能を生かす場所が無いだけだ。焦らなくても、そのうちにわかる」
狂っている。子供の時のわたしはそう感じました。家系全てが天才?何をそんな絵空事を言っているの?
今思えば、この時からわたしは家族に強い嫌悪感を感じ始めていました。徹底的にこの人達とわたしは合わない。同じ血が通っているなんて何かの間違いじゃないのか?
日に日に追い討ちをかけてくるのは両親だけではありません。
わたしには兄と妹がいます。
わたしの一つ上の兄はまさに我が家の代表とも言える優秀さでした。学業は全国模試トップで運動は何をやらせても運動部のエース並みの活躍をします。
容姿もアイドル顔負けの整った顔立ちをしていて、性格も人当りが良くて分け隔てなく接するような、コミュ力の塊という完璧人間です。我が狂った家族内でも特に目をかけられていて、色々な重圧を掛けられていてもなんでもないようにこなしてしまいます。
そして、わたしの妹は二つ下の才媛で、運動は人並みですが学業は全国トップクラス。特に数学と科学においては、十歳の時から外国の研究所に出入りし、天才児として雑誌や新聞にも載ったほどです。
もちろん容姿も良く、中学に上がる前ぐらいから様々な事務所からスカウトされていました。性格はやや内気で人見知りですが、自分の考えたことははっきりと言い、興味の持ったことには瞳を輝かせて周りを顧みずに向かっていく積極的なところもあります。
時が経つごとにわたしは、この兄妹と比較してあまりにも平凡な自分に絶望しました。
どんどんと浮き彫りになっていくわたしの平凡さに周囲が気付き始めるのにそう時間はかかりませんでした。それでも親族達はわたしを開放してはくれませんでした。わたしの凡愚さに呆れ果て見捨ててくれた方が、わたしにはありがたかったでしょう。
そして、わたしが高校の入学が決まったころのことです。わたしの両親はわたしの『使い方』を決めました。将来会社を継ぐ兄の仕事のサポート、研究に明け暮れる妹の生活の面倒、両親の雑用に使う駒使い。
わたしは自分の人生の全てを捧げて、あいつらのサポートをして生きて、死ぬまで嘲笑を浴び続けられなければいけないのですか?
「そんなものはごめんです」
才能のあるものは天才として世間に出し、才能の無かったものは、居ないものとして、一生影で人形のように生かされる。確かに、表向きは天才しか輩出しない家系ですね。
そして、高校の三年間を両親の傀儡として生きてきて、面倒を起こさないように日に日に監視としがらみが増す中で、ある日を待ちながら、念入りに準備をしていました。
そして、明日はわたしの高校生活の卒業式です。全ての部屋の至るところにカメラが仕掛けられ、強化ガラスの窓や出入口の扉にはセンサーが仕掛けられた、わたし専用の24時間監視部屋。まずはここから脱出します。
わたしは、警備員が勤務する時間を徹底的に調べあげ、時間で交代する僅かな時間を見計らって、長い棒を手に素早く入り口に行きます。入り口前には警備員が居るので、適当な理由をでっち上げてドアを開けてもらいます。開けた瞬間に、持ってきた棒を下から上に一気に上げて、警備員の顎に直撃させます。そのまま、素早く回るように棒を扱って、今度はみぞおちに突きを食らわせて意識を刈り取りました。
そのまま全速力で屋上まで駆け抜け、屋上の扉を緊急時用と書いてあるカバーを壊して鍵を開けました。屋上の扉を外から棒でうまく固定して、簡単に開けられないようにしておきます。
この時だけは、さまざまな習い事をさせられて良かったと、初めて心から両親に感謝しました。
そして今、わたしはビルの屋上で、今までのろくでもない人生を思い出しています。
「明日の卒業式では、さぞかし対応に追われて大変でしょうね。いい気味です」
何故わたしが卒業式を決行の日に選んだか、その理由は簡単です。とある有名校に通うわたしは、成績優秀でさまざまなイベントに参加し、生徒会長を勤めました。学校の生徒や先生に慕われ、頼りにされている模範生です。
そんな有名なわたしが卒業式に自殺すれば、嫌でも騒ぎになるでしょう。一応、揉み消された時の為に、学校の複数のある程度信用できる人に手紙を託しています。わたしの最初で最後の嫌がらせです。いえ、かっこよく復讐と言っておきましょうか。
もう一度、ビルの端から街を見下ろします。もうそろそろ、時間も無くなってきたでしょう。くっと顔を上げて視線を上に向けると、大きな満月が目に映りました。
「もし生まれ変われるならば、次はうさぎにでもなってもっとゆっくりとお月見したいものですね」
それから短い時間、月を見上げていたわたしは、そのまま吸い込まれるように夜の空へ身を投げました。