月虹(作:葵生りん)
(違う。オレは悪くない。あれはあの客の言い方が悪かったんだ!)
延々と続いていくアスファルトに向かい、心の中で言い訳する。
今日という日は散々だった。
朝一で対応したお客さんがちょっとした齟齬から、クレーマーに化けた。上司が出てきて「お前は下がれ」って言われたから自席に戻ったが、クレーマーが何度も「あいつが悪いんだ!」と怒鳴り、机を叩くたびに手が震えた。上司が「そうですか」と相槌を打つたび、ムナクソ悪くて吐き気がした。散々怒鳴り散らした客が疲れて帰った後、同僚が「ツイてなかったな」とか「こんな日もあるさ」なんて慰められても惨めになるだけだった。
キーボードの上にコーヒーをこぼすし、階段で派手に転んだ。
配布するチラシを1000部も印刷した後に誤字を見つけ、正しく打ち直してシール紙に印刷したものをちまちまと切っては張り付け切っては張り付ける作業のせいで9時まで残業。
自棄酒でも煽ろうと足を向けた行きつけの居酒屋は臨時休業。やむなくコンビニで夕食用のハンバーグ弁当と缶ビール3本を買い、自宅に戻るために歩いている。
「あー……もう、ほんっと、ツイてねぇ~……!!」
街灯に照らされたアスファルトに向かってつい大きめの独り言が口からこぼれてしまうと、ちらちらと道行く人が振り返った。居心地悪さから目をそらそうとしたら、たまたま公園のそばだった。
そそくさと人気のない夜の公園に逃げ込むとベンチに腰を下ろしてレジ袋の中から缶ビールを一本出し、時間を潰すためにプルタブを引く。
プシュッ!という音の小気味良さにちょっとだけ気分が高揚して、ぐいーっと一気にビール一本を空ける。ホップの苦みを飲み下すと、一日分の苦い気持ちも少しは一緒に飲み込めたような気がした。
「ま、このペースだと10本くらい呑まなきゃいけないけどな~……」
自嘲気味の笑って二本目のプルタブを思いっきり引き、また一気に飲み干す。三本目のプルタブをさらに思いっきり引っぱったら、今度は缶が開ききる前にタブだけが取れてしまった。
「あーあ、やっぱツイてない……」
1ミリくらいの隙間からちびちびと漏れるビールなんて、苦いだけで爽快感なんかありゃしない。
舌の上に残る苦みを感じながら腕を下ろし、目を開けた。
そこには、夜空が広がっていた。
いや、夜なんだから見上げて夜空があるのは当たり前なんだけど。そうじゃなくって。雲一つない夜空に、12月のイルミネーションされた街みたいに星がキラキラ輝いていた。
満月がすごく明るくて、そして虹がかかってた。
夜に虹なんてはじめて見た。
こんなことってあるのかと疑問に思ってスマホで検索すると、出てきた。
「へえ、月虹って言うのか」
幸せの予兆と言われてるとかっていう記事を読んで、もう一度空を見上げた。
そこには、白っぽくてうすいけど、確かに虹がかかっていた。
スマホで撮ろうとしたけど、薄くてどうにもうまく写らない。
お守り代わりに待ち受けにしたかったんだけどなぁと肩を落とし、でももったいないから消えるまでずっと虹を見ていた。
完全に消えてしまってから、ふと気付く。
今日一日の嫌なことでずっともやもやしてた気分が、いつの間にかすっきりしていることに。
「……うん。明日も、頑張るかぁ……」
ぎゅぅっと空に手を伸ばすように伸びをして、コンビニのレジ袋に空き缶を放り込む。温めてもらったハンバーグ弁当はすっかり冷えてしまっていたけど、大丈夫。うちにレンジがある。もう一回チンすればいいだけだ。
片手にレジ袋、もう片手には1ミリ空いてプルタブが取れた缶ビールを持って立ち上がる。
「缶切りって、うちにあったかなぁ……?」
首を捻ってから、まあなんとかなるだろって気分で家路についた。
終