008 イノセントマーダーズ
ブラウンベア狩りを終え、私たちは森から引き上げた。
空はすでに紫色になっており、もう10分もすれば一気に日が暮れてしまうだろう。
明かりがなくなる前に、早足で街道に出て、町に戻る。
ブラウンベアのレベルは約30だった。
さすがにイエロースライムより強くて、そう簡単には狩れない。
でも二人でパーティを組んでても、経験値は300近くもらえたから、イエロースライムの約4倍。
それをかれこれ300体近く倒したことで、かなりレベルを上げることができた。
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アーシャ・アデュレア
ジョブ:村人
レベル:45
短剣適性:13
●習得スキル
○アクティブスキル
[シャドウステップ]Lv.1
ターゲットの背後へ瞬間移動する。
射程10メートル。クールタイム10秒。短剣専用スキル。
[ダブルスラッシュ]Lv.2
ターゲットに対し同時に2回切りつけ、計220%のダメージを与える。
クールタイム2.9秒。刃物専用スキル。
[アサシンスティング]Lv.1
ターゲットに対し突きを放ち、150%ダメージを与える。
ターゲットの背後から攻撃を加えた場合、ダメージが100%上昇する。
クールタイム15秒。短剣専用スキル。
[イリュージョンスロー]Lv.1
ターゲットに魔力によって作り出したナイフを投げ、100%のダメージを与える。
射程15メートル。クールタイム10秒。短剣専用スキル。
○パッシブスキル
[暗殺者の心得]Lv.1
ターゲットの背後から攻撃を加えた場合、ダメージが100%上昇する。
○特殊スキル
[解体]
インベントリ内のアイテムを複数の素材に解体することができる。
[伐採]
木こり斧を使用することで木を伐採することができる。
[採掘]
ピッケルを使用することで鉱石を採掘することができる。
[採取]
スコップを使用することで植物を採取することができる。
[器神武装:フローディア]
ブロンズダガーに封じられていた器神。対象部位:右腕。
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私はこんな感じ。
案の定というか、やっぱり全ての武器を熟練度最大まで上げるのなんて無理だった。
それでもスコップがLv.2、投げナイフがLv.5、シルバーダガーがLv.3まで上がったんだから頑張った方だと思う。
ちなみに、スコップはLv.2以上にすると短剣適性が上がるんだけど、そこから急にあがりにくくなる。
シルバーダガーは銀素材の武器なだけあって、今までの武器よりも上がりにくい。
つまり何が言いたいかというと、『私は結構がんばったんだぞー!』ということだ。
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キルシュ・スタチュース
ジョブ:焔の魔法使い
レベル:38
火属性魔法適性:24
●習得スキル
○アクティブスキル
[ファイアボール]Lv.3
ターゲットに対し火球を放ち、240%の火属性ダメージを与える。
射程20メートル。クールタイム2.9秒。杖、魔導書専用スキル
[ファイアクラッカー]Lv.2
前方に複数の火球を放ち、相手に命中した数だけ105%の火属性ダメージを与える。
射程10メートル。クールタイム9.95秒。杖、魔導書専用スキル。
[ファイアウォール]Lv.1
5メートル先に炎の壁を生成する。
命中した場合、1秒につき80%の火属性ダメージを与える。
持続時間10秒。クールタイム10秒。杖、魔導書専用スキル。
○パッシブスキル
[火魔法の心得]Lv.2
火属性魔法の消費MPを9%、威力を22%増加させる。
[フルバースト]
一部の火属性魔法を全ての腕から同時に放つことができる。
その場合、消費MPは50%増加し、放った数の分だけクールタイムが発生する。
○特殊スキル
[デミイレギュラー:アラクネー]
NULL
[器神武装:ソフィア]
アイアンロッドに封じられていた器神。対象部位:右腕。
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キルシュはこうなった。
なんだかんだ、彼女の方は目標通り3本の杖を最大まであげてしまったのである。
というのも、ウッドロッド、ブロンズロッド、アイアンロッドと比較的上がりやすい武器ばかり揃えていたからだ。
断じて私はサボっていたわけじゃない。
町に戻ると、まずはギルドに入り、受付嬢に「ブラウンベアの納入依頼は無い?」と尋ねた。
すると運悪くそれは無かったらしく、仕方ないのでブルースライムの体液を10個だけ納入して建物を出る。
あのガラの悪い集団は、影も形も無かった。
かと思えば――
「あれ、昨日騒いでた人じゃない?」
ギルドを出たところで、とぼとぼと通りを歩く男を見かけた。
仲間は誰もおらず、一人きりだ。
それに明らかに憔悴している様子。
ざまあみろ、と言いたいところだけど、さすがにあれはおかしい。
「またなにか起きたのかしら」
二人してギルドの前で足を止め観察していると、男は急に足を止め、そしてこちらを振り返った。
彼はまるでゾンビのような顔つきで近づいてくる。
「おい、あんたたち……」
声はか細く、かすれている。
「俺の仲間を、見なかったか?」
「仲間って、昨日一緒にいた人たち?」
男は両手を顔で覆い隠し、嘆いた。
「そうだ、昨日までいたはずなんだよ。ゾーンさんがいなくなって、ヤケ酒で昼から酒場で飲んでて、酔いつぶれたところまでは覚えてるんだ。でも起きたら俺だけ道に倒れてて、他は誰もいなかった。誰も……誰も……」
指の隙間から見る目はぎょろりと見開かれていて、狂気すら感じる。
「どれだけ探しても見つからねえ。死体もねえんだ。ゾーンさんだって、あいつらだって……どこに行っちまったんだよ! みんな……どうなってんだよこれ……ちくしょう、ちくしょう……!」
そのまま何かをつぶやきながら、ふらふらと暗い路地に消えていく、
どこいくねーん……って感じだけど、会話をしたようでいて、本当は最初から私たちの声なんて届いていなかったのかもしれない。
「もう怒鳴りつける気力も残っていないようね」
「あの人の仲間、どこに行っちゃったんだろう」
「昔からこの町で身勝手にやっていたようだから、恨みを買ってたのかもしれないわ。誰かに連れさられたか、それか……殺されたかのどちらかだと思う」
「……それはちょっと、かわいそうかな」
狙われるだけの理由はあったのかもしれない。
でも、顔を知ってる人が死んだって聞いて、いい気分になるわけもなかった。
私たちは口数少なく、夜道を歩いて宿に戻るのだった。
◇◇◇
翌朝、目を覚ますと、例のごとくレベルが46にあがっていた。
もう慣れたもんで、そんなことより――と私は別にもっと気になることがある。
キルシュが隣で寝ていないのだ。
少し探すと、なぜか宿の部屋の前で立ち尽くす彼女の姿を見つけた。
「おはよ、キルシュ……」
私は目をこすりながら彼女に声をかける。
「モミジッ!? 起きてたの?」
「う、うん……起きてたけど、どうかしたの?」
「……いえ、なんでも……なんでも、ないわ」
その反応でなんでも無いはないでしょー。
明らかに、何かを隠してる。
手を後ろにやって、白い紙みたいなのを握ってるように見えるけど、何でそこまで必死に隠すの?
まあ……見られたくないものなら、無理に見ようとは思わないけども。
「今日は起きるの、早いんだね」
「嫌な夢を見て、目が覚めてしまって……」
「寝足りないなら、もうちょっと寝る?」
「……そう、ね」
キルシュは紙をくしゃりと握りつぶすと、ポケットに突っ込んで、ベッドに潜り込んできた。
そのまま私の隣に横たわる。
「家族のことを考えてたとか?」
私は天井を見ながら尋ねた。
目を合わせない方が、今のキルシュは答えてくれるような気がしたのだ……などとそれっぽいことを言ってみるけど、ぶっちゃけると目を合わせる勇気が無いだけだった。
彼女は布団の中で膝を抱えるようにくるまって、皺の寄ったシーツを眺めている。
「そんな感じね」
「そっか……」
それ以上は、なかなか踏み込めない。
この間は“ひどい”ってストレートに言っちゃったけど、よその家族のことって、他人には理解できない部分が多い。
私はそれをよく知っている。
「……」
私が黙り込むと、キルシュも口を開かなくなった。
部屋に静かな時間が流れる。
窓の外から聞こえてくる子供たちの遊ぶ声が、唯一のBGMだった。
そのとき、キルシュの体がもぞりと動いた。
そして私の手に、指を乗せるようにして、軽く触れる。
生の肌同士の接触に、とくんと心臓が脈打った。
「……もっと、聞かないの?」
キルシュの声が不安げに揺れている。
私は彼女の方を見て言った。
「言いたくないことなら、無理には聞かないよ」
別に空気を読んだってわけじゃないけど――聞かない方が、良い気がしたから。
繰り返しになるけど、単純に私の勇気が無いだけとも言える。
「優しいのね、モミジは」
けれど私の臆病さは、キルシュには優しさに映るらしい。
だから他人と接するのは難しいんだ――私は改めてそう思う。
わかりあえない。
すれ違っている。
けれど、キルシュはその腑抜けた、レプリカの優しさを本物だと勘違いして、寄りかかろうとしていた。
指が私の手のひらを這い上がってくる。
手のひら同士が、ぴたりと重ねられる。
「本当に、優しいわ……私なんかとは大違い」
「キルシュは私よりもずっと素敵だよ」
「そうかしら。でも私は嘘つきよ」
「嘘つき?」
「そう。あなたと出会ってからずっと、嘘をついているわ」
それを言ったら、私だって――
「ごめんなさいね。モミジだって、本当は自分のために動かなくちゃならないはずなのに」
「キルシュと一緒に行動することが、私は自分のためだと思ってる」
「ありがとう。けれどそれは、私の嘘を知らないからよ」
さっきから嘘嘘って、なんのこと言ってるんだろ。
「まだ出会ってから数日だもん、嘘じゃなくても、お互いに知らない部分はいくらでもあると思う」
「……そういうことじゃ、ないの」
じゃあどういうことなんだーい!
言ってほしい。
でも言えない。
わかるよ、そこまで関係が深まってないってことも。
いや……考えようによっては、嘘を明かして、嫌われるのを怖がってるとも取れるんだけど。
それだったら余計に言ってほしい。
嘘って、時間が経てば経つほど、露呈したときのダメージが大きくなるものだと思うから。
けど、生まれた傷は、時間経過で少しずつ癒えていく。
なら、早く言った方がいいじゃん?
「お兄様の言うとおりね。私、なんて醜いのかしら……」
……ま、そう簡単なことじゃないのは、わかるけど。
怖いもんね。
勇気さえあればって簡単に言うけど、その勇気って、中々、そこらを探したって見つかるもんじゃない。
「でも、この場所が心地いいの。私を認めてくれる、私を導いてくれる人のそばにいられるこの瞬間が、幸せでしょうがないの。ごめんなさい、だから、今はまだ……モミジのそばにいることを許してね」
キルシュの好意は、どうも少し重たい。
だけど、重い布団の方が気持ちいいみたいな感じで、私は嬉しく思っている。
誰かにそんなに寄りかかられたこと、今までなかったから。
「キルシュ……」
私は、そこらを探してどうにかかき集めた勇気を一つにして、指に力を込める。
ベッドの中で、私たちの手が繋がれる。
キルシュは目を細めて微笑んだ。
「このままぬくもりに包まれて溶けてしまえたら、どんなに楽かしら……」
揺れる瞳に、自己嫌悪めいた感情が混ざっているのを見たような気がした。
◇◇◇
「さっきは変なことを言ってしまったわね」
朝食の途中、キルシュが言った。
ようやく普段の調子を取り戻したみたいで、笑顔にもロイヤルな輝きが戻ってきた。
「……あれは忘れて。ちょっと、昔のことを思い出して、気持ちが落ち込んでいただけなの」
「本当に大丈夫? なんかあったら私に言ってね、キルシュに頼りにされるの嬉しいから」
「ふふふ、今も十分に頼りにしてるわよ。だから、本当に気にしないでいいから」
嘘だ。
一度、キルシュの嘘の表情を見たから、それがわかってしまう。
誤魔化して、強がって。
たぶんそれは――彼女が黒ずくめの男に狙われてたことと、関係があると思うんだけど。
「今日の料理も美味しいわね!」
朝食を口に運んだキルシュは、わざとらしく言った。
重苦しい空気を変えようとしたんだと思う。
彼女の気持ちを汲んで、ひとまずここは、私もそれに乗ることにした。
「ブラウンベアーの手をおばさんに渡したら料理してくれたの」
「熊の手なの!? こんな味になるのね……」
フォークの上に乗った肉を興味深く見ながら、口に運ぶキルシュ。
そのかわいらしい仕草に、私の感情も少しずつ平静を取り戻していった。
◇◇◇
その日は狩りには出なかった。
町の中で色んなお店を見たり、郊外にある花畑を眺めたりしただけだ。
体と心を休める時間としては、とても有意義に過ごせたと思う。
いつの間にか、キルシュの表情からも、微かな影すら消えていた。
私と一緒に過ごした時間を、心から楽しんだ証拠だ。
狩りは当然だけど、遊びも遊びで体力を使う。
宿に戻り、諸々の支度を済ませた私たちは、早々に就寝した。
明日はどんな一日をキルシュと過ごそうか。
さすがに遊んでばっかりじゃいられないから、また別のモンスターを狩りにいくことになるのかな。
今ある木材を全部使えば木工Lv.2にできるはずだから、また新しい杖を作ることもできる。
製造レシピに“ウッドダガー”っていう、一応は短剣に分類されてる子供のおもちゃも見つけたから、それを試してみてもいいかもしれない。
何なら狩りは午前中で切り上げて、午後はまた遊ぶってのもありかな。
ちょっと怠けすぎかなぁ、とは思いながらも、ちゃんと稼げてるんだし、これぐらい遊んだってバチはあたらないと思う。
明日になったらキルシュに聞いてみよう。
朝起きて、おばさんの作った美味しい朝食でも食べながら。
◇◇◇
そして、思い描いた朝は――訪れなかった。
私はなぜか深夜に目を覚まし、ぼんやりと天井を見る。
「寒い……」
別にそんな季節でもないのに、なぜかやけに肌が寂しかった。
隣を見る。
そこに、キルシュの姿は無い。
「キルシュ? トイレかな」
しかし耳を澄ましても何の音も聞こえて……って何を聞こうとしてるんだ私は。
でも、人の気配も無い。
ベッドから這い出した私は部屋のランプを点けて、室内を見渡した。
すると扉の近くに、ふたつに折られた白い紙が落ちている。
近づき、拾って読み上げた。
「お前は化物だ……? なにこれ」
ひっくり返してみても、裏には何も書かれていない。
これを見て、キルシュはどこかに行っちゃったってこと?
それか、この手紙は、何枚かあったうちの一枚だったか。
そういや、昨日隠してた手紙は、くしゃくしゃにして捨ててたもんね。
ってことはやっぱり、別なんだ、これ。
出会ったときにキルシュを襲ってた男のこともあるし、心配だ。
私は迷わず部屋を出た。
そして静まり返った廊下を歩き、階段を降りて、宿の外へ。
町は眠っている。
明かりはまばらに設置された街灯だけだ。
そこから見える範囲内にキルシュの姿は無い。
私はひとまず町中を軽く探してみるつもりで一歩前に踏み出した。
すると同時に、ザッ、と横の方から誰かの足音がする。
もう一歩、足の裏が地面をこする。
再び、やはり違う足音。
「……誰かいるの?」
そちらの方を向いて呼びかけると、街灯の奥にある暗闇から、ゆらぁっと子供が現れた。
年齢は、たぶん私より下で、7歳とか、8歳の女の子。
服は平民の子にありがちな、田舎仕様のワンピース。
容姿におかしな部分はないけれど、それが余計におかしく感じられる。
だって、こんな時間に一人で歩き回る子供なんて、絶対に怪しいもん。
子供は無言で歩み寄ってきた。
言いしれぬ、迫力みたいなものを感じた私は、思わず後ずさる。
構わず接近してくる女の子。
表情が無い。
薄いのではなく、感じ取れないのではなく、目にも、口にも、鼻にも感情が全くゼロなのだ。
死んでいる。
あれは歩く死体だ――私はなぜか、そんなことを思った。
近づいちゃだめ、近づいちゃダメ、近づいちゃ駄目。
そんなアラートが頭に響く。
私はついに背中を向けて、彼女から逃げることを決める。
すると相手は私の歩幅に合わせるために、駆け足で追跡を始めた。
「私を狙ってるの?」
そうとしか思えない動き。
ちらりと振り返り、頭上に表示される名前とレベルを確認する。
リッサ・フォーリウム、レベルは……18。
高すぎる。
この世界で普通に育ってきた10歳にも満たない子供が、出会ったばかりのキルシュとほぼ同じレベルなんてことがあり得るのかな。
教育された。
訓練を受けた。
つまり――たぶん、素人じゃないんだ。
「ねえあなた、キルシュを狙ってる殺し屋の仲間なの?」
私は後ろ歩きをしながら、少女に問いかける、
答えはない。
だが奇妙なことに、彼女は丸腰だった。
私を狙ってるにしても、武器を持っていないなんて、どうやって殺すなり、足止めするなり、目的を果たすつもりなんだろう。
とにかく、話は通じそうにない。
私は全力で走って、彼女を振り切ることにした。
すると前から――別の少年が、暗闇を照らす街灯の下に出現する。
「一人じゃない、ってこと? 勘弁してよぉ」
深夜の町に子供ってだけでも十分に怖いのに。
しかも表情が死んでて無言だよ? キルシュが狙われてるってこと知らなかったら、まず真っ先に幽霊の類を疑ってたと思う。
ルートを変える。
私は二人を避けるように路地に入った。
その通りは狭く、街灯も無いためさらに暗い。
『……今になって思えば、誘導されたのかもしれないわね』
私はふいに、キルシュのそんな言葉を思い出した。
もしかしてこれ……私も、誘導されてるとか無いよね?
袋小路に追い詰められるとか勘弁ね!
焦りを覚えた私はさらにスピードを速める。
時折後ろを確認しながら、一度も通ったことのない曲がりくねった道を必死に駆け抜ける。
「はぁっ、はぁっ、はっ……って増えてるし!?」
子供はいつの間にか三人になってた。
「ひやあっ!?」
さらに前からニューチルドレンが二人出現。
これ何、なんで全員子供なの!?
私は仕方なく、嫌な予感がしながらも、すぐ横にあった道に入る。
「あー、もうこれ絶対に誘導されてるよー! この先、絶対に行き止まりとか待ち伏せのパターンだよー!」
嘆きながらもなお走る。
リアクションは無し。
ちくしょー! せめて惨めな私の姿を見て笑うぐらいしろよー!
無表情が一番怖いんだよー!
「……あぁ、やっぱり」
行き止まりでしたー。
追い詰められた私は、壁を背にして子供たちと向き合う。
いつの間にか、数は八人にまで増えていた。
するとその中で一番年上っぽい、私と同年代の少女が口を開く。
「私の名はシェラ・フォーリウム。秩序の履行に所属する、クラスⅡ実行者」
「あ、どうも。モミジって言います」
予想外の丁寧な自己紹介に、反射的に頭を下げてしまう私。
んなことしてる場合かー!
というか、なんか秩序の履行? って秘密組織っぽいのに名乗っちゃって大丈夫なの?
「私たちが自ら名乗るのは、標的を殺せると確信した時のみ」
説明ありがとうございます。
なるほど、どうせ死ぬから正体をバラしちゃってもいい、と。
そして同時に、それは“絶対に殺す”という意思表示でもあるわけだ。
ふーん、へー、かっこいいなー……ターゲットが私じゃなければ、だけど。
「この世の秩序を守るために、お前には死んでもらう」
「う……」
戦うしか、無いのかな。
人間を相手にしたことないし、たぶん短剣スキルなんて使ったら……死んじゃう、よね。
とりあえず装備しておいたシルバーダガーを、腰に装着した鞘から抜いた。
刃を構える。
相手の表情に変化はなし。
ははっ、どうせ殺せないと思われてるのかな。
私だって、自分が殺されそうになるなら……なる、なら……。
いや……厳しい、かな。
だって相手は子供だよ? 子供なんて、まともな感覚を持ってたら殺せるはずがない。
逃げる? どうやって?
いや――方法はあるかもしれない。
シャドウステップの射程は10メートル。
子どもたちの一番後方に位置するシェラとかいう女の子との距離はそんなに離れていないはず。
あの子の背後に移動して、そこからまた逃げて、どうにかこの路地を脱出する。
そして追跡を躱しつつ、キルシュを探すのだ。
……言うは易し、ってやつだね。あはは。
「ソーマ」
「はいっ!」
シェラが名前を呼ぶと、ソーマと呼ばれた男の子が元気に返事をした。
さっきの無表情っぷりからは信じられないほど、嬉しそうな顔をして。
「お役目を果たしてこい、リーガ様への愛を胸に」
「はっ、リーガ様への愛を胸に!」
なんか……急に宗教じみてきたというか。
「リーガ様、お慕いしております」
ソーマがこちらに近づいてくる。
「リーガ様、愛しております」
顔に笑顔を貼り付けて。
「リーガ様、この生命、あなたのために――」
強烈に、猛烈に、鮮烈に――嫌な予感が、する。
「リーガ様、ばんざぁぁぁぁいっ!」
「ッ……シャドウステップ!」
言う必要ないのに、思わず声に出てしまった。
そして私の姿はその場から、シェラの後方にワープする。
直後――激しい閃光が暗闇の路地を包み込み、けたたましい爆発音が響いた。
「きゃああぁぁぁっ!」
私はシェラの後ろで、声をあげながら転がった。
吹き荒れる風。
子供たちはその中でも平然と突っ立っている。
焦げ臭さと、それに混ざって生臭い匂いがあたりに立ち込めた。
【EXP700 武器EXP800 を得ました】
……なんで、経験値が入るの?
私、何もしてないのに……!
狙われてたから? それだけで?
ああそっか、マジサガってモンスターが自爆しても経験値が入るゲームだったんだ。
そっか、そうだったんだぁ。
「仕留めそこねたか。次はク―ラだ。リーガ様への愛を胸に」
「はっ、リーガ様への愛を胸に!」
自爆……自爆かぁ……。
……いや、冗談きついでしょ。
「ひっ、いやあぁぁぁああああっ!」
私は叫び、駆け出した。
口は開きっぱなしにして、ひぃひぃ言いながら呼吸を繰り返す。
心臓が熱い。
リアルでは感じたことのない、暴走する感情の、吐き出しそうなほどの奔流。
体から疲労という感覚が消え失せ、ひたすらに“走れ”という意志が私を突き動かした。
今のは……今のは、やっぱり爆発したんだよね。
その……子供が。
子供を、兵器として……爆弾として、利用……して。
「う、うぇっ……うぷ……」
感情とか言ってたら、ほんとに吐き気がせり上がってきた。
ダメ、今は吐けない、足を止めたらまた捕まる!
でも、でも、こんなの、おかしい。クレイジーだ。
深く考えようとすると頭がおかしくなる、おかしくなる、でもあいつらはとっくにおかしくなってる!
あの匂いは肉が焼ける匂いだ。
人が死ぬ匂いだ。
爆発して、子供が、自分の意志で。
記憶に焼き付いている、あの姿が、子供が、笑ってる姿が。
あははははっ、やばい、やばいよこれ、どーなってんの!?
いくら異世界だからって、わけわかんない組織だからって、そこまでするなんてどうかしてる!
「リーガ様、お慕いしております」
来た、また来た。
「リーガ様、愛しております」
聞こえる、声が。
頑張って走ってるはずなのに、あれ? 思ったより離れてない?
「リーガ様、この生命、あなたのために――」
そっか、足がもつれてるんだ。
それでこけそうになって、ろくに前に進めてなかった。
そりゃ追いつかれるよね、私ってばドジなんだから、あははっ、あはははっ。
あぁ、でもこの距離じゃ、ダメだ。
やられる。殺される。
死んで、殺される。
嫌だ、死にたくない、嫌だ、死にたくない。
死ぬのは嫌だ、それは違う。
私はまだ、キルシュだって助けられてない、私がやりたいことだって果たせてない。
でも近くて、爆発しそうで、子供は笑っていて、悪夢のような光景が目の前に広がっていて。
まだ、まだ、もっと――
「あ、あぁ、うわあぁぁぁあああああああっ!」
脳が、許容量を超える。
興奮が、破裂する。
情けない、こんなことで。
あぁ、私の――スイッチが、切れる――
◆◆◆
ドチュッ、とシルバーダガーが少女の後頭部を貫きました。
シャドウステップからの、アサシンスティング。
高い威力を誇るそのスキルの組み合わせを人間に使えば、ただ首を突いただけで断首が可能なのです。
「ぁ……」
舞い上がる頭部が声を発した気がしましたが、筋肉の反射による、ただの雑音でしょう。
【EXP650 武器EXP700 を得ました】
子供にしては中々の経験値ですね、ごちそうさまです。
少女は爆発することなく機能を停止し、体は横たわりました。
子供の死体は、使い道があるかもしれません。
ワタシは地面に倒れたそれに手を当て、インベントリに回収しました。
「お前は……」
シェラは足を止めました。
すると同時に、子どもたちもピタリと止まります。
「さすがフォーリウム託児所のメンバー、素晴らしい団結力ですね」
「託児所と呼ぶなッ!」
彼女は声を荒らげます。
だってどう見ても託児所じゃないですか。
操りやすい子供ばかり集めて、洗脳して、爆弾にして利用するなんて。
でも事実を言うと怒るんですよね、あそこの子って。
「……いや待て。組織の人間でもないのに、なぜそれを知っている?」
ようやくシェラは、そのことに気づいたようです。
ワタシは愚かな鈍さに「くすくす」と笑います。
「秩序の履行、クラスⅡ執行者、アーシャ・アデュレア」
ワタシは包み隠さず、堂々と名乗りました。
隠す必要もありませんから。
「クラスⅡで、執行者だと? そんなものは存在しない」
「でもここに居ます」
「存在しないと言っている。クラスⅤ以下で執行者になれるほどの適性の持ち主はまだ、誰もいなかったはずだ」
「でもここに居るんです」
頑なですね。
さすが殉教者。
「認めたくない気持ちはわかります。あなたたちの主であるリーガ・フォーリウムは、クラスⅨでようやく執行者になれた失敗作ですもんね」
挑発的に、唇に人差し指を当てて言うと、明らかにシェラは激昂しました。
顔を真っ赤にして、唇を噛んで、拳を握って。
同じように、周囲の子どもたちも殺意を露わにしてワタシを睨みつけます。
ちなみにリーガっていうのはアレです。
モミジに邪魔をされてキルシュを殺しそこねた、あの黒ずくめの男のことです。
「あぁ……つい、包み隠さず本当のことを言ってしましました。ごめんなさい」
ワタシは誠心誠意謝ります。
なのにどうしてか、敵意はより強くなるのです。
不思議です、私の誠意は届かなかったということでしょうか。
「許さない……愛するリーガ様を侮辱するお前だけは、絶対に許さないッ!」
鬼のような形相で、シェラはこちらを睨みつけ――
「行くぞ。執行者を騙り、リーガ様の尊厳を踏みにじる背信の徒を葬るのだ!」
手をかざすと、子どもたちが一斉にワタシの方に駆け出してきます。
まるで幼稚園の運動会でも見ているようです。
「ひい、ふう、みい、よお……これだけ殺せば、レベルも上がるでしょうね。モミジ、喜んでくれるといいんですけど」
ワタシは手早く計算を済ませると、短剣片手に経験値稼ぎを始めるのでした。