022 ウェルカムトゥザクリーチャーパーク
私の体は、白衣の男の背後にワープする。
アサシンダガーを握り、狙うはその後頭部。
殺すことになるけれど――その葛藤は、今はなかった。
こいつは人じゃない、人の姿をしているだけの化物だ。
そう自分に言い聞かせて。
「ヒヒッ」
そいつ――“ヨズア博士”は笑った。
振り返って反撃してくる様子は無いけど、私に背後を取られたことは理解しているというか……絶対優位な状況のはずなのに、なぜか私には不安しか無い。
まるで、今から自分が殺されることを望んでいるかのような――
構うもんか。
こいつが本当にナチス・イン・ワンダーランドのヨズア博士だって言うんなら、躊躇いなんて彼の愉悦の餌になるだけなんだから。
発動――アサシンスティング!
「クヒヒヒヒヒヒヒッ!」
短剣の先端が首に深く突き刺さる。
その威力は人体で受け止められるものじゃない。
骨は断裂し、肉は弾け、頭部が天高く舞い、倒れゆく体から血が噴水のように噴き出した。
グロい。
かーなーり、グロい。
でも、あの半分魚の女性よりはマシな有様だったから、どうにか吐かずに済んだ。
【EXP30000 武器EXP30000 を得ました】
【キャラクターレベルアップ! 55→57】
【“アサシンダガー”武器熟練度レベルアップ! 2→3】
【短剣適正上昇! 14→15】
うわ、すっごい経験値。
これが入ったってことは間違いなくヨズア博士は死んだんだろうけど――不老不死の化物を作る博士が、こんな簡単に終わるはずがない。
彼も不老不死か、もしくはもっとタチの悪いなにかになっているはず。
どうなるのか見届けたいけど、紫色のガスは廊下にまで迫りつつある。
私はまずその場から離れることを優先した。
部屋の並ぶ通路を走り、目指すは宿のロビーとでも言うべき広いスペース。
廊下の端には扉があり、そこを開くと目的地だ。
けれど私はすぐには開かず、その場で一旦足を止めた。
木製の扉に手を当てる。
瞳を閉じて、呼吸を整える。
手のひらに――扉の向こうから漂う、異様な空気を感じたような気がした。
……たぶん、この先は――いや、この先“も”普通じゃない。
そりゃそうだよ、廊下の状況を見るに、ヨズア博士は窓を破ったわけでも壁を壊したわけでもなく、まっとうに、歩いて私たちの部屋まで来たんだから。
通り道は地獄絵図。
泣きたくなるよな惨状を、先んじて想像し備える。
扉を開く前に、一旦背後を振り返った。
紫色のガスが漂う中に、しぼんだ風船のように皮だけになったおじさんと、新鮮な血を流し続けるヨズア博士の姿があった。
蘇生の気配は無い。
つまり挟み撃ちの可能性は少ない。
……今のところは。
オーケー、不安材料は一つ消えた。
勇気を得た。
だから、開けたくないけど、ドアノブを握る手に力を込める。
隔絶が解消される。
隙間から、生臭いにおいが溢れてきた。
あぁ、やだなぁ、見たくないなぁ。
というか、この先がやばいってわかったんなら、わざわざロビーを通っていく必要なくない?
そうだ、危険なら避けて窓から出ていけばいいんだ。
それに気づいた私は、一旦ドアノブから手を離して後ろを振り返った。
「やア、また会ったねエ」
ヨズア博士がそこにいた。
五体満足。
顔にはマスクを、体には白衣を、そして手にはメスを持って。
たぶんガスマスクの下には、吐き気をもよおすような邪悪な笑顔を張り付けているに違いない。
鋭い動きでメスが突き出される。
その速さは私が視認するのが精一杯で、当然体は反応しない。
銀の刃が、私の眼球を刺し貫いた。
「あっ、ぎゃあぁぁああああっ!?」
叫んだ。
叫んで、叫んだ。
肺が萎縮する、呼吸がうまく出来ない。
冷たい感触が、硬い感触が、ぞぶりぞぶりと目の中を穿孔していく。
ヨズア博士はさらに腕に力を込める。
このまま私の脳みそまで壊すつもりなんだ。
いやだ、いやだ、いやだ、こんなの――こんなところで死にたくないしそもそも痛いの苦しいのもいやだいやだいやだいやだッ!
「っ、ああぁぁああああああああ!」
かすれた叫びを響かせて、私は体を壁に打ち付けるように横に飛んだ。
ずるりとメスが引き抜かれる。
その拍子に、私のまぶたは大きく切り裂かれた。
「ぎっ、ぐ……!」
「ヒヒッ、いい悲鳴だねエ。被験者向きだよ、君は」
あつい、いたい、あつい、いたい、あつい、いたいっ!
開かなきゃ、メニューを、インベントリを。
使え、使え、ポーションを、ポーションを、ポーションをぉっ!
「……ん? 傷が癒えていくナ。なるほど、君もひょっとすると、いわゆるイレギュラーというやつなのかイ? それはそれは……開き甲斐のある体だねェ」
傷が塞がると同時に痛みも引いていく。
けれどまだ呼吸は乱れたままだ。
全身から噴き出した汗もそのままに、服が張り付いて気持ち悪い。
だけど目の前の男のほうがずっと気持ち悪い!
気づけばヨズア博士は両手にメスを持っていて、それを私にふるおうとしていた。
避けたい。
だけど相手のほうが素早い!
だってこいつ――レベル、378もあるんだよっ!?
「開腹のお時間でース」
吹替版とでも言わんばかりのいい声で、メスが私の体を切り裂いていく。
当然レンジは短い。
離れれば当たらないはずなのに、不思議なことに後ずさっても、その斬撃は私を逃してはくれなかった。
開く。
腹が、生きたまま、開かれる――
「っ、ひ、ぐっ」
あぁ、やだ、なんでせっかく異世界に来たのにこんなことっ!
生きたまま体を焼かれるとか、生きたまま腹を開かれるとか、そんなの人生一度だけで充分なんだよぉッ!
……あ、だめだ。
だめ、だめ、私はモミジなんだから。
モミジはモミジ、アーシャはアーシャ。
役割。
理想の私。
友達たくさん。
笑える人生。
奪われる側じゃなく、奪う側に。
私は、それを掴むために――こいつを、ぶっ殺さないといけない。
そう思うと、すぅっと私の頭が冴えていく。
落ち着いてメニュー画面からポーションを使用。
内臓が見える前に腹は塞がる。
続いてアサシンダガーを握り直す。
クールタイムはとっくに終わってる。
シャドウステップ、発動。
「……お?」
後頭部に、すかさずアサシンスティングッ!
「がっ……」
再び吹き飛ぶ博士の頭部。
汚い血の噴水を避けるように、着地した私はすぐさまバックステップで死体から距離を取る。
【EXP30000 武器EXP30000 を得ました】
【キャラクターレベルアップ! 57→59】
【“アサシンダガー”武器熟練度レベルアップ! 3→4】
【スキル[シャドウハイド]習得!】
さっきはとんでもない経験値だって言ったけど、レベルが378だって言うんならむしろ少ないぐらいだ。
何度も生き返ることを加味した上で決められた数字なのかな。
でも、さっき見たとき、“部屋の前の死体”は首を飛ばされたまま倒れてたはずなんだけど。
そう思ってもう一度、部屋のほうを見ると――そこにはやはり、ヨズア博士の死体があった。
そして私の目の前には、同じものがある。
「どういうこと……?」
ヨズア博士は、一人じゃない?
あー……えっと、確か……この人、映画の中だと、クローン技術で崇拝する例のあの人を復活させようとしてたんだっけ。
つまりクローンってこと?
あんなのが何人もいるなんてたまったもんじゃない!
どっから沸いてくるかわからないし、今はとりあえずみんなと合流しないと。
どのルートから脱出するべきか――ほんの一秒ほど足を止めていると、猛スピードで寒気のする“圧”みたいなのがこっちに近づいてくる。
殺気ってやつだ。
方向は、宿のロビーがある扉の向こう!
「グガアァァァアアアァッ!」
叫び声とともに、扉が破壊され、半人半犬の化物がこちらに飛び込んでくる。
だけど、同時に何体も襲いかかってきたせいで詰まってなかなかこちらに来れないで居た。
ロビーはすでに化物の巣窟ってことか、あのまま突っ込んでたら危なかったかもしれない。
でもこれで逃げ道は制限された。
ヨズア博士の誘導である可能性もあるけれど――仕方ない。
私は窓に駆け寄ると、開いてそこから外に脱出した。
新鮮な外の空気に、若干の安堵。
けれどそれもつかの間。
着地した足元の石畳が微かにずれたかと思えば、その隙間から無数の鉄パイプがせり出してきた。
「やっぱりそうなるよねっ!」
吹き出す紫色のガス。
私は口元を手で覆い、息を止めてその場を走り去る。
ここは宿の裏側。
人通りの少ない路地。
そこを抜けて大通りに出ると――私はさらなる地獄を見た。
「は……はは……これ、やばいでしょ……」
思わず語彙力を喪失する。
複数の化物が、一斉に“唯一のまともな人間”である私のほうを見た。
そう、一晩にしてネキスタという大きな街は、ヨズア博士が支配してしまったのである。
さながら、ナチス・イン・ワンダーランドの一幕のように。
犬、猫、馬、キリン、ゾウ――多種多様な動物に体を侵食された人間たち。
もちろん魚だってバラエティ豊かで、B級映画お約束のサメだってその中には混ざってる。
この世界には存在しない動物だっているだろうに、どこから持ってきた――なんて、考えるだけ無駄なんだろうな。
あれはそういうやつだ。
常識や道理を、趣味と快楽で塗りつぶす、そんな厄介な悪役なのだ。
立ち尽くす私に、化物たちが一斉に駆け寄ってくる。
「……サファリパークかな?」
脳の処理限界を越えた状況に、私は現実逃避するしかなかった。
そしてくるりと踵を返し、化物どもから逃れるため、路地を疾走する。
もちろん、そちらには私を追いかけて宿から飛び出してきた化物たちがいる。
だけど問題無し。
だってここは、“影”に満ちた、薄暗い路地なんだから。
「シャドウハイドッ!」
スキルを発動。
すると私の体は、影に溶けるように見えなくなり――見失った化物たちは、戸惑いながらもそこに立ち止まるのだった。