009 本職のケモナーなら「まだ足りない」って言ってくると思う
田舎町ノルン近郊の森にて――キルシュは男と対峙していた。
全身黒の衣装に身を包んだ、彼女の命を狙う暗殺者。
リーガ・フォーリウムである。
「来たか、キルシュ・スタチュース」
キルシュは彼を無言で睨みつける。
しかし、14歳の少女が凄んだところで、幾多の暗殺を成功させてきた猛者である彼には効果が無かった。
「反抗的だな。殺すと予告していただろう、死ぬ覚悟は済ませてこなかったのか?」
「自分から殺されたがる人間なんていないわ」
「人間ならな」
リーガの冷たい言葉に、キルシュが拳を握る。
「秩序を乱す化物が人を騙るな、反吐が出る。貴様は大人しくこの世界の理に従って死ぬべきなのだ」
「私は、命を狙われるようなこと何もしてないわっ!」
「してきただろう、14年間も」
彼は彼女を侮蔑する。
汚物を見るような目で眺め、嫌悪感を隠しもせず、頭の天辺から爪の先に至るまでその存在を認めない。
「今日までその身でこの世界を汚染してきた。これは死罪に値する」
「私には……選択権なんて、無かったの……!」
「だからどうした。いかなる理由があれど、貴様は自分の部屋を這い回る害虫を許容できるというのか?」
話は通じない。
というより、リーガにとって、キルシュの言葉など意味をなさないのである。
あれが何を言おうが、何をしようが、それは同じ人間による行為ではない。
排除すべき異物が発した雑音、あるいは愚行。
理由も、過程も、結果すら関係なく、最初から全てを否定しきっている。
「ここならば邪魔も入らん。これで、終わりにさせてもらおう」
リーガが両腰から双剣を引き抜いた。
対するキルシュは杖すら持っていない、宿屋に置いてきてある。
さすがにこれだけ距離が離れてしまうと、自動的に装備は解除されてしまっていた。
武器を装備しなければスキルは発動できない。
インベントリを操作できない彼女では、この場で杖を装備することもできない。
「逃げようなどと考えるな。友達を巻き込みたくないから一人でここに来たのだろう? ならば大人しく首を差し出せ」
キルシュに歩み寄るリーガ。
彼の言うとおりだ。
ここで死ねば、少なくともモミジは生き残る。
少なくとも彼女はそう思っていた。
しかし――町の方から、微かにパァンッ! という爆発音が響いてくる。
リーガはにやりと笑った。
「まさか、今の音は……あなた、モミジには手を出さないって書いてたじゃない!」
「何の話だ」
「卑怯者!」
「私がお前に伝えたのは、『真実をバラされたくなければ一人でここに来い』ということだけだ。あの女を殺さないとは一言も書いていない」
「屁理屈を……!」
キルシュは唇を噛んだ。
モミジが無事なら、モミジに自分の体のことを知られずに済むのなら――そう思って来たというのに。
この男は最初から、モミジのことも殺すつもりだったのだ。
「第一、私がお前に正直である理由など無いだろう、今から殺そうと……ん?」
リーガは言葉を途中で止め、胸のあたりにある内ポケットから、青い水晶を取り出した。
「どうした、シェラ」
『申し訳ありません、申し訳ありません、リーガ様……』
水晶から声が聞こえてくる。
どうやら通信装置のようだ。
追い詰められた様子のシェラの声に、リーガは眉をひそめる。
「音は聞こえたぞ、あれで仕留めたのではないのか?」
『無理でした。私たちで、太刀打ちできる相手では……っぐ』
「あれだけの人数を割いたのだ、失敗するはずが……!」
『リーガ様……お気をつけ、くださ……い。あれは……では、なく……この世ならざ――』
直後、グチャッ! という音が向こうから聞こえてきた。
その後も繰り返し、何度も何度も、まるで壁に叩きつけるような音が鳴り響く。
「おいシェラ、シェラッ!」
リーガの必死の呼びかけもむなしく、やがて何も聞こえなくなってしまった。
キルシュも、水晶の向こうから伝わってくる異様な雰囲気に、ごくりと唾を飲む。
空気を読んだように風も吹かず、森を、静寂が支配した。
数秒間、あるいは数十秒間の無音の後、ふいに水晶が音を発する。
『今から、あなたを殺しにいきます』
それを最後に、今度こそ水晶は沈黙する。
「あの女か……いや、しかし、人を殺せるような……」
狼狽するリーガ。
キルシュはタイミングを測り――
「……っ!」
彼に背中を向けて、森の奥へ向かって駆け出した。
「な、しまった。だが逃さん、執行者の力を侮るな!」
リーガはキルシュの追跡を開始する。
必死に地面を蹴って進むキルシュとは対照的に、リーガの動きは、まるで狼のように素早く、軽やかだ。
獲物の背中に追いつくのも、時間の問題だった。
◇◇◇
「……あれ?」
私は急に目を覚ました。
確か、路地裏で子どもたちに囲まれて……そこで……気絶したと思うんだけど。
でもここは、路地裏どころか、町の中ですらない。
外にある森だ。
これはいよいよ夢遊病説が現実味を帯びてきたかもしれない。
寝てる間にレベルが上がってるのも、体が勝手に外に出て、狩ってたからなのかな。
あはは、どうなってるんだろ、私の体。
あぁ、でも……そういや、そうだった気がする。
「とりあえず考えるのは後っ、キルシュを探さないと!」
気を取り直した私。
でも、この森の中でどうやってキルシュを探せばいいんだろ。
そもそもここにいる確証はなんかあるのかな。
「キルシュー! どこいるのー! おーい、キルシュやー!」
とりあえず大声で呼びながら歩き回ってみる。
もちろん返事はない。
「キルシュー……ってあいたっ!」
木の根っこに躓いて転んでしまった。
こんな時間に明かりも無しに森を歩き回るとか、自殺行為に等しいよ。
でも、その割には割と見えるんだよね。
目が暗闇に慣れてるっていうのかな、こういうの。
「キルシュ、モミジだよー! 私が探しに来たよ、だから出ておいでー!」
深夜の森には声がよく響く。
これだけ大声を出していれば、結構な範囲に聞こえてると思うんだけど。
「きゃあぁぁぁああああっ!」
すると、返事――ではなく、ただごとではない叫び声が聞こえてきた。
ぞわっと全身に鳥肌が立つ。
またもや、猛烈に嫌な予感がする。
「キルシュッ!」
私は全速力で声のした方に向かった。
体がいつになく軽い。
まるで滑空するように、一歩で10メートル近くを進み、あっという間に彼女が見える位置までたどり着いた。
そして襲いかかろうとする双剣の男に向けて、イリュージョンスローを放つ。
「ちぃッ、またお前に邪魔されるのか!」
魔力によって作られた短剣を投擲すると、男は剣でそれを弾いた。
続けてシャドウステップ――からの、アサシンスティング!
「ぬ……ぐうぅっ!」
やっぱり反応してくる。
双剣をクロスさせて男は私の刺突を受け止めた。
「なぜ……その体から、このような威力が……!」
威力はダブルスラッシュの比じゃない。
ステータスも上がってるし、以前のようには止められないはず。
「はあぁぁぁぁぁあっ!」
「ぐああぁぁぁっ!」
男は吹き飛ばされ、地面をバウンドし、背中から木の幹に激突した。
いくら背後からの攻撃とはいえ、私の細い体からこの威力は、確かに反則的だと思う。
でもこいつの場合は自業自得だよ。
こんな夜中に女の子を誘い出して、襲おうとするなんてさ。
しかもあんな――あんな、子供まで使って。
「キルシュ、大丈夫?」
「モミジっ!」
キルシュは立ち上がると、飛びつくように私に抱きついた。
「むご……むがっ……」
む、胸……胸で溺れるっ……!
「あなたには来て欲しくなかった……でも、いざ来てくれるとこんなに嬉しくて……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「なんで謝るの。その……友達を助けるのは、当然のことじゃない?」
改めて言葉で友達って言うと、恥ずかしいな。
でも、言っていいよね? 私とキルシュの関係だったら、胸を張って友達って言えるよね?
「おぞましいな。人の形をしただけの化物が、今度は友達ごっこか……?」
男はゆらりと立ち上がる。
たぶん、こいつが子どもたちの言ってた“リーガ”ってことでいいんだよね。
あれ、でも頭の上に表示されてる名前は“レイリ”になってる。
偽名? 暗殺者だから名前を隠してるってこと?
「お前の方がよっぽど化物だっ! あんなに小さな子供たちを、いいように使って、あんなことさせるなんて!」
「無知が吠えるな。消費されて初めて意味のある命も存在する」
「あったとしても、あの子どもたちは違うよ!」
「いいや違わないな。あれは消費されることを望んだんだ。次のステージに進むために。本来ならば蠱毒で無駄死にするところだが、私は違う。私は意味を与えた、私は価値を与えた。それが間違いであるはずがない」
リーガは悪びれない。
本気で、それが正しいことだと思い込んでるみたいに。
価値観の違いってやつだ。
この手の輩は、いくら話したって通じあうことがない。
「“小さな子供“扱いする貴様こそ、秩序のために戦う勇敢なる“実行者”を愚弄しているのではないか?」
「わけのわからない御託を並べたって、子供を爆弾にして殺したって事実は変わらない!」
「子供……爆弾に? じゃあ、あの音は……」
キルシュが戦慄している。
そりゃそうだよ、私だって気づいたら気絶するぐらいショックだったんだから。
フィクションならまだしも、本気でそんな狂ったことを実行する奴らがいるなんて。
「全ては秩序のために」
「秩序秩序って、人が傷つかないためにあるのが秩序じゃないの!? それを、人を傷つけてまで守って、何の意味があるの!?」
「話してもわからんだろう、お前たちのような子供には」
「馬鹿にしてくれて……!」
私はインベントリを開き、キルシュに“マジシャンロッド”を装備した。
これは昨日、宿で休んでいたときに作っておいたものだ。
伐採した木材を使ったことで“木工スキル”はLv.2に上がり、新たな装備を作るレシピが増えたのである。
ウッドロッドに魔力を込めた木製のこの杖なら、キルシュでも簡単に扱えるはず。
「モミジ……この杖は」
「私一人じゃ倒せるかわからないから。キルシュも戦ってくれる?」
「もちろんよ! 狙われているのは私よ。私だけ逃げるわけにはいかないわ!」
相手のレベルは70。
双剣の腕前から見て、おそらく適性も結構高いはず。
でも2対1、しかも成長した私たちなら、必ずやれる。
「ふぅ……やり合う前に、お前たちに伝えておかなければならないことが2つある」
「何を今さら話すっていうの?」
「私は優しい、だから黙っておこうと思ったんだ。本来なら知らずに済んだこと、しかし反抗の意思を示したがゆえに、知らなくてはならなくなった」
数で劣るリーガだけど、まだ余裕の表情だ。
奥の手が隠してあるって感じ。
「まず1つ、私にキルシュ・スタチュースの暗殺を依頼した人間についてだが――」
彼は歯を見せ、にたりと笑う。
悪意しか感じられない表情で、口を開いた。
「スタチュース家の人間だ」
「……え?」
キルシュの……家族、ってこと?
「そんな……まさか……」
「事実だ。お前は学園に行かされることを“厄介払い”だと考えていたようだが、それでは足りなかったようだな」
「どうして……どうしてそこまで……っ」
「キルシュ、信じちゃダメ! あいつが私たちに本当のことを話す理由なんて無いんだからっ!」
きっと、キルシュから戦意を奪うためのでっちあげに決まってる。
だって、肉親を殺す家族なんて――そんなの、存在しちゃいけない。
間違いだ。
何より大きい、秩序の乱れじゃないか。
「モミジ……ありがとう、大丈夫よ。それもそうね、きっと、嘘に決まって……」
「2つ目、私は合言葉を知っている」
キルシュの目が、見開かれる。
「あ……ぁ……」
途切れ途切れに、絞ったような失望の声が溢れた。
さらに体が震えて、私が肩を抱きしめても止まらない。
「キルシュ、だからあいつはっ!」
「嘘じゃない、わ……合言葉……それを知っているのは、私の家族だけ……」
「そうだ、私は雇い主からそれを教えてもらったんだ。どういう意味か、家族であるお前ならわかるだろう、キルシュ・スタチュース」
「合言葉は……ダメ、言っちゃダメ……そんなのは、嫌、やだ……!」
「キルシュ、キルシュっ!」
呼びかけても、もう届いてないみたい。
キルシュの体はガタガタ震えて、ひたすら「嫌だ、嫌だ」とつぶやくばかり。
その“合言葉”とやらを知っている時点で、連鎖的に“依頼主が家族”という話も事実になっちゃったってこと?
なにそれ、そんなに合言葉が大事なの? それを言ったら、どうなっちゃうの?
「そんなに嫌か?」
「嫌だ、嫌だっ!」
「ならば言ってやろう」
「嫌あぁぁぁぁああっ!」
キルシュの叫び声が響き渡る。
よくわかんないけど、わかんないけど――あのリーガって男がクズってことだけは、はっきりとわかった!
合言葉を言われる前に、私が止める!
まずはシャドウステップで背後に回って――
「そう何度も同じ手が通じると思うな」
「なっ……!?」
リーガは私が背後に回るタイミングを完全に読み、私よりも早く攻撃を繰り出した。
短剣で双剣による一撃を受け止める。
でも防御に関してはからっきしだ、まともに止められるわけがない!
「っぐ……!」
私は力ずくで薙ぎ払われ、地面に転がった。
すぐさま体勢を持ち直し、イリュージョンスローを繰り出す。
「甘いと言っている!」
弾き飛ばされたまがい物の短剣は弾き飛ばされ、私の頬をかすめた。
やっぱり強い……不意打ちじゃないと、一人じゃ敵わない!
そうしている間に、リーガは合言葉をキルシュに浴びせかける。
「目覚めよ、傲慢なる欲の象徴よ!」
びくんっ、とキルシュの体がのけぞった。
「あ……ああぁ……ああぁぁあああああっ!」
さらに目を剥きながらがくがくと震える。
明らかに、まともな状態じゃない。
私は急いでキルシュに駆け寄った。
「こ、こないでぇえええええっ!」
すると彼女は必死に叫び、私を止める。
「どうしてっ!?」
「こないで……おねがい……モミジ、だけ……っ、ひ……には、見られたく……ない……っ」
「キルシュに何があったって、私は友達だよ!」
「無理……無理、なっ……がぼっ……の……わだじ……は、この……姿……あがあぁぁあああああっ!」
「キルシュぅっ!」
やっぱり我慢できない!
私はキルシュに寄り添って、その体を抱きかかえる。
どうにかして止める方法は無いの?
このままじゃ……このままじゃどうなるのかは知らないけどっ、このままじゃダメな気がする!
「美しい友情だな」
「黙って!」
「だがその友情もどこまで持つ? お前とて、その女の真の姿を見れば、その醜さに驚くだろう」
「だから黙ってって言ってるの!」
そんなわけがない。
キルシュがどんな姿になったって、友達は友達だ。
だって――やっと出来た、はじめての友達なんだから。
こうやって触れ合える、はじめての――
「おねが……い……見ないで……見ないでっ、モミジ……あ、ぎいぃいいいっ!」
キルシュの額が2箇所、ぼこっと膨らむ。
かと思ったら、その内側から鬼みたいに、白い角が2つせり出してきた。
さらにぶちぶちぃっ! と音がして、服の背中の部分が破れる。
内側から現れたのは、黒に近い茶色の、8本の腕――いや、足って言うべきなのかな。
「蜘蛛の……足?」
「ひっ、う……ああぁぁああああああっ!」
さらにキルシュは両手で自分の目のあたりを押さえて、首を激しく左右に振る。
その動きが止まったかと思うと、彼女の眼球は、漆黒に染まっていた。
加えて、額にも少し小さな円形の目が2つ現れ、私の顔をぎょろりと見つめている。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
肩で呼吸をするキルシュ。
いつの間にか、肌の色も浅黒く変わり果てていた。
これで……終わった、の?
「どうだ、醜いだろう? それこそが、、この世ならざる者の因子を移植された“デミイレギュラー”たるキルシュ・スタチュースの真の姿だ!」
変態を終えたキルシュの2つの瞳から、涙がこぼれた。
そして悲しげな表情を浮かべ、私に告げる。
「モミジは……私にとってはじめての友達だったから……この姿だけは、見せたくなかった……」
「スタチュース家やその周囲の人間は、イレギュラーのことはともかく、そいつが化物であることは知っていたそうだからな。近づくのも汚らわしいと思っていたはずだ」
「……もう、終わりね」
私から体を離し、立ち上がるキルシュ。
「私ね、この前、家では家族扱いされてなかったって言ってたでしょ? あれ、嘘なの。本当は……家族どころか、人間扱いもされてなかった」
悲しげに、真実を吐露する。
そしてリーガの方に向き直ると、彼女は手を広げた。
「もう、殺して。もう、終わりにしていいわ。家族にも死を願われ、友達も失ってしまった私が、生きている理由なんて無いもの」
「そうか、ようやく諦めたか。それでいい、それがいい。秩序を乱す者は、お前のように自ら死を望むべきだ」
双剣をしゃらりと鳴らしながら近づいてくるリーガ。
抵抗の意志すら見せないキルシュ。
そして――頭の上に疑問符を並べる私。
え、いや、待って。
なんか、こう、あんなにビクビクしてたから、もっと恐ろしい化物みたいになると思ってたんだけど。
あれで終わりなの? 例の[デミイレギュラー:アラクネー]ってスキル、それだけ?
正直言わせてもらうけど……。
「めっちゃかわいいんだけど……」
「……へ?」
振り向くキルシュ。
背中から見た8本の腕が生えてる姿も捨てがたいけど、何より顔がかわいい。
4つある目もキュートだし、元の素材がいいから相乗効果でさらにぐっと来てる。
「キルシュ、すっごくかわいい。なにその格好、どんだけ私をときめかせれば気が済むの!?」
「な、何を言ってるのモミジ。私……こんな、化物の姿になってるのよ!?」
「かわいいものはかわいいし」
「虫の足が8本も生えてて!」
「蠢く姿がセクシー」
「目も4つあって」
「くりっとしててキュート」
「角も生えてて!」
「ワイルドさがいいアクセントになってると思う」
「ええぇ……」
あれ、なんか引かれてる?
「言うほど化物じゃないし、本当に可愛いと思うんだけど、変?」
「変に決まってるじゃない!」
変って言い切られてしまった。
でもなー、可愛いって思っちゃったのは本当だし。
「でもさ、この程度の変化だと、本職のケモナーなら「まだ足りない」って言ってくると思う」
「ケモ……何?」
当然、ケモナーなんて言葉が伝わるはずもなかった。
「とにかく、私は可愛いと思うよ。もちろん普通の状態のキルシュも可愛いけど、これはこれで、新たな魅力を見た気がするっていうか……」
「本気で、言ってるの?」
「うんっ!」
迷わず返事をする。
だってこんなレベルが高い人外っ娘をリアルで拝めるとか、もう感謝しかないもん。
「お前たち、何の話をしているんだ……?」
リーガも思わず足を止めて、困惑している様子。
「その姿が“可愛い”だと? 寝言も休み休み言うんだな、狂っているんじゃないか!?」
「狂ってるは失礼じゃないかなぁ、好みなんて人それぞれだし、今のキルシュの姿を好きな人、世の中に結構いると思うよ?」
「いるわけがないだろうっ!」
おおう、そんなに怒らなくても。
実際にここにいるわけだし、探せばいっぱいいると思うんだけどなぁ。
「……いてもいなくてもどうでもいいわ。モミジが、私のこの姿を受け入れてくれるのなら」
キルシュはふらふらと私に近づいて、抱きついていた。
もちろん、背中から生えた8本の腕も使って。
こ、これが蜘蛛っ娘による全力のホールド! 人間には出せない締め付けと密着感があって……こう、何ていうかな……すごく、苦しいです。
でも幸せ。
「モミジ……あなたは、私にとっての天使よ。嘆くしかない運命を、ことごとく変えてくれる」
「キルシュも天使みたいにかわいいよ?」
「そういう意味じゃ……いえ、それもあるわね。モミジも、天使みたいに可愛らしいわ」
私たちは見つめ合って、うふふと笑い合う。
全てのトラウマが消え去った、たぶん今までで一番純粋なキルシュの笑みに、私の胸はいつになく強く高鳴った。
とてもいい気分。
そう、そうだった。
私は――こういうのが欲しかったんだ。
「もう一度聞かせて。モミジは、この姿を見ても、気持ち悪いとは思わないのね?」
「うんっ、すっごくキュート!」
「ふふ、ありがとう。救われた気分だわ」
胸に手を当て、キルシュは優しい声で言った。
私の性癖が人を救う日が来るだなんて、過去の私に想像できただろうか。
「さて、やりましょうか、モミジ」
「そうだね、あいつを倒さないと一件落着とは言えないもん」
体を離し、武器を手に、私たちはリーガと向き合う。
キルシュに対しての精神攻撃のつもりだったのかもしれないけど――
「くっ、こんなはずでは……!」
――結局、あいつの方がダメージ受けちゃったみたいだね。
んじゃ今度こそ、2対1で決着、付けましょうか!