000 プロローグ
私は今日も、ヘッドセットを被ってVRMMOの世界にログインする。
普段の生活圏内は、この六畳一間の狭い部屋の中だけ。
1日に30分ほど、トイレやシャワー、あとコンビニに食料調達に向かうために外に出ることはあるけれど、本当はそれだって無くしたいぐらいだ。
日光が嫌だ、私を見下しているから。
通り過ぎる視線が嫌だ、みんな私を汚いものとして見てくるから。
聞こえてくる声が嫌だ、頬を流れる生ぬるい風が嫌だ、走りすぎる車が嫌だ。
何もかもが――嫌だ。
18歳、高校中退、引きこもり。
幼い頃から両親が不仲で、私は彼らの罵り合う声を聞いて育ってきた。
やれ『あなたの収入が少ないから悪いのよ』だの、『お前が働かないからだろうが』だの、毎日のようにお金や、不倫や、二人の夫婦生活に関わる罵詈雑言をバリエーション豊かに聞かされてきた。
うっかり喧嘩しているところに近付こうものなら私も巻き込まれて、殴られ、蹴られ、髪を引っ張られ。
これで私が引っ込み思案になったのは『自己責任だ』と言われても、理不尽すぎて笑うしか無い。
そのくせ、定期的に喧嘩した直後に二人で部屋に入り、喘ぎ声を響かせたりするのだから、もはや理解不能だ。
あれは私を産んだだけの、違う生き物だ。
他人以上に他人なんだ。
いつの間にか、私はそう思うようになっていた。
もちろん、そんな彼らが学校行事に顔を出したことは無い。
そして私の家だけ親が来なかったことがきっかけで、いじめが始まった。
いじめは小学2年生から始まり、そこからクラスが変わっても途切れることなく続いた。
当然、親に相談など出来るはずもなく、教師も私が話そうとすると気まずそうに目をそらす。
味方は誰も居ない。
友達も、家族も、周囲の大人も、みーんな敵だ。
挙句の果てには『お前が悪い』『お前に原因がある』と言われて、不登校になろうとすると親に部屋から引きずり出され。
私には逃げ場なんて、どこにも無かった。
その後、高校に進学しても状況は変わらず。
出来る限り顔見知りに会わないよう、家から通える範囲で遠い高校を選んだけれど、元クラスメイトの知り合いがいたとかで、またいじめが始まった。
また誰もが目を背けた。
また誰もが私に原因を押し付けた。
まるで洗脳のように繰り返し『お前が悪い』と言われ、私は彼らを恨み呪う一方で、心の何処かで『それは事実かもしれない』と思うようになっていた。
鏡に映る私の顔は、醜い。
髪はぼさぼさで、肌はあれていて、服装だってダサくて、見れたものじゃない。
性格も最悪だ。
暗くて、うまく他人と話せない、目も見られない、言い訳ばかり。
私はクズだ。
それは間違いない。
だから私は私が嫌いだった。
たぶん、周囲が私を嫌う以上に、私自身が、世界で一番私を嫌っていたに違いない。
そんな私にとって唯一の癒やしは、ネットの世界だった。
現実逃避と言われればそれまでだけど、逃避しなければやってられない。
なんで、歩くだけで理不尽を叩きつけられる現実に、律儀に向き合わなくてはならないのか。
VRMMOの世界に浸る。
この世界では、私は“人間”になれた。
なぜなら私は私ではなく、ネット上に存在するアバターだから。
リアルじゃ絶対に見せない笑顔を振りまいて、別人のように明るく振る舞う。
友達もできた。
世界も広い。
この部屋の何万倍も広いフィールドを、部屋にいながら駆け回ることができる。
ここには自由がある。
私の欲しかった、けれど偽物の、仮想の自由が。
◇◇◇
ある日、私はネットの友達に、とあるゲームへの誘いを受けた。
あまり興味は無かったけれど、ああいうキャラを作っている手前、断るわけにもいかない。
「今日という今日は許さないからな。第一、お前があんなゴミみたいな子供を産むからこうなったんだろう!」
「あの子が産まれたのは私の責任だって言うの!? あなたの血だって混ざってるのよ!?」
「どうだか。顔は似ていないし、性格だってまるで別物だ。どうせお前が別の男と寝た時に出来た子供じゃないのか」
「証拠があるの!? だいたい、あなただって浮気してたじゃない!」
「俺が浮気をしてうちに子供は産まれるのか? 産まれないだろう? 子供が産まれるのは、お前が浮気をした時だけだ!」
「だからしてないって言ってるじゃないのぉおおおお!」
「実際にしてただろう、あの頃だって、今だって!」
リビングから聞こえる両親の喧嘩の声から耳を塞ぐように、私はヘッドセットを被った。
外界から遮断される視覚と聴覚。
やがて意識も切り離される。
まずはスタート画面から。
キャラ作成を選んで、1時間ほどかけて細かくキャラメイクを行う。
ここで必死に作っても、いざゲームに入ると微妙に別の顔になってる、なんてこともよくある。
そしてログイン。
ゲーム内での顔は……うん、まあ概ねキャラメイクと同じかな。
そしてチュートリアルが開始する。
他のゲームと似たような文言を聞かされ、クエストをクリアし、さらに進めていくと、ようやく最初の町に飛ばされた。
いよいよ冒険の旅が始まる。
そんな文字が流れた、次の瞬間――
プツン、と接続が途絶えた。
意識が現実に引き戻される。
リアルで何らかの異変が起きた場合、強制ログアウトが発動するようになっていた。
私はヘッドセットを外し、あたりの様子を確認する。
両親の声は、もう聞こえなくなっていた。
けれどその代わりに、部屋の外から灰色の煙が侵入してきている。
それに部屋全体がやけに熱い。
嫌な予感がして、私は慌ててドアを開く。
「きゃっ!? げほっ、ごほっ……!」
むわっという熱気と共に、大量の煙が押し寄せてきた。
私は咳き込むと同時に、それを吸い込む。
するとぐらりと、意識が揺らいだ。
どうにか倒れるのは防げたけど、
「う……うぷ……っ」
頭が痛い、吐き気がせり上がってくる。
壁に手を当てて体を支えながら、私は扉の向こうに続く廊下を見た。
そこはすでに煙で埋め尽くされており、1メートル先の視界すら確保できない状況だ。
さらに、パチパチと何かが弾ける音がする。
「燃えてる……火事、なの?」
どうしてこんなことになったのか、思い当たる節があった。
今日の両親の喧嘩は、ひときわ激しかった。
父が母を脅すのに、ライターでも使ったのかもしれない。
あるいは、暴走した母が灯油でもぶちまけて火を点けたのかもしれない。
というかそれしかない。
「お父さーん、お母さーん、どこにいるの! 早く助けにきてよぉ!」
あれだけ憎んでた両親に助けを求めるしかないなんて、情けない。
けど、あれでも、世間から見捨てられた私にとっては一番近い場所にいる二人だったから。
「助けて、お願い! 私はっ、紅葉はここにいるよ!」
呼んでも呼んでも、声も足音も聞こえない。
ああ、そっか……自分たちで火をつけておいて、子供は助けずに二人だけとっとと逃げ出したんだ。
もはや廊下は通れる状況ではなかった。
自室の窓から逃げ出そうにも、ここはマンションの8階。
外を覗いても、まだ救助隊は到着していなかった。
飛び降りて死ぬか、煙を吸い込んで死ぬか、もはやその二択しか残されていない。
煙はどんどん部屋に入ってくる。
呼吸をするたび、体から力が抜けていく。
「う、げほっ……ご、ひゅ……わた、し……こんな、死に方……」
惨めな人生だった。
惨めに生きて、そして惨めに殺される。
私を惨めにしてきた、その張本人のせいで。
どうせ死ぬなら――と、私はヘッドセットを被る。
火事の影響か、すでにPCの電源は落ちており、ログインなど出来るはずもないが、視覚と聴覚が塞がれると、言いしれぬ安心感が私を包む。
現実は、毒だ。
ならばせめて、仮想の感覚に包まれて逝きたい。
部屋が白く埋め尽くされる。
やがて私は自然とそれを吸い込み、意識が薄れていった。
まるでVRMMOにログインするような感覚と共に、世界が遠ざかっていく。
◇◇◇
死ぬんだ、私。
いや、もしかしたらもう死んでるのかもしれない。
けど、不思議と辛くはない。
いずれこうなるとは思っていたから。
どこに行っても他人とわかりあえない私は、常に人の輪から排除されてきた。
家族、友達、クラス、学年、学校、社会。
範囲を広めてもどこにも馴染めなくて、その度に追い出されて。
そして最終的に、私は世界から排除された。
ううん、“追放された”って言い換えてもいいのかもしれない。
ふふ、だったら報われないとおかしいよね。
ネット小説で読んだことあるけど、追放されたおっさんは、チート能力を持って元いたパーティを見返すのがお約束だもん。
だから私は、存在も定かではない神様に望む。
次こそ報われるために。
もしも生まれ変わって、次の人生があるのなら、私は私じゃない誰かになりたい。
記憶は引き継がなくていいから。
前世の記憶が必要だっていうんなら、全然違う記憶をでっちあげて、明るく元気な女の子の素敵な人生の記憶を上書きしてくれてもいいから。
あー、あと、他人から理不尽なことを言われても、折れずに立ち向かえる女の子がいい。
とにかく、今の私は必要ない。
捨ててしまいたい。
あとは、ゲームみたいな世界がいいかも。
現世みたいに成長とか、進歩とかがわかりにくい世界じゃなくて、もっと数字でわかりやすい世界に。
そしたら、もっとうまくやれると思うから。
あ、でも記憶が無くなったら、ゲーム好きじゃなくなるのかな。
いや、私に限ってそんなこと無いと思うから、それでいいや。
それと……これが一番大事なんだけど。
自由に、なりたいな。
両親とか、色んなものに束縛されずに、好き勝手に生きていきたい。
誰にも邪魔されずに、私の望むこと、この世界でできなかったことを、たくさんやっていきたい。
むかつくやつがいたらXXして、それでいて誰にも怒られないとか、そういうのもいいかも。
ああ、そうだ、それがいい。
そういう自由が、きっと、楽しい。
◇◇◇
意識が遠ざかっていく。
光が見える。
あの先にあるのは、終わりか、始まりか。
どっちにしたって、この世界に残るよりはマシだから――私は光に手を伸ばした。
その向こうで、誰かが優しく微笑んだ気がする。
あれが、転生を司る神様ってやつ、なのかな……。
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