用意されたもの
乱暴に寝室のドアが開かれ、アデリシアは元いたベッドへと放り出された。スプリングが、ぎしりと音を立てて衝撃を和らげてくれる。
「なんでそんな格好で出歩くんだ、お前は!羞恥心ってものがないのか?!」
ライアンが怒って叫ぶ。
「……あるに決まっているでしょうが!」
アデリシアは手を付いて、起き上がって反論する。
「ならなんでシーツを……?いや、ちゃんと服は用意させたはずだ。なぜそれを着ない」
「へえぇ、団長が用意?」
アデリシアはじと目でライアンを睨みつけた。
「何故睨む」
「だって。じゃあ、これは団長の趣味ですか?」
肩で結んだシーツの結び目を解き、アデリシアは一瞬だけ迷ってから、えいと前身頃を開けて見せた。
フリルのついたピンク色のベビードールが晒される。
勿論下着は透けている。
「は………………?」
ライアンが目に見えて固まった。
「は、じゃないですよ、もう」
飽きれながらもアデリシアはライアンに近寄っていった。
団長の視線が熱く注がれている。自分を見てくれている。
団長が自分を気に掛けてくれている。かなり恥ずかしいけれど、今だけでも独り占めできるならば迷うことはない。
「ほら、これですよ。見てください。私、こんなエロスケべなの初めて着ましたよ。これ着てろってことでしょ?」
ほれほれとなけなしの胸を揺すってみせた。
ふわりふわりと薄い生地が空気に踊る。
「な……なんて格好をしてるんだ?!前を閉じろ!」
ライアンは我に返って怒鳴った後、くるりと背を向けてアデリシアを視界に入らないようにしてしまった。
上を向いて片手で顔を押さえて、こちらを見ないようにしてくれる。紳士の振舞いだが、じっと見つめ続けた後だからあまり説得力がない。
ライアンの耳が赤い。
その反応に少しだけ嬉しくなって、アデリシアはシーツの端を解いていく。
「だってこれ、起きたら着せられてたんです。貴方が選んで着せたんでしょう?」
「ふざけんな。俺じゃねぇよ!」
「じゃ、私は誰にこれ着せられたんですか」
「メイドのはず……あ、あの人か?まさか。余計なことをしやがって」
「余計ってなんです?」
「うるさい!」
アデリシアはシーツを剥ぎ取って、ライアンの方へとにじり寄った。
質問に答えず怒鳴られるとは。
アデリシアは少し苛立ち、ライアンの左腕にしがみつくようにして抱き着いてみた。
「やわ……っじゃない、離せ!」
ん?
いま柔らかいって言おうとした?
「嫌です。離れたら見えちゃいますから」
アデリシアはぎゅっとしがみついて、なけなしの胸を腕へと押し当てる。
「この……っ、離せ!」
「やです!」
「アデリシア!」
ライアンはアデリシアを極力見ないようにしながら、肩を押して離れようとする。が、アデリシアは両手でしがみつく。
ライアンは彼女の頭を押しやるようにして後ろ手を伸ばしてシーツを引っ張った。それをアデリシアの身体へ無理矢理に巻き付けようにし始めた。
「いやん」
「お前……っ!?変な声出すな!肌を隠せ!」
「だって」
「だってじゃない!お前は慎みってもんを持て!」
シーツを巻かれるのを全力でアデリシアは拒否する。結局アデリシアはライアンと再び取っ組み合いになった。
数瞬後、力負けしてベッドに押し倒されるようにしてアデリシアは動きを封じられていた。勿論シーツでぐるぐる巻きをされた状態で。
マントに引き続き、今度はシーツです巻き第二弾だ。
ふう、とライアンに大きく溜息を吐かれる。
ライアンに組み敷かれながら、アデリシアはくすりと微笑んだ。
良かった。無視されなかった。
ちょっとだけ怒られたけど、耳を赤くしてくれた。自分を気にしてくれた。
「てめェ……」
ライアンが低く唸る。
アデリシアが笑った事に苛立ったらしい。左腕を掴まれた。そのまま引き寄せるように力を籠められ、上半身がベッドから少しだけ持ち上げられる。
もう一方の手は首輪へと伸ばされていた。
アデリシアは焦った。
「嘘……それは、いや……っ!」
また魔力を奪われてしまう。意識を失うのはもう堪えられない。屈辱だ。
「やだやだ、やめて!お願い!」
ライアンの腕から逃れようと身を逸らして、アデリシアは藻掻いた。しかし、腕はびくともしない。
「お前が自分で撒いた種だろうが」
「でもこんなのは望んでないですっ!いやあっ!離して!」
「おとなしくしろ」
「――そこまで」
鋭い声が飛ぶ。
シルヴァールの声だった。
「それ以上はやりすぎです。ライアン。皆に見られたいなら、止めませんが」
その言葉に二人は動きを止めて、部屋の入り口を見た。
扉が開かれていた。やや頬の赤いシルヴァールに、目を隠そうともしないウォルター、そして、家令、ドレスや靴を手にしたメイド達が揃っていた。皆一応に顔が赤いか、居づらそうに目を逸らしたりしている。
「どう見ても嫌がる女性を無理やり襲っているようにしか見えませんからね。非道な主人と思われますよ?」
「違う……!」
ライアンは歯噛みしながら否定して、アデリシアから離れた。
*****
メイドが新しい服や靴を手にしていた。
当然のごとく、足を覆い隠す長さのきちんとしたドレスである。これこそがライアンの指示した衣服であるようだ。
男達を寝室から手際よく追い出して、メイドーーセシリアというらしい。セシリアが着替えを手伝ってくれる。
「ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず」
ふわりと微笑みながら、セシリアはコルセットを締めていく。
袖に腕を通しながら、アデリシアは淡い水色のドレスを身に纏った。質の良いとわかる肌触りと光沢だ。
セシリアはドレスを着せ終えると、手早くアデリシアの髪を櫛で整えていく。
「私は幼少の頃からライアン様を存じ上げておりますが、実はライアン様がこの館に女性をお連れするのは、お嬢様が初めてなのですよ」
セシリアはここが彼の領地であることを説明してくれた。
城の駐屯地にへ戻るより近いとのことで、国境の街アダンでの小休憩の後、ここへと訪れたらしい。
「しかもお通ししたのが客間ではなく、このライアン様の寝室なのです。ライアン様がどうしてもこの部屋でなければ、と強く仰られて押し通されまして」
アデリシアは目を見開いた。
ここはライアンの部屋なのか。
「先程まではライアン様も一緒にお部屋に。部屋続きのお隣の執務室にいらしたのはわかっておりますが、使用人は皆少々浮足立っております」
内緒にしていただきたいのですが、とセシリアは苦笑した。
だから、あの時家令もメイドも寝室へとわらわら集まっていた、と。恥ずかしい場面をそれで目撃されてしまったのだ。
アデリシアは赤く頬を染めて頷いた。
おそらくライアンが自分の側を離さないのは自分の逃亡を防ぐためだろう。
宿屋でも逃げないよう抱き込まれていた。
新しい服への着替えを命じた後、ライアンは隣の部屋にずっと籠って仮眠を取っていたらしい。
仮眠を終えて、これからのことをシルヴァール達と階下の居間で打ち合わせしていた隙に、アデリシアが逃亡を図った、ということのようだった。
「すみません。寝室が続きの間でもライアン様はあのような方ですから、私共もきちんと理解しております」
アデリシアは頷いた。
絵に描いたような堅物であるし、アデリシアの告白も何度も断られている。
アダンでもただベッドに一緒にいて眠っただけだ。
それもこれもただ逃亡を防ぐため。
「それで、お嬢様におたずねしたいのですが。あのピンクは少しでも効果が有りましたでしょうか?」
「え?」
「実は内々に指示がありまして、ご用意致しました。勝手をして申し訳ありません」
内々に指示?
アデリシアは返事に困って、横目で脱いだピンクのレースの塊を見遣る。
「一応、ライアン様の名誉の為に申し上げますが、ライアン様の指示ではありません」
「……そうですか」
あの格好で腕に抱き着いてしまったけれど。
ライアンには簡単に引き剥がされてしまったので、効果も何も良く分からない。
「母君である侯爵夫人はライアン様に早く身を固めて欲しいと、前々からよく仰られてまして、私達使用人も同じくそう望んでおります」
セシリアはアデリシアの髪をすいて言葉を続ける。
「ライアン様が自分の寝室を明け渡すほどの女性ならば、と奥様はそう仰られまして。不甲斐ない息子の甲斐性をこれで補うのだと。それでお嬢様にあれをお着せ致しました」
「はあ……」
「奥様いわく、ライアンの好みのはず、だそうです。あと私の判断で紫色のデザインのものも別にご用意があります。これもお好みのはずだと思います」
自信があります、とセシリアは告げる。
侯爵夫人。セシリア。
こんな所に味方がいた。
国境越えもライアンに防がれた以上、アデリシアは父親の手を逃れなければ別の男と結婚させられてしまう。
ライアンを諦めるつもりだったが、力強い味方がいるのだ。もう少し足掻いてみてもいいかもしれない。
「セシリアさん!」
がっし、とアデリシアはセシリアの両手を櫛ごと握った。
「なんでもお申し付けくださいね」
にっこりとセシリアは笑った。