朝日が昇る前に
門へと至る道に差し掛かったその時だった。
ひゅん、と何かが投擲された。
自分を覆う風の結界が防ぐのはわかっていたが、反射的に身を躱す。
音の流れた方向を杖でかざしてみると、小刀が壁に突き刺さっていた。髪を纏めていたリボンにかすったのか、はらりと遅れてリボンが半分に切れて足元へと落ちる。三つ編みにしていた髪が、自重で緩く解けていく。
髪のことよりも、その小刀に目が吸い寄せられた。
何処かで見た事がある意匠の彫りがなされている。
これは、つまり。
「夜明け前だっていうのに、随分と朝早くのお出掛けだなあ、アディ?」
やけに艶めいた声が耳に届いて、アデリシアは硬直した。
大好きで憎らしいこの声。
アディという愛称で彼が呼ぶ時は稀だ。
そして、それが彼の機嫌がとても悪い時だと、アデリシアは身を持って知っている。
「まだ、明るくもなってないじゃないか」
「……団……長………」
既に、追いつかれていた。
薄暗い中に立つ男は、声から団長だと直ぐに判った。
傍らにもう一人馬乗する姿があるようだ。それにもう一頭、その背後に馬がいるらしい。落ち着かない嘶きが聞こえる。とにかく二頭の馬の息は荒い。ここへ到着したばかりなのだろうか。
暗くてよく見えない。音も軽やかに馬から降り立つ影が目に入る。あの背の高さはシルヴァールか。
アデリシアは杖を握り締めた。
団長と副団長。
強敵だ。よりにもよって、この二人が相手とは。
距離があるというのに、二人から繰り出される殺気で既に動けない。
「……俺に黙って何処に行くつもりだった?」
「り、旅行、です」
思わず言い淀んだ自分を叱咤して、言葉を続ける。
「見聞を広めるために、一週間の休みを頂きました」
「ほう?で?」
「で、とは……?聞き返される意味がわかりません」
とぼけると、射抜かれるような強い視線が突き刺さる。
ここで挫けてはだめだ。
アデリシアは言い返す。
「正当な手続きを踏んでいます、から」
「ならば質問を変える。じゃあ俺がここにいる意味はどうだ」
「さあ……わかりません」
「そうか」
ぶわ、と新たな殺気が押し寄せた。
発せられた殺気が、先程の比ではない。
「……っ……!」
反射的にアデリシアは後ずさった。肩に壁が当たる。傍には小刀が突き刺さったままだ。すかさず背後の方を見やれば、シルヴァールが既に移動していて、しっかりと逃げ道を塞いでいた。
薄闇の中、何も言わずに浮かべるシルヴァールの氷の微笑がアデリシアの頬を引き攣らせる。
ヒィィィ、怖い。怖過ぎる。
前門の虎、後門の狼だ。
ここからすぐ逃げ出したい。
だが、思いとは裏腹に足は竦んで動けない。アデリシアの額から汗が伝った。
「俺はね、怒っているんだよ。アディ。何故何も言わなかった」
かつん、と石畳に長靴の当たる音がした。
「なんで勝手に団を抜けようとする」
一歩一歩ゆっくりとライアンが近づいてくる。
「だ、だって……」
膝が震えるのをアデリシアは必死に堪えた。
それは、ライアンに振り向いてもらえなかったからだ。
何より貴方が他の人と結婚する姿を見たくないからよ!
「だって……このままじゃもう団にはいられない……から……っ!」
アデリシアは震えながらも答える。
ライアンは今やアデリシアの目の前まで来ていた。
顔にかかる髪を指で払い、手の甲でアデリシアの頬を優しく撫でる。
「そんな事ない。何故そう決めつけるんだ」
この上もなく優しい声で尋ねてくるのに、その瞳は怒りに染まって燃えている。
アデリシアは顔を背けた。
「決めつけてなんか……だって本当の事です、から……」
本心では団長の傍にずっといたい。
だが、想いが叶わないなら辛過ぎるから騎士団にいたくない。
それに、どちらにしろこのままでは自分は父親に団を辞めさせられる。そして、見知らぬ誰かと結婚させられるのだ。
それらは決して決めつけなんかではない。
ライアンはアデリシアの傍らの壁にだんっと手を叩きつけた。びくりとアデリシアは身体を震わせる。
「お前は俺のものなんだから、勝手にどっかへ行くなんて許さない」
低く告げられた言葉にアデリシアは固まった。次いで、頬が赤くなる。
その言葉はもしかして。
自分は期待しても良いのか。
「団長…………?」
縋るように、ライアンへと指を伸ばす。
「俺の団から隣国に逃亡なんて誰が許すか」
ライアンから発せられた言葉に、手が落ちる。
アデリシアの目から希望の光が完全に消え失せた。
遠くシルヴァールからも、飽きれたのか盛大な溜息が吐かれるのが聞こえた。
俯いてアデリシアは涙を堪えた。
もうどうでもいい。
どうにでもなってしまえ。
もう、絶対に希望は持たない。
最初からわかってはいたのだ。
単なる団員の一人だってこと位、始めからわかってる。それ以上でもそれ以下でもない。
団長にとっては騎士団が第一で唯一。
恋人なんて夢のまた夢。
だからこそ今回の事を計画したのだから。
「うん……知ってる……。最初から……わかってた……」
伏せたアデリシアの頬を涙が伝う。
「だから……ここまで来た、のよ……」
杖がアデリシアの声に同調するかのように点滅して光り出す。
ふわり、ふわりと長い髪が風に舞い上がっていく。
「おい……?」
「団長の、馬鹿あああああっ!」
素早く詠唱して、怒りに任せて全力で風魔法を投げ付けた。竜巻のような激しい風が塊と化して、ライアンへと上空から一度に襲いかかる。
「ちょっと待て、お前……っ!」
「馬鹿馬鹿馬鹿、わからず屋!大っ嫌いっ!」
全力で魔力を何度も叩きつける。
ライアンの身体が揺らぎ、片膝をついたのが見えた。
シルヴァールも目を庇うようにして、顔を覆っている。
素早く結界を張って、二人と自分の間に幾重にも壁を作る。すぐに追って来られないようにして、アデリシアは飛んだ。
飛んだ、はずだった。
「アディ……っ!」
暴れ回る髪ごと、背後から強い力で抱き締められる。
大地から離れた身体が、無理矢理にのせられた体重で力ずくで引きずり降ろされる。
「誰……っ?」
肩越しに見ると、それはウォルターだった。
そうだった。探索に三人の追手、と出ていたではないか。
油断した。
「アディ、アデリシア!お願いだから行かないで!」
「ウォルター、いや……っ、離して!」
アデリシアは藻掻いた。
ライアンが間髪入れずに、腰に履いた魔法剣を薙ぎ払う。幾重にも張った結界が、きらきらと粉のように一瞬で粉砕されて空に舞った。
すかさず、シルヴァールが駆け付けて、アデリシアの杖を手刀でもって奪い去る。
力の拠り所を失って、すぐにアデリシアは風を継続出来なくなった。浮いていた身体から力が失われ、がくんと体が傾いだ。ウォルターと共にその場に膝を折って座り込む。
ライアンが懐から光るものを取り出して、アデリシアに近づいてくる。
その気配に気づいて、アデリシアは目を見張った。
それは、ライアンが手にするそれは。
魔術師の罪人相手に使うもの、だった。
「やめ………いやああ……っ!」
かちり、と音を立ててライアンに首に嵌められる。魔力封じの金の首輪だった。
その首輪は付けているだけで、その者の魔力を奪い続ける。
ただでさえ、魔力が枯渇しかけていた上に全力の風をライアンにお見舞いしたのだ。魔力の残量は殆どないといってよかった。
急速に魔力を吸い取られて、アデリシアは視界が揺らいでいくのがわかった。
目の前のライアンの顔が遠ざかっていく。
「い、や…………」
戻りたく、ない。
そして意識は闇に飲まれた。