追われる者
突然、項がひりついたような感覚があった。ピリピリと嫌な気配がする。
仕掛けが一つ壊されたようだ。
アデリシアは慎重に探索魔法を飛ばした。
感覚が伝えて来たのは東北の方角。
幾つかの仕掛けた魔力が消えたようだ。昨日魔力で飛んで、わざと痕跡を残した場所だ。その罠にかかった気配があった。遅れて、魔法塔の自室の仕掛けが解かれた感覚が伝わってくる。
――気づかれた。
時間を追うごとに、東、南、と仕掛けた罠が次々と解除されていく感覚が伝わってくる。案外早くに気づかれたようだ。
まずい。
アデリシアは荷馬車に揺られながら、マントを目深に被り直した。もうすぐ街道沿いの最後の街――アダンに着く。そこから国境までは大体4刻の距離か。頂きを越えれば国境は目の前だ。
荷馬車に姿くらましの術式をかけてから、追跡の風を飛ばす。
遠く追ってくる気配が2つ、いや、3つか。
まさかライアンが?とも思う。が、しかしと思う。自分ごときの探索に3人も割いたりしないだろう。
追手がかなりの速度を出しているのは風が伝えてくる感覚でわかった。
馬で駆けているからだろうと推測する。騎士団の誰かだろうか。別に何か事件があったのかもしれない。
確か第二師団に駿足で有名な騎士がいたな、と思い出す。
伝わってくる速度では次の街辺りで馬が疲弊するはずだ。そこで足止めされるだろう。そこで何か用があるのだろうか?
ただ、万が一、ということがある。
仮に他の師団であっても出くわすことだけは正直避けたかった。こちらが知らなくても、相手が自分を知っている可能性も捨てきれないからだ。
ライアンの所の風の天位、といえば割りと有名だ。
ライアン率いる第三魔法騎士団は攻撃魔法に特化した騎士団だ。その師団で専属の魔術師であるのはアデリシアただ一人。他の師団はバランス良く人数が配され、騎士以外にも回復や補助と、分野別に魔術師を数人抱えていることが多い。
それを天位という事で、アデリシア一人が、補助と回復、果ては攻撃魔法まで全てをこなしていた。
ライアンに張り付く女性はこれ以上要らない、との一念でレベルアップしたアデリシアの努力の賜物である。それ故に騎士団では重宝がられたが、ライアンには必要とはされなかった。それがただただ残念でならない。
やり切れない考えを振り払って再度探索に集中する。
――この速度ならば大丈夫。追いつかれないだろう。
アデリシアはマントの陰で息を吐いて探査魔法を解いた。
行方を晦ますために仕掛けた罠と囮で、実のところ今の自分は魔力をかなり消耗していた。いつもより身体が重く鈍く感じる。少し休んで、魔力を回復しなければ魔力切れをおこして正体もなく昏倒してしまうだろう。
街で少し休んで夜明け前に出発すればいい、とアデリシアは考えた。
早く宿に着いて休めれば、自然回復するだろう。
国境を巡るように張られた結界を抜けてしまえば、回復した魔力で隣国へひとっ飛び出来る。それですべて終了だ。絶対に追いつかれないはずだ。
アデリシアは次第に重くなる身体を自ら抱えた。
少し指先が冷たく感じる。魔力切れが近いのだ。身体から熱量が失われていっているのを感じる。アデリシアは目を閉じて、魔力が切れない事を祈った。
アダンには夕暮れ時に到着した。
予定より少しだけ早いことにアデリシアは安堵した。
街に入ると、街中にかけられた保護結界魔法で、外の探索はまったく出来なくなった。外の状況が追えず、分からなくなる。
天位持ちは伊達ではない。術の行使は可能だ。無理をすれば出来ないこともないが、魔力の残存量に問題があった。
最初の読みでは、余裕はあるはずだった。
それを信じて歩を進める。一番国境側に近い町外れの宿に部屋を取り、なけなしの魔力で結界を固める。
これで身の安全は守られたはずだ。
道中に買った夕食と果物を少しだけ食べてから、湯殿へ向かい熱い湯で身を清める。
この国で過ごす最後の夜になると思うと少しだけ緊張した。
ランプを灯して荷物を手早く纏める。そして、ベッドの上へ鞄を置いた。手の届く位置だ。
起き上がったらすぐ何時でも出立できるように、寝着は着ない。旅装のままで編み上げブーツだけを脱ぐ。
寝台に身を横たえれば、直ぐに睡魔が襲ってきた。
こんなにも自分は疲れ切っていたのかと今更ながら気づいた。
逃げる立場は初めてだが、精神的にも肉体的にも消耗すると初めて知った。
暗くなっていく視界にぼんやりと団員の皆の顔を思い出す。
シルヴァール、カルロ、ウォルター……後、他にいっぱいいるけど、ごめん、皆。
ライアン。
恨んでもいいから、どうか私を忘れないで。
何故か仏頂面で怒っている姿しか思い出せない。
頼りになるけど厳しい、真面目で堅物すぎるけど優しい団長。
初見では冷めたい人物だと誤解を受けやすいけど、懐に入れてくれればとても暖かい人だ。言葉が足りないだけだと自分は知っている。
憎らしくて愛しい団長。
でも、もう明日で国ごと忘れる。
忘れられないけど、心の底にこの想いを出来るだけ沈めてしまおう。
そんなことを思いながら、アデリシアは眠りについた。
*****
――時間だ。
アデリシアは身を起こしてブーツを履いた。紐を編み上げてしっかりと足になじませる。
洗面所へ赴き、冷たい水で顔を洗った。軽く衣服を整えて、喉だけを潤す。食欲はなかった。
長い髪を三つ編みに結い直して鏡を見る。
まだ魔力のすべては完全に回復していない。そのせいで随分と血色が悪いが、昨日よりはマシだった。
軽く化粧をのせて、再度鏡を見つめる。
最後だ。少しでも明るくありたい。
紅を引いて鏡の自分に微笑んでみる。だが、残念なほど疲れて見えた。
「ここまで来たんだもの。行こう」
気合を入れるように声を出す。
肩に荷物を背負い、アデリシアは宿を出た。既に支払いは済ませてある。
裏手の扉を開けると、しんとした冷たい夜の空気が漂っていた。
まだ、日も上っていないため、周囲は人影もなくとても静かだった。
辺りはまだ薄暗く、足元さえはっきりとしない。
杖の先に光を集めて、灯火がわりにすると、ようやく足元が見えた。
柔らかいその光を頼りに、石畳の道を歩く。
日が上がれば、閉ざされた街の門は直ぐに開く。
そこから国境へ向えば、昼時前には到着出来るはずだ。
アデリシアはマントを深く被って息を吐いてから足を急がせた。




