賢者の贈り物
ライアンが皆の待つ居間に戻ると、マイカが立ち上がった。入れ替わりにアデリシアの部屋へ行くという。
「これから?」
アデリシアの白い足がライアンの脳裏によぎる。
想像してどうする、と内心自分を叱咤したのは内緒だ。
「そうだけど、私が行ってはいけない理由でもあるのかな?」
心配だから様子が見たいのだ、とマイカは告げる。
「いえ……特には。アデリシアはまだ寝ていますが」
「顔を見るだけだよ」
すぐ戻るから、とマイカは押し切った。
寝室で一人で寝ているのだ。一応と思い、ライアンは控えていたセシリアに目配せする。セシリアはひとつ頷いてみせた。
「では私がご案内します」
「ああ、頼む」
促されるまま、マイカは護衛を引き連れてセシリアに続けて居間を出て行った。
ライアンはその姿をじっと見送った。
「ねえ、団長、手どうしたの?」
ウォルターが尋ねてくる。
「手?」
「だって、なんか手、わきわきしてない?戻ってからずっと」
ウォルターに指摘されて気付く。
どうやら、アデリシアの肌に触れていた指を無意識に擦っていたらしい。
「いや……別に何でもない」
ライアンは無理矢理指を離した。
「そうかなぁ?でもそれって、なんかちょっとやらしい手付きだよねー」
「は?そう考えるお前の方がいやらしいだろう」
「そんな事ないよ。俺は普通だしー」
ウォルターは即座に否定する。その顔からにやにや笑いは消えていない。
ライアンはそれを見て、イラつきを覚えた。
「それに団長、なんか顔が赤い気がするんだけど大丈夫?」
「いや……気のせいじゃないのか?何ともないが」
「そうかなあ」
再び疑いをかけられる。顔色を伺うように覗きこまれて、言われたライアンは不安になる。
動揺が少しでも顔に出てしまっていただろうか?
「念の為に冷やしますか?」
シルヴァールが右手に氷の結晶の煌めきをみせる。
「やめろ。ウォルターの気のせいだって。第一おまえの氷じゃ冷やす程度じゃ済まないだろう」
ライアンは拒否した。
絶対零度で全身が凍りつくに決まっている。
「それは残念」
ふっと笑ってシルヴァールは氷を霧散させた。
ライアンは安堵して、ほうと息を吐いた。
実際のところ、ライアンは先程の情景を思い出していた。
今までにもアデリシアに触れたことがあったはずなのに、あの足に触れた時はやけに柔らかく感じた。
ライアンは自分の手のひらをじっと眺めた。
あの感触。
確かに手に吸いつくようなすべらかな白い柔らかい肌だった。
「団長、手え見て何思い出し笑いしてんの?」
やっぱ団長の方がやらしいじゃん、と言われて、ライアンはむっとした。
「ウォルターは余程俺に構って欲しいらしいな?」
背後から腕を巻きつけて、ウォルターの首を締める。
「いやちょっと待って?団長、苦しいよ?ちょっとねえ、カルロ、見てないで俺を助けてよ!」
「うん、ウォルターは時々は反省した方がいいからな。締めてもらえ」
笑ってカルロは見守るだけだ。
見守って欲しい訳じゃないよ、とウォルターは切れそうになる。
「時々はって何だよ!」
「発言には気をつけろって事だ」
よくお前が言われてる事だろうがとライアンに続けられ、ウォルターはシルヴァールの方を見る。
「シルヴァール副団長……」
たぶんおそらくは無理だろうと思いながらも、一応見つめて目で訴える。
「加減がちょっと。一緒に冷やしていいならやりますよ?」
一見笑って見えるが、副団長の目は笑ってない。
「うひゃあ……」
ウォルターはライアンの腕に必死に縋りついた。容赦なく凍らされそうだ。こちらの方がましだ。
「ウォルター、しがみつくな」
「だって」
「大体、二人とも反省すべきです。お願いしたはずの書類を放ったらかしにして、こちらに来てますからね」
シルヴァールが爆弾を落とした。
ばつが悪くなってウォルターとカルロは首を竦める。
二人が執務室から逃げ出したことを、先程すでに問い詰められて副団長に吐露した後だ。
「………ん?」
ついでにライアンがぎくりとした。
元々、文書決裁は団長の仕事である。
シルヴァールと一緒に終夜片づけていたものの、それを放り出してきているのはライアンだ。こうして領地に馬で乗り付けているのだから、二人が責められるのは本来お門違いだ。
「いや、たぶん残っている団員がやってるはず……だと思うが」
カルロが歯切れ悪く言う。
「それ、何の根拠もありませんよね?」
確かにその通りである。
自分だって逃げ出したくらいだ。皆、書類の山を見てそのまま扉を閉めて見なかったことにしそうだ。
「ちょっと待ってよ。なんで俺達を責めるのさ。大体、あの書類の山を溜めたのは俺達じゃないし!責めるのは間違ってるからね!団長が早く帰ってやればいいだけなんだしさ」
正論だが、少しは片づけておいてくれると助かるというのが心情である。
「う……その通りだが、俺は帰れなくなった」
眉間に皺を寄せてライアンは言う。
「なんで!?」
噛みつかんばかりのウォルターの勢いに、ライアンはどうどうと宥める。
「今、父である侯爵は領地の視察でしばらくここにいないんだ。マイカがいる以上、母一人で応対させるわけにはいかないだろう」
なんといっても他国の王族なのだ。
放置するわけにもいかない。
「じゃ、書類は」
どうなるのだ。
「少しでも誰かにやってもらうしか……」
ライアンは三人の団員を見つめた。皆、思い思いに目を逸らす。
ま、やりたくないよな。自分だってそうだ。
ライアンはため息をついた。
その時、きいん、と空気を割く音がした。
屋敷に張られていた魔法がぱきりぱきりと砕けて散ってゆく。守護の魔法が解けていくのを感じてライアンは辺りを見回した。
「なんだ?」
強く魔法の気配があるのは天井だ。
慌ててそちらを見ると、天井に赤い魔法円が瞬時に広がった。
「な……転移魔法か!」
慌ててウォルターから手を離して、その場を飛びのいて離れて見上げる。
屋敷全体に張られていたはずの魔法を破壊し、直接この場に魔法を繋げてくるとは一体誰だ。
ばさり。
ばさりばさり。
「あ……?」
目を疑った。天井から落ちてきたのは人ではなかった。紙の束だった。
どささささーと勢いよく、そのまま天井に貼り付いた魔法陣は続けて書類を吐き出していく。
「うわあああ!書類に呑まれるう!」
逃げ遅れたウォルターが足を取られる。シルヴァールとカルロは問題なく逃れているのをライアンは見た。特に問題ないと判断して、書類に目を戻す。
そのまま転移陣は書類を吐き出し続けて、程よい山積みになっていく。
ひとしきり書類を出し終えると、辺りはしんと静まり返った。
そこに異変に気が付いた家令と従僕が駆けつけた。扉を開いて部屋に入った瞬間、その書類の多さに身を引いていた。
「なんですか、これは……」
家令が拾って見ると、そこには騎士団団長の決裁を必要とする欄がある。家令は思い当たってライアンをじっとりと横目で見据えた。手早く背後にいた従僕へと指示を出す。従僕は心得たとばかりに頷いて部屋を出ていった。
そこに遅れたように、ひらりひらりと舞う一枚の紙があった。
シルヴァールは空中でそれを手に取って素早く目を走らす。大体のことが予想がつくがこれは想定外だった。
はあ、とため息をついてライアンへと差し出した。
「ライアン、貴方にです」
「俺に?」
受け取ったその紙には伝言が書かれていた。
『戻る暇がなさそうじゃから特別に送ってやるぞ。儂って親切♪』
賢者フレデリクの仕業だった。
あの爺。
誰が親切だ、誰が。
「くそ……」
わざわざ屋敷の守護まで壊してこれか。
ライアンは手にした紙をぐちゃぐちゃに丸めた。
「あ、足が……うわああ!」
足を引き抜こうとしてウォルターが崩れた書類に圧し掛かられる。それに手を貸してやりながら、カルロは書類の山から数枚を引き抜いた。
「これって……執務室の決裁文書?」
至極嫌そうな顔でカルロは内容を確かめる。間違いない。あの部屋にあったものだ。
「ああ、そのようだな」
ライアンは渋面で肩を落とす。
「ライアン様」
家令に呼びかけられて見ると、ペンとインク壺を差し出してきた。脇にいる従僕は空き箱を差し出す。その後ろには机と数個の椅子が運ばれ、書類の傍に設置されようとしていた。ランプまで持ってきているのが見えて、ライアンはげんなりした。
「動かすのは危険ですから、終わったものからこちらの箱へ入れてください」
今やれ、すぐにやれ、とその目が語っていた。
逃亡は許さないと。
「……わかったよ。やればいいんだろ?お前らも手伝え」
ぶうぶう文句を言う部下たちを一喝して、書類をわかりやすく分類するように指示を出す。
深い深いため息を漏らして、ライアンはペンを手にしたのだった。
「わ、儂の弟子になにするんじゃあ!」とは心の声。
見張ってます。
なので、爺ちゃん、頑張ります。




