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眠っていなかった淑女

 ああ、新鮮な空気だ。

 空気が入ってくる。美味しい空気。もっと欲しい。

 無意識に風に呼びかけて、もっと、もっとと肺へ取り込んでいく。

 

「う……はあ……っ……ん……っ」


 肩で大きく息をしながらアデリシアは呻いた。

 どうしようもなく息苦しかった。

 身体も怠くて、目が開けられない。

 高山で薄い空気の供給しか受けられなかった時のように、息が苦しく酷く頭が痛む。

 ただ、コルセットを緩められたお蔭で息が出来たということがわかった。それに加えて、先程からじんわりと温かな癒やしの力が身体へと伝わって来ている。

 この優しい魔力はセシリアだろうか。

 有難い。魔力は使い果たしているわけではないが、この頭痛にはどうやら効果があるようだ。

 半覚醒の状態で、セシリアは治癒魔法を使えるのだな、とぼんやりと考える。


「ん……これは……?」


 胸に僅かな重みが伝わってくる。セシリアの呟く声も同時だった。その後で咳払いをしているようだが、随分とわざとらしく聞こえる。


「ライアン様達、殿方は部屋の外に出て行ってください」 

「なんで、何かするなら手伝うよ?」


 ウォルターの声も聞こえてくる。

 ああ、皆、側にいるのだろうか。


「殿方、と私は言いました。淑女の着替えを手伝って頂く必要はありません!」


 苛々としたセシリアの鋭い声に、アデリシアは納得する。

 気替えが必要なのは恐らくは自分だ。ジョルジュとの戦いでドレスはボロボロ、今も動けずにいるのだから。

 確かに動けないが、自分の気替えはウォルターには手伝って欲しくない。そういえば、刻まれたドレスのせいでは幾らか素肌を晒してしまっていたのだと思い起こした。恥ずかしい。

 早く男共を追い出して、と喋りかけようと息を吸えば、咳き込んでしまう。まだ、呼吸が危うい。咳き込んでいる中、慌しく扉が閉められる音がした。出ていってくれたらしい。

 安堵して息を大きくつくと、コルセットが外れて、胸元が急に苦しくなくなった。続けてごろりと何か転がる音がする。しまったと思ったが遅かった。


「魔術師の杖……」


 セシリアが呆れた呟きと共にそれを拾い上げた気配がした。


 あ、バレた。

 せっかく苦しいのを我慢して隠していたのに。


 説明したいのに、酷い脱力感で目すら開けられない。

 どうしようか考えていると、ドレスが脱がされて身体が布で拭われていく朧な感触が伝わってくる。

 本当に手が掛かってすみません。


「……こんなものまで」


 セシリアのさらに呆れた声が届く。


 ん……腿に仕込んだ手提げ袋もバレたかな?

 

 一瞬触れた気がしたが、これは外されなかった。何故か何もされずに放置されたようだ。


 あれれ?こちらは取り上げられないのだろうか。

 呼吸には響かないから苦しくない。だから別に関係ないけれど、何故?


 遅れて、くすくすと笑う小さな声が耳に届く。


 ……何か面白いことがあっただろうか?

 

 戸惑っていると、上半身を持ち上げられた。頭から布らしきものが被されているので、どうやら着替えさせられているようである。再び寝かされて服が整えられていく。次いで髪にゆっくりと優しく櫛が入れられる。時折頭を撫でながら櫛が通され、とても気持ちいい。


「あまり無茶をなさらないでくださいね……?」


 セシリアの心配そうな声が降ってきた。

 はい、とアデリシアは答えたつもりだった。


 手間をかけてすみません。セシリアさん。


 そう伝えたかったのだが、返事はない。聞こえなかったというより、どうやら声になっていなかったようだ。

 気付かずにセシリアが部屋を出て行く気配がした。


 ああ、行ってしまった。

 これからどうしようか。


 先程よりは大分意識がはっきりしてきた気がするが、身体が他人のもののよう。重くてまだ動けない。

 どうしようかと逡巡していると、再び扉が開閉する音がした。

 セシリアが、戻ってきたのだろうか。 


「アデリシア……」


 耳を澄ませば、聞こえてきたのは微かな呟き。

 自分の名を呼ぶライアンの声だ。


 団長だ!

 団長、私は大丈夫です、動けないだけで!あと寝顔あんまり見ないで、化粧してないから!


 必死に念じるが通じるわけもなく。

 

 大きく暖かい手がそっと額に当てられた。そして、頬へと触れていく感触にアデリシアは内心うち震えた。

 団長に撫で撫でされるのは正直嬉しい。剣だこがあって少しガサついた大きな手。ああ、ライアンに触れられている。

 頬を撫でられて少し擽ったい。

 首元までその手がそのまま降りてきて、一体何処まで触っていくつもりなのかと一瞬不安を覚える。

 ふと、手が外れた。

 逞しい腕が、首の下に通される。ライアンがいつも使っているコロンの匂いが近くなる。

 抱き起こされたようだ。

 伝わってくる心音から胸に凭れるように起こされ、頭ごと抱き締められているようだと悟る。


「済まない……」


 低い声が耳元に囁かれる。その掠れた声の響きにぞくりとした。

 かちりという音がして、首から圧迫感が消える。


 ああ、首枷を外してくれたのだ。

 もう魔力を吸い出すことはなくても、邪魔だったのだ。下を向くと顎に当ったりしていたから、なくなるとやはり嬉しい。


 再びベッドへと寝かされた。ライアンの匂いと暖かさが遠ざかっていく。代わりに、そっと労るように頭に手が置かれた。半身を起こした事で乱れた髪を整えているのか、優しく髪を撫でられる感触が伝わってくる。何度も何度も。


 大事にされている。

 そう思えるような触られ方で泣き出しそうだ。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられるようで、切ない。

 切なくて苦しくて、でも気持ちいいからずっとこのままで、と思っていたら、不意に左手を両手で強く握られた。何処かへ押し当てられている。おまけに、僅かながらも、じわりと魔力が流れ込んでくる気配もする。


 どうしよう。

 本当に団長だろうか。

 治癒魔法なんて碌に使えない筈なのに。


 不安になって、アデリシアは頑張って薄目を開けた。

 

「アデリシア……ごめん……」


 アデリシアの手ごと握り込んで額へと押し当てるようにして、ライアンが呟いていた。

 見てはいけないものを見てしまったような気分で、アデリシアは慌てて目を閉じた。気付かれずに済んだようだ。

 とにかく団長で正解、見間違いではなかった。


「……でも何故……」


 ライアンから困ったような呟きが漏れる。


 それはジョルジュ団長と戦った事か。それとも出奔しようとした事か。それとも騎士団を黙って出て……と考え始めて、アデリシアはそこで止めた。

 上げればキリがなかった。今更ながら自分の仕出かした事の多さに辟易する。おそらくライアンは呆れているのだろう。


「お前が傷つくのはもう見たくないのに……」


 ライアンがため息混じりの言葉を漏らした。


 ずきり、とアデリシアの心が痛む。

 ライアンが自分を心配してくれている。

 確かに騎士団では自分が傷つく事のないように守ってくれていた。他の団員からも無体を強いられないようにと自分は守られていた。

 そう、ライアンからの拒絶の言葉からさえも、守られていた。

 嫌いだと言われた事は一度もない。

 だから少しは期待しなかった訳ではない。眉間に皺を寄せて嫌そうな素振りをしながらも笑顔を見せたりしてずっと側においてくれた。本当に嫌なら口も訊かない人だと知っているから、それに甘えて側に居続けた。

 しかし、想いを打ち明けても部下だから、と何度も言われるだけで進展はまるでなかった。それはもう見事な程に、絵に描いたような上司と部下でしかなくて、アデリシアは心底落胆したのだから。

 

「自分が浅ましいな……」


 ぽつりと呟いて、ライアンはアデリシアから手を離した。

 ゆっくりとシーツの上に手が置かれる。


 ライアンが抱く、浅ましい想いとは何だろうか。

 

 聞きたいのに聞けずもどかしい。

 内心ぐるぐると考え込んでいると、掛布が肩まで掛けられる。再び、頭を撫ぜられた。

 ライアンの匂いが、気配が遠のいていく。


 ああ、行ってしまう。


 少なからず残念に思っていたら、ライアンの気配が戻ってきた。

 今度はさすさすと、布越しに左腿を撫でられている。

 それに気づいてしまいますか。やはり。


 まさか。やだ。

 確かめたりしない……よね?


 そう思ったのだが、甘かったようだ。


「今、起きてくれるなよ……?」


 用心深く呟かれるライアンの独り言が耳に届く。恨めしい。

 足元から掛布が持ち上げられていく。空気が足に触れる。

 掛布と一緒に寝衣が捲られていく。


 ちょっと待って!!!


 アデリシアは慌てた。動けないままで慌てた。

 

 はっとライアンが息を呑む気配が伝わった後で、手提げ袋を固定したバンドが外されていくのを感じる。

 足に触れるライアンの手の暖かさにアデリシアは慌てた。

 ライアンは右手でアデリシアの腿と手提げ袋を押さえた状態で、左手でバンドを外そうとしていた。要するに足を掴まれている状態だったのだ。


「う、わ……っ……!」


 ライアンはようやくその事に気付いたらしく、声を上げて手を離した。

 だが、足が解放されても寝衣は捲られたままなのである。

 何故か小さな咳払いが聞こえる。一体何を誤魔化そうというのだ。ばっちり足を触られた後だ。


 わざとらしい咳払いはいいから。

 ねえ、なんで服を元に戻してくれないの?


 足を晒したまま、このままの放置は絶対に嫌だ。

 アデリシアは身体に力を込めた。いける。怠いのは変わらないが、少しは動ける。


「う……ん……」


 わざとらしく小さく声を上げて、身体に鞭打って寝返りを打った。半身をよじるようにする。

 掛布に足を突っ込むようにしたから、計算に間違いがなければ、これで少しは足が隠れたはずだ。

 ライアンからの反応は伝わって来ない。


 バレたかな、と戦々恐々としていると、足についたバンドを引っ張る力がある。ライアンはどうしてもこれが外したいらしい。頑固だ。諦めてくれていいのに。

 割りとぐいぐいと引っ張るので少し足をずらしてやった。そのお蔭で、するりとバンドも手提げ袋も足からは外れていく。

 満足したのか、掛布で肩までそろそろと覆われる。良かった。

 さらに急に静かになって、アデリシアは再び不安になった。


 次はどう来る?


 コロンの匂いはもう届かない距離なのは確かだ。じっとして待っていても、やはり静かなままだ。

 かち、と微かな音がした。

 出て行ったのだろうか。

 もうバレてもいいやという気分で、そっと薄目を開けると部屋には誰もいなかった。

 アデリシアは今のうちと思い、寝衣を手で直した。裾はまだ、掛布の中で乱れたままだったのだ。髪を手櫛で直し、状態を確認する。

 なんで首元の釦はこんなにも空いているのか気になった。これも手早く止める。今更ながら、ライアンに色々と見られたかと思うと顔が赤くなる。宿や騎乗した状態で、自分が逃げないよう抱き込まれていたこともあったはずなのだが、これはこれで何か恥ずかしい。

 遠く誰かとライアンが言い争う声が聞こえる。

 耳を澄ませば、くぐもった声がする。扉の外で誰か男の人と言い争っているようだ。


「おいこら、待て待て待て!」


 ライアンの割りと必死目な声が扉越しに聞こえ、遠ざかっていった。


 誰かに見つかって咎められでもしたのか。

 くすくすとアデリシアは笑った後で目を閉じた。

 

「あーあ……」


 大きく息を吐き出す。

 やはり自分は魅力的ではないのだろう。手を出しても貰えなかった。

 目を開けて傍らの机を横目に見る。

 杖、ベルト、首枷が並べて置かれている。

 少しは期待したが、ライアンは枷とベルトを外しただけだ。


「馬鹿……」


 それは自分に向けてか、ライアンに向けてのものだったか。

 アデリシアは落胆して枕に顔を押し付けた。




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