眠る淑女
セシリアに促されて寝室へ入ると、ライアンはすぐにベッドへと近寄った。
栗色の髪がベッドに広がっている。大きなベッドへ寝ているとアデリシアがやけに小さく見えた。いや、実際細い女性の身体なのだが、今は余計にか弱く見えた。
実際、か弱い淑女、なのだ。
今更だ、とライアンは首を横に振った。
ライアンが、アデリシアと聞いて一番最初に思い出すのは、小柄な少女が泣きながら自分に癒やしの魔法を使う姿だ。ライアンが浴びた刺客の返り血に怯えていたっけ。
あれからかなり大きくなったと思う。
街中を駆け回っていた少女は、何時しか綺麗なドレスを身に纏い、化粧をするようになっていた。
悔しくても辛くても泣かずにじっと涙を堪えるようになったのは何時からだろうか。戦場で、傷付いた仲間以上に痛みを堪えるような表情で、泣きそうになりながら必死に癒しの術を施していた姿は記憶に新しい。
そうだ、彼女自身が傷つくことは望んでいない。望むのは心からの笑顔だ。
それなのに、自分はその笑顔さえ奪ってしまったのか。
重い気分でアデリシアを見遣る。
顔や手にあった傷は、セシリアによって癒されて、土汚れも拭われ綺麗になっていた。セシリアに感謝するよりない。
ただ、いまだ意識が戻っていないところを見ると、受けた傷以上にかなり精神力を消耗したのだろう。
命に関わるような傷でなくて本当によかった。
安堵の息を吐き出しながら、傍らの椅子に腰掛けてアデリシアの額へと手を当てる。ひやりとした感触が伝わってくる。そのままそっと頬にも触れるがやはり冷たかった。
魔力の欠乏による体温の低下だろう。
ライアンはアデリシアの首元へと手を翳した。ライアンの魔力に鍵が反応して、かちりという音と共に枷が外れる。そっとアデリシアの頭を腕で抱き締めるように起こして、外した首輪を取り去った。
この首輪がなければこんな目にあわずに済んだかもしれない。自分の失態だ。
「済まない……」
元のようにそっと寝かせて、乱れた髪を撫でて整えてやり、取り外した首輪を傍らの机に置いた。
そっと首を見遣れば、赤く枷の跡が丸く残っていた。
ああ、この白く細い首に跡を残してしまうなんて。
ライアンはやりきれない思いでアデリシアの片手を取って両手で握り締めた。そのまま、祈るように握り込んで自らの額へと当てて意識を集中する。
傷が癒えるかどうかわからない。
僅かばかりの治癒の魔力だがないよりはと思い、アデリシアへと送り込んだ。
傷が完治したりすることは到底ないだろうが、自分の魔力が少しでも足しになればいい。
「アデリシア……ごめん……でも何故……」
魔力を送り込みながら、知らずライアンは呟いていた。
何故、騎士団を止めて国を出ようとした。
団結して皆で上手くやっていたじゃないか。
先の戦だって怪我人は出たものの、第三騎士団は一人も死者は出さなかった。そして功績を上げることが出来た。皆で協力して事に当たった結果だ。アデリシアの治癒、攻撃魔法のお蔭でもあるが皆の攻撃力と相まって、攻守共にいい状態で協力しあって団結出来ていた。最高の状態だと思っていたのに。
それなのに、何故?
考え始めればきりがない。疑問は湧いて出るばかりだ。
それに。
こんなに細い指、小さな手で先程までジョルジュと戦っていたのかと思うと痛ましくてしょうがない。
いや、ジョルジュの場合は自分に多分に責があるのだろう。奴は戦う相手を欲していた。それがわかっていたのに止められなかったのは自分の判断ミスだ。
カルロによれば、賢者フレデリクにジョルジュは呼び戻されたようだという。が、それならばどうしてもっと早くと思わないでもない。アデリシアと対決する前に何故呼び戻さないのか。そうすれば、彼女は傷つかずに済んだのに。
国一番の賢者といえど万能ではないということなのであろう。
なんともやりきれない。
「お前が傷つくのはもう見たくないのに……」
ライアンはついつい愚痴を零してしまう。
ならば、自分の手元から手放せばいいのだ。騎士団にいる限り傷つく確率は上がるのみだ。だが、騎士団を抜けて欲しくない気持ちも確かにあって、ライアンは困り果てるしかない。
思えば、アデリシアは小さな頃からしなくてもいい苦労をしている気がする。
従兄弟と一緒に刺客に狙われたり、そのせいで魔力を発現したり。その結果、偶然にも自分が救命したことが切っ掛けで、何の因果か騎士団に入る羽目に陥っている。
子爵の娘ならば、蝶よ花よと育てられ、左団扇で苦労を知らずに嫁ぐ者もいるだろう。アデリシアの姉達がそれだ。魔術師になることも、ましてや騎士団に入る事さえ憤慨していたというのに、アデリシアが戦にまで赴く事になるとは、父親である子爵とて到底思わなかっただろう。
自分が団長として騎士団に彼女を預かる以上、淑女として彼女が傷つかずに済むよう周囲にも自分にも紳士的に振舞うようにと徹底してきたつもりだ。
少なからず好意も寄せてもらっていたようで、彼女はライアンの側にいられるだけで満足しているとよく言っていた。だが、それが果たして彼女にとって本当に幸せなことなのかどうか今となってはよくわからない。むしろ、やはり不幸な気もしてくる。その結果が目の前に晒されている現状だ。
騎士団からもましてや国からも逃げ出そうとするぐらいなら、まだまだ不足な部分があったのだろう。
そう思うと自分が情けなかった。
逆にあれだけ尽くしたのにという思いも半分はあった。
だからこそ納得出来ずに追いかけた。元の状態に戻ることを願っていた。そして、彼女の意思を無視して能力を封じ、拒絶出来ないとわかっていて、この館に閉じ込めたのだ。
そんな自分を滑稽だとも愚かだとも思う。
「自分が浅ましいな……」
ぽつりと呟いて、ライアンはアデリシアから手を離した。そっと顔の側に下ろす。
本当に今のように手放すことが出来るだろうか。
自問自答したが、側にいることに馴れ過ぎてしまっていて、離れた状態が想像出来なかった。
未だ眠り続けるアデリシアを起こさないように、掛布を肩まで掛け直してやり、頭を撫ぜる。
掛布を整えていると、ふと足元に違和感たっぷりに盛り上がっている部分があるのを発見し、ライアンは首を傾げた。
そういえば、セシリアが足元がどうとか言っていたっけ。
左腿の中間、膝の少し上あたりか。掛布の上からそっと触れてみたが、よく分からなかった。ならば、と掛布へと手を掛けた。
「今、起きてくれるなよ……?」
独りごちながら、そろりそろりと足元から掛布と一緒に寝衣を捲っていく。
白く細い足が目に鮮やかに飛び込んで来た。
知らず息を止めながら、ライアンは布を捲っていく。
女性らしくまろやかな……違う。集中しろ。先程布越しに触れたのはこの白くてすべすべとした……違う。違うんだ。ただ違和感を確かめるためであって邪な思いではない。そうだ、気になるのは違和感なのであってこの柔らかそうな肌……違う、違うんだって。だから此処を見ているのは、決して下心からでも、邪な気持ちからではない……ないはずなのだ!
葛藤しながらも、爪先、甲、足首、脛、膝と目で追っていって、ようやく先程の違和感の理由がわかった。
何らかのバンドで左腿へ手提げ袋を固定してあったのだ。身に着けておけば奪われる心配はないだろうが、ここでは不要だ。下町ならいざ知らずこの屋敷ではここまで警戒する必要もない。
このままでは鬱血してしまうだろう。十分に休めないはずだ。
そう思い立ち、ライアンは掛布から手を外した。手を伸ばしてバンドを緩める。ふと手に柔らかな感触があることに気付いて、ギョッとした。アデリシアの足に、触れてしまった。ライアンは慌ててその場から飛び退いた。
「う、わ……っ……!」
ライアンは声を上げかけて、咄嗟に口元を押さえた。
ばくばくと心臓の音が煩い。
今、大声を上げたらアデリシアが起きてしまう。そうなったら言い訳の余地はまったくない。
眠る淑女を襲う卑劣な男、という最悪の図が目に浮かぶ。
貴族の子女は足を晒すことが恥とされている。肌や足を晒すのは家族間とて少なく、常に長いドレスの下に隠して人前に晒すことはまったくないと言ってよい。それを見たり触れたり出来るのは配偶者の特権とされているのだと、今はどうでもいい知識がぐるぐると脳裏をかけ巡る。
寝るのに邪魔になるだろうバンドと手提げ袋を外そうとしただけだ。そのはずなのに!
「う……ん……」
アデリシアが小さく声を上げて寝返りを打った。半身をよじるようにして動く。
ライアンはびくりとして硬直した。
やばい。起きたか?
しばらく動かないままで見守ってみたが、それ以上アデリシアが動く様子はない。
先程の寝返りの動きで掛布の中に足の大部分が隠れたようだった。それを見て、ライアンは残念に思うと同時にほっとする。否、ほっとした自分を戒めて、小さく咳払いする。まだだ。
起きるな、起きるな、起きるな。
何度も念じながら、掛布の隙間から外しかけたバンドと手提げ袋の端を腿から引っ張る。
何度目か強く引いたところでするりと外れてきて、ライアンは深々と息を吐き出した。
音を立てないようにそれらを静かに机に置いて、乱れた掛布を恐る恐る直していく。
良かった。起きなかった。
胸を撫で下ろしながら、ライアンは抜き足指し足で、扉へと向かった。
アデリシアが起きないように静かにノブを回して、身体を滑り込ませるようにして部屋の外に出る。
静かに扉を閉め終える。その達成感にライアンは安堵した。扉に背中を預けて深く息を吐きだした。
「………ライアン様?」
控えめにかけられた声があった。
ぎくりとしたライアンはゆっくりと顔を上げて声を掛けられた方向を見た。
批難するような冷たい目をした家令と視線がぶつかる。
見られた、と思った瞬間、汗が滝のように流れるのを感じた。
「そこはアデリシア様の部屋で……」
皆まで言わずに家令はくるりと踵を返した。
報告せねば、と足早に歩き出す。
「おいこら、待て待て待て!」
ライアンは必死で走って追い掛けて家令の肩を掴んだ。
「止めないでください」
「いや止めるだろ、普通!お前、どこにどう報告するつもりだよ!」
ライアンは焦った。
家令が向かっていた先には両親の居室がある。どう考えても悪い方向だ。
「勿論奥様に。ライアン様がアデリシア様の部屋から一人こそこそと辺りを警戒するかのように出てきたと。普通、付き添いもなしに未婚の子女の部屋に入る時は扉を少し開けておくものですが、それをしていなかった。これはもう間違いなく手を出したに違いないと」
「違うだろ!」
「いえ、状況証拠ですが、ライアン様の顔が赤いですし何より動揺が見られる。これはもうヤったなと」
「ヤってないから!」
噛みつかんばかりにライアンは叫ぶ。
ち、と家令は小さく舌打ちをした。
今舌打ちしたかこの家令は。
「おい、滅多なこと言うなよ。アデリシアのためにならないからな」
そう言うと、なんと不甲斐ない、奥様の言う通りか、と小さな呟きが聞こえてきた。空耳という事にしておきたいが、はっきり聞き取れてしまった。
「おい」
咎めるような響きでライアンは声をかける。
「剣の稽古以外に、こちらの方も貴方に稽古が必要だとは思いませんでしたが」
随分な言い草だ。
「必要ないからな。あと余計なこと言うなよ?」
「埒もないですな。動揺しやすいのはまだ変わりませんか?気の乱れは剣の乱れに通じます。明らかな動揺は隙を付かれるとお教えしたはずですが?」
ぐ、とライアンは喉を詰まらせる。
いつも剣の手合わせで言われている事だった。
「それとこれとは関係ないだろう」
「さてどうでしょうね。ならば私を既に負かしているはずでは」
「く……っ」
「では失礼」
言いどもったライアンを一瞥して、家令は廊下の向こうへと消えて行った。
口止めに失敗した、とライアンが気付いたのは家令が去ってからだった。
ライアンのターンです。
エロ目線でばっちり見てますぅ。




