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獅子は我が子を千尋の谷へと突き落とす

 屋敷内に入ると、ライアンは母親からくいくいと扇子で側に近寄るよう指示された。話がある、と言う事らしい。あまり気が進まないがここは従っておくこととする。


「ちょっとライアンどういうことなの?」

「どういうこと、とは?」

 汗を拭ったタオルを侍従へと渡しながら、ライアンは聞き返した。


「それよりもあれは誰です?」

 見慣れぬ人物を示して尋ねる。

「マイカデリック様よ。隣国からアデリシアを迎えにいらしたんですって」

 至極嫌そうに侯爵夫人はライアンに報告する。


「ああ、あれがそうですか」

 友人の手紙に書かれてあったマイカ、だ。

 アデリシアの従兄弟かつ逃亡に手を貸そうとした人物。

 かつて自分が命を救った相手でもある。随分と育ってしまってあの頃の面影はあまりないようで、すぐにはわからなかったが。


 視界の向こうではマイカがアデリシアを熱く抱擁して、頬へと口付けていた。ライアンは微かに目を瞠る。アデリシアが男相手にあのような親しい振る舞いを許す姿を見たことがなかった。従兄弟だからなのか。距離間が近い。

 甘い仕草に照れながらも、目を伏せて微笑みを浮かべるアデリシアの姿が目に入る。


 そこはいつも騎士団の馬鹿共を相手にしているように拒絶するところだろう。何故そんなに嬉しそうにしているんだ?


「なんでもマイカデリック様はアデリシアの従兄弟で隣国の王族なのですってね」

「ええ、小さな頃からそれで命を狙われていたようです。たまたま俺が助けたのもそれで」


 アデリシアを目で追いながらライアンは説明する。

 常は『私』と言うところが、『俺』と言ってしまっていることにライアンは気づいていない。


「そうなのよね。道理で前子爵が御礼にいらした時、随分と丁寧だったはずだわ」

 当時ライアンが助けた際は、二人共子爵の孫としか聞いていなかったのだ。あまり物事を大きくしたくなかったのかもしれない。ただ御礼の品が手厚いものであったのを思い出して納得したと侯爵夫人は感想を述べる。


「でもお迎えが来たんじゃしょうがないわ。とっても残念ね。私、アデリシアとなら仲良くしていけると思ったのに」

 ふう、と侯爵夫人は大きな溜息をつく。

「母上?」

「いいの。貴方には私が決めた婚約者がいるんだし。アデリシアは諦めることにするわ」

「なんのことです?」

 話が見えない。

「だってアデリシアは騎士団を辞めてファランドールへ行ってしまうのでしょう。なんでもお父様から騎士団へと既に辞職願が出されたと聞いたわ」

「それは……そうなのですが」

 本人にも伝えていないが、実はライアンの一存でそれは手元に留め置いてあるのだ。彼女の置き手紙も辞職願も。


「アデリシアを貴方のお相手にと思ったのだけど、王族相手じゃ手が出せないものね?しょうがないから諦めることにするわ。だから、ライアンには早く私が纏めた縁談の方に本腰を入れて欲しいの」

「いや、しかし母上」

 それを聞いてライアンは焦る。

 そんな暇はない。

 今はアデリシアの処遇を決する大事な時であって、自分の瑣末事には関わっている暇はないというのに。


「その件は断ってくださいとあれほど言いましたよね」

「何言ってるの。国王様の許可を得てしまったから無理よ」

「そ……それはでも」

「なによ。自分の婚約者よりアデリシアの方が大事なの?」

 レスティアは息子に詰め寄る。

「一応ですね、見ず知らずの人よりは自分の直属の部下の方が重要です」

「貴方の一生を左右するというのに、騎士団の部下のことを優先するの?辞職願を出してるのならもう無関係じゃないの。そんなに大事なの?」

「ええまあ、大事な部下です。だから放っておけない」

 例え辞職願を提出されているとはいえ、自分の中ではまだ受理していない。紛う事なく部下だ。

 仏頂面でライアンは答えた。

「そう……」

 レスティアは口元へと扇子を当てた。ライアンの視線を追って含み笑う。笑みが零れないように扇子でしっかりと覆い隠す。


 自分よりも優先、ねえ。やはり?なんで放っておけないのかしら。


 過去、一度女性にこっぴどく振られたことがあるライアンは、恋愛事へはそれからあまり目を向けなくなってしまった。その分剣の道にのめり込んだ。団長位へ上がる程に剣技を鍛えることに没頭したのだ。昔から気になることにはまっしぐらだった。

 気になっていないのなら、強制的にそちらへ気になるように目を向けさせてやればそちらへ集中するはず。たとえ苦手な分野でも逃げ出さない頑固さがあるのだから。それを遺憾なく発揮させてやればいいだけだ。



 レスティアは扇子をゆっくりと揺らめかせる。

「それよりもライアン、貴方、アデリシアと賢者様に後でちゃんと謝るのよ?」

「…………?」

 不思議そうにライアンは首を傾げる。

 その肩をレスティアは素早く閉じた扇子でびしと叩いた。

「あの首輪のことよ!わかってるでしょ。魔力を封じるって魔術師じゃなくなるって事でしょ」

「ああ、その事ですか」

「ああ、じゃありません。魔法の使えない無力な女性を騎士の力で拐かすのは容易いですものね。お前はそれをしたのでしょ」

「別に拐かした訳ではありません。保護です」

 ライアンは侯爵夫人の言葉を否定した。

 聞き捨てならない。

 単に騎士団の団員を保護しただけだ。

「本当にそうかしらね。口ではなんとでも言えるわ。事情があって家に帰れないからここで世話をよろしくって貴方はアデリシアを置いてったでしょ?全然違ったじゃないの」

 未来の嫁候補だと思ったのに、とレスティアは歯噛みする。


「貴方がいない間にとてもアデリシアは怒っていたのよ」

 それこそ逃げ出そうとするぐらいに、と侯爵夫人は付け足す。

「だからこそあれは必要な措置でした。でなければ、あれは魔法を使ってもっと早くに昨夜のようにいなくなっています」

「それはそうかもしれないけど」

「勝手に逃げ出さないように言った筈なんですが、それを守らなかったようですね。悪い娘だ」

 ライアンは捲りあげた袖を伸ばしながら溜息を吐いた。

 団長である自分の言いつけを破るとは、懲罰ものだ。

 ちらりと横目で見れば、アデリシアはマイカに加えジョルジュとにこやかに談笑している。今度はジョルジュか。

 先程も自分にではなく、ジョルジュにタオルや飲み物を渡したりして、アデリシアがどういうつもりなのかわからない。


「どうして?お父様からとはいえ、アデリシアは騎士団へ辞職願を提出しているのだから、貴方に従う謂れはもうないのではないの?だからこそマイカデリック様も迎えに来たのじゃないの?」

 ぐ、とライアンは詰まった。

 鋭い。確かに母の言う通りだ。正論だ。

 手元にその辞職願を留め置いているのは自分だけが抱える事実だ。しかし、対外的にはアデリシアはまだ休暇中にしてある。説得すれば元の正しい形に戻れるはずなのだ。


「でもね、賢者様が他国に弟子を奪われる訳にはいかないって仰ったんですって。それであの騎士の方達を送り込んで来たのですって」

「……フレデリク殿があいつらを?」

「ええ、転移魔法で来たのだそうよ。それに賢者様はアデリシアを連れ戻せるのなら、彼女を好きにしていいと言ったそうよ。ライアンにはもう任せられないからって。だから皆アデリシアとお話しているのかしら?」

 レスティアに示されて再び見遣れば、会話の輪にシルヴァール、ウォルターも加わってアデリシアと楽しく笑い合っている。

 ライアンはそれを見た途端に仏頂面になった。

 自分はまだ碌に話せていないというのに。にこやかに談笑とは。非常に困った事になったというのに。

 既に賢者には事態を知られているということだ。

 アデリシアを説得して、ただ団に戻すだけでは済まなくなったかもしれない。


「でも、私にはお前や騎士団の方達がアデリシアを引き留められるとは到底思えないの」

「母上」

 ライアンは侯爵夫人からの批難の眼差しに抗議しようとした。だがしかし。


「だって酷かったわ。着の身着のまま気を失った状態で、まるで何処かから攫うかのようにこの屋敷に馬で連れて来て」

 ぐさり。

 母親の言葉が的確にライアンの心を抉る。


「ドレスは買い与えたけど首輪なんかつけて魔力を封じて。しかもお前以外には絶対に外せないと言うし」

 ぐさりぐさり。


「あまつさえ、外との接触を禁じてこの屋敷に閉じ込めておいて自分はさっさといなくなるだなんてどんな扱いよ。逃げたくもなるわよ」

 ぐさりぐさりぐさり。


「ねえ、拉致監禁て言葉、貴方知ってる?」

 レスティアは首を傾げて、ライアンの顔を覗き込んだ。


「……う……」

「普通なら犯罪といっても差し支えないのよねぇ?」

「……っ……!」

「犯罪を取り締まるはずの騎士のすることなんて到底思えないわ。しかも、団長自らが、だなんて誰が思うかしら?力を奪って自邸に囲うなんてどんな横暴者?」

「………母上………」


 抉られた。母親の言葉が容赦なく刺さりまくった。

 言われてみれば確かにその通りで反論する余地はない。欠片もなかった。


「それにわざわざ他国の王族が護衛を連れてまで、国を越えてお迎えにいらしてるんですもの。勝負なんてするだけ無駄じゃないの?おまけに親戚だもの。身元引き受けには問題ないし」

 目に見えて項垂れたライアンを見て、レスティアはしてやったりと扇子を揺らめかせる。


「まあ、賢者様が仰った事もあるし、うちの領地に他国とはいえ王族の方にせっかく来ていただいたんですもの。一応、マイカデリック様にしばらくうちに逗留していただけるようにお引き留めしたの」

 ライアンは一縷の希望を見出して顔を上げた。

 箔がつくし、とレスティアはいたずらっぽく目を煌めかせる。


「数日ならば、ということで承諾いただけたわ。失礼のないようにおもてなしするつもりよ?貴方もそのつもりでいてね」

「……わかりました。ありがとうございます」

 ライアンは頷いて、頭を下げた。

 母の機転で数日間の猶予は与えられたということだ。

 むしろ数日しかない。

 

「ああ、でも本当に残念。きっとアデリシアとはもうすぐ会えなくなるのね……」

 悲しそうに目を伏せる侯爵夫人をライアンは黙して見つめたのだった。






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