追いかける者
「まだ見つからないのか!?」
ライアンは机に拳を叩きつけた。
目の前の部下達がびくつくが構っていられなかった。
――アデリシアがいなくなった。
そう聞かされたライアンは酷く動揺していた。
あり得ない。
自分へ好意すら見せていたあの娘が自分に黙っていなくなるはずがないのだ。
まして、国を裏切るなどとは。
戦勝後の残務処理をさておき、溜まりに溜まっていた彼女の休暇を許可したのは自分だ。
実家へもほとんど帰っていないと聞いていたし、宴の時でさえ顔色が悪く、とても憔悴して見えたのだ。だからこそ、周りの不満を無視して、無理をおして彼女の休暇を許可したのだ。
休暇二日目の事だった。
そんな中、残務でどうしてもアデリシアでなければわからない事が出て来てしまったため、同僚が恥を忍んで彼女の部屋を訪れたのだ。だが、部屋の灯りはついているものの、中に人の動くような気配はなく、魔法で拒絶されて入室ができないのだとライアンへと報告された。
そこで、発覚したのだ。
いわく、アデリシアが出奔したらしい、と――。
正式な届では一週間の休暇予定だ。
だが、その行き先を誰も聞いていなかった。その事自体、あり得なかった。
魔法騎士団に所属する以上、国の有事には必ず駆けつけるという規則があり、休暇中でも連絡出来るように行き先を告げて必ず休みを取る。在宅しない場合は、行き先を同僚が把握しているのが常だ。だが、アデリシアの居場所を誰も知らされていなかったのだ。
では、と実家へと連絡を取ったところ、いないとしか返事がない。
団長の権限で持って国の権力をチラつかせて、家令から無理矢理に聞き出せば、数日前に喧嘩別れのように家を飛び出して後は彼女から連絡が途絶え、それから実家からの問い合わせにも全く返事がない、ということだった。
魔法による追跡鳥を送っても迷って戻ってくる始末。
居場所を魔法で追跡しても魔法塔の彼女の部屋にいる、と探索結果は出るばかり。
妙に不安を覚え、気になった。
まさか。いやでも。
湧き上がる嫌な考えをねじ伏せる。
もしかしたら彼女が具合が悪く臥せっているだけなのかもしれないと思いたち、直後部屋を訪ねてみれば、部屋には灯りがついているようがやはり誰も動く気配はない。
扉に手を掛けると、手が弾かれた。
厳重な入室禁止と結界の魔法がかかっていることに気づいた。
「この……っ!」
ライアンは問答無用で魔法を消去して、鍵を壊して部屋へ踏み込んだ。
部屋に飛び込んだライアンの目に入ったのは、私物など、一切置かれていない綺麗に片付けられた部屋だった。
まるで、アデリシアという存在がいなくなったかのように。
ただ、卓上ランプの灯りだけがついており、そこに彼女の居場所を固定して知らせるよう魔法が掛かっているとわかる。
ゆらゆらと揺れる灯りに業を煮やして、ライアンはランプを叩き壊した。
間違いなく、アデリシアは逃亡したのだ。
何があったにしろ、連れ戻さなければならない。
ライアンはまず団員に規制を引いて、次第を外へ漏らさないように厳命した。少しでも漏らせば、自分は勿論の事だが、団員、引いては団の存続にも関わるからだ。
何しろ天位持ちなのだ。国の損害になる。
だが、一週間の間に彼女を連れ戻せば、ただの休暇であっただけで済む。休暇先をつい伝え忘れただけだ。軽い罰則で済む。
――自分が、そう済ませてみせる。
団員から、足の早い者、探索に優れた者を選び出し、それ以外は通常勤務を命ずる。
選出された者に追跡の指示を出して、馬を出して痕跡させた。
数刻後、魔力の跡と彼女の足跡を地図に表してみる。案の定、多岐に渡って魔力の痕跡が残されていた。罠も仕掛けられていたらしい。追跡を混乱させようという意図が読み取れた。本格的に逃げようとしているのだ。
これらはすべて一目で罠だと見抜いたが、手が込みすぎていて肝心な逃亡先が限定出来なかった。
「やるじゃないか」
俺を舐めんなよ、とライアンはにやりと笑う。
傍で見ていた副団長であるシルヴァールは、込められた殺気に寒気がしたと後で呟いていた。
アデリシアの友人を呼び出し、直接話が聞けるように部下のウォルターへ手配させた。
しばらくして、ウォルターは王女付きの侍女カティアを連れて戻って来た。よく彼女と話していたことを思い出す。確か、数回程面識があったはずだ。
だが、カティアはライアンの顔を見た途端、半眼で睨んできた。
「アディを振った人が、私に何の用なんですか?」
開口一番に刺された。
言葉の刃はやけに鋭かった。
「ライアン!貴方はそんな事をしたんですか!全部、貴方のせいじゃないですか……!」
何故かシルヴァールにも睨まれた。
酷い人だ、と続けて詰られる。
……団長が団員へ手を出す訳にはいかない。
規則にだって定めてある事項だ。
非難されることに納得がいかない。
「とりあえず今は、俺の事はどうでもいい。それより聞きたいことがある」
「は…っ、偉そうに人を呼び出しておいて、上から命令ですか?どういう人ですかね。私はあなたの部下じゃないんですよ?アディに酷い事をした人の言う事を、私が聞くと思います?」
カティアが吐き捨てる。
「カティア嬢……すみません、お怒りはごもっともなのですが、ここは抑えていただきたい」
シルヴァールが宥めに入る。それを制止してライアンは話しかけた。
「済まない。無礼は謝る。時間が惜しいんだ。アデリシアの行き先を知ってるなら、頼むから教えてくれ。このままでは永遠に何処かへいなくなってしまう」
「……どういう意味ですか?」
他言無用で、とライアンは事態を説明した。
今やアデリシアは他国へ出奔しようとしており、このままでは裏切り者の謗りは免れないこと、今連れ戻せばまだ間に合うこと等、かいつまんで説明した。
目に見えてカティアの顔色が青くなった。
「あの娘、そんなに思い詰めてたなんて……!結婚が嫌なのかとばかり思ってたけど……!」
「結婚!?」
ライアンとシルヴァール、ウォルターが揃って声を上げた。
「そうです。父親に無理矢理に決められた相手がいるって。けど絶対に政略結婚は嫌だって言ってました。いつも魔法騎士団をとっとと辞めてろって言われるけど、この間は辞めてすぐ結婚しろって言われたって。実家なんか絶縁してやるって言ってたんです。まさかこんな事になるなんて」
両親との喧嘩別れの原因はこれか。
ライアンは嘆息した。
「そっちは……後でなんとかする。とにかくアデリシアを連れ戻さなければなんとも出来ない。情報が少ないんだ。頼むからお前の知ってる事を教えてくれ」
「そうですね……」
カティアはぽつぽつと話し出した。
彼女の興味を持っていたモノや場所を聞き出す。
いくつか候補らしきものがあげられた。
ついでに団長のことも気にしていた、という言葉が聞かされた時には、ライアンは机に拳を叩きつけていた。
ならばなぜ裏切るような真似を、と思わざるを得ない。
「今更憤っても遅いてですよ。どう考えても、団長、あんたのせいでしょうが」
控えていた部下のウォルターにまで文句をつけられた。
「そうね。アディ、団長に振られて思い詰めてたから」
じと目でカティアに見られた。視線が冷たい。
酷く責められている気がした。
「アデリシアのこと、本当に後でなんとかするんでしょうね?彼女がいなくなったら、この団だって戦力激減ですよ。専属魔術師が一人もいなくなる。」
シルヴァールが眉を顰める。
「それは……そうだが」
「第一、この兵団に来ようなんていう物好きな天位持ちなんて、アデリシアさん以外いないですよ?」
ウォルターも続けて、非難してくる。
「……そうか?」
「ライアンは割と人遣い荒いし、他人の感情に疎いですからね。アデリシアの前の魔術師がすぐ逃げ出したの忘れたんですか?」
「…………」
シルヴァールの問いかけに、そういえば転出が早かったなとぼんやりと思い出す。
「え、あれ、確か気に入らないから団長が追い出したんですよね?」
「人聞き悪い事を言うな。追い出してはいない」
ただ、気に食わないから奴と話さなかっただけだ。
そう続ければ、おんなじ事じゃん、とウォルターに笑われた。
「相手にせず、結果的にいなくなった、と」
シルヴァールも更にトドメを刺してくる。
――ここには俺の味方はいないようだ。
何はともあれ、カティアのお蔭で、アデリシアが気にしていた場所、ウロイアスとファランドールとの両国に絞られた。
カティアを送り届けさせた後で、ウォルターへ郵便室に走らせる。絶対に何かしらの手掛かりはあるはずだ。
本人には伝えられてはいないが、騎士団も魔術師も手紙のやり取りは監視されている。特に天位持ちなら尚更だ。
シルヴァールは所用が、と部屋を出ていく。
「判りました!戦の前にファランドールにいる兄からアデリシア宛の手紙が届いています!」
ウォルターが駆け込んできた。
隣国にアデリシアの兄がいる事を初めて知った。
兄を頼ったのか。だが、貴重な手掛かりだ。
「よし!それだ!」
ライアンは椅子から立ち上がった。
「団長。これを」
馬舎へ向かおうとするライアンを、シルヴァールが呼びとめた。
「なんだ、この手紙?」
「アデリシアから。団長宛です」
「な……っ!何処にあった?」
シルヴァールから奪い取るように手紙を受け取る。
封書を裏返すと、確かに彼女の名前が書かれている。
アデリシアの部屋は綺麗に片付けられていたし、手紙などなかったはずと記憶している。
「彼女の性格から何も説明がないのはおかしいと踏みましてね、解呪に優れた魔術師を手配して、彼女と団長の部屋に解呪させてみたんです。そしたら、思った通りでした。団長の元へ時間差で届くようにされていたようです」
「でかした、シルヴァール」
もどかしく思いながら、ライアンは封を切った。開けた瞬間、アデリシアの文香の匂いが微かに漂った。
――自分勝手をお許しください。
そんな一文から始められていた。
第三魔法騎士団を辞すること、また国にはもう戻らないことが記載されていた。
目をかけてもらったのに、ライアンに黙って去って済まない、迷惑をかけて申し訳ないと謝罪していた。だが、それでも自分はもう戻れないのだと。だから恨まれてもいい、裏切り者と謗られるとしてもと本望だと綴られていた。
「当然、恨むさ」
このままいなくなれば、な。
ぐしゃり、とライアンは手紙を握り潰した。
だが、自分の元から黙って去るのは許さない。
「必ず連れ戻す」
決意を込めて呟き、とライアンとシルヴァールは目を合わせる。頷いて二人は馬舎へと急いだ。
*****
ファランドールの国境を目指して愛馬を走らせる。
時間的にギリギリだ。少々厳しいが、夜通し走らせれば間に合うかもしれない。
少し遅れながら、ウォルターが単騎で駆けて来るのが見て取れた。よく着いてきた方だと思う。
団長がアデリシアを説得出来なかった時の予備員です、と無理矢理に自主的に着いてきたのだ。彼もアデリシアとは仲が良かったから気になるのだろう。
勝手に着いて来るのは構わないが、待つことはしない。
速度はそのままに愛馬を走らせた。この速度で遅れずに着いて来られるのはシルヴァールだけだ。
「ライアン!」
シルヴァールが距離を詰めて声を投げかけてくる。
「なんだ」
「俺は前に貴族年鑑を見て覚えている事があるんだが」
「うん」
「系図を覚えている。確かアデリシアに兄はいなかったはずだ」
「ああ、そうだな。俺も今日初めて知った」
「本当の兄ならまだいい。だがもし……」
シルヴァールは言い淀んだ。
それが本当に兄妹でなかった場合が問題だ。
兄を騙る男がいるのか、それとも架空の人物なのか。後者ならば、ファランドール国が深く絡んでいることになる。
ファランドールの手引で国境越えを果たそうとしていることになった場合、一度越えられたら二度と手が出せなくなる。一師団の団長ごとき国相手に勝てるはずもない。
最悪だ。
「うちの団から裏切り者なんて出さない。絶対に、だ。シルヴァール……急ぐぞ!」
ライアンは声を低くして呟き、速度を上げた。
*****
先に伝令を飛ばしたお陰か、要所要所で新しい駿馬が準備されていた。
愛馬を労ってから馬係へ委ね、直ぐに新しい馬へと乗り換える。
シルヴァールが頷いて準備終了の合図を寄こしてくる。再びライアンは馬を走らせた。
こうすれば夜通し走れ、アデリシアに追いつけるだろう。
魔法で転移することも考えたが、魔力の行使から他へ今回の件が漏れることを考えて止めた。
天位持ちは、ずば抜けた魔力を持つ。アデリシアもそうだ。
おそらく魔法による罠も仕掛けてあるだろう。それを魔法でやり込めて追うなら、魔法術師を別に雇い、依頼するしかなくなる。その分やはり情報漏えいが気になる。
自分で魔力を行使すれば良いのだが、元々騎士よりの自分は魔術師ほどの魔力を保持してはいない。それに補助系の魔法の扱いがあまり得意ではないのだ。得意なのは大範囲の攻撃魔法だ。シルヴァールも同じ。遅れながら着いてきたウォルターは魔力はあっても制御が甘い。ましてや3人を移動する魔力の行使は出来ないだろう。
馬での移動の方が、漏えいも防げるし、着実に追いつけるのだ。