訪問と対決
部屋に運ばせた朝食を食べ終えて階下に降りると、宿屋の出入口は封鎖されていた。
馬車が行く手を阻むかのように横付けされており、出られない状態なのである。
馬車を控えさせて畏まって待ち受けていた人物の姿が横から現れた。なかなか体格のいいと人物と見受けられる。
件の侯爵家の家令であった。
彼は片手を胸に恭順の意を示す。
「侯爵夫人が、貴方様を是非屋敷にお招きしたい、と申しております」
「侯爵夫人とは面識がないはずだけど」
鷹揚にマイカが応える。
「アデリシア様は当家にご滞在中ですので。当家にお招きするのが筋でありましょう」
当然という雰囲気で家令は応える。あくまで滞在中、と強調して。
そのご滞在中の者は夜の内に屋敷を抜け出して、今ここにいるのだが。
家令とアデリシアの視線が一瞬交差する。鋭く責めるような視線だった。
わかってはいるが、居た堪れない。
アデリシアは視線を逸らして、自分の足元を見つめた。ドレスは昨日着替えた時のものだが、靴は部屋履きのままだ。
「この領地で失礼があってはなりませんから。是非お越しくださいませ。マイカデリック様」
名前を呼ばれて、マイカは片眉を微かに上げた。
正式な名前を呼ぶということは正式な身分をも知っている、ということだ。
家令がゆっくりと慇懃に頭を下げる。
調べはついているということか。
「お連れ様もご一緒にどうぞお越しくださいませ」
馬車には余裕がございます、と扉を開く。
護衛達が戸惑いを見せる。
「マイカ様」
どうします、と護衛の視線が訴えてくる。
当初の計画とは少々異なってしまう。この家令とここで一戦交えるのもいいが、馬車の向こうにはちらほら野次馬も見える。
アデリシアの目にも戸惑いの色が隠せない。
「うん、そうだね……」
半分は同じ国の血が流れているとはいえ、身分は他国のもの。揉め事は出来うる限り避けたかった。一応過去に命を救ってくれた相手の領地だ。恩義もある事だし。
「断るのも失礼かな。気に入らなかったら、すぐに帰ればいいだけだしね」
家令をじっと見据えてマイカは言を紡ぐ。家令は目を伏せて感謝の意をこめて頭を垂れた。
「じゃ、呼ばれることにしよう」
マイカは頷いて、アデリシアへと手を差し伸べた。
*****
馬車を降りると、屋敷の扉は開けられた状態で侯爵夫人が待ち構えていた。従者もずらりと立ち並んでいる。
「はじめまして。侯爵夫人。マイカデリックです。本日はお招きいただきありがとうございます」
マイカはレスティアの手を取り挨拶をする。
「まあまあまあ、ご丁寧にありがとうございます。ファランドールの未来の公爵様でしたわね?はじめまして。この領地を治めるザガート侯爵の妻、レスティアですわ」
まさに貴婦人といった体でレスティアは優雅に微笑む。
「生憎と主人は仕事で留守ですの。でも、失礼の無いようおもてなし致しますわ。どうぞ中へお入りになって」
家令を先導に、客間へと進む。
同じく続こうとして、アデリシアは立ち止まった。セシリアが進み出たのだ。
「アデリシア様は先にお着替えを」
セシリアとしては、アデリシアの室内履きもドレスも気になるらしい。
マイカに視線をやると頷いて寄こす。
従っておけということらしい。
「……わかりました」
アデリシアはセシリアに続いて階段を昇ったのだった。
***
客間へと案内されると、すぐにお茶の用意がなされた。
マイカは客間を見渡した。微かに眉を顰める。
この客間、屋敷には防御魔法の気配がする。
己を傷つけるものではないと手は出さないで放っておくが、念のためとイルトへ視線を送る。
イルトもすぐ気付いたようだった。後ろに控えながらも杖を握り締めたのがわかった。
「かつて、私はご子息にアデリシア共々命を救っていただいたことがあるのですよ。その時は子爵だった祖父がお礼に来たはずですが……今でも感謝しております。彼がいなかったら、今私はここにいなかったでしょう」
マイカは先に礼を述べた。
「ご無事で何よりでしたわ。でも、ライアンは騎士団の仕事を全うしたたけですから」
「ご謙遜を。あの時の彼はまだ新米騎士だったと聞いています。勇敢にも刺客に独りで立ち向かい撃退してくれた。とても素晴らしい剣技でした」
あの姿を見て剣をもっと練習しなければと思ったのです、とマイカは微笑んでみせた。
「面倒事に巻き込まれた子供達をわざわざ救ってくれたんですよ。見捨てなかったのはご両親の教育の賜物でしょう。私は運良くそれに預かることが出来たんです。ありがとうございます。今日こちらに来ることになったのも何かのご縁なのでしょうね」
外ゆきの顔でマイカは礼をのべる。
「まあ、そう言っていただけるとは嬉しいばかりですわ」
返礼を返しつつもレスティアは落ち着かない様子だ。扇子を動かし続けている。
「侯爵夫人、何か気になることでも?何でも仰ってください」
マイカは話しやすいように水を向けた。
「ええ、そうね……そうなんですけど」
「侯爵夫人?」
「ではお尋ねしますわ。今回は何故こちらの領地へおいでになられたのですの?」
マイカはそっと深呼吸した。
対決開始、だ。
「ああ、実はアデリシアは長年悩んでいる事がありまして。最近特にそれがままならないらしく、可哀想で仕方がなくて……それで今回私は心配で様子を見に来たというわけなのです」
「ええ、大切な家族ですもの。気になりますわよね……?」
アデリシアを迎えに来たことをわかっているだろうに、レスティアは紅茶を飲んだりしてはぐらかす。
「聞けば国境でライアン殿に保護されて、こちらに世話になっているというし。長くご迷惑をかけ続けるわけにもいかないでしょう。ちょうど近くにいましたしね、肉親である私が面倒を見るために迎えに来たのですよ。国に戻る前に、こちらに挨拶に立ち寄りましたがね」
アデリシアは既に自分の保護下においたと暗に示す。
忙しなく動いていた扇子の動きが止まった。
「あの、マイカデリック様。失礼を承知で単刀直入に申し上げたいのですけど」
「はい、なんでしょう?」
「うちの嫁を返して頂きたいんですの」
なんと直球勝負だ。変化球が来ると思ったが。
「嫁、とは誰の事でしょうか」
やんわりとマイカは聞き返す。
「アデリシアの事ですわ」
「アデリシアがこちらの花嫁、なのですか?それはまったく知りませんでしたが」
空とぼけてマイカは聞き返す。
「あら、ご存知ありませんでした?アデリシアは先日から既にこちらで花嫁修業も始めておりますのよ」
ほう、とマイカは呟く。
ライアンの母上は懐柔出来てるようだぞ、アデリシア。
「でもおかしいですね。ライアン殿には別の婚約者がいると聞いていますよ。なんでも……国王の結婚許可も降りている相手がいるとか」
二重で進める話とはいただけない。
「ええ、ですから、その婚約者がアデリシアですわ。父君である子爵からも花嫁修業を早くと言われまして、当家でお預かりしてますの」
マイカは眉を顰めた。
アデリシアから聞いていた話とまったく違う。
「私は別の人物と聞いていましたが?」
「ええ、先日までは」
レスティアはにっこりと笑って答えた。
「はい?」
先日、と言ったか。この人は。
「ライアンにもまだ話せていないのですけど、私、色々とお手紙を書きましたの。勿論国王様にも」
なんと手紙だけで状況を変えたというのか。
ライアンにも知らせていない状況?
おいおいおい。アデリシア、お前の知らないところで話がまったく違ってきているぞ。
「まあ、他にも色々とありましたけど」
「他にも……色々……?」
気になる言葉が山積している。
「ええ。でも子爵は快くお受け下さいましたわよ?」
最終的にはですけど、と艶然と微笑んで、レスティアは扇子を揺らめかせる。
子爵より侯爵の方が位が上だ。
さらに国王から圧力をかけられれば、子爵である伯父は従わざるを得なかっただろう。
決まっていた相手をすり替えさせたということか。
この女性の手紙にはどんな威力があるというのか。
いや、おそらく手紙だけではないだろう。状況が簡単に覆るものか。
どういう手を使ったのだろうか。非常に気になる。
「お疑いになられるかもしれませんが、婚約式も別に執り行いましたの。本人達不在でしたけど」
書類上もすべて整っていて問題はないのだと、レスティアは告げる。
外堀は既に埋められているということだ。
知らぬは当人達だけか。
マイカはソファに凭れこんだ。
自分が手を出さずとも、アデリシアが望む未来はそこにあるではないか。
「婚約式に当人達がいなかったというのもあれですし、今度、王都で開かれる夜会で正式に発表する予定でしたの。アデリシアのドレスも出来上がってますわ。先日仮縫いもして……確か昨日届けられていたはずですわ」
なんとも話が早いことだ。
「ですから当家としてはアデリシアは既に嫁という扱いですの。アデリシアにお義母様と呼んでも良いわよ、と言ったのですけど、照れてるのかまだ呼んでくれなくて」
そりゃそうだろう。本人はそうとは知らないのだから。
「ですから、マイカデリック様。アデリシアをファランドールへは連れて行かないで頂きたいんですの」
「それは…どうでしょう。アデリシアの意志もありますから」
即答は出来ないし、しないでおく。
「では一つだけお願いがありますの。隣国から遠路はるばるお越しなのですもの。親戚にすぐに会いたいという気持ちはわかりますわ。久々ですものね。ですけど、夜にお出かけというのは淑女の、アデリシアのお肌のためにも良くありませんわ。それだけはわかってくださいまして?」
女性にとって美を保つのは必要なことなのです、とレスティアは力説する。
つまるところは、隣国に連れ帰る事を止めないなら、少なくとも夜に黙って連れ出すな、ということだ。
なんとも狡猾な女性だ。
国王、婚約式という2つの手札を切った上で、自分に少しでも牽制してくるとは。
「ええ、まあ、女性にとって美は大切ですよね……」
マイカは曖昧に微笑んだ。
「お分かりくださると思いましたわ!」
レスティアは喜んだ様子で扇子をあおぐ。
一本取られた気がする。
だが、このままでは引き下がれない。
「しかし、アデリシアがそのような立場なら尚の事、あの首輪は解せませんね。彼女は魔法を封じられていました。そんな状態で花嫁修業など出来うるのですか?その必要があるとは思えませんが」
「あの……私もあれには反対したのですわ」
レスティアの旗色は一気に悪くなったようだ。
動揺しているせいか、ばだばたと扇子が動き回る。
「こちらでも外そうとしたのですけど、何でも嵌めた本人でないと外れない仕組みらしくて」
「ええ、そうですね」
マイカは頷く。
魔術師の罪人用の首輪だ。嵌められた本人は勿論自分で外せないし、嵌めた本人に術の起動と枷の解除が出来る仕組みになっている。無理やりに壊す以外は。
「家の者にも絶対に外さないように、とライアンは命じていったのですわ」
アデリシアに魔力が戻れば、邸に留め置くことは難しくなるから手を出すなとでも厳命していったのであろう。
アデリシアのことだ。魔法で逃げ出そうとすることは容易に想像がつく。首枷があった状態でも、実際に昨夜そう行動したのだし。
「自分だけにしか外せない、だなんて……ふふっ。ライアンの独占欲が強すぎるのも困ったものですわ」
レスティアは扇子で口元を覆い、笑みを隠した。
罪人の首輪を嵌めておいて独占欲だと?
おいおい、まったく違うだろう、と激しく突っ込みたい。
斜め上を行く解釈で言い換えてくる。
「まあ、見た目も誤解を受けかねませんし、次にライアンが帰ってきたら外させるつもりでした。絶対に外させますわ。私がお約束します」
レスティアが言い切る。
本当にそうする気なのだろう。
「ああ……それでしたら、すみません。あれは女性に、ましてや花嫁に贈るものとは到底思えなかったもので、見兼ねて私が先に壊させてしまいました」
へらりと笑って言う。
「壊し、た……?」
「はい。壊しました。女性に対して首輪を嵌めるなんてあまり納得がいかず……どうもライアン殿の趣味趣向が疑わしい、と少々思うところがありましてね。我慢ならず壊しました」
「ま、まあ、そうですわよねえ?」
レスティアは扇子をばたばたと動かす。
動揺が著しい。
「そうね、あれはアデリシアに似合ってませんでしたもの。そう……良かったわ。アデリシアにはもっと可愛い宝飾品が似合いますもの。首飾りだって別のものの用意も済んでますのよ」
ドレスに合うようにそれぞれ用意があるのだ、とレスティアは説明する。
そういうことを言っているのではないが、あえて逸らそうという気か。
「魔術師にとって魔力を奪われるというのはとても屈辱的なことですが……いやはや、妙齢の女性を家に閉じ込めて花嫁修業なんていうのも、バレたら醜聞でしかありませんよねえ」
「まあ、その……婚約をしていなければ誤解を受けることもあるかもしれませんわね」
歯切れ悪くも、だがレスティアは答えをかわす。
のらりくらりと、まったく食えない人物だ。
「侯爵夫人、この際ですから、ぶっちゃけましょう。こちらも単刀直入に聞かせていただく」
マイカは身を乗り出した。
「ライアン殿にアデリシアとの結婚承諾の意思はあるのですか?」
「……と、申しますと?」
レスティアは訝しんだ。
「彼に結婚の意思がないなら、私はこれ以上の発展はない、と思っています。だからこそ私はファランドールからアデリシアを迎えに来ました」
いかにアデリシアの意思が強かろうと、侯爵夫人が策略を巡らそうとも、ライアン本人が拒否するなら話は別だ。
「本来なら、真っ直ぐファランドールへ魔法で飛んで来させようとしたのです。アデリシアにはそれだけの保有魔力がありますから」
しかし、アデリシアの師匠辺りが勘付くだろうから、それは止めさせたのだ。
「まあ、とにかく私の元へ来る途中で、ライアン殿に保護されて今ここにいるではないですか。何故か首枷によって魔法を封じられた状態で」
独占欲とは違う印象しか受けない。
花嫁修業は後付け設定でしかないだろう。
「だから、私は決めたんです。ファランドールに迎えよう、と。ライアン殿に結婚の意思がないなら、私の力で婚約式とて無効にしてみせます。アデリシアが到底幸せになるとは思えないですからね」
あくまでアデリシアが幸せになることがマイカの目的だ。
好いた相手でも愛のない結婚をする羽目に陥るのなら破綻は見えている。それなら全力で潰す。
「アデリシアが望むなら、私には彼女をファランドールに正式に迎え入れる準備がありますから」
レスティアは蒼白になった。
他国の王族が出てくるとなれば、いかな我が侯爵家とて力は及ばない。相手にもならない。話が違ってくる。相手をすり替えなどという裏技はもう使えない。本人不在の婚約式など、あっさりとなかった事にされるだろう。
だから、手を出しておけば話が早いと言ったのに。
ライアンの馬鹿!馬鹿息子!
だが、いない息子の愚痴を言っても仕方がない。せっかく手を尽くして嫁候補を確保したのにみすみす逃す羽目になるのか。
せっかく頑張ったのに。
孫の顔が遠のいていく。
レスティアは珍しく涙が出そうだった。
「……とまあ、これは内緒にしておいてください。最終手段ですので。アデリシアが好きなのはライアン殿だと、私も何年も聞かされてますからねえ。今の私は、彼女の幸せを願うだけのしがない従兄弟ですよ」
戯けた様子でマイカは紅茶を飲んだ。
お菓子をつまめば美味しい。もぐもぐと味わっていると、侯爵夫人は言葉の行間を読んで、考えをまとめたようだ。
「あの……では、ライアンが望めば祝福してくださいますの……?アデリシアを連れて行ったりしません?」
「それは勿論」
マイカは即答した。
目に見えて侯爵夫人は脱力して、椅子にもたれ掛かった。安堵したのだろう。
まあ、結局のところ、アデリシアの最強の味方は目の前にいるわけで、彼女の希望を叶える形で動いてくれてもいたのだ。
僥倖なのである。
アデリシアも聞けば狂喜乱舞するに間違いない。糠喜びにならないようにしなければならないが、目下気になるのはライアンの感情だけなのだ。
「私としては侯爵夫人が味方のようで嬉しいですよ」
「ええ……そうですわね。こちらも協力頂けそうで、感謝しておりますわ」
あとは馬鹿息子をなんとかするだけだ。
レスティアは扇子をぱちりと閉じた。