魔力の目覚めと出逢い
新作の菓子は焼き菓子で評判に違わず、美味しいものだった。
レスティアにも喜ばれ、またセシリアや従僕など皆に配られた。
その後の夕食の席で、侯爵夫人に根掘り葉掘り本日の行動を聞かれたが、おそらくは報告された内容と、齟齬がないかの確認のためもあっただろう。
また、ライアンへも報告がされるのかもしれない。
アデリシアは当たり障りないように応じ、また話し過ぎないようにしたのだった。
*****
自室に戻って湯浴みを終えたアデリシアは、魔術本を読んで勉強するからと言って部屋に閉じこもることにした。
お茶を持ってくるというセシリアの言葉を辞して、集中したい旨を伝えるとあっさりと引き下がってくれた。
それから数刻後。日付も変わろうとする宵の口だ。
もう皆は寝静まっただろうか。
頃合いを見て、アデリシアは寝着から動きやすい外出着用のドレスへと着替え直した。靴はヒールが高過ぎたため、削ることを諦めて室内履きでそのまま代用することとする。
アデリシアはカーテンの隙間から外を見た。
辺りは暗く、月明かりくらいしかない。遥か遠くに小さく街の灯りが見えるかどうかだ。
中天の空には月がまだ半分くらいしか満ちていない。もっと月が満ちればはっきりと道が見えるだろうが、むしろ姿を隠すにはいいのかもしれない。
自分がここの部屋にいるとすぐにわかるように、アデリシアはカーテンを半分だけ開いた。胸元から杖を取り出し、光を灯して外への合図にする。
購入した本を止めてあったベルトを外して手に持つ。アデリシアは片足をベッドへと乗せて、ドレスを手繰り寄せた。片足の腿を空気に晒す。
露になった腿へ、手提げ袋をベルトで固定する。引っ張って、鬱血しない程度に外れないことを確認してから、ドレスの裾を下ろした。これで出来る準備は整った。
アデリシアが国境越えを失敗してこの屋敷で目覚めてから、すでに3日が経過していた。
騎士団の事後処理もすでに終わっている頃だろう。
そろそろライアンの訪れを警戒した方がいい頃合いだった。
ライアンを待って首枷を外してもらうべきか。
逃亡してライアンを上回る術者に首枷を解除してもらうべきか。
目下の悩み所だったが、本日、外出することが出来た事で後者に選択が大きく傾いた。
どちらにしろ、今日の『矛盾に満ちた行動』と『手提げ袋を手に入れた』ことにライアンが気づいてしまったら、自分の思惑はすぐにバレる。
なにしろ同じ騎士団にいたのだ。国命で魔術書を研究する必要がある、などという与太話は通じるわけがない。すぐに外出が目的だと見抜かれてしまうだろう。それにこの小さな手提げ袋が魔法の袋だということも、先の戦で知られている。ライアンに報告が行けば、すぐに様子を探りに来るだろう。
逃げる猶予は今晩と明晩くらいと予想する。
このまま、侯爵家にいられればどんなに良いか。
今の楽な状況に甘んじたい気持ちが全くないわけではない。その気持ちが多分にあるのは事実なのだが、そう考えるとすぐにライアンの婚約者の存在が心に重くのしかかる。
自分が相手にとって邪魔な存在である事に間違いはないのだ。
アデリシアは欠けた月を見上げた。
あの鳥は、無事に兄の元へと届いただろうか。
魔法によって刻んだメッセージ。
国境越えが失敗して、現在ライアンの実家である侯爵家に滞在していること、そしてその所在地。魔法は首枷によってほとんど使用できない状態であることを記した。
鳥の到着時間と、最短で助けが来ることを想定するならば、今夜が山場だろう。
アデリシアは暗闇を眺めながら、そっとため息をついた。
*****
隣国ファランドールにいる兄――マイカは、隣国に嫁いだアデリシアの母親の末妹の子供であり、正確には従兄弟にあたる。
アデリシアが幼い頃、実家である子爵家には叔母とその従兄弟も一緒に住んでいた。
アデリシアには実の姉達が二人いるが、それぞれ9つ、7つと年が離れていた。すでに嫁いでいたため、マイカが滞在していた時には二人とも実家にはいなかった。
マイカとは年も3つしか違わなかったので、アデリシアは兄と呼び、実の姉妹よりも慕っていた。幼い頃は仲も非常に良く、共によく遊んだものだ。呼び名は今も変わっていない。
叔母達が一緒に住まうことを父はあまり良く思わなかったものの、当時はまだ祖父が生存しており、子爵である祖父の命には婿入りした身である父は逆らえなかった。
祖父には兄共々よく可愛がってもらったものだ。
長じてくるに連れ、叔母がなぜ子供を連れて子爵家にいたのかをアデリシアは知ることになる。
叔母は隣国に嫁いだのだが、それは側室としての婚姻だった。
正妻よりも二か月早くに男児を産んだことで継承権争いの渦中に巻き込まれたのだ。
正妻から疎まれ、マイカはもとより側室である叔母も命を狙われていた。身の安全を図るために隣国の自邸を離れ、生家である子爵家に滞在していたのだった。
実際にアデリシアもマイカと一緒にいた時に、何度か襲われかけている。
マイカ12歳、アデリシア9歳の時だ。
何度目かの襲撃を受けた時だった。
暗殺者に襲われた際に、アデリシアはあまりの恐怖に泣き叫んだ。その時、泣き声と共に竜巻のごとく風が彼女を取り巻いた。アデリシアに初めて魔力が顕現した瞬間だった。
極限の恐慌状態で感情が暴発した、といった表現が正しかったかもしれない。
彼女の感情に引き寄せられるかのように風は吹き荒れ、二人の身を守ったのである。
その時の魔力数値の高さは遠く王都にいた魔術師長が感知出来るぐらいの大きなものだった。これを切っ掛けとして、能力を見出されたアデリシアは魔術を習い始めたのだ。
当時のマイカも元々素質があり少々の魔法が使えていたし、その年にしては剣の上達が早かった。アデリシアにも魔法があるから何とかなる。以前も無事だったから大丈夫。そんな甘えもあったのがいけなかったのだ。
そしてあの日。
街に美味しいお菓子の店がある。そんな情報にアデリシアは浮かれた。
護衛を撒いて、親に黙って二人で街に繰り出したのだ。当然のごとく刺客が現れた。
マイカも剣を手にはしていたものの、プロの暗殺者に敵うわけもなかった。アデリシアの魔法とて、動揺して放てば威力も落ちる。制御もままならなかった。所詮は子供。単なる無力な存在でしかなかった。
子供の足の身軽さで街中を逃げ回ったが、徐々に追い詰められていった。
アデリシアをかばってマイカが前に立つ。
「マイカ兄様………っ!!」
絶体絶命、という言葉がアデリシアの脳裏に浮かんだ。
「二人とも下がれ!」
正に斬りつけられそうになったその時だった。
己の身を挺して刺客との間に剣を持って入り込んだ姿があった。怪我を負いながらも二人を助けてくれた新米騎士がいたのだ。必死に二人が街を駆け回る様子に異変を感じ、駆けつけてくれたのだ。
その騎士がいなければ、アデリシアとマイカは今この世に存在していなかっただろう。
「怪我はないか?もう大丈夫だからな」
安心させるように二人に話しかける騎士こそがひどい傷を負っていた。暗殺者と切り結んで倒したことで、額や腕から血を流していたのだ。そんな状態でも、優しく声をかけて二人の身を案じてくれた。
アデリシアはその騎士の姿に泣きじゃくった。
どうして。なぜそんな血を流してまでも、こんな我儘な子供に対して優しくしてくれるのだと思った。
「ああ、ごめんな。血が怖いよな?」
顔にかかる血を腕で拭いながら、気遣った騎士は少女から後ずさる。
違うのだ、とアデリシアは首を横に振った。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
自分がお菓子を食べたいと言ったから。自分が魔法を使えると傲ったせいで、自ら危険な事に飛び込んでしまったから。巻き込んでマイカも騎士も命の危険に晒してしまった。
怪我を負わせてしまったのは自分のせいだ。
血を流す騎士へと近寄り、覚えたての治癒魔法をかける。
とはいえ、アデリシアはまだ初歩しか学んでいなかった。とりあえず傷を閉じることは出来ても、完全に痕を残さずに傷を癒やすことや回復までは出来なかった。
もっともっと力があればいいのに。
泣きながらも、その傷に手を這わせる。小さな傷しか癒せない力が悔しかった。
「凄い魔法だな。痛みが消えたよ。ありがとう」
傷が消えた訳ではないと気づいていながらも、その騎士は笑って頭を撫でてくれた。
アデリシアは涙を忘れて騎士をじっと見つめた。
落ちた瞬間、だった。
それから、その騎士にアデリシアが想いを寄せ始めたのは言うまでもない。また彼に会いたい、御礼がしたい、その一心で魔法を学んだのだった。ついでに、頑張り抜いて窮めて風の天位まで取得し、彼のいる騎士団に押しかけのだ。
その時の駆け出しの騎士こそが、当時入団したてのライアンだったのは言うまでもない。
数年後、正妻の息子が流行病で亡くなったらしいと噂が届いた。すると、噂ではなくそれは事実だったようで、正妻の魔の手は一切及ばなくなり、マイカの周辺には平穏が訪れた。そして、命の危険が無くなった叔母と従兄弟は彼の父親によって隣国ファランドールへと呼び戻されたのである。
長く、兄と慕っていた仲だ。
住む場所が離れたとはいえ、親しい兄、家族の一員であることに変わりはない。
離れて暮らしていても文のやり取りは続けられ、時折休暇がてらマイカが遊びに来る、といった形で交流は続いていた。
それ故にアデリシアはマイカへ色々と相談を重ねていた。だからこそ今回の行く先にもファランドールを選んだのである。
*****
アデリシアは暗闇をじっと見つめなおした。
ちかちかと、暗闇の中で外で光ったものがあったのだ。遅れて再び二回点滅する。
――合図だ。
マイカが来てくれたのだ。