懐かしの
最高権力者の権力と月の力によってかぐや姫は過去に戻ることにした。それは彼女にとって吉と出るか、凶と出るか、それは神のみぞ知る結末。
真っ暗な視界から、鉛のように重い瞼をあげる。かぐやは目が覚めると、布団の中にいた。まだぼやけている視界の先には、いつもの見慣れた光景とは違う景色だ。自室の無機質な白い天井ではない。茶色く軋んでいそうな木造の配色。段々と視界が良好になると、かぐやは上体を起こし、周りを見回した。
畳に敷かれた敷布団に見慣れた掛け軸。白く四角いマスが規則正しく並んでいる壁。いや、これは扉だ。かぐやは知っている。これは障子というものだ。さらに見渡すと、竹や松などの煌びやかでありつつどこか心地の良い襖の絵が眼に映る。
寝起きのけだるさが障子から漏れる日の光によって徐々に浄化されていく。
懐かしい光景。
ここは、かぐやが地球で拾われてから月に帰るまで過ごした、あの部屋だ。
胸の奥から沸々と湧き上がる感情は、かぐやの目頭を熱くさせた。
どうやら無事に過去にやってこられたようだ。周りに鏡が無いので今自分がどんな姿なのか分からないが、とりあえず第一段階は成功したようだ。布団から立ち上がり、精一杯の伸びをする。鼻腔をくすぐる畳と早朝の匂い。障子を目いっぱいに勢いよく開ける。朝露の冷ややかな空気と匂い。身体を優しく包み込むような温かい太陽の光が眩しかった。
「んっん~。なーんか、やっぱり癒されるなぁ」
ゆるゆると緩み切った表情をしながら、かぐやは少しの間太陽の光を浴びていた。そして先ほどから鼻をくすぐるもうひとつの匂い。その匂いをかぐやは辿るべく、久しぶりだが身体が憶えている足取りと道順を進む。
「……よ。だって……」
「だが……。………………」
誰かの話し声が聞こえる。この先からだ。とても懐かしく、安心する声だ。
その先には、この家の厨房があった。ばちばちと木材が弾ける音とともに、食欲をそそられる湯気が漂っている。かぐやは段差のすぐ下にある下駄を履き、厨房に足を踏み入れた。
「――おやおや、かぐや。おはよう」
そこには、背中を丸めた白髪の翁がいた。
「あら、今日は早いねぇ」
そして、頭に手ぬぐいを被った媼も奥の部屋から顔を出してきた。
二人の顔は相変わらずしわくちゃだったが、おはようというにっこりとした笑顔に優しさと温かさが滲み出ていた。
「…………っ!」
久しぶりの二人の顔に、かぐやは安堵と嬉しさと、忘れていた温もりとを感じた。
「じっちゃあぁ! ばっちゃあぁ!」
言葉にならない感情が、涙としてかぐやから溢れた。あまりの懐かしさに、いや、嬉しさ、温かさ、様々な感情によって溢れている。かぐやは二人に抱き着いた。
「お、おやおや。どうしたんだいかぐや。怖い夢でも見たのかい?」
困惑の表情を浮かべながらも優しい声で翁は語りかけてくれる。その声でまた、溢れているものを抑えきれなくなる。
「ほぉら、かぐや。そんな歳でめそめそ泣いていたらかわいい顔が台無しですよ」
媼の温かい指先がかぐやの頬を撫で、涙を拭う。そんな優しい手をかぐやは頬に当てたままにして、しっかりと体温を感じる。
「?」
「?」
二人は顔を合わせて困惑の表情をしていた。一体どうしたのだという二人の疑問をそっちのけに、かぐやは媼の手のぬくもりを感じていた。そして突然、二人に向かって真剣な表情で向かい合った。
「私、じっちゃばっちゃのためにも結婚する。こんな三十路近くになっても恋愛経験なしでみじめな私だけど、二人を安心させるために頑張る! いつまでも自分のことほったらかしにしてちゃダメだよね。ちゃんと子ども生んで家庭を築いて、子どもの育児に励んでじっちゃばっちゃみたいに円満夫婦で生涯を終えたい。まだまだこれからだけど、二人に親孝行もいっぱいしたい。本当にありがとう。私を拾ってくれて」
かぐやの突然の発言に二人は目を見開いた。途中で疑問の残る言葉が聞こえたが、それよりも、いままで頑なに結婚を拒んできたかぐやが結婚をするといった。その事実が衝撃的だった。
「まぁ! 決心がついたのね!」
先に言葉が出たのは媼だった。だが、嬉しそうな媼に対して翁は渋い顔をしていた。
「そうか……。今日もまた、あの五人の男が来る予定だが……。」
逡巡と語調を弱くする翁。
「わかったわ! その五人の中で一人選ぶわ!」
「ああ、かぐや。頑張って。私がじいさんを落としたテクを教えてあげるわね」
「ちょちょちょ、まちんさい二人とも。わしはまだ認めたわけじゃ……」
「なに?」
二人の鋭い眼光に翁は閉口するしかなかった。