「え? キモいです」
なろうの新連載、久しぶりにやります。
以前書いた作品と似たような雰囲気があると思いますが、すべて一から書きました。
今度は注意されないように頑張ります。
この空間にはほとんどなにもない。
壁もないから空間は延々と広がっている。
あるのは見えない床と、質素な灰色の事務机だけだ。
事務机は女神イリスの仕事道具で、机の上には様々な人間の名簿が広げられていた。
艶やかな金色のロングヘアーをたくわえ、純白のドレスを身にまとった少女――女神イリス――はイスに座り、一枚の名簿を手にとってまじまじと見つめた。
名前:鏑木坂愛之(24歳・男性)
趣味:ラグビー
悪行歴:なし。
善行歴:泥棒の捕獲、線路に落ちた酔っ払いの救助、家の火事から猫の救出など多数。
将来の夢:彼女と一緒にNPO法人を運営し、貧困や格差問題を解消。
人望:地元の老若男女、誰からも愛されていた。
死因:川でおぼれた子どもを救助。子どもは無事だったが、鏑木坂は溺死。
ツイッターでの陰口ですら悪行にカウントされるこの『転移者名簿』において、悪行に一切記載がないなんてすばらしい。イリスは素直にそう思った。
むしろこれほどまでの善人が、現世でもう生きることができないことに、心を痛めてしまいそうだった。
そんな善人の彼がそろそろここに転移する。
せめて彼には満足のいく能力を授けよう。
そして、ブオン、という音とともに彼はこの空間にやってきた。
「あれ……ここは?」
キョロキョロと彼はあたりを見回した。
転移した人間が発するお決まりのセリフと行動だった。
すかさずイリスもお決まりのセリフを口にする。
「私は女神イリス。そしてここは死後の世界です。しかし溺死したあなたは、異世界転移者として選ばれ、再び命を受けました」
「えっ……あーそうか。これってもしかして、あのアニメとかネット小説で話題の異世界転移とかいうやつ?」
「そうです。近年の転移者は理解が早くて助かります」
異世界転移の理解がなければ、ここからは説明が長々と続く。しかし彼には不要らしい。
面倒な説明をしなくてすみ、イリスの肩の力は少し抜けた。
とりあえず『趣味:ラグビー』のわりにはアニメやネット小説のネタは通じるらしい。
もっとも、体格はどう考えてもインドアなほっそり系なので、ラグビーネタよりアニメネタの方が通じる雰囲気を出している。
人は見かけによらないものだとイリスは改めて感じつつも、説明を続けた。
「異世界転移時における能力補正やスキル付与などは現世での善行の度合いに比例します。あなたの場合は人や動物をなんども助け、また将来が有望視されていたことから、最大限の願望を叶えようと思います」
「最大限の願望……つまり、チート的な願いをなんでも叶えてくれるってこと?」
「なんでも……とまではいきませんが、善処します」
「わかった。じゃあ美少女だらけの王国をつくりたい。美少女王国だな。あと、そこの王様になりたい」
「わかりました、美少女だらけの――ん?」
美少女だらけの王国?
聞きまちがいだろうか。
しかし彼は困惑するイリスのことを無視して喋り続けた。
「あれ、聞こえてなかったかな? じゃあ言い直そう。とにかく美少女と異世界でイチャイチャしたい! 詳しく言うと、もうモッテモテで困るわーって感じなるぐらい美少女に囲まれながら暮らしたい! 人数制限とかはもちろん設けないけど、年齢制限は設けたい感じかな? まだ大人の階段を登っていない、純粋無垢な眼差しを俺に向けてくる美少女あたりが希望。あっ、もちろん幼女もオッケー。女子高生ぐらいの年齢は……まあ、可かな。胸が膨らんでいるより、俺は膨らみかけの方が好きなんだけどね、美少女の定義からははずれないだろうし……。だけど女子大生ぐらいになると、もう大人だよなー。汚れてそうだよなー。イリスはどう思う?」
「え? キモいです」
イリスはそう言ってから、口をさっと手で押さえた。
異世界転移者管理の業務において、転移者に対する侮辱的な発言はタブーとされていた。
だが、イリスはつい思ったことを言葉にしてしまった。
突然美少女について熱く饒舌に語るあまりのキモさに。
それに初対面の女神を呼び捨てにすることも、イリスの癇に障った。
「え、きも……あんきも? あんきも食べたいの?」
目の前にいる彼は見事な聞き間違いをしていた。
イリスはすかさず、「ええ、そうですね」と相槌をうち、ホッとした。
異世界転移者は基本的に良識のある人間が選ばれる。
しかしここにいる彼が良識のある人間と言えるかどうか。
どう見てもそうは思えない。
「失礼ですが、まずあなたにいくつか、私から質問をしてもよろしいでしょうか?」
イリスは書類に目を落とし、それから彼の顔を見る。
書類に顔写真がないから断定はできないものの、違和感はぬぐえない。
「うん、いいけど。でも俺からも質問いい?」
イリスの違和感をよそに、彼は笑みを浮かべながら言った。
「え、はい。じゃあ先にどうぞ」
「俺、鏑木坂じゃないよ。俺の名前は田中一郎だよ」
「えっ?」
「あと言うと、俺の死因はおそらく溺死じゃないぞ。四十センチぐらいのフィギュアが頭の上に落ちてきて、それっきり記憶がないから、たぶんそれが死因だと思う。それと、動物を助けた記憶とかないんだけど……もしかして、誰かと勘違いしてない?」
田中一郎と名乗った男は目を細めてイリスを見る。
イリスはそんな彼の視線を無視して、すぐさま事務机にある電話のボタンをプッシュした。
『はい。神です。ただいま有給休暇中のため、お仕事はできなくなっておりま――』
「留守電のメッセージのつもりで、ただ喋っているだけでしょう!? ふざけている場合じゃないですよ、神様!」
イリスは口元を手でおさえ、田中一郎に聞かれないようにしながらも声を荒げた。
電話越しからは落ち着きのある男の声が聞こえてくる。
ただそれは普通の男ではなく神であり、そして女神イリスの上司でもあった。
明日は2話更新予定。序章は3話目でおわります。