九.八塩折酒(ヤシオオリノサケ)
八稚女の土地神となったスサノオは、早速村人たちを集め、オロチ対策のための作業に乗り出した。
クシナダヒメから土地神が一時的に交代した事を知らされた村人たちは当初こそ困惑したが、スサノオの自信たっぷりな様子と大声もあり、彼の言葉に従うようになった。
高天原を追われたといっても、さすがに三貴子である──と言いたいところだが、スサノオが威勢よく話を進められたのは、クシナダヒメの積極的な取り成しで自信を深められた事が大きかった。
スサノオの宣言と命令が終わった後、傍らにいたクシナダヒメは小声で言った。
「すっかり言いそびれてたんだけど……ごめんなさい、スサノオ」
「へ? 何だよ急に……」
「最初に会った日に、その……取り乱して、大声出しちゃって」
「何だ、そんな事か……あれはオレがズケズケ言い過ぎたのが原因だろう? 気にしなくていいよ」
「そうかもしれないけど……謝っておきたかったから。……それだけ」
クシナダヒメの笑顔。先日見た時よりもずっと自然で、魅力的なものにスサノオには思えた。
村人たちが命じられた作業は、主に二つ。
小さな神アワシマの主導による酒造りと、スサノオの主導による肥川の垣根作りである。
「コイツは八塩折っつー酒でな! とんでもなく強ェ酒だ!
造るのにもとんでもなく手間がかかる! 何しろ酒で酒を仕込むんだからな!
オロチに飲ませるための酒だ! 造ってる最中に絶対に手をつけるなよ!」
アワシマは声高に何度も叫んだ。
意図的に「とても強い酒」の部分と「絶対に手をつけるな」の部分を強調して。
八塩折酒とは、一度熟成させた「もろみ」をさらに絞り、また麹と粥を入れ熟成させ……という手順を八回繰り返して醸造した、大層強い酒だとされている。
だが……アワシマは最初にこの提案をツクヨミから聞いた時、驚きと困惑を隠せなかった。
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「はァ!? 何言ってんだツクヨミ様! そんな馬鹿げた方法で酒なんてマトモに造れねェぞ!?
そもそも酒で酒を仕込む時点でおかしいんだよ! 醗酵しねェし!」
「だったらある程度は、仕込み用の酒に水を混ぜて造ってくれて構わない。
要は村人たちに対して『とても強い酒を造った』という印象さえ残れば、それでいいんだ」
「第一、そんな方法で酒を造ったとしても……八回も絞るんだぞ?
造れる量はほんの僅かだ! オロチみてェな巨大な化け物に飲ませる量なんて、村総出でやっても到底賄えねェぞ!?」
「そこら辺は適当に水増しでも何でもして、それっぽく見せてくれ。
中身がバレないよう、くれぐれも村人には、造った酒に手をつけないように念を押しておいて欲しい」
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(無茶苦茶だ……オイラ的にはこんな虚仮脅しで「強い酒を造った」なんて言われてもよォ。
どこの幻想譚や御伽噺の世界だっつー話だよ……!)
ツクヨミの言葉から察するに「強い酒を造ったように見せる」のが重要であり、中身が実際に強い必要はないのだろう。
造り方の説明がやたら大袈裟なのも、村人にその印象を植え付けるためなのだ。
そしてハッタリが露見しないように根回しする事も、アワシマの頼まれた仕事のうち、という訳だ。
(ホントにいいんだろうな、コレで……ツクヨミ様?
途中でバレたりしたら、袋叩きじゃ済まねえぞ、こんなの……!)
ツクヨミとはかつて主従関係を結んだ事もあり、信頼はしていたが。
今は心から湧き起こる不安を、表に出すまいとするので精一杯であった。
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一方スサノオは、肥川の垣根作りの作業を、村人たちに混じって行っていた。
その傍らには、身の丈二尺(註:約60センチ)ちょっとの小柄な双子の男女神がいて、やはり村人たちに混じり土木作業に精を出している。
彼らの名は、モモユミヒメとアシヤヒコ。アワシマの子で、彼の所有する桃の木の弓と、葦の茎の矢に宿る神だ。
最初に産まれた時より随分成長している。小柄な体格にも関わらず意外と力持ちで、大の男衆と遜色ない働きっぷりの良さである。
「川の流れを、八つに分けられるように垣根を作るんだ!
それぞれの垣根には門と、アワシマの造った酒を乗せるための桟敷を忘れずに作っておけよ!」
これらの垣根や門は、アワシマの提案した治水工事である。
彼は肥川の形や周辺の地形を入念に調査・観察して後、川の流れを最も効率よく弱め、治めるために必要な垣根──すなわち堤防の作成を思い立った。
八つの垣根により川の流れを分け、水の勢いを殺す事ができる。氾濫を鎮め、荒ぶるオロチの力を削ぐ事が目的であった。
村の衆の大半が作業に駆り出され、村周辺の木々を伐採したり、今まで流れてきた村の家の残骸を再利用したりした。
だがそれでも足りなかった為、第八の村の家屋の幾つかを取り壊し、垣根の材料の一部とした。
「……うーむ。村人の家の取り壊しはちと、やりすぎたか?」
「仕方ないわよ、スサノオ。オロチから村を守るためですもの」
スサノオに対し、クシナダヒメが微笑みながら言った。
土地神の宣誓の日から、彼女は神が変わったように精力的に村人の間に交じって働き、彼らを叱咤激励していた。
「もう少しだけの辛抱だから!
スサノオがオロチを退治したら、また皆で住む家を建て直しましょう!」
スサノオ達が最初に村に訪れた時の、捨て鉢だった印象は微塵もない。
これが本来のクシナダヒメの姿なのだろう。明るく健気で、気立てのよい、どこにでもいる普通の娘だ。
そんな彼女に励まされ、率先して動かれては、村人たちも否が応でも奮起せずにはいられない。
(クシナダが元気になってくれて。何より楽しそうで良かった)
スサノオは活動的なクシナダヒメの姿を見て、微笑ましい気持ちになった。
「……スサノオ! 何ボーッとしてるのよ?
早くこっちに来て、手伝ってよね!」
「お、おう……分かった。今行くよ、クシナダ」
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作業が始まってから、数週間が過ぎた。
酒造も垣根の作成も、多少の遅延はあるが概ね順調に進んでいる。
だが肝心のツクヨミは、まだ村に戻ってこない。
(ツクヨミの奴……本当に大丈夫なんだろうな?
オオイチヒメとの交渉が上手くいってればいいんだが……)
* 登場神物 *
スサノオ/須佐之男
三貴子の一柱にして疫病神。高天原を追放される。
アワシマ/淡島
小さな神。手先が器用で、医薬や酒造が得意。
クシナダヒメ/櫛名田比売
八稚女第八の村の巫女にして、稲田を司る女神。
モモユミヒメ/桃弓比売
アシヤヒコ/葦矢彦
アワシマと桃木の女神オオカムズミとの間に生まれた双子神。