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八.スサノオ、クシナダヒメと誓う

 カヤノヒメの話によれば、市場の女神オオイチヒメは偏屈で、均衡を何より重んじる性格であるという。

 しかし傍から見れば、オロチの一族と取引しているという事実は、彼女の周囲における立場を危うくするものであった。カヤノヒメも母親として、娘に危険が迫る情報を漏らしたくはなかったのだろう。


「オオイチに会う時、ワシの名を出しても良い。その証も渡そう。

 じゃが、あやつは頑固者じゃ。ワシの言葉添えがあったとて、信念を曲げたりはせぬじゃろう」

「……そのお心遣いだけで十分ですよ。感謝します、カヤノヒメ」


 ツクヨミ達がカヤノヒメの住処を出る時、ツチノコに乗ったチルがやってきた。


「スサノオ! わるいやつ、やっつけてくれる?」

「ああ。その為にこれから出かけるんだぜ」

「わるいやつ、やっつけたら、やまのみんな。もどってくる?

 またチルと、あそんでくれる?」

「勿論だぜ。オレともまた、遊んでくれよな。チルちゃん」

「スサノオ、やっぱり、いいかみさま!

 チル、おっきくなったら、スサノオのおよめさんになってあげる!」

「…………ははっ、そいつは嬉しいな。

 ありがとう、チルちゃん。必ず悪い奴らをやっつけてやるから」

「うんっ!」


 チルが笑顔で手を振りながら見送る中、ツクヨミが小声で囁いてきた。


「……モテモテだね、スサノオ。お嫁にするのかい?」

「いくら何でも犯罪だろそれは……まーでも。

 守んなきゃならない場所が増えたな。この山と、クシナダの村と」

「……そうだね」


 ツクヨミは意を決し、叢雲ムラクモの立ち込める山の空を見上げた。


「スサノオ。これからクシナダヒメのいる第八の村に戻って、アワシマのやる作業を手伝って欲しい」

「わかった。ツクヨミはこれから、どうするんだ?」

「……オオイチヒメの所に行き、交渉してくる」

「そうか……気をつけろよ」

「スサノオもね」


 二柱の兄弟神は、硬く握手を交わし、別れる事になった。


**********


 八稚女ヤヲトメ第八の村。

 村の巫女であり、稲田を司る女神でもあるクシナダヒメは、悶々としていた。


 最初にアワシマが戻ってきて、彼は今、村の皆に酒の造り方を教えている。

 何故こんな時に酒? と思ってしまったが、村の人々は鬱屈していたのか、アワシマの言葉に乗り気で、クシナダヒメの言葉も待たずに酒造の講説レクチャーにのめり込んでいる始末であった。


 やしろに篭っていたクシナダヒメに、村の衆が報告してきた。


「クシナダヒメ様。スサノオ様がお戻りになられました──」

「スサノオ……様が?」


 突然待ち人の帰還を告げられ、クシナダヒメはあたふたと居住まいを正した。

 スサノオと初対面の時、あれだけ大声で取り乱してしまった。彼の無遠慮な言葉に原因があるとはいえ、腹を立ててしまったのは事実だ。

 スサノオが戻ったら、まずその事を謝罪したいとクシナダヒメは思っていた。


 程なくして、バタバタと大きな足音が聞こえてきて、スサノオが大急ぎでやしろの中に上がり込んできた。


「ここにいたかクシナダ! ちょっと頼みたい事があってよ」

「ス、スサノオ様? えっと……」


 開口一番のスサノオの強引な言葉に気圧され、謝罪の言葉を飲み込んでしまい、当惑するクシナダヒメ。

 彼女が放心している間に、スサノオはその手を取った。


「ちょっ……何するのよ、いきなり?」

「儀式が必要なんだ。アシナヅチ達を呼んでくれ」

「え…………?」

「頼む」


 スサノオの表情は真剣そのものだった。

 気迫に圧され、クシナダヒメは彼の言葉のままに、土地神であるアシナヅチ達に謁見した。

 最初に会った時と同様に、姿形もぼやけ、年老いて衰えた彼らは、弱々しく出現する。


「アシナヅチ、テナヅチ。聞いてくれ。

 弱ったあんた達じゃ、この八稚女ヤヲトメの村を守る事はできない」


 スサノオの言葉に、土地神の夫婦は怪訝そうな表情を浮かべた。


「そこでだ。クシナダヒメを、オレに差し出してくれ。

 オレがあんた達に代わって、ここの土地神になり、彼女に力を与える」


(え、ええっ…………!?)


 唐突なスサノオの申し出に、クシナダヒメは混乱し、理解が追いつかなかった。


(スサノオが、わたしの土地の神になるって事は、つまり……その……

 巫女であるわたしはスサノオの物になるって事で、わたしはスサノオに身も心も捧げ……?)


 彼女の発想が飛躍しているうちに、アシナヅチ達はスサノオの提案を二つ返事で承諾してしまっていた。


「よっしゃ、決まりだな! ありがとう、二柱ふたりとも。

 という訳だ、クシナダヒメ。今からオレが、八稚女ヤヲトメの土地神だから」


「……スサノオ、貴方。最初からそれが目的だったのね……!」


 クシナダヒメの中で、急速に心が冷めていくのが実感できた。


(……このひとも、村の皆と同じだ。

 わたしを尊重するような素振りをして、こっちの考えや気持ちなんて、全く意に介さない。

 いいえ。わたしのような、村を守らなければならない巫女神は、『そんなもの』を持ち合わせちゃいけないんだ──)


 分かっていた。分かっていた筈なのに。

 スサノオの言葉は合理的だ。村は今、オロチの脅威に瀕している。

 そこから救い出してくれるというのだ。見返りが必要に決まっているし、それが要求されるのは当然の事だ。自分が望む望まざるに関わらず。

 自分の与り知らぬ所で、自分の運命が、自分の行く末が、いつの間にか決まってしまう。

 物心ついた時からそうだった。なのに、何を今更──


「急な話で悪かった、クシナダヒメ。

 でもな、急いでたんだよ。オレが土地神となった方が、村の人々を一丸となってまとめやすい。

 そうしなけりゃ、あのヤマタノオロチには勝てないんだ」


「……気にしないで、スサノオ様。わたしの事なんか。

 今から、わたしは貴方の巫女なのでしょう? 貴方の命令に、わたしは従う」


 クシナダヒメは諦めた様子で、抑揚のない声で言った。


「どうしたんだよ急に?……あー、心配すんな。

 オロチの騒動が片づくまでの間だからな、コレ。全部終わったら、土地神の地位はまた、アシナヅチ達に返すよ」

「…………えっ」

「という訳だ! 土地神の件は期間限定なんで、そこんとこ宜しく!」


 スサノオは声高に、アシナヅチ達に宣誓し、彼らもそれに応じた。

 神々の間における誓いの言葉は絶対だ。今この瞬間、クシナダヒメの考えていた絶望の未来が杞憂となった。


「ちょ……貴方、何考えてるのよ!?」クシナダヒメは気色ばんで叫んだ。


「えっ、今度はなんだよクシナダ?」今度はスサノオが面食らう番だった。


「自分が今言った意味わかってるの? オロチを倒したら、土地神やめるって……

 厄介ごとだけ引き受けて、見返りも受け取らないって話じゃない!」


「……まあ、そーなるかね」


「どうして? 何の得にもならないのに……なんでわたしに、この村に……

 そこまで肩入れできるのよ?」


 クシナダヒメの視線と言葉を受け、スサノオは改めてハッとした様子だった。


「…………悪い、クシナダ。

 勢いだけで話を進めちゃってたからさ。そこまで考えてなかった」


 普通なら、こんな戯言を信用できるはずがない。

 だがスサノオは本気で、損得や打算にまで頭が回っていないようだった。


「……確かに深い理由はねえけど。

 放っておけなかったし、何も死ぬ事はねえだろうって……思ったんだ。

 もし、死なずに済む方法があるんだったら」


「……本当に、それだけ……なの?」


「……ああ。クシナダの望んでいた答えじゃあねーだろうけど。

 あとさ、仮にオレが土地神としてこの地に居座って、巫女であるあんたを娶ったとしても。

 あんたがそれを望んでなけりゃ、意味がない」


「……どうして、そう思うの?」


「オレがあんたの立場だったら、嫌だって思うから。

 本当にそのひとが好きなら、嫌がるような思いまでさせて、従わせても……お互い幸せになれるとは、オレは思えない」


 スサノオの言葉は、クシナダヒメにとって驚きの連続だった。

 夢の中にいるような感覚だった。今まで周囲の厳しい環境に晒されてきた彼女にとって、一生訪れる事のないものだと思い込んでいた。


「……スサノオ。貴方って、本当にバカで、お人好しなのね」

「自分でも、考えなしなのは認めるよ。ツクヨミにもよく、言われるし」

「オロチに勝てなかったら、わたし達と心中よ? それでもいいの?」

「……絶対とは約束できねえけど、きっと勝てるさ。

 オレだけじゃ、頼りにならねえかもしれねーけど。

 ツクヨミは『時を読む』神力を使うし、いつでも冷静で頼れる兄なんだぜ。

 アワシマだってそうさ。酒だけじゃなく、色んなモノを工夫して作り出せる凄い神なんだ。

 そしてクシナダヒメ。あんたとその村も、皆一緒になって協力してくれれば──」


 そこまで言って、はたとスサノオは我に返るように言葉を切った。


「──他に助けてもらうばっかりで、ゴメンな。

 オレが『全部オレに任せとけ!』って、力強く言えるような男だったら、もっと安心できただろうに」

「ううん、そんな事ない──スサノオ。

 貴方がそう言ってくれなかったら、わたしは最初から何もかも諦めて、村の皆に言われるがまま、進んで生贄になって、それで終わりだった。

 わたしや、村の皆の力も……オロチを退けるのに、必要なのよね?」

「ああ、もちろんだ」


 クシナダヒメは、久しく忘れていた気持ちが湧き上がるのを感じた。

 こんな自然に微笑むのは、何年ぶりだろう?

 確かにスサノオは頼りない神かもしれない。

 でも純粋に、このひとの善意に応えたいと思った。

 自分のような者でも、力になれるなら、そうなりたいと思えた。


「今から、わたし──クシナダヒメは、貴方の巫女。

 貴方の言葉に、わたしは従うわ──何でも言ってね、スサノオ?」

「──ありがとう。頼りにしてるぜ、クシナダ」

* 登場神物 *


ツクヨミ/月読

 三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。


スサノオ/須佐之男

 三貴子の一柱にして疫病神。高天原タカマガハラを追放される。


カヤノヒメ/鹿屋野比売

 草の女神。オオヤマツミの妻。ツチノコや草葉を操る。


チルヒメ/知流比売

 オオヤマツミの娘で、花の女神。生後間もなく、ツチノコに乗っている。


クシナダヒメ/櫛名田比売

 八稚女ヤヲトメ第八の村の巫女にして、稲田を司る女神。


アワシマ/淡島

 小さな神。手先が器用で、医薬や酒造が得意。


アシナヅチ/足名椎

テナヅチ/手名椎

 山の神オオヤマツミの子で、八稚女ヤヲトメを守護する夫婦の土地神。

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