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七.草の女神カヤノヒメ

 幼き女神チルは大声で叫んだ。


「つっちー、はしるぞ! おにーさんたち、いそいで、ついてきて!」


 彼女の言葉が終わるや否や、彼女の乗るツチノコは凄まじい速度で山野を駆け巡っていく!


「なッ…………!?」

 スサノオは驚愕した。

 先刻までのゆっくりした動きからは想像もつかない素早さだ。


「……驚いたね、スサノオ。あのツチノコ、足があったぞ」

「なん……だと……」

「蛇じゃなく、蜥蜴トカゲだったようだ。草に紛れて、足が見えなかっただけだ」


 何にせよ、急いでチルを追わなければならない。

 彼女から事前に、気配を隠すフキの葉を貰っておいたのが幸いした。

 今の状態であれば、全速力で山を駆けたところで、虫人ムシビトたちには気づかれまい。


 ツクヨミとスサノオは息せき切って、ツチノコに乗ったチルの後を追った。


**********


 どれぐらい走っただろうか。

 辺りの景色は緑が深くなり、獣道ですらなくなっている。


 ツクヨミとスサノオは、チルの背中を追いすがり、いつの間にか──空すら見えぬ、草むらの中に入り込んでいた。

 ツチノコの動きが止まり、チルが振り返り、にぱっと笑顔を向ける。


「ついたよ! スサノオ! ツクヨミ!

 かかさまー! つれてきたよー!」


 チルが元気な声で呼ばわると、草の一本が少女の姿をした神に変わった。

 萌える草木の如く瑞々しい、暖かな雰囲気を持つ女神であった。


「──我が娘チルよ。よう連れてきたの」


 母親に褒められ、チルは誇らしげに微笑んだ。


「そしてよく来たの、三貴子ツクヨミ、そしてスサノオ。

 ワシの名はカヤノヒメ──草を司る女神にして、偉大なる山の神、オオヤマツミの妻じゃ」


 古事記に曰く、カヤノヒメは神産みの際に夫オオヤマツミと共に産まれ、数多くの神々を産んだ母として知られる。

 しかし今カヤノヒメと名乗った女神は、言葉こそ時代がかっているが、声の調子は少女の姿に相応しい、若々しいものであった。


「貴女が──カヤノヒメ?」

 スサノオは間抜けな声を上げてしまった。

 無理もない。クシナダヒメの村のやしろで見たアシナヅチ達は、今のカヤノヒメよりもずっと年老いた姿であった。

 今目の前にいる若い女神が、あの老夫婦の土地神を産んだ母親というのだから、面食らうのも当然だろう。


「意外か? 済まぬな、かような色気のない姿で。

 この山はの、叢雲ムラクモのせいで長らく陽の当たる事がなくてな……草の育ちも悪いのじゃ。

 それ故ワシもこのような、中途半端な小娘の姿しか取れなくての。我が良神おっとは、もっと肉感的グラマラスな姿が好みなのじゃが」


 カヤノヒメは悪戯っぽく微笑み、品定めするような上目遣いで、二柱の顔をまじまじと覗き込んだ。


「ふふ、そう身構えずとも良いぞ。ヌシらに敵意がない事は分かっておる。

 邪心がある者ならば、チルの姿に気づく筈がないからの。

 しかもヌシら、チルからフキの葉まで貰っておるな?

 随分と気に入られたようではないか」


「かかさま! スサノオたち、チルのこと、てつだってくれるって!

 いいかみさま、みつけたら……かかさまのところ、つれてくるってはなしだったよね!」

「うむ、ありがとうな。チル」

「えへへー」


 ツクヨミ達はカヤノヒメに、今までの経緯を話した。

 八稚女ヤヲトメ村の人々が毎年、ヤマタノオロチという名の災厄に襲われ、甚大な被害を受けている事。

 オロチによる被害は、この山で製鉄を営むオロチを奉ずる一族によって、人為的に行われているであろうと推察し、それを確かめるために山に入った事。


「ヤマタノオロチは、肥川ヒノカワの氾濫と同時に現れます。

 氾濫による水害は、毎年拡大する一方です。すでに八つある村の七つが飲み込まれてしまった。

 それはオロチの一族が、製鉄に使う原料である砂鉄を採集し、火を燃やすために木々を切り倒してしまっているから……違いますか?」


「確かに……オロチの一族の鉄作りは、尋常ではない量となりつつある」

 カヤノヒメは沈痛な面持ちで頷いた。


「我が良神おっとオオヤマツミは、オロチの一族にこの山を乗っ取られ、ヤマタノオロチの『身体』と化してしもうた。

 今では余所者をワザと招き入れ、罠に嵌めて迷わせ、オロチの一族の片棒を担ぐような真似までしておる。

 その為、山に住む虫たちは、虫人ムシビトの命令しか聞かぬようになってしもうた──」


「……あのこたち、あたいの、あそびあいてだったの。

 でもいまは、はなしかけても、しらんぷり……チル、さびしい……」


 やはり山に棲む蛇や蜥蜴トカゲたちは、オロチの一族によって操られてしまっているようだ。 


「木の神ククノチは本来、荒ぶる雨水を受け、己の糧とする力を持っておった。

 しかし今は、オロチの一族に切り倒され、水を御する力を著しく欠いておる。

 その結果、今までは問題なかった量の雨水ですら、下流での氾濫に繋がるほどになってしまったのじゃ」


 ツクヨミの推測通り、カヤノヒメの言葉通り。

 このままオロチ一族の暴走を放置しておけば、山の力は弱まり、肥川ヒノカワ周辺の農村は壊滅的な打撃を被る事になるだろう。

 そしてそれは──八稚女ヤヲトメ村の全滅を意味する。


「このカヤノヒメとて草の女神。多少なりとも水を鎮める力はあるが……夫とククノチ、三柱の力を合わせてこそ、山の均衡は保たれておった。

 ワシ一柱のみでは、昨今の荒ぶる雨雲を受け入れるにはとても、足りぬ」


 草の女神の表情からは、悔しさが滲み出ていた。

 彼女の心情を察したのか、チルがとてとてと近づき、心配そうに声をかける。


「……かかさま。どこかいたいの?」

「チル。心配は要らぬ……ヌシは心優しき娘じゃの」


 カヤノヒメは微笑んで、チルの頭を撫で──そして抱きしめた。


「しかし……腑に落ちない事があります」とツクヨミ。

「オロチの一族は、近くの農村である八稚女ヤヲトメの住民を敵に回して、どうやって食糧調達をしているのですか?

 それにこの地で採れる砂鉄の量は、たかが知れている。その割には凄まじい量の木々を切り倒し、消費している。

 ……考えられるのは、どこか別の場所から食糧や金属資源を取引している可能性です」


 カヤノヒメは沈黙した。

 その表情が微妙に変化したのを、ツクヨミは見逃さなかった。


(彼女は何か、知っているな……知っていて、話すのを躊躇っている様子だ)


「……カヤノヒメさん。心当たりが、あるのか?」


 どうやらスサノオも察したらしい。クシナダヒメの時といい、記憶を読まずとも相手の核心を突く直感は相変わらずのようだ。


「……ないと言えば、嘘になるの」

「だったら頼む。教えてくれ! オロチの一族を放置したままじゃ、不味いって事くらい分かってるんだろう?

 クシナダヒメの村も、あんた達の住む山も、困ってるならオレ、何とかしたいんだよ」


「言葉は勇ましいの、スサノオ。

 だがヌシ……ヤマタノオロチと直に戦うつもりか?

 ヌシらに邪心が無いのはチルが証明しておる。だが勝算はあるのか?」

「それはッ…………」


「…………あります」ツクヨミがスサノオに代わって、言葉を重ねた。

「ですが、その為には。オロチの一族と、奴らの使役する怪物・ヤマタノオロチを退けるには。

 八稚女ヤヲトメの村人たちや、カヤノヒメ。チルちゃん……皆の協力と、情報提供が必要なのです。

 もし、オロチの一族が取引をしている者たちを存じ上げているのなら……どうかお教え下さい」


 カヤノヒメは目を閉じ、フウッと大きく息を吐いた。そして覚悟を決めたのか、大きく頷いた。


「……分かった、ツクヨミ。ヌシの申し出に応じ、教えよう。

 オロチの一族と取引をしておる者。

 それはワシの娘である、オオイチヒメじゃ──」


 オオイチヒメ。古事記に曰く、五穀と市場を司る女神の名である。

* 登場神物 *


ツクヨミ/月読

 三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。


スサノオ/須佐之男

 三貴子の一柱にして疫病神。高天原タカマガハラを追放される。


チルヒメ/知流比売

 オオヤマツミの娘で、花の女神。生後間もなく、ツチノコに乗っている。


カヤノヒメ/鹿屋野比売

 草の女神。オオヤマツミの妻。ツチノコや草葉を操る。

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