六.ツチノコに乗った女神・チル
虫人とは、爬虫類のような頭部を持つ怪人である。
目はつり上がり間が離れている。頭髪はなく、鱗のような皮膚に覆われており、直立しているにも関わらず、ズルズルと這いずるような音が聞こえた。
先頭の怪物に付き従うように、無数の巨大な蛇や、ヤモリ等が這い進んでいる音であった。
元来「虫」とはマムシの姿を象った文字であり、蛇や蜥蜴といった爬虫類を指すものだ。
(余談だが「爬」は「地を這う」という意味。余り知られていないが「獅子身中の虫」の虫とは蛇の事である)
今日の我々が連想するような蟻や蜘蛛といった昆虫・節足動物については「蟲」の文字を当てて区別していた。もっとも「種々雑多な、得体の知れない生き物」という意味合いであったが。
(こいつら……最初の奴以外は人じゃあねーな。
山に住んでる虫たちが使役されてるんだ。
どういう事だ? 外敵用の見張りにしちゃ、目立ち過ぎな気もするが……)
ツクヨミの「影」のお陰で、スサノオとツクヨミは虫人に気づかれていない。
(……どーすんだツクヨミ? 背後から襲いかかるのか?)
(好戦的だなぁスサノオは……
それよりも、気になる事がある。
彼らの遥か後方に……何かいるのに気づいたかい?)
ツクヨミに促され、虫人たちの後ろに目を凝らすと……奇妙な影があった。
人と同程度の大きさの虫人に比べ、全長一尺(註:約30センチ)程度の小さな蛇である。しかし……胴体が槌のように異様に膨らんでおり、フキの葉らしきものが背中にへばりついていた。
(……ツクヨミ。あれは一体……あれも、虫人の仲間なのか?)
(いや、あれは違う。野槌……ツチノコとも呼ばれる、珍しい生き物だね)
(へえ……なんか間抜けな感じで、可愛らしいかもしれねーな)
(スサノオ。真に驚くべき所はツチノコじゃない。フキの葉が見えるだろう?)
(……見えるけど、アレがどうかしたのか?)
スサノオは怪訝そうに、ツチノコの背中を注視した。すると……
フキの葉の裏に、五寸(註:約15センチ)ほどの大きさの、幼い女神の姿が垣間見えた。
(なッ……なんだアレ! 女神なのか? アワシマより小っちぇえぞ!?)
(この地で生まれたばかりなのかもしれない。
スサノオ。彼女と接触してみてくれ)
(え、オレがやるの? ツクヨミが行けばいいじゃねーか!)
(こういうのは、精神年齢が近いスサノオのが適任だと私は思うよ)
(ツクヨミ今、暗にオレの事を子供っぽいって蔑んだ……?)
(気のせいだよ……とにかく、頼んだよ)
(しょうがねえな……)
幸いツチノコの進む速度は遅く、先頭を歩いていた虫人たちはすでに遠く離れていた。
今ならそっと顔を出しても、他の連中に気づかれる事なく、幼い女神に話しかけられるだろう。
「よっ」
スサノオはできるだけ身を屈め、女神の目線と対等になるような地形を選んで姿を表し、軽めの挨拶をした。
「よっ」
ツチノコに乗った幼い女神も、スサノオに合わせて挨拶を返す。
「オレはスサノオっていうんだ。君の名前は?」
「あたい、チル!」幼い女神は元気いっぱいに答えた。
「チルちゃんって言うのか。かっこいい生き物に乗ってるなぁ」
「えへへー。かっこいい? あたいのいちばんのともだちよ!」
「そいつは凄い……でもこんな所で、何してるんだ?」
「みまわり! さいきんわるいやつ、やまにでるって、かかさまいってた!」
「見回りか……偉いなチルちゃんは。一柱で出歩いてるのか?」
「ひとりじゃないよ! つっちーがいる!」
チルと名乗った幼い女神は胸を張る。「つっちー」というのは彼女が乗っているツチノコの事らしい。
名前を呼ばれ、心なしかツチノコも胸を張っているように見えた。
「そうか……山に出る悪い奴って、どんな事をするんだ?」
「あいつら、ひどいのよ! きをいっぱい、きっちゃうの!
ククノチさま、かわいそう……かかさま、とってもおこってた!」
「実はオレも、その木を切り倒した悪い連中を追って、ここに来たんだ」
「えっ、そうなの? スサノオは、いいかみさま?」
「……自分で自分の事を『いい神様』って呼ぶのは気が引けるんだが……
少なくとも、チルちゃんを手伝う事くらいは、できるぜ」
「チルのこと、てつだってくれるの? スサノオ!」
「ああ。チルちゃんも、何か知っている事があったら、オレたちに教えてくれ。
そしたら──」
スサノオは右手を広げ、何も持っていないのをチルに見せた後……奇妙な仕草をして手を握り、再び広げた。
すると何もなかったはずのスサノオの右手に、青みがかった勾玉が出現した。
「わー! すごい! きれいなたま、でてきた!」
「こんなので良かったら、チルちゃんにあげるよ」
「ありがとースサノオ! いいかみさまね!」
大喜びでスサノオの勾玉を受け取るチル。
その瞳の輝きようからも、警戒心を解き信頼を勝ち得たようである。
スサノオは、自分や他者の魂魄を利用して、物体に変化させる神力を身につけている。今生み出した勾玉も、彼の魂魄のほんの一部を作り変えた代物であった。
「スサノオと、うしろのおにーさんにも! チルからこれ、あげる!」
チルは満面の笑みを浮かべて、懐から小さなフキの葉を二枚取り出し、スサノオに手渡した。さりげなくツクヨミの気配にも勘付いている。
「おっ……くれるのか? ありがとよ、チルちゃん」
「おおきさ、たりないね! おっきくなあれ!」
「!?」
チルの言葉に反応し、小さかったフキの葉が見る見るうちに巨大化する。
スサノオの頭上を覆うぐらいの大きさに、瞬く間に成長した。
「すごいでしょ?」チルは誇らしげに胸を張った。
「かかさまがくれたの!
あめよけにもなって、わるいやつにも、みつからない!」
「……マジか。本当にすげーな!」
「でしょー! もっとほめてほめて!」
「……スサノオ。予想以上に、小さい子の扱いが上手いね?」ツクヨミが姿を表し言った。
「それ、褒めてるんだよな? ツクヨミ」
「も、もちろん」さすがに正直ちょっと引いたとは言えない。
「おにーさんたち、ついてきて! かかさまのところ、つれてってあげる!」
ツチノコに乗った女神・チルはすっかり上機嫌で、ツクヨミとスサノオを手招きしながら、山の中を進み始める。
(本当に予想以上だよ、スサノオ。
ツチノコや、気配を隠すフキの葉を操る神といえば、彼女しか思い浮かばない──)
幼い女神チルが「母様」と呼ぶ存在。
山の神オオヤマツミの妻であり、草の女神でもある──カヤノヒメの事だ。
* 登場神物 *
ツクヨミ/月読
三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。
スサノオ/須佐之男
三貴子の一柱にして疫病神。高天原を追放される。
チルヒメ/知流比売
オオヤマツミの娘で、花の女神。生後間もなく、ツチノコに乗っている。