五.実地調査
翌日ツクヨミ・スサノオ・アワシマの三柱は、第七の村の生き残りの青年・ヒノの話を聞いてから、肥川に沿って上流へ昇っていった。
ヒノの話によれば、第七の村は巫女を中心として、腕に覚えのある男衆を集め、鳥髪峯へ分け入ったそうだ。
鳥髪峯とは、肥川の源流のある山であり、踏鞴製鉄を営む羽々という一族の住処でもある。
「──つまり第七の村の人たちは、オロチが毎年暴れ狂う原因を、おおよそ見当をつけていたという事になる」
ツクヨミはそう結論づけた。
ヒノは言っていた。山に入った理由は「オロチの心臓」を貫くことだと。
オロチの心臓とはすなわち、踏鞴場を意味している。
「……やっぱり、思った通りだ。
上流に行けば行くほど、砂鉄の堆積が増して、川底が赤くなってる」
アワシマが言った。鳥髪峯付近になると、不自然な土砂の積み上げが川の周囲に見られ、簡素な堤防のようになっていた。
赤く染まった肥川は、周辺の地形より明らかに高くなっている。いわゆる天井川と呼ばれる現象だ。
何年にも渡る砂鉄の採集の末、川底に土が溜まってしまったのだろう。
「あー、こいつは……一旦大雨が降って増水したら、下流はひでェ事になるわな。
天井川になっちまってる分、水の勢いは増すし、洪水の被害も拡大する」
「今までオロチが七度も暴れてたのは……踏鞴場の連中が、砂鉄を取りまくってたせいって訳か」
スサノオの言葉に、ツクヨミは頷きつつも首を捻っている。
「確かにそれも原因だろうけれど……やっぱり奇妙だね」
「どういう事だ? ツクヨミ」
「毎年、村を一つ飲み込むほどの洪水が定期的に起きている。その時には必ず、山に叢雲が立ち上っていたそうだ。
それも各村の人々が水害に耐えかねて、山へ足を踏み入れた時に必ず、都合よく起こっている」
「オロチを……洪水を、人為的に起こしているっていうのか?」
「断言はできないが、この砂鉄の採取量。洪水の起きる時機。あからさまに不自然なんだ」
それに七年もの間、村を丸ごと飲み込むほどの水害を幾度も引き起こしながら、羽々の一族がのうのうと製鉄を営み続けられる点も、不審極まりない。
何かあるはずだ。鳥髪峯に、八稚女の村人たちを寄せ付けない、何かが。
(第七の村の巫女は、土地神だけでなく、山の神オオヤマツミの声をも聞けるほど巫術に長けていながら、オロチの心臓の襲撃に失敗している。
何にせよ、この山については念入りに調べてみる必要がある──)
「──アワシマ。肥川についてはもう、大丈夫かい?」
「ああ。川の流れと向き、周辺の地形……バッチリ頭の中に叩き込んだ」
ツクヨミの問いに、アワシマはニヤリと笑みを浮かべてみせた。
「じゃあ一足先に、第八の村に戻ってくれ。出来れば、クシナダヒメや村人たちの協力も仰いで欲しい」
「おうよ。任せときな」
「それと──もうひとつ、頼みたい事があるんだ。
酒を造っておいて欲しい。時間をかけて、とびきりに強い奴をね」
ツクヨミの追加の提案に、アワシマは驚いた顔をしたが、その理由を聞いて「しょうがねえなぁ」と苦笑しつつも、頷いた。
アワシマが引き返した後、ツクヨミはスサノオを伴って山に入った。
「……一体何をする気だ、ツクヨミ? 早速敵の本拠地に殴り込むのか?」
「いや、今の段階でそれは無謀すぎる。第七の村の巫女と同じ轍を踏みかねない。
確かめたい事が幾つかあるんだ。この山に住まう神々と会ってね」
山に住まう神々と聞いて、スサノオは少し違和感を覚えた。
第七の村の巫女は、途中まで山の神の言葉が聞こえていたのに、山中で不意に声が途絶え、混乱したという。
果たして山の神は、ツクヨミやスサノオに対し友好的な態度を取るだろうか?
「スサノオには護衛を頼むよ。ヒノの話では、オロチの下僕だという虫人とかいう連中が巣食っているらしい」
「なるほどね。そういう事ならオレの領分だぜ。任せときなツクヨミ!」
二柱が分け入る山の上空には、不吉な叢雲が湧いているのが見えた。
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「……ツクヨミ。山の中に入ったはいいが、やっぱり山の神の記憶を読むのか?」
「そうだね。少々難しいが、やってみよう──」
ツクヨミの持つ、触れた人や神、そして物体の記憶を読む神力は、傍から見れば万能のように思える。
しかし山の神オオヤマツミは、国津神の中でもかなり特殊な存在で、葦原中国全ての山に同一に宿る神なのだ。
つまり、オオヤマツミの記憶の一部を読み取ったとしても、それがこの鳥髪峯に関する記憶とは限らない。
また他の神々と比べ、山の寿命は凄まじく長い。まさに悠久と呼べるほどの時の中を過ごしている。
いかな月の神ツクヨミといえど、膨大な量の山の神の記憶の中から、必要な情報を抽出するのは骨の折れる仕事だった。
「……ヒノさんの話を聞いておいて良かったね。
彼の証言から把握できた、第七の巫女が山に乗り込んだ時期に絞って記憶を読むとしよう」
ツクヨミは大地に手を触れ、膨大な神々の記憶を掻き分け、オオヤマツミの言葉を探った。
第七の巫女と、彼女に率いられた村人の姿が見える。
(第七の巫女の巫術は、目を見張る力量だ。本来、山の神の言葉や感情など、人間はおろか同じ神々ですら推し量る事は難しい。
にも関わらず彼女は無数の草木、獣、虫、そして蟲などが発する雑音の中から、オオヤマツミの声だけを聴き分けて進んでいる──)
山の地形が人為的に細工されている事にも、第七の巫女は気づいていた。
遠目には分からないが、オロチ一族は木々を切り倒し、山道をわざと迷いやすい構造に作り変えている。今まで村人たちが「オロチの心臓」に辿り着けなかったのも、これが原因だろう。
第七の巫女の一団は、順調に進んでいるかに見えた。
だが峯の半ばまで来た頃に、山のあちこちから木の神ククノチの──声なき悲鳴が木霊するようになる。
ただでさえ聴き分けるのが困難なオオヤマツミの声は、ククノチの悲痛な叫びによってかき消されてしまった。
(……巫女たちの侵入に気づき、山の木々を切り倒したのか。それも膨大な量を。
村人たちが言っていた『オロチの身体が動いた』とは、奴らの伐採によるものだったのか)
「──ツクヨミ」不意にスサノオが小さく声をかけた。
「気味悪ィ気配が近づいてくるぞ。虫人って連中じゃあねーか?」
途端にツクヨミの思考は、巫女の記憶の世界から現実へと引き戻される。
耳をすませば確かに微かに、枯れ草を踏み分ける音が聞こえる。こちらの侵入に気づかれたらしい。
「どうする? やり合うか?」
「……一旦、やり過ごそうか」
言うが早いかツクヨミは、己の纏う闇の御衣を広げ、スサノオをも包み込む「影」を生み出した。
この影は気配を消し、周囲の自然──日蔭鬘や檜、杉などに溶け込む力を持つ。どちらかと言えば擬態に近い。
二柱が息を潜めていると、異形の連中……虫人たちが姿を表した。
* 登場神物 *
ツクヨミ/月読
三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。
スサノオ/須佐之男
三貴子の一柱にして疫病神。高天原を追放される。
アワシマ/淡島
小さな神。手先が器用で、医薬や酒造が得意。
オオヤマツミ/大山津見
山の神。ヤマタノオロチの「身体」と化している。
ククノチ/久久能智
木の神。伐採されすぎて瀕死となっている。