四.クシナダヒメ・後編
「ところで、クシナダヒメさん。ヒノさんから聞いたのだけど──」
ツクヨミは前置きしてから言った。嘘は言っていない。
ヒノの言葉か、記憶か。その違いがあるにはあるが、ツクヨミにとっては些末な事なのだ。
「この八稚女という村群では、ヤマタノオロチという怪物が暴れ回っている。
そして今まで、七つの村がオロチに飲まれてしまった……と」
ツクヨミの言葉を受け、クシナダヒメは悲しげに頷いた。
「……ええ。今まで七つの村と、村の巫女である姉さま達は、オロチの暴虐に対抗すべく様々な手を打ったのですが。
結果は皆同じ。最後はオロチの無数の牙に飲まれ、壊滅の憂き目を見たのです」
クシナダヒメは言葉を一旦切り、躊躇ったが。
やがて震えた声で続けた。
「──ですので、隣村のヒノをお救い下さった事、村を代表して、心よりお礼申し上げますわ。
長旅でお疲れでしょうから、こちらで今夜の宿と食事も用意いたします。
夜が明けたら、手遅れにならないうちにこの八稚女の地を離れて下さいませ」
「は!? ちょっと待てよ。何でそうなるんだ?
オロチはどうすんだよ? この村だけで対抗できるのかよ?」
スサノオが面喰ったような声を上げたので、クシナダヒメも驚いた様子だった。
「……ええ。先ほど、村の方々との話し合いの結果。
このわたし、クシナダヒメを。オロチを鎮めるための贄として捧げるという提案が為されました」
「贄って……アンタがか? オロチに食われるって事だぞ?」
「……村を、救うためです。他に方法が無いのであれば、やむを得ません」
「……本当に、そう思ってるのかよ」
「…………はい」
クシナダヒメは毅然としていたが、スサノオは彼女の瞳をまっすぐに見つめた。
……クシナダヒメが、緊張に耐えきれなくなり、わずかに視線を逸らす。
「ほら、嘘だ」
「なっ…………」
「村のためったって、自分の身を犠牲にして村を救おうだなんて。
アンタだって、心の底から納得しちゃいないだろう?
オレがアンタの立場だったとしても、きっと同じように思うだろうぜ」
スサノオの指摘に、クシナダヒメは俯き、肩を震わせていたが……やがてキッと目を見開き、スサノオを凄まじい視線で睨みつけた。
先ほどまでの清楚な様子が一変し、思わずスサノオも一歩身を引いた。
「……貴方にわたしの何が分かるっていうのよ!?
さっきから聞いてれば、知った風な事を!
巫女は村に災いが振りかかった時、それを命懸けで祓わなきゃいけない!
父母からずっと、そう教わって育ってきたわ。
それがわたしの使命なんだ、って……」
クシナダヒメは心に溜まっていたモノを、堰を切ったように吐き出していた。
それと同時に感情が昂ぶったのか、目尻に僅かに涙が浮かんでいる。
鬱屈した苛立ちと羞恥心を誤魔化すかのように、女神は声を張り上げた。
「オロチの贄になるなんて、誰だってきっと嫌でしょうよ!
だけど、仕方ないじゃない! 今まで七つの村が、姉さまたちが、必死になってオロチの暴虐を防ごうとして……
でもなす術もなく、村ごと飲み込まれていったのを、何度も見てきたのよ!?
今更わたしにどうしろっていうのよ? 村のみんなが、わたしを犠牲にしたいって言うなら、望み通りにするしか……今のわたしにできる事といったら……それ、くらいしか……」
興奮して叫び続けたクシナダヒメだったが、緊張の糸が切れたのか、不意に身体の力が抜け、ふらついた所を……スサノオが支えた。
「……済まなかった、クシナダヒメ。言い過ぎた」
「…………」
「アンタの都合や立場を、考えてなかった。それは謝るよ。でも……
オレは嫌だったんだ。アンタを生贄に捧げるなんて」
「……どうして、そう、思ったの……?」
弱々しく尋ねるクシナダヒメに、スサノオは一瞬言葉に詰まった。
このごく短い間で、少なからぬ好意を抱いた為とまでは、流石に言えない。
「それは、その……ホラ。根拠薄弱じゃねーか?
クシナダヒメが犠牲になったからといって、オロチが鎮まるなんて保証、どこにもねえだろ?」
「スサノオの……言う通りだね」
苦し紛れのスサノオの言葉の後を継ぎ、ツクヨミが助け舟を出した。
「今までの事情を聞く限り、色々と腑に落ちない点がある。
七つの村が丸ごと飲まれてしまっている以上、貴女一柱を生贄にしたところで、問題が解決するとは考えにくいからね。
もう少しオロチについて調べてから決めても、手遅れにはならないだろう」
ツクヨミは至極冷静に言ったが、やや興奮気味だったスサノオとクシナダヒメにとってそれは有難かった。
「……何、原因を調べるだけさ。時間はさほどかからないよ。
それぐらいなら、この村に何日か居させて貰えるよね? クシナダヒメさん」
微笑みかけてくる月の神の言葉に、クシナダヒメも小さく頷くしかなかった。
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ツクヨミ達は第八の村への滞在を願い出るため、土地神の社に伺いを立てた。
この土地、八稚女を守護する神の名は、アシナヅチ・テナヅチという夫婦神で、クシナダヒメの両親に当たるのだという。
しかしツクヨミ達が目にした二柱は、土地の守護神としては余りにも弱々しく、年老いていた。
姿形も定まっておらず、ツクヨミが挨拶している間も、その輪郭はぼやけたり、手足が異様に長く見えたり、あるいは手足のない蛇のような外観に見えたりした。
(度重なるオロチの襲撃で、村ごと社を破壊され続けた為だろうか?
本来の姿を推し量る事すら困難なほど、力を弱めてしまっている……
この衰えぶりは尋常ではないな。彼らを産んだという山の神、オオヤマツミより老けているじゃあないか)
オロチについて調べる許可を求めた事に対しても、アシナヅチ達は弱々しく頷くだけだった。
彼らの心情や言葉を聞く事は、もはや娘であるクシナダヒメにすら難しい。
確実に言えるのは、アシナヅチ達はもう、ヤマタノオロチに抗う力もなければ、助力を乞う事もままならないだろうという事だけだ。
* 登場神物 *
ツクヨミ/月読
三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。
スサノオ/須佐之男
三貴子の一柱にして疫病神。高天原を追放される。
アワシマ/淡島
小さな神。手先が器用で、医薬や酒造が得意。
クシナダヒメ/櫛名田比売
八稚女第八の村の巫女にして、稲田を司る女神。
アシナヅチ/足名椎
テナヅチ/手名椎
山の神オオヤマツミの子で、八稚女を守護する夫婦の土地神。




