二十一.クシナダヒメの覚悟
クシナダヒメは震えながらも、床に落ちていた一振りの鉄剣──オロチ族の長兄ヒイが使っていたものだ──を拾った。
慣れない手つきで剣を取り落としそうになりながら、切っ先をムラクモへ向け、彼と倒れたスサノオとの間に立ち塞がった。
「……一応、何の真似か聞いておこうか?」ムラクモが呆れたような声で問うた。
「スサノオは……殺させないッ……わ、わたしが相手よ!」
クシナダヒメは震え声で、及び腰だったが、ムラクモを睨みつけて叫んだ。
「バ、馬鹿ッ……クシナダ。お前だけでも逃げろッ……!」
「逃げたらスサノオ、殺されちゃうじゃない!
貴方を犠牲にして生き延びて、それでわたしが、ツクヨミ様達が、喜ぶとでも思ってるの!?
わたしだって怖いわよ。でも……スサノオが殺されるのはもっと怖い!」
「ン~~~~フッフッフくくく。素晴らしい!
敵わぬと知りながらも、傷ついた男のために身を挺する女!
その気持ち! その行動! まさしく愛だ!」
ムラクモは言葉とは裏腹に、心底馬鹿にしたような口調で褒めそやした。
「このムラクモ、思わず心を打たれてしまった……
クシナダヒメ、と言ったね? 貴女の愛に免じて、選ばせてやろう。
そこに転がっているスサノオか、八稚女の村人たちか。
どちらか好きな方を、今ここで選びたまえ」
「…………どういう、事?」呆然とするクシナダヒメ。
「選んだ方を助けてやろう、と言っているのだよ。クシナダヒメ。
貴女が今ここで、スサノオを選べば、スサノオを助けてやろう。その代わり村の連中は滅ぼす。
逆に村人たちを選ぶなら、奴らは助けてやる代わりに、今すぐにでもスサノオの命を貰い受ける」
ムラクモは嗜虐に満ちた笑みを浮かべ、クシナダヒメの表情が真っ青になる様を愉しんでいた。
慈悲をかけているように見えるが、実際はクシナダヒメに「どちらかを見捨て、殺せ」と命令しているようなものだ。
「そ、そんなの……選べる訳ないじゃないッ……!」
「選ぶのだよ、クシナダヒメ。貴女は選ばなくてはならない。
何故なら貴女は『弱者』だからだ。弱者が何もかもを手に入れて、幸せになれるほど……世の中都合よくは出来ていないのだよ。
いつの世もそうだ。強者が全てを手に入れる。弱者は強者に媚び、『おこぼれ』に預かるしかない。
貴女が本当に守りたいもの。一緒にいたいと思うものは、どちらだね?
その決断が今、迫られているのだ。
……一分(註:約3分)だけ待ってやろう。それまでに、決めろ」
静寂が訪れる。
クシナダヒメは剣を構えたまま俯き、考えあぐねている様子だった。
「……ムラクモ。聞いていい?」
「何なりと。答えられる事ならね」
「仮にわたしがどちらかを選んだとして……わたしをどうする気?」
「そうだね。貴女は敵ではあるが、個人的にはなかなか気に入った。
一見して非力な村娘でありながら、愛の為に身を投げ出す覚悟があった。
クシナダヒメ。貴女には、このムラクモの──最強たるオロチの一族の妻となる栄誉をくれてやろう」
「そんなものッ……わたしが心から貴方に従うとでも?」
「従わぬだろうさ。むしろ、屈服などしてくれるなよ?
身体は縛られようと、心まで我にひれ伏してしまっては、興冷めというものだ。
……それが良いのだよ、クシナダヒメ。
我はムラクモ。オロチ族の長。この地上を統べる最強の王となる者だ。
貴女の愛も、献身も。我に向ける憎悪でさえも。
全てをありのままに受け入れよう」
ムラクモのひどく歪んだ求愛行動に、クシナダヒメの背筋に怖気が走った。
「それだけの愛を持ちながら、敵に屈せざるを得なかった。
その事実が素晴らしいのだ。
オロチ一族がいかに強大で、地上を支配するに相応しい王族であるかという──何よりの証となろう」
さらに静寂が続く。
「──時間だな。答えを聞こうか? クシナダヒメ」
「……選ばない」クシナダヒメは毅然と言った。
「何だと?」
「選ばないって言ったのよ。スサノオも、村の皆も。殺させないッ……!
どうしても殺したいなら、このわたしを殺してからにしなさい!」
「ンなッ……!? 何言ってんだよ……クシナダッ……!」
スサノオが息も絶え絶えの状態で、信じられないといった声を上げる。
「ごめんね、スサノオ……最初にあんな事言ったのに……
いざとなったらわたし、自分でも馬鹿だなぁって思える選択をしちゃった……
でも、許せなかったのよ。選択に従ったら……どんな結果になっても、わたしはこいつの思い通りに動かされるだけだって、思ったから……!」
クシナダヒメは震えながらも、剣を構えて戦う姿勢を見せた。
もちろん彼女に剣の心得などない。結果は火を見るより明らかだろう。
「ほほう! ここまで威圧をかけても、なお我儘を通すか!」
ムラクモは初めて楽しげに哄笑した。
「少々意外だったが……ますます気に入ったよ、クシナダヒメ!
貴女の愚かにして気高い決断に敬意を表し、その命だけは助けてやろう」
ムラクモの穢れの気配が膨れ上がり、彼の足元から無数の錆色の蛇が姿を現す!
それらは凄まじい速度で地面を這い進み、あっという間にクシナダヒメの全身に絡みつき、縛り上げ──身体の自由を奪う。
「……あがッ……はッ……ああァッ……!?」
「クシナダッ……!」
悲痛な叫びを上げ、苦悶するクシナダヒメ。スサノオはなす術もない。
「クシナダヒメ。貴女が悪いのだよ」ムラクモは諭すように言った。
「貴女は選ばなかった。我は貴女が選ばなかった時にどうするか──考えていた。
スサノオも、村人も。皆殺しにしよう。
弱者の分際で欲張った報いを受けるがいい」
「…………ッ!?」
クシナダヒメの顔に絶望の色が強く宿ったのを見て、ムラクモは満足げに邪悪な笑みを浮かべた。
彼はゆっくりと倒れたスサノオに歩み寄り、天叢雲剣の刃を首筋に近づけ……そのまま振り下ろした!
* 登場神物 *
スサノオ/須佐之男
三貴子の一柱にして疫病神。高天原を追放される。
クシナダヒメ/櫛名田比売
八稚女第八の村の巫女にして、稲田を司る女神。
ムラクモ/叢雲
オロチ一族の末弟。青年ヒノに化けていた。天叢雲剣を持つ。




