二.スサノオ御一行
八稚女第七の村がオロチに蹂躙され全滅してから、数日後。
この地──鳥髪峯の麓に、三つの影が分け入って来るのが見えた。
彼らは人ではない。神であった。三柱の神々。
先頭の一柱は、輝くような銀髪と、明るい望月の如き美しい顔を持ち、紫色の闇の御衣を纏っている。
三貴子の一柱にして、月の神ツクヨミ。
中央の一柱は、快活そうな少年のような風貌でありながら、勝気で粗野な印象を受ける男神。
同じく三貴子にして、ツクヨミの弟であるスサノオ。
最後の一柱は、身の丈一尺(約30センチ)ほどの背丈しかない、見た目には童のような神。
見かけによらず実は最年長であり、イザナギ・イザナミの神産みで二番目に産まれながらも、その神々の中に数えられぬ不具の子。
名をアワシマと言った。とある事情から、ツクヨミ達と共に旅を続けている。
「……いったい何なんだ? ここ……」スサノオは怪訝そうな声を上げた。
「おいツクヨミ! お前が言ってた事と随分、様子が違ってねーか?
稲作の盛んな、たくさんの村があって、人も大勢住んでるって話だったじゃあねーか」
スサノオの言葉も、もっともだった。
ここに来るまでの道中に人の姿はなく、洪水によって荒れ果て、打ち捨てられた廃村の跡ばかりだったからだ。
「……確かに、妙だね。以前私が訪れた時とは、全く変わり果ててしまっている」
スサノオの言葉を受け、ツクヨミも沈痛な面持ちで眉をひそめた。
「……ただの川の氾濫じゃあねーな」
ずっと周囲の様子を観察していたアワシマが、口を開いた。
「土の色が妙に赤い。こいつは……砂鉄だ。
錆びた鉄が、土に色濃く混ざってやがる。
川の上流に、大規模な踏鞴製鉄の集落でもあるんだろうな……」
踏鞴とは足で踏む型の鞴の事だ。複数用いる事で絶えず火に空気を送り込み、燃焼を助ける道具である。
山陰地方たる出雲の踏鞴製鉄は、主に砂鉄を原材料とし、木炭を燃やして比較的低温で還元し、高純度の鉄を得られたという。
そうこうしている内に、川の上流から流れてきたものがあった。箸である。
「箸……上流にまだ村が残っているのかね?」スサノオは目を凝らした。
だが、上流から次々と流れてくる物体は、箸だけに留まらなかった。
砕けた臼。バラバラになった茅葺の屋根。そして……幾つもの水死体。
村は確かにあった。もはや過去形ではあるが。
「…………ッ!?」
かつての村の残骸の数々に、思わずアワシマも目を背けてしまった。
ツクヨミは流れてきた水死体のひとつに触れた。
彼は月の神であり、「月日を読む」神力を持つ。
人や神、物体に触れる事で、その記憶を読み取る事ができるのだ。過去を、時には未来をも。
ツクヨミは水死体の持つ過去の記憶を読んだ。
やはりツクヨミが以前訪れた事のある、八稚女の村人であった。
「彼らは……『オロチ』に飲まれたようだ」
「何だよ? オロチって」
「分からないが……村の人々は赤い洪水の事を『ヤマタノオロチ』と呼び、恐れていたのは確かだ。
過去に七度もオロチが猛り狂い、そのたびに村が一つずつ、丸ごと飲み込まれている──」
ツクヨミの脳裏に映る、村人の最期の瞬間の記憶。
氾濫する濁流の中に、無数の赤い瞳を持つ怒りに満ちた蛇の姿があった。
確かに恐るべき光景だ。だがいかに河川の氾濫があったとて、ここまではっきりとした蛇の群れの姿が、神力も持たないただの人間に知覚できるとは……只事ではない。
ツクヨミ達は水死体の「時を流し」、危険な荒ぶる禍神とならぬように、白骨化させた上で埋葬する事にした。
流石に全ての犠牲者を弔うまでには至らなかったが、日が暮れるまで出来る限りの事をやろうという話になった。
スサノオもアワシマも、こういう時に嫌な顔ひとつせず、浄化を手伝ってくれるのは有難い、とツクヨミは思うのだった。
「……ツクヨミ! スサノオ! こっちに来てくれ!
まだ息のある村人がいるッ! 助けてやらねーとッ……!」
突如アワシマが切羽詰まった声を上げた。彼が見つけたのは、傷だらけの青年だった。
アワシマは手先が器用な神で、医薬や医療も得意としている。
彼の的確な応急処置及び指示、そしてツクヨミとスサノオの尽力により、気を失っていた青年は息を吹き返した。
「オイラの声が聞こえるか? 自分の名前は言えるか?」
「……ヒ、ノ……」
アワシマの呼びかけに、青年は弱々しく答えた。
命に別状はないようだが、衰弱しており歩けそうにない。
余り長々と喋らせても負担が増すと判断したツクヨミは、ヒノと名乗った青年の手に触れ、記憶を読む事にした。
「……どうやら、八稚女の村はまだ全滅した訳じゃない。
最後の一つがまだ残っている。
ヒノさんは、その村に向かおうとしていたようだね」
「本当か、ツクヨミ。早速行ってみようぜ!」
詳しく話した訳でもないのに、状況の飲み込みの早いツクヨミに、ヒノは不思議そうな表情を浮かべた。
「ん? なんでツクヨミがこの辺の村に詳しいのか知りたそうだな。実はこいつ、記憶を──」
「──以前、この地を訪れた事があるからだよ。そうだよね、スサノオ?」
スサノオの言葉をツクヨミは遮った。そして目配せする。
(スサノオ。私の神力についての話はあまりしない方がいい。話がややこしくなるだろう?)
(……そーだったな、すまねえ)
少々やり取りに、ギクシャクした所はあったものの。
村があると分かった途端、スサノオは目を輝かせ、ヒノを背負って歩き出した。アワシマも後に続く。
オロチの恐怖の記憶に飲まれ、若干気圧されていたツクヨミにとって、弟の元気な態度は救いだった。
* 登場神物 *
ツクヨミ/月読
三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。
スサノオ/須佐之男
三貴子の一柱にして疫病神。高天原を追放される。
アワシマ/淡島
小さな神。手先が器用で、医薬や酒造が得意。