十二.エビスと胸形(ムナカタ)三女神
エビスと呼ばれた福々しい神は、最後にツクヨミとも握手を交わし、さらに笑みを大きくした。
「おーっほっほう! こりゃこりゃ、オオイチヒメよ!
今宵はまた、渡来の酒でも一献、ひっかけたくなるような別嬪さんを連れとるじゃあないか!
仕事一辺倒のお前さんらしくもない。どういう風の吹き回しじゃね? ン?」
「あー……うん、見間違えるのも分からなくもないんですけどォ。エビス様。
こちらのツクヨミ様は、月の神……れっきとした男神です」
「ほォ~~~~これが! 男神! 世の中広いのォ~~~~!!」
紹介されたツクヨミの美しい顔を、エビスは大袈裟に驚きながら眺め回した。
「……ご紹介に預かりました、ツクヨミです。エビス様」
女神に間違われるのは毎度の事だが……それでもツクヨミの顔は若干引きつっていた。
「ツクヨミ様っちゅーたら、アレか! スサノオの兄様だったかのォ!
カッハッハ! こいつは偶然にしちゃー出来過ぎかもしれんのォ!」
「? それは一体、どういう……」
「今回の航海ではのォ、つつがなく韓国を行き来するために、宗像君の協力を得ておるのよ!
つまりこのワシも! 別嬪さんを連れておるのさ! しかも三柱ものォ~!」
エビスは満面の笑みを浮かべたまま、大声で他の舟に呼びかけた。
ツクヨミは彼の言葉を聞いて思い至った。
海洋民族たる宗像君の奉ずる三柱といえば──
丸木舟からひょっこり顔を出したのは、身の丈四尺(註:約120センチ)ほどの少女の姿をした三神。
彼女らはいずれも美しい容姿をしているが、胸や肩に刺青らしきものが見える。海難除けの刻印だ。
「ご挨拶しなさい! お前たちの叔父にあたる、ツクヨミ様だよ!
滅多に会える御尊顔じゃあないからのォ! 粗相のないようにッ!」
エビスに促され、三柱の少女神はおずおずと前に進み出て、やや緊張気味に挨拶した。
「タキリです! ツクヨミ様! お会いできて光栄ですっ!」
長女と思しき一際快活そうな女神が、やや上ずった大声で名乗りを上げた。
「……サヨリです。宜しくお願いします」
次女と思しき、知的な印象を受ける女神が、やや控えめに名乗った。
「タギツと申します。以後、お見知り置きを」
三女と思しき、素朴でおっとりした女神が、物腰柔らかに名乗った。
彼女たちは胸形三女神。名をタキリビメ、サヨリビメ、タギツヒメという。
かつてスサノオが高天原に上った時、アマテラスとの誓約を経て産まれた女神であり、後に玄界灘の航海の安全を司る神として崇拝される事となる。
韓国からもたらされる餅鉄は、河川に流され文字通り餅状となった鉄の事で、葦原中国ではごく一部の限られた地域でしか採れない。
その上、砂鉄よりも不純物が少なく、鉄にしやすい金属素材として重宝されてもいた。
神々の紹介や挨拶、交易物品の計算及び交換を経て、エビス達の長旅を労う簡素な宴席が設けられた。
「交易の品として韓国に運ぶ木材、しめて四十石!
全て積み終えたのォ。カッハッハ! よきかな!」
オオイチヒメの振舞った五穀米を満足げに口に運ぶエビス。
そんな彼に対し、宴席に交じったツクヨミは唐突に切り出した。
「エビス様──このツクヨミ、この場に居合わせたのは。
お願いしたい事があっての事なのです」
「フゥム? このエビスに願い事とな?
ワシャー色んな神や人の願いを聞かされるでのォ!
言うてみい。叶えられる願いであれば、聞いてやろう!」
エビスは笑みを絶やさぬまま、ツクヨミの言葉を受け入れた。
「急な話ですのに、痛み入ります──」
「カッハッハ! 気にしなさんなァツクヨミよ!
ワシはのう……お前さんの察しの通り、ヒルコと呼ばれておった神よ。
産まれた後、父母によって舟で流され、海を彷徨っておった頃……ワシは偶然、勇魚(註:クジラ)の屍を見つけた。
気まぐれでワシは、この勇魚を近くの沖に引っ張ったんじゃが……そしたら人々に大層喜ばれてのゥ~」
日本沿岸の地域では、こうした漂着物を「エビス」と呼び信仰したという。
クジラの死骸の漂着により、飢えから救われたり、思わぬ収入を得る事ができたからだ。
「様々な漂流物を引っ張っているうちに、いつしかワシは『寄り神』(註:漂着物の神)として崇められるようになった!
『捨てる神あれど、拾う人あり』っちゅー奴じゃなあ! カッハッハ!
ワシのような醜い神でも、人々に笑顔をもたらす事ができる! 今のワシがあるのも、ワシを崇めてくれた人々のお陰よ……感謝せにゃーなあ!
恩に報いるためにも、御利益をもたらさにゃーなるまいて!」
豪快に笑うエビスに、ツクヨミが願い出た内容は──その場にいたオオイチヒメや、胸形三女神らも驚きの表情を浮かべた。
「ほほう──なかなか難儀な頼みよのゥ~。
韓国には確かに──お前さんの言う『アレ』は現存しておる。この目で見たからのゥ。
じゃがなぜゆえ、お前さん……『アレ』を知っておる?」
「──聞いた昔の記憶に、残っておりましたゆえ」
ツクヨミの言葉は嘘ではないが、本当とも言い切れない。
確かに『昔の記憶』に残っていたものであるが……それは先刻、エビスに触れてツクヨミが読み取ったものだからだ。
「フーム。して、その願いの理由は?」
「我が弟スサノオの為。そして──オロチ族の暴走を正し、出雲の地の均衡を保つためです」
「……フーム、やってやれない事はないがのゥ……」
「無論、見返りはあります。エビス様。貴方に新たな力を──『漁業神』の神格を授けます。
この月の神ツクヨミの知識──潮の満ち引きによる、魚たちの産卵時期の記憶と周期を。お教えしましょう」
「ほお…………! それはまた──」
ツクヨミの提示した条件に、エビスのどんぐり眼が大きく見開いた。興味津々の様子だ。
神の司る神格の数は、そのまま神力の強さに繋がる。エビスはツクヨミから知識を教わるだけで、より強力な神に生まれ変われるという訳だ。
「潮の満ち引きが分かると──何が良くなるの?」
末娘のタギツヒメが、小声で次女のサヨリビメに尋ねた。
「産卵時期が把握できれば、いつ漁に出かければ魚が沢山採れるか、予測しやすくなるのよ、タギツ」
理解の早いサヨリビメは、同じく小声で答えた。
「へー! つまり潮目さえ分かれば、効率よく大漁旗を掲げられるようになるって事かぁ!」
長女のタキリビメが、全然小声じゃない調子で感心した。
「──いかがでしょう? エビス様」
「フーム……しかしのゥ、韓国に『アレ』を譲るよう交渉するにしても、ちと釣り合わぬ気がするのゥ」
願い事を聞き慣れているエビスといえども、腕を組んで思案顔となった。
ツクヨミの求める品は、韓国にとっても国宝に等しい。それを譲らせるというのだから、当然の反応と言えた。
考え込むエビスをさらに一押しするため、ツクヨミは考えた末──隣にいるオオイチヒメを見やった。
「それでしたら、そうですね……オオイチヒメ」
「……へ? アタシ?」
「今回の取引で残った木材、25.6石──まだ引き取り手はないよね?」
「まあ──そうだけど」
「全て、このツクヨミが買おう。
そしてそれらを無償で、エビス様にお譲りします」
『なッ…………!?』
ツクヨミの大胆な提案に、今度こそその場の全員が絶句した。
「ちょっとアナタ! それだけの量の木材を買うって──支払いどーすんのよ?」
「貴女の提案に乗る事にするよ。受けよう──共同経営者の件。
最低でも25.6石ぶんの木材代を返済するまではね」
オオイチヒメは──呆れたように大きくため息をついた。
「信じられないッ……弟のためとはいえ、そこまでする?」
「……貴女の言葉を借りれば、弟との『縁』を切らないようにするためだよ。
駄目かな? オオイチヒメ」
「たはー、一本取られたわァ。そう言われちゃ、承諾するっきゃないじゃない」
「カッハッハッハ! ツクヨミ様!
見た目に似合わず、思い切った事を言い出しよるもんじゃ! 気に入った!」
エビスは形の良い歯をむき出して、大声で笑った。
この時の取引を契機として……エビスは後に「寄り神」だけでなく「漁業神」としても、信仰を集める事となる。
「じゃが時間がかかるでのォ。
大急ぎでまた韓国に行き、現地で交渉せにゃーならんでよ!」
「……それでも、どうか。是非ともお願いします」
ツクヨミはその場に平伏して願い出た。今できるのは、これが精一杯だ。
「……ツクヨミ様。それが──我が父、スサノオ様のためになるのですね?」
次女サヨリビメの言葉に、ツクヨミは無言で力強く頷く。
「おっ父のためなら、あたし達全力で頑張るよ!
途中の航路の見回りも気合い入れる!」
「わ、わたくしも及ばずながら──父上のためとあれば」
長女タキリビメ、三女タギツヒメもまた、父スサノオに協力できると知り、俄然乗り気なようだ。
「……ま、決まりかのゥ。
ワシの可愛い守り神たちも、随分とやる気満々のようじゃし。
無茶な願いじゃが──このエビス、一肌脱いてやるとするかのォ!」
「感謝します、エビス様──タキリビメ、サヨリビメ、タギツヒメも。
皆ありがとう」
こうして、ツクヨミの提案した交渉はどうにか無事にまとまった。
エビス達は宴席を切り上げるや、再び舟を漕ぎ出し、海原へと旅立っていった。
交易による木材を韓国に届け──ツクヨミに頼まれた品を手に入れるために。
* 登場神物 *
ツクヨミ/月読
三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。
オオイチヒメ/大市比売
五穀と市場の女神。オオヤマツミの娘。風変りな性格。
エビス/蛭子
漁業を司る神。その正体はイザナギ・イザナミの最初の子であるヒルコ。
タキリビメ/多紀理毘売
サヨリビメ/狭依毘売
タギツヒメ/多岐都比売
胸形三女神と呼ばれる、航海の安全を司るスサノオの娘たち。




