表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/28

十一.商人の方針(ポリシー)

「…………いやその。お断りします」


 いきなり言われて面食らったツクヨミだったが、とりあえず拒否した。

 オオイチヒメはキョトンとした顔をしている。奇妙な事に、断られるとは思っていなかったような様子だ。しかし、首をかしげて聞いてきた。


「……えと、今、アタシなんて言った?」

「『結婚して』……と」

「…………あらゴメンナサイ。言葉の勢いっていうかアヤっていうか!

 アナタの『記憶力』がとんでもなく神がかってるから、ウチで登用スカウトしたいなーって。

 要するに共同経営者ビジネスパートナー的な意味合いで言ったのよ」


 オオイチヒメはあっけらかんと言った。

 どうやら本当に言葉を取り違えてしまっただけらしい。


「……申し出自体は有り難いとは思うけれど。

 今は残念ながら、それどころではないんだ」


 ツクヨミは本題に話を切り替えるべく、咳払いをしてから改めて説明を始めた。


「こちらの用件をまだ言ってなかったんだが。

 オロチの一族が製鉄を無軌道に行い、下流に住む八稚女ヤヲトメの村で被害が出ている。

 彼らの暴走を止めたいんだ、オオイチヒメ。

 貴女が取引に用いている、山の踏鞴タタラ場へ向かう経路ルートを教えて欲しい。

 もし教えてくれるのなら、貴女の言う共同経営者ビジネスパートナーの件、オロチの一件が片付いた後だったら考えてもいい」


 唐突な話であり、ツクヨミ自身もオオイチヒメと共に働く事に関しては乗り気ではなかったが。

 スサノオやクシナダヒメの村、鳥髪峯トリカミノミネの神々を救うためなら、やむを得ない取引だと思えた。


「……魅力的な提案ではあるけれど。

 アナタの頼みって要するに、オロチの一族を排除したいって事よね?」

「…………ああ」

「悪いけど、お断りだわ」


 オオイチヒメは冷たく言った。


「どうしてだい? 貴女だって、オロチの一族に手を焼いているんだろう?

 交換材料にもならない銅剣の山を押し付けられて、処分に困っていたし。

 物品貨幣の米不足にも悩まされていたよね? 八稚女ヤヲトメの村のほとんどがオロチに飲まれたせいで、この地の稲作が深刻な打撃を受けてしまっているからだよ?」


「……そーなんだけどさ。アタシの方針ポリシーの問題なのよね。

 商売や市取引は、どんなにキツくても、どんなに弱音を吐きたくても。最後までやり遂げる覚悟がアタシにはあるわ。

 でもね──権力闘争だとか戦争だとか。殺し合いの荒事に発展するような話には絶対、首を突っ込まない事にしてんの」


 単に臆病だとか、事なかれ主義で言っているのではない。

 オオイチヒメの言葉に、磨き抜かれた真剣のような鋭さが宿ったのをツクヨミは感じた。


「ツクヨミ。大昔、大陸に『商』って国があったのを知ってる?」

「……知っている。新たなる王朝『周』に滅ぼされ、『殷』という蔑称レッテルを張られてしまった国の事か」

「そ。国としての『商』は滅んだ。

 力があったが故に争いに巻き込まれ、負けたからよ。

 でも『商』という言葉と、人々は滅びずに今も生きているわ」


 あきないで生計を立てる人々を「商人」と呼ぶ。

 この呼称は、彼らが「商の国の人のようだ」と言われた事が由来であり、次第に定着していった。

 「商」の言霊コトダマは、暴力を失い、人々の生活に溶け込む事でその命脈を保ったとも言えるだろう。


あきないは『飽きない』って意味でもある。

 世代が移り変わっても、生きるために永遠に続けられる営みなのよ。

 商人が末長く商売を続けられる秘訣は、相手との『信頼』なの。商取引には必ず相手がいる。独りでは絶対に成り立たない。

 だから束の間の欲に駆られて、相手を騙したり、破滅させるような取引なんて、しちゃいけないのよ。

 その人との『縁』が切れてしまう。切れた縁を結び直すのは困難だし、それが別のどこに繋がっているか分からないもの。

 切り捨てた縁が、思わぬところでしっぺ返しを食らわせるわ。

 そして──道を違えた商人は、もはや『商人』ではなくなってしまう。

 『信頼』を失って破滅するの」


 ツクヨミはいつの間にか、この痩せた女神の言葉に聞き入り、深く頷いていた。


「争いに加担する事は、上手くいって勝ち組になれたとしても、負け組との『縁』がそこで切れる。

 勝ち組がいつまでも勝ち続けられるなんて、あり得ないわ。いつか必ず、もっと強い敵が現れるか、衰えたところを滅ぼされる。

 その時、かつての勝ち組に加担していた者たちは──やはり一緒に滅ぼされてしまうのよ。

 だからアタシは、市場を司る女神として。アタシを信じてくれる皆を守護する者として。

 アタシの意思で争いに首を突っ込んで、破滅なんてしたくない。あきないが続けられなくなるから。

 だからツクヨミ。アナタがオロチの一族を滅ぼす気なら、協力なんて絶対にできないわね。残念だけれど」


「──素晴らしい、オオイチヒメ。深い感銘を受ける方針ポリシーだった」


 ツクヨミは素直に彼女を称賛し、賛美した上で──言葉による反撃に出た。


「貴女の言い分ももっともだ。分かった、訂正しよう──

 この出雲いずもの地の、市場の均衡を取り戻すため。力を貸して欲しい。

 オロチの一族を丸ごと排除するのではない。彼らのやり方は他者に被害を及ぼしている。その行き過ぎを正したい。

 彼らの製鉄技術は、農耕を営む八稚女ヤヲトメの人々にとっても有益ではあるが……それだって、貴女の言う『相手』あってのものだろう?」


「…………確かに、そうね」


「一方的な関係は、いずれ必ず、どちらかの陣営の崩壊を招く。

 オロチの一族が八稚女ヤヲトメから報復を受ける事は、恐らく避けられないだろう。

 それをやらなければ、逆に彼らが滅ぼされてしまうのだから。

 八稚女ヤヲトメが滅びても、オロチ族が滅びても。オオイチヒメ、貴女にとっては大損マイナスでしかない。違うかい?」


「…………」


「この私、三貴子が一柱にして月の神たるツクヨミの名にかけて、誓おう。

 ヤマタノオロチの騒動に終止符を打つ。それも──お互いが生き残れるような形でね」


「……なるほど。そういう事なら、悪くない……いえ、素晴らしい取引ね」


 オオイチヒメは笑みを浮かべた。先刻までの張り詰めたギラギラした視線が和らぎ、温かみを取り戻したように見える。今のような極限に近い状態でなければ、きっともっと魅力的な笑顔に映っただろう。


「了解よ。アナタの言うこと、信じてみようじゃない。

 強がってはみたけれど、正直今の状況が続いてしまっては、こっちもいっぱいいっぱいだものね。

 荒事に直接関わるような事じゃなければ、出来る限りの協力をさせて貰うわ。

 ──オロチの一族との、取引に使う経路ルートを教えればいいのね?」


「……ああ、感謝する。あと済まないが、もうひとつだけ頼みたい」

 ツクヨミもまた、笑みを浮かべて言葉を重ねた。

「今夜、韓国からくにとの交易船が来ると言っていたろう?

 その取引に、立ち会わせて欲しい」


**********


 真夜中になった。

 海辺にオオイチヒメの人足たちが運び込んだ、材木が山のように積まれている。

 頼りない月明かりの中──水平線の向こうに三艘の舟が見えた。いずれも丸木舟である。


「…………見えてきたわね」


 オオイチヒメが呟いた。傍らにいたツクヨミも、舟の様子をじっと見守る。

 舟が船着き場の緩い斜面の砂浜に辿り着くと、最初の舟から恰幅の良い、豊かな髭を生やした男神が姿を表した。

 特徴的なのは肩に垂れ下らんばかりの巨大な福耳と、ニッカリと笑う柔和な表情である。


「カッハッハッハ! 久しぶりじゃのォ~オオイチヒメよ!

 韓国からくにからの餅鉄べいてつ、持ってきてやったぞい!」


「……お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ、エビス様」


(エビス……だと)


 恭しく一礼するオオイチヒメの返事を聞き、ツクヨミは豪快に笑う太った男神を思わず見やった。

 彼は気さくに、オオイチヒメや人足たちと握手や会話を交わす。


 そしてツクヨミの手を取った時、エビスの記憶を読んだ。間違いない。この神──かつてはヒルコと呼ばれし者。

 イザナギ・イザナミによる神産みの際、アワシマと同様、葦舟に乗せて流され、産んだ神の数に含まれなかった子だ。

* 登場神物 *


ツクヨミ/月読

 三貴子の一柱にして月の神。時を操る神力を持つ。


オオイチヒメ/大市比売

 五穀と市場の女神。オオヤマツミの娘。風変りエキセントリックな性格。


エビス/蛭子

 漁業を司る神。その正体はイザナギ・イザナミの最初の子であるヒルコ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ