詩「カッコウとセキレイ」
詩「カッコウとセキレイ」
カコ‐がカコウが
どうせ、死ぬには変わりないのに
カッコウの鳴く相手は
嘗て栄えたセキレイに向けて
鶏ガラの出汁は美味しい
ガラにもなく開いてみれば
そこにはうずくまる雛鳥の眼差しが
遠い時には昔のかなしみは消え果て
遥か先には切り取られた詩の思いも消え失せ
また新しい人々がその人生において
ただ喧しくする
間違えたことはいつ間違えたのかわからない
正しいと感じたことが拒まれたとて正しく言い張れるか
それは悲しみの性だ
つまらないものだと避けた言い癖が
夢見ることもしないと滑らせる光の気配には
その後、なにが起きるかは想像もつかず
現れることと繋がってゆく
流れに流れて消滅へ還っていく
どこからか知らぬが新しい人々や生き物が
あの住処に群がっている
でも、私たちは見上げている天井を見つめる
朝には鏡が寝相の悪さを曝す
走っていく時があるならそのなかで
すれ違う無言の人々がいる
彼らはいそいそと無駄な労力をおしまず
昼夜問わず、エコノミーを受け入れる
ああ 彼らと言葉を交わすことができたら
どんなにいいだろうか
それは、抱えている孤独が次に語りかける日のために
蓄えているというのだろうか
それはわからない、わからないが
走りゆくこの流れに身をゆだねている
その際、関わりゆくものへの憧れを
懐かしく丸め、無限のころが到来したかのように
慈愛から零れてしまうことを震えている