散文詩「スズメ」
散文詩「スズメ」
道路脇に一輪、花が咲いていたがある時を境に枯れてきた。自動車のよく通る道に咲いていたその花は、通りすぎる車には気づかれずに咲き盛りを過ごした。
花は枯れることで、葉肉は萎んで、花も黒ずみ濁ってきた。それが続くことで、花は自分に借りた形を、主人に返さざるをえなくなった。徐々に手放していく自分というものの印に花の全体はやつれ、花を取り巻いている空気に花の影が巻き付いた。
お釈迦様の指と比べたら、存在が見えないほどでも、よじ登る蟻にとっては支柱のような花は風化によってとうとう倒れるのであった。
蟻は自分の登った柱が崩れ落ちそうな兆候を示したので、それ以来病みついた花に近づくことはなくなった。
一週間前にこの花を見つけた雀が自分の事情で暫くこの花のところまで廻れなかったのだが、再びこちらにうろつくとあの頃はもう二度と再現されなかった。しかし、枯れてきた花のまわりに雀がなほも留まったのだが、それは雀が嘗ての花を知っているからであった。
やがて花は道端に尽き果て、根元から強い風の日に草原まで飛ばされた。また、日にちが過ぎて、変わってしまった花を地中の細菌が食べ始め、借りていたものに関しては細菌もさすがに硬すぎて消化されず糞と一緒に排出された。
もう花は道路にもなく、地上にも姿を分裂して消えてしまった。
花の道に降り立つようになったのは雀だけになったが、この雀も花と別れることもできず食べられてしまうのだろう。
悲しいことなのかはわからないが、生きているものの数はあまりに少なく増えていくのは積み重なる嘗て生きたものなのである。
花も雀も蟻でさえ、自分が消えてしまうとは思わないだろうし、消えたときには自分のことは思わないのだ。
それが普通にあることなのだと認めたところで、その影を探すのは私も雀も変わりない。
何かを残したり、何かを継がせたりすることは何かを負わせることにも当てはまる。