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廃棄世界物語R Squad   作者: 猫弾正
PA.302年 アウトブレイク
3/4

恐怖と勇気

 排水溝となっている地下道の壁には、金属製の太い銅管が通っている。

 下水管の繋ぎ目や面している壁には黄ばんだ染みが広がっている。

 中身を考えると何とはなしに匂ってきそうで、キリマンジャロはサーシャを先導しつつ、壁から距離を取ってレンガ造りの地下道の真ん中を歩いていく。

 

 地下排水溝は、ホテルの裏手にあるなだらかな土手まで通じていた。

「よっと」

 38口径のリボルバーを片手に構えながら、そっと顔を出した保安官助手は、慎重に周囲の様子を窺った。

 ゾンビらしき影や呻きは感じ取れず、ほっと安堵の吐息を洩らしたキリマンジャロの頬に雨滴が強く当たって砕け散った。

 

 幸い、風雨は大分収まってきており、視界はそれほど悪くない。

 さもなければ、さしもの無鉄砲なキリマンジャロでも、ゾンビの彷徨う市街へと飛び出そうとは思わないだろう。

「ゾンビの姿は見当たらない。行こう、サーシャ」

 

「……サーシャ?」

 キリマンジャロの呼びかけた声にも暫し気づかない様子で、サーシャは辛そうに蹲っていた。顔の血色はひどく悪く、もはや土気色に近い。

「……キリー、悪いけど銃を交換してくれない?」

 手にしたハンティングライフルを、両手で掴んでキリマンジャロに差し出した。

「ライフルの方が強いと思うし、いざという時は……なんでもない」

「……うん、分かった」

 雨に濡れた短髪をかき上げてから、保安官助手は友だちに手を貸して立ち上がらせた。

「本当に訳分からないよね。この世界は……どうかしてる」

 

 ホテルの廊下に点々と血の跡が続いている。

 跡を追いかけながら、地下道へ続くトイレのマンホールにたどり着いたゴードンは、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「あいつ……なにを考えてやがる!」

 怒り狂った保安官がトイレの扉を蹴り飛ばすと、年季のいったドアは粉砕されてしまう。

 貼り付けられていた紙切れがひらひらと舞って床に落ちた。

 

 まだ腹立ちが収まらない様子で、何事かを呟いている保安官を横目に見ながら、

「馬鹿な娘です」

 やや苦い顔で言ったアーネイとは裏腹に、首を傾げたギーネは淡々と

「とは言え、身内を見捨てられないのは人として仕方あるまい」

 ルクルスが、意外そうな眼差しをギーネに向けた。

 怜悧そうな外見から、ギーネ・アルテミスは人情味に薄い人物ではないかと思っていたが、どうやらいい意味で見込み違いだったらしい。

 

「まあ、護衛が一人いなくなったとしても作戦に支障は出ない。

 ゴードン。予定通りに出発の準備を進めよう」

 ギーネの言葉にゴードンは動かなかった。

 表情を隠すように、テンガロンハットを顔に押し当てて低く呻いた後に、再び、帽子を被った。

「ギーネ。それに、ルクルス。すまないが予定は変更だ。俺はあの馬鹿娘を連れ戻してくる」

「なに?」

 ルクルスは呆気に取られた表情を浮かべ、ギーネは静かに瞑目する。

「……待ってくれ、保安官。娘一人の為にここにいる避難民に対する責任を放棄するというのか?」

 常日頃は冷静なルクルスが、噛み付くような表情で保安官に迫った。

「四年、いや、事務所に入る前。どうしようもない悪餓鬼だった頃からの付き合いもいれると、七年か。

 あいつが子供の頃から面倒を見てきた。娘みたいなもんだ」

 懐かしそうに呟いたゴードンは、腰のオートマチック拳銃の弾装を引き抜いて、残弾を確認している。

「あなたがいなくなったら誰が指揮を取るというのだ?行かせはしないぞ」

 ルクルスが恐ろしい表情で保安官に向かって歩き出したが、誰かがその肩を恐ろしく大きな力強い掌で掴んで止めた。

 ゴードンは腰のホルスターに拳銃を仕舞うと、視線の圧力を跳ね返すかのようにルクルスを見つめ、それから彼を留めている人物に視線を移した。

「バッジ!後は任せたぞ」

 声を掛けられた副保安官が、肥満した巨体を揺すりながら親指を立てた。

「任せておけ。さっさと連れ戻してきな。ゴードン!」

 

 ギーネが呆れたように首を振りながら、男同士のやり取りに口を挟んだ。

「馬鹿なの?死ぬの?この風雨とゾンビの中を?一人で?

 ……キリマンジャロが何処に行ったかも分からないだろう」

 ゴードンは、拾い上げたメモをギーネに見せた。

 詫びの言葉と、事情の説明が下手な字で記されてある。

「まずは保安官事務所に向かうと書いてある。やつの友だちが立て篭もっているそうだ」

 

 

「保安官が行っちまった」

「何故、止めなかったの!」

 悄然として肩を落としているルクルスに、中年女性が食って掛かっていた。

「……保安官助手が馬鹿な真似をしたのも、保安官が尻拭いしに出て行ったのも俺の責か?アザリー」

 年の頃は、三十代の半ばだろうか。過酷なティアマットでの暮らしにも関わらず、容貌、体型、共に整っている妙齢の女性だったが、鬼のように顔を歪めてルクルスの胸に拳を叩きつけていては、折角の美人も台無しであった。

 

 ギーネも結局、ゴードンを止めなかった。

 危険ではあるが、必ずしも死ぬ訳でもない。

 注意深く慎重に振舞えば、そう……生き延びる芽はあるだろう。

 体力や注意力、幸運に恵まれて、アウトブレイクの町から無事に逃げ延びた人々は、すでに少なからず存在している。

 ゾンビウィルスの特に蔓延している隣町から、バット一本でここまで辿り着いた勇敢な青年だっていたのだ。

 

「相も変わらず……馬鹿な子だ」

 降りしきる雨の中、姿を消した保安官の姿を追い求めるように、ギーネは仄暗い外の光景を見つめていた。

 重々しい口調でアーネイが訊ねた。

「本当に行かせてしまって宜しかったのですか?」

「仕方あるまい。本人が行きたいと言うものを止めることは出来ぬからな」

 吐き捨てたギーネの苛立たしさが込められた口調に、アーネイは微かに瞳を細めた。

「保安官の予定は変更ですね。とは言え、我々のやることが変わる訳ではありません」

 

「ゴードン……あの馬鹿め」

 爪を噛みながら苛立たしげに呟いていたギーネだが、その背中にルクルスが声を掛けた。

「何とかならないだろうか?あなたは保安官と古いんだろう?」

「無用の危険を侵せと?Mr.ルクルス」

 一口にハンターといっても、これまでに三桁を越えるバンデットやミュータントを狩ってきたD級でもトップクラスに近いギーネと、主にキャラバンや旅人を護衛しているE級中位のルクルスとでは、貫禄が違った。

 瞑目しているギーネよりも、傍らに立つアーネイの鋭い眼差しに僅かに怯みを覚えながらも、ルクルスは言葉を続けた。

「わたしが図々しい事を頼んでいる自覚はある。だが、わたしたちでは一噛みでお終いだ。

 それにゴードンに死なれるわけにはいかない」

 額に吹き出た汗を掌で拭きながら、ルクルスは言葉を続けた。

「ミス.アルテミス。あなたの部下は、バイオソルジャーや強化人間の混成部隊だと聞いている。

 ゾンビ程度なら簡単に蹴散らせるのではないか?言ってはなんだが、こう映画みたいに」

 

「……人間より遥かに強力なバイオソルジャー部隊というのは、映画の中だけの話だよ」

 ギーネが、ほろ苦い笑みを口元にたたえながら、ルクルスを片目だけで眺めた。

「バイオソルジャーとは言え、生身に比べてそこまで強い訳ではない。

 僅かに頑丈で力強くもあるが、逆に言うとそれだけだ。

 複数のゾンビに囲まれたら、まず助からない」

 

 先進世界の超大国が莫大な資金を投じて創り上げた一握りの精鋭とかなら兎も角、ティアマット産のバイオマテリアルをニコイチして創り上げた連中が超人な筈ないのだ。

 怪我をした人間の身体を補う為の代替器官用バイオマテリアルが材料であり、本来は人間より非力で不器用だとしても不思議ではなかった。

「ティアマットの技術や設備では、まず無理です。素人の妄想ですね」

 アーネイの捕捉に、ルクルスは肩を落とした。

「……そうなのか」

 そんな材料と施設で人間より強い水準のバイオソルジャーを創れたギーネの技術と理論こそ驚異的と言っていいだろう。

 

 アーネイがそこで言葉を切って、ギーネの横顔をじっと見つめた。

「ですが……本当は助けてやりたいのでしょう?ゴードンを」

 一瞬、言葉に詰まったが、舌打ちしてからギーネは肯いた。

「ああ、そうだ。わたしはゴードン坊やを助けてやりたい」

 

「アーネイ、貴方はなにを勧めている?指揮官は無用の危険を侵すべきではない」

 血相を変えたフィーアが会話に割り込んできた。

「……もし、どうしてもと言われるのでしたら、せめて我らにご命令ください」

 ゴードンがどうなろうが自業自得と考えていたフィーアにとって、楽しい命令では無さそうだったが、忠誠心の対象であるギーネがゾンビの彷徨う中に飛び出すよりはましと判断したようだった。

 

「ナノマシンといえども、万能ではない。何度も咬まれれば、万が一という事も在る。

 司令は勿論、人間だったアーネイやエールも危ない」

 抑止とも諫言ともつかないフィーアの懇願にも関わらず、ギーネは静かに首を振った。

「あの、馬鹿。本当に馬鹿。馬鹿なのは子供の頃から変わらないのだかな。

 あれを助けるのは、やはりわたしの役目だろう」

 

 帝国人は、遺伝子を弄くりまわし、人によっては身体を入れ替えると聞いていた。

 目の前のアルトリウス人たちが果たして本当はどれくらいの年齢なのか。ルクルスには、分からなかった。

 ゴードンと同じ年齢でも不思議ではないし、或いは、ゴードンが子供の頃に今の姿だったかもしれない。

 鋭い眼差しで外の暗雲を眺めたギーネが、厳しい口調に緊張を滲ませながら呟いた。

「助けにいくなら、今すぐだろうな。時間と共に状況は悪化している。

 今は薄暗いが、それでも日の光がある。

 見つかろうが、見つかるまいが、夕方までに連れ戻せなければ……日が翳る前には帰ってこざるを得まい」

 

 レッドコートの兵士たちが顔を見合わせた後、肯きながら立ち上がった。

「閣下のご命令とあらば、我らは地獄の底でも行きます」

「ティアマットで生まれた以上、何処で生きても危険は侵さざるを得ないしね」

 

「わ、私も行く!ゴードンのところへと連れて行って!」

 さっきの中年女性。アザリーさんが自動拳銃を持ち出して駆け寄ってきた。

「……誰?」

 戸惑ったようなギーネの眼差しに、アーネイが困ったように首を傾げた。

「ええっと、アザリーさん……らしいですよ」

「雑貨屋を経営しているの。もう無くなっちゃうけど。買い物に来たら安くしておくわ」

 中年女性は、切羽詰った表情でギーネに詰め寄りながら言い募った。

「兎に角、ゴードンを助けにいくなら私もいくわ。

 銃で生物を撃ったことはないけど、ビール瓶やアルミ缶はしょっちゅう撃っていたから大丈夫。

 あ、ゾンビは生物に入るのかしら」

「ああ、うん。付いてくるなら、その口を閉じておいてね」

 

「Mr.ルクルス、バッジ氏。そちらは、予定通りに出発してくれ」

 背中で手を組みながら冷たい眼差しを向けたギーネに、ルクルスが苦渋の滲んだ表情を向けた。

「押し付けたみたいで悪いが、頼む」

 ルクルスは拳を己の額に押しつけながら、ギーネに向かって腰を曲げた。

「新しい土地についても、ゴードンの手腕や伝手なんかが色々と必要なんだ」

「そちらはどうする?アルテミスさん」

 腹を揺らしながら、バッジ副保安官が訊ねてきた。

 

 ギーネが率いるレッドコートは、彼女を含めて総員八名で構成されているが、今回は、特に臨時雇いの傭兵も三名連れてきていた。

 他に戦力になるアンドロイドや警備ロボット三台を連れているが、これは裏手の駐車場に配置してある。

 ロボットたちは人間に比べればやや機動力に劣るので、追跡に連れ出すよりは、トンネルに避難する民間人の護衛につけるべきだろう。

 《ジーン》

 ギーネは、体内に埋め込んでいる無線からロボットたちを統率するアンドロイドに呼びかけた。

 《ちょっとお待ちください。ご主人さま。ただいま、ゾンビと交戦中です》

 生体式自律人形と同じ人工蛋白製の頭脳だからか。

 ロボットたちは、先刻からしきりとゾンビたちに襲われる様相を見せていた。

 完全機械製の兵士も、補助戦力としていた方がいいかな。と思うギーネであった。

 《掃討は終わりました。状況は把握。我らはいかがしますか》

 《君たちは、このままホテルの裏を防衛。

 保安官たちが移動を始めたら、共に民間人の護衛についていってくれ》

 《了解しました。しかし、そうなると……ホテルは相当に手薄になります》

 《分かっている》

 

 指を顎に当てて考え込んでいたギーネだが、やがて顔を上げてロビーを見回した。

 周囲に集ってきた部下たちに氷を思わせる鋭い視線を巡らせて、きびきびと指示を出す。

「エールは、ここに残ってワクチンを培養。それと何人か、護衛につけておいた方がいいな。

 クリス。ホテルに残って護衛しろ。無線は付けっぱなしで、耳を離さないように」

「了解」

 エールは静かに肯いたが、不満げなクリスが数歩を進み出てきた。

「わたしをお連れください。この中では恐らく格闘で最強です」

 形のいい胸に掌を当ててのクリスの懇願を、ギーネは一言で退けた。

「駄目」

「何故でしょうか?」

「君は新兵で経験が浅いし、直ぐに突っ込むから潜入に向いていない」

 

 クリスが不承不承だが肯いたのを確認してから、ギーネは寡黙なエールの傍に移動した。

「場合によっては、保安官を見つけてそのままトンネルへと向かう可能性もある。

 連絡があるか、明日の0700を過ぎたら、ホテルからトンネルへ避難なさい。

 余りに危険なようなら、お前の判断で退避してもいい」

 ギーネの囁きに対して、エールは無言で敬礼を返した。

 

 傍らでは、アーネイがクインと交渉していた。

「クイン、頼めるか?」

「行ってもいいが、ボーナスは出るんだろうな?」

 傭兵の要求は、ある意味、当然でも在った。これは当初の契約外の仕事である。

「200」

 アーネイの言葉に、初老の傭兵が口笛を鳴らした。

「悪くない。よし、行くぜ。雇い主死なれちゃ困るからな」

 

「はい!ニーナさんは付き合うよ」

 ニーナが語りかけてきたが、ギーネはあっさりと断った。

「いや、ニーナはいらない。正直、私たちの中で一番、弱いもの」

「え?ギーネさん。お前。友人の決死の覚悟をそんな無為に」

 微笑を浮かべたギーネが、ニーナに向き直った。

「大丈夫。君には重要な任務がある。民間人たちと一緒に避難してくれ。

 ……ではなくて、民間人たちの護衛について欲しい」

 ニーナはギーネの顔を、穴が開くほど凝視している。

「……ひっ。ひでえ!今、言い間違えた。それとも本音を洩らしたのか?」

「そっ、そんなことはないですヨー」

「足手纏いと!そこの民間人よりも頼りにならないのか!」

 雑貨屋経営者のアザリーを指差すニーナだが、ギーネは軽く咳払いしてからニーナに向き直った。

 

「ヴァージニアシティ全域の人口は、五千とも、八千とも言われている。

 数十匹から数百匹のゾンビが彷徨う市街地の最中を、突っ切ることになるんだ。

 普通のアンデッドの掃討とは違う。

 弾薬も限られる中、ゾンビの少ないルートを探りながら、時に物影に隠れてやり過ごし、時に逃げながら、保安官を連れ戻すまで、最悪、半日近く市街を彷徨う事になるな」

 ギーネの説明にニーナの顔色が引き攣った。何故か、アザリーの顔色まで悪くなっていった。

「あの……あたし、やっぱり……」

「保安官事務所はなんどか行った事があるが、彼女なら市街に詳しい。裏道も知っているだろう」

 何かを言いかけたアザリーだが、口を閉じた。

 アーネイは僅かに町の雑貨屋経営者を見つめてから、ギーネに何かを目配せする。

 

 ニーナは、良くも悪くも普通の兵士である。けして弱くはないが、取り立てて強くもない。

 ゾンビ数匹なら捌ける。二、三度の襲撃には余裕を持って対処できるだろうが、戦うことも出来ずにただ逃げ惑うという状況は、通常の戦闘以上に人の精神を磨耗させる。

 恐らく予想以上の緊張状態を強いられるだろう。

「それに敵を避けながら進むのであれば、あまり大勢を連れて行っても意味がない」

「分かったよ、大人しく待ってるとする」

 何故かにやにやしながらニーナは了承した。怪訝に思いながらもギーネは肯き返した。

 

「乗ってきた車はどうするんだ?」

 クインの質問に、アーネイが肩を竦めた。

「後でヴァイオレットにでも、取りに来させる。

 あいつ、ロボットだし、無敵だし。ゾンビなんか素手で突っ切れるし」

 

「ジュリアは……」

 ホテルの屋上。眼帯をつけた女兵士が、スナイパーライフル片手に無線に応えた。

『状況は聞いていた。わたしは御免だな。ホテルに残る。

 ゾンビ彷徨う町中に狙撃手いても役に立たない。子供がまだ幼いのに死にたくないしね』

『分かった。君たちは其の侭、屋上で待機してくれ。

 正直、無理強いは出来ない。この追跡は、私の我儘だしな』

 

 無線機に向かって言ったギーネを、フィーアとアーネイがじっと見つめていた。

 ギーネも二人を見つめ返した。後は、フィーアとアーネイのどちらかを連れて行って、どちらかを置いていこうと考えている。

 

 両名とも身体能力や反応速度ではレッドコートの他の兵士には劣るが、戦術、判断力や冷静さについては上回っている。

 潜入行動の場合、戦闘能力の高さよりも、メンタル面の強さと柔軟な思考のほうが頼りになるようにギーネには思えた。

 万が一の際、篭城の指揮を取るのに備えて、どちらかをホテルに残しておく。

 

 さて、どうしようと二人を見比べながらギーネは考えた。

 フィーア兵長は、指揮官タイプとして創られた自律式生体人形であり、特に冷静な判断力を有している。

 建物を活かした戦いが得意で、ホテルの構造を歩き廻って把握していた。

 アーネイは、生前からの剣の達人である。

 個人戦を好む傾向があるが、必要とあらば集団戦の指揮も過不足なく取れる。

 今は特殊合金製のサーベルを携えており、少数のゾンビ相手ならまず負けない。

 銃弾の消耗を心配しないで連れて歩けるのは心強かった。

「アーネイを連れて行く。フィーアは残留部隊の指揮をとるように」

 アーネイ軍曹が微笑み、フィーア兵長は口元に皮肉っぽい苦笑を浮かべてから深々と一礼した。

 

 四人は、ホテルのトイレへと移動していく。

「雑貨屋さん。やめるなら今のうちだ」

 ギーネが冷たい目で雑貨屋経営者を眺めた。

「アルテミスさん。貴女のことはゴードンから何度か聞いているわ」

 アザリーは真剣な顔つきでギーネを見つめ返した。

 何かを恐れるように瞳を揺らし、しかし、はっきりとギーネに聞いた。

「一つ聞いておきたいんだけど、貴方、ゴードンに惚れていないわよね?」

「色恋沙汰のために危険を侵す気か?」

 片眉を上げるギーネ・アルテミス。

「馬鹿って思ったわね?確かに貴方みたいにおつむの出来はよくないかもしれない」

 アザリーは目を閉じてから、頬を染めた。

「人はいずれ死ぬ。ティアマットだもの。明日、突然、死ぬかも知れない。

 確かに恐いわ。でも、馬鹿馬鹿しいって何?

 死ぬ時に後悔する事のほうが恐ろしいわ。

 いやよ。このまま、終わるのはいや。

 明日が続くと思っていた。ずっと続くと。そんな保証はないのに。

 町は終わってしまった。何もかも終わるかも知れない。

 だから、行くわ。人間、いつかは死ぬものよ。後悔はしたくない」

 アザリーの視線は強く、眼差しは輝いて揺るがなかった。

「動機は全く理解できないが、貴方なりの覚悟が定まっていることは理解した。行こう」

 

 ギーネとクイン、アーネイ。そして雑貨屋さんが次々とマンホールから梯子を降りていくと、最後の雑貨屋さんがおりきると、頭上でマンホールの蓋が動いてゆっくりと塞がれた。

「……匂ってきそうだな」

 クインが見回して、いやそうな顔をする。

 

 四人が歩き出した。ホテル裏手の土手にある隧道出口が直ぐに見えてくる。

「動体探知機に反応はなし、行こう」

 アーネイが手元の端末を見てから囁くと、クインが唾を吐いた。

「あまり当てにするなよ。特にこういう雨の日にはな。

 建物が多い市街に入れば、反響が多くて発狂する事もある。

 頼りになるのは、己の目と耳だ。ようく研ぎ澄ませておけよ」

 

 目の前に朧な黒い影となって市街地の廃墟群が見えてくる。

 これから敵地に乗り込むのだと改めて認識したギーネは、急に喉の乾きを覚えた。

 緊張感が強すぎて、腹がしくしくと痛んだ。へんな笑い声を洩らしてしまう。

 ここ何年間も、レッドコートはバンデットやゾンビなどを一方的に殲滅してきた。

 それはギーネの戦場を設定する能力が卓越している事を意味してもいるのだが、同時に彼女は自分が互角以上の敵と戦うことを忘れていたと実感していた。

 足が震えている。

(……恐い。恐いな。わたしは窮地を……弱い立場に立つことを忘れていた)

 

「……アーネイ。アーネイ。さっきの話だがな」

 隣を歩くアーネイに震える小声で囁きかけた。

「なんです?」

「バイオソルジャーだ」

 

 ギーネが微笑を浮かべて、アーネイの赤毛に指で触れた。

「十年もしたら超人兵士を生み出せると思う」

「お嬢さま。また出来もしないことを出来ると言い張って。恥を掻きますよ」

 土手を登りながら、二人は小声で話し続ける。ゾンビの姿は見えない。

「理論は完成している。本当だ。本当にできるのだ。

 今度こそ、本当。基礎は出来てるから」

「普通に天才なのですから、見栄を張る必要はないのに」

 アーネイの主人には、大言壮語の癖があった。

 けして能力が無い訳ではないが、時として舌禍を招くのだ。

 生前もそれで尻拭いの為に奔走させられた思い出があった。

 不機嫌そうにアーネイが言うと、ギーネは焦ったように付け加えた。

 

「本当だもん。大神オー……マーラに懸けて自信があるもん」

「今、オーディンと言いかけて止めましたね?」

「言ってない。言ってないよ?あたし、言ってない」

「ご立派さまなら女の子が何を誓って、何度破っても許してくれますが、オーディンに誓って果たせなかったら、取り返しが付きませんからね」

「いや、絶対、十年後にはゾンビなんか百匹いても蹴散らせる無敵の兵団が……本当だって!」

 

「……あの人たちは何をやってるの?」

 背後で話しているレッドコートの二人を見つめながら、アザリーが不満そうに言った。

 鼻を鳴らしながら歩いていたクインが、何かに気づいて急に立ち止まった。

「来るぞ!そこの廃墟の電車の影だ!」

 アサルトライフルを構えながら、小さいが鋭い声を発して注意を促がした。

 

 列車の影から、大小のゾンビたちが唸りを上げて飛び出してきた。

 新鮮なゾンビだからか、早歩きよりもやや俊敏な程度に動きが素早かった。

 クインは冷静に距離を取りながら、アサルトライフルを構えた。

 初老の傭兵は走りながら、しかし、全く躰の軸と上半身を揺らさずに狙いを定めると、ゾンビの急所である頭蓋に正確に銃弾を叩き込んでいく。

 

 焦るアザリーの射撃は、三メートルの距離にも関わらず、素早いゾンビを相手に外れて、

「……子供!」

 駆け寄ってきたゾンビの拳銃を向けたアザリーの動きが硬直して、飛び込んできたゾンビの怪力で地面に押し倒される。

 アスファルトに背中を叩きつけられて、アザリーは一瞬、息が詰まった。

 次の瞬間、彼女の顔に喰らい付こうとしたゾンビの頭骨が目の前ではじけ飛んだ。

 腐臭を放つ脳髄の中身が顔に掛かって、アザリーは小さく悲鳴を洩らした。

 

 5メートルほど離れた位置にいるギーネ・アルテミスが、硝煙の漂う357マグナムを降ろした。

「やはりマグナムは頼りになる」

鮮やかな手つきで排莢すると淀みのない動作で装填してから、ポケットをごそごそして、プラスチック容器に包まれた注射器とアンプルを取り出した。


アザリーの傍らまで歩み寄ってくると

「ワクチンだよ。付いてくるなら、一応は打っておきたまえ。

 体液が掛かって感染するのも嫌だろう」

「あ……ありがとう」

 渡されたアザリーは、呆然としつつ注射器を受け取った。

 見回してみれば、他の三人は一瞬の攻防であっという間に複数のゾンビを殲滅していた。


 本当に緊張感が足りないのは、アザリーの方だったのだろうか。

口惜しげに唇を噛みながら、ハンカチを取りだしたアザリーが顔を拭っていると、レッドコートのアーネイが歩み寄ってきた。

「今なら、ホテルに戻れますよ?」

 語りかけてきたアーネイの声は穏やかで、しかし、隠しようのない軽侮の響きが込められていた。

 嫌な匂いのする体液を拭うと、アザリーは直ぐに立ち上がった。

「言ったでしょう。後悔はしたくない。行きましょう」

 軽く目を細めてからアーネイが肩を竦めて肯くと、四人は再び、死者の彷徨う市街地をゆっくりと歩き出した。


初出 2013/08/09 

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