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廃棄世界物語R Squad   作者: 猫弾正
PA.302年 アウトブレイク
2/4

 ホテルの正面玄関に備え付けられた鉄格子のシャッターが、耳障りな軋み音を発して動き始めた。

 錆びた鉄格子が苛立たしいほどゆっくりと巻き上がっていく最中、外からは時々、銃声が鳴り響いていた。

『……糞ッ……また外した……嵐で視界が悪い』

 ホテルに近づいてくるゾンビを、屋上にいる見張りの兵士が狙撃しているようだが、視界の悪さと風の強さに命中率は芳しくないようだった。

 

 鉄格子と床の合い間に、屈み込めば出入りできる程度の空間が空いた後、飛び込んできた女性とキリマンジャロ保安官助手は抱き合った。

「サーシャ!無事だったのね!」

「ああ、キリー!」

 保安官助手と見知らぬ女性が喜び合っているのを、レッドコートの面々は無表情に眺めていた。

 ロビーにいる他の面々は、戸惑いながら見守っている者もいれば、無関心に手元の地図を見つめている者もいる。

『閉めろ、早く閉めろ……来客を追ってきたのか、ホテルの庭にゾンビが入り込んできている』

 屋上の見張りの無線からも焦った声が聞こえてきて、保安官が指示を出した。

「ゲートを降ろせ」

 ゲートの傍にいる若いハンターがボタンを襲うとするが、ギーネの部下のクインが口を挟んだ。

「いや、まだだ。まだ、開けておけ。小僧」

 ふらふらとした人影が庭を彷徨っている光景が、バリケードの隙間からも窺える。

 保安官は怪訝そうな表情を浮かべたが、クインは油断のない目つきで来客のサーシャを睨んでいる。

 若いハンターに判断を仰がれた保安官は、困ったような顔をしながらも「言う通りにしろ」と手を振った。

 

「事務所に行ったら、張り紙がしてあって……貴方達がニミッツに篭城しているって」

「よくここまで歩いて来れたね」

「中央地区よりは、まだ、ゾンビも少なくて……なんとか」

 キリマンジャロと語り合うサーシャに向けて、クインがアサルトライフルの銃口を向けた。

「どうでもいいがな。姉ちゃん。服を脱ぎな」

 キリマンジャロがクインを睨み付けたが、初老の傭兵は相手にせずにサリーに狙いを定めている。

「暗いからよく分からなかったんだろうがな……顔色が悪いぜ。それに太股のズボンに血の跡が滲んでやがる」

 

 アーネイに寄り掛かってソファで仮眠を取っていたギーネが、一連の騒ぎにうっすらと目を見開いた。

「相変わらずクインはよく見ているな」

 アーネイが相槌を打った。

「退廃したティアマットで六十年も生き抜いてきたのは、伊達ではないようです」

 クインはけして安くないにも拘らず、ギーネが度々、彼を雇用するのは、その銃の腕以上に抜け目のなさが頼りになるからである。

 文明崩壊前の遺跡群を探索にしろ、曠野を旅するにしろ、歴戦のレンジャーの思考や経験が大きな助けになるのだ。

 レッドコートの一人、フィーア兵長がギーネに歩み寄ってきた。

 絶句している女保安官に侮蔑の眼差しを向けながら、冷笑を浮かべる。

「今回は、彼でなくとも気づいたでしょうが……

 それにしてもキリマンジャロ保安官補は呑気というか。間が抜けているというか。

 あれで生粋のティアマット人だというのですから、呆れますね」

 ギーネは、僅かに眉を上げてフィーアを見た。

 この子は知能を高めに設定したのだけれど、相も変わらず辛辣な性格だな。

 高い知能を持った人間にとって、過酷なティアマットは楽しい環境ではないか。

 このタイプは、フィーアで打ち止めだな。

 

「さっさと離れろ。キリマンジャロ」

 保安官が横から声を掛けてくるが、キリマンジャロはサーシャを庇うように抱きしめたまま、銃で狙いを定めて凶暴な笑みを浮かべているクインをじっと見据えていた。

「どうするつもり?クインさん」

「知れたことよ。服を脱がせて、その可愛いお尻を拝見させてもらうのさ。

 咬まれてなけりゃ、それでよし。咬まれていたら、そのままお帰り願うって寸法だ。

 もっとも、その様子だと大分前に咬まれたらしいな。

 今にもくたばってゾンビになっても不思議はねえ」

 土気色をしていたサーシャの顔色が、ますます悪くなった。

 精神的に追い詰められて、体力的にも辛いものがあるのか。

 背中を丸めて軽く咳き込むと、血の混じった痰が床へと飛び散った。

「サーシャ!」

 キリマンジャロの叫び声に、サーシャは弱々しい笑顔を浮かべた。

「さあ、服を脱げよ。お嬢ちゃん。それとも俺に脱がせて欲しいか?無理矢理が好きか?

 太股に血が滲んでやがる。噛まれてないか、じっくりと検査してやるぜ」

 床に唾を吐きながらクインが噛み付くように宣告した。引き金に指を掛ける。

「クインの言うとおりだ。悪いがお嬢さん。服を脱いでもらおう」

 横にやってきた保安官も、油断なく拳銃を腰だめに構えながら、保安官助手を見た。

「キリマンジャロ。こっちに着なさい」

 

 サーシャは、そっとキリマンジャロから離れた。保安官に向き直ってはっきりと言った。

「お察しのとおり、わたしは咬まれています。長くは持たないでしょう」

 自分よりも泣きそうな顔になっている保安官助手のキリマンジャロを見て、諦めたような笑顔を浮かべていたサーシャが辛そうな表情を浮かべる。

「キリー。ごめんね」

「……そんな」

「三日前、孤児院にやってきたゾンビを押し返した時にね……でも、代わりに皆を守れた」

 苦い微笑を浮かべながら、手を振ったサーシャの腕も鮮血で濡れていた。

「ついさっきも、ホテルの入り口で噛まれちゃった」

 表情を掌で覆ったサーシャだが、近い未来のゾンビ化は避けられないとしても、噛まれた人間が直ぐにゾンビになるわけではない。

 ウィルスの種類や対象の体格や体力にも拠るが、適切な手当てさえ行なえば、地球標準で3日から一週間程度を持ち堪える人間もいる。

「だけど、まだ大丈夫。あの、用件を言うくらいは……」

 サーシャが保安官を見て、おずおずと切り出した。

「それ位はいいだろう」

 

 肯いたサーシャは、キリマンジャロに話を切り出した。

「ローラ院長が助けを求めているの」

「院長が?にっ、逃げてないの?」

 自分を養育した孤児院院長の名前が出てくると、キリマンジャロ保安官助手は驚愕に目を瞠った。

「職員はお年寄りと、あとは子供たちばかりで……」

「だって、孤児院には、マイクロバスが」

 愕然として言う保安官助手だが、サーシャは苦々しげな表情で首を振った。

「保安官が徴発したわ。自分の家族だけ乗せていち早く逃げ出した!」

 他者の勝手な振る舞いの結果、確実に死ぬ運命となった彼女は、感情の抑制ができなくなったのか。激昂したようにサーシャが叫んだ。

「ケビン!あいつの家族も地獄に落ちればいいのに!」

 すすり泣きながら、口惜しげに言い放った。

 

 

「話は終わったか。姉ちゃん。なら、さっさと出ていきな!」

 床に唾を吐き捨てたクインが、サーシャに銃口を近づけて言い放った。

「ク、クインさん!あんたって人は!」

 キリマンジャロは怒り狂うが、クインは冷淡な態度で呆れたように言い放った。

「こっちは自分と顧客の身を救うだけでギリギリ精一杯なんだ。

 最悪、ゾンビの漂う町中を何十キロも突破しなきゃならねえ。

 ただでさえ、足手纏いがいるんだ。余計な客を連れて行く余裕はねえよ」

 青ざめた顔で立ち尽くしていたサーシャと、口惜しげに唇を噛んでいるキリマンジャロを見ながら、保安官が何かを言いかけた時、ソファに座って無線機に付きっ切りになっていたレッドコートのジーナが急に叫んだ。

 

「閣下!通信が入りました!ヴァイオレット伍長からです!」

 椅子に座っていたギーネが立ち上がって、無線機の端末を手に取った。

「アルテミスだ……七番街のモールにある古い地下鉄。ふむ」

 ロビーに集っている全員が、ギーネと斥候のやり取りに耳を欹てている。

「ゾンビはいないな?入り口で巣食っていたのは有角犬の群れと灰色鼠。始末した。

 外まで通じている?間違いないか。確認した?それで時間が掛かったか。

 そうか。ヴァイオレット。レヴィも。よくやった」

 安堵の溜息を洩らしたギーネが、強張った面持ちの保安官へと向き直った。

「ゴードン!ヴァイオレットからだ。退路を確保したぞ」

「間違いないか?」

「百人をつれて通れる郊外までの安全な地下鉄の廃線だ。

 中の端末がまだ生きていて、地下鉄のシャッターが開閉出来るから、追撃を振り切る事も出来る。助かるぞ」

 

 ギーネの説明を耳にしてホテルのロビーにいたハンターや保安官たちの間で一斉に歓声が爆発した。上階に避難していた地区の住民も、喧騒を聞きつけて何事かと階段に顔を見せる。

「これで、皆をつれて逃げ出せる。お前には……何から何まで」

 保安官が言い出すと、ギーネは意味不明な言葉を吐き出した。

「ギーネはカルマが上がった」

「……なに?」

 怪訝そうな保安官。照れ隠しのジョークが空回りしたギーネは、赤面しながら咳払いする。

「ん、なんでもない。こういう時のジョークの一種だ。感謝するがいい」

「そっ、そうか」

「……文化が違うのだな」

 

 

「南のモールだ。逃げ道があるそうだ!」

 飛び上がった町のハンターの一人が、上の階へと駆け上がっていった。

 直ぐに二階でも人々が騒ぎ始める声が出始めた。

「町の外まで通じているそうだ!助かるぞ!」

「もう、安心だ……たずかる。良かった。本当に良かったよ。母ちゃん」

「なら……もう、いい加減に逃げないと」

 

「ルクルス。場所は分かるか?七番街の地下鉄駅だ。町の外まで通じているそうだ」

 地図を広げた保安官の声に、長身のハンターが駆け寄ってきて肩越しに地図を覗き込んだ。

「アテネイ駅か!そうか!あそこなら確かに!」

 ギーネが、何故かいやそうな顔になった。

「……アテナ。アテナか。不吉な名を聞いたな」

「どうした」

「いや、なんでもない。ちょっと、いやな奴の事を思い出してしまっただけだ。

 わたしは次元の壁を隔てた異世界にいるのだ。大丈夫。うん」

 

 

 気を取り直したギーネは、保安官に鋭い視線を向けた。

「生き残った町の人たち……えっと、百三十二人か。連れて行けるな。

 都市防壁の向こう側まで、安全に脱出できる。

 脱出の際には、うちのヴァイオレット伍長が先導する」

「……あの金髪の強そうな」

「うん。相手が戦車でもない限り、あいつは負けない。

 ただ、地下トンネルをかなり長い距離……四十キロばかり歩かなくてはならない。

 他にも何か巣食っている恐れはあるから、慎重に進む必要があるな」

「……三十キロ。それは……」

「しかも、地中だ。空気も悪い。子供連れで、最低でも十時間は掛かるだろう。

 今すぐ出発するか、ワクチンを造れるだけ造ってから出るかはお前の判断に任せる」

 

 二階にいた町の住民が数人、ロビーに姿をあらわしていた。

 会話を聞いていたベレー帽の老人が進み出てくると、ギーネに話しかける。

「ギーネさん。ワクチンはまだあるのか?」

「貴方は?」

「レメゲトン社の製薬工場がシティの中心地区に。わしはそこの元社員だよ」

 老人はベレー帽を胸に当てながら、ゆっくりとギーネを見つめている。

「ああ、何を考えているかは分かる」

 天井を仰ぎながら、応えたギーネが考え込んでいる。

「そうだな。ちょっとした設備があれば、半日で1000本程度は製造できる。

 知らない設備だが…… ワクチンの材料が確保できるかな。いや、培養液でいけるか。

 製薬工場の設備に精通した人が手伝ってくれるなら」

 

 ギーネは携帯無線を取って、屋上にいる見張りに何かを訊ねる。

「ちょっと待って。中央の方、様子はどうだ?見えるか?」

 屋上にいる斥候から、やや焦りのある上擦った声で報告。

「ああ、すまない。老人。ちょっと無理だ。

 そろそろ南ブロックと中央地区の境界付近にも、少なくないゾンビが到達し始めている。

 バリケードに凄い数が群がっているそうだ」

 ベレー帽の老人は、肩を竦めると踵を返した。

「そうかね。残念だよ」

 保安官が苦い顔で吐き捨てた。

「中央は、もう危険だな」

 ギーネが肯きながら、保安官を見つめて首を傾げた。

「ここら辺は、まだ安全だがね。

 それでも、民間人の集団を連れて歩くのは、気が進まない。

 ゴードン。ヴァージニアシティは、もう持たないよ。子供と症状の怪しい者たちに打つ為の最低限のワクチンが完成したら、すぐにホテルを脱出しよう」

 

 大型の軍用無線機へと近づいたギーネは、地下鉄にいる二人に状況を説明してから命令を下した。

「ヴァイオレット、レヴィは、そのまま通路を確保。以上」

「だが、二人だけでいいのか?」

 クインが疑問を投げかける。

「ヴァイオレットは核融合で動くチタン製の戦闘マシーンだ。彼女は疲労もしなければ、恐れも知らない」

「さぼりもしなければ、油断もしないと言うわけか。心強いぜ」

 クインが肯いた。

「ふっふっふ、彼女こそ最盛期のアルトリウス帝国における軍事技術の最高傑作……量産化の暁には連邦さえ蹴散らせただろうが、高すぎて費用対効果が合わなかったと付属の説明書に書いてあった」

 得意げに含み笑いするギーネの横で、無線機から向こうの声が伝わってきた。

『退屈だな……暇だ……レヴィ、チェスやろう』

『やですよ。貴女は予測演算するから。絶対に勝てない』

『なら、トランプでもいいぞ』

『演算に加えて、透視までするでしょう。いんちきコンピューターめ』

 垂れ流される無線の向こうのやり取りを聞いて

「おい。おい」

 大丈夫なのか。と、言いたげなクインの眼差しを受けて、ギーネはむしろ心外そうに首を傾げた。

「クインくん。帝国製の軍用知性プログラムにはな。

 多様性を与える為に、敢えて矛盾やランダムな要素が付け加えられているのだ。

 人間と同じように故意の非効率的な選択を行い、忘却機能の働きに対して記憶の整合性を勝手に調整もする。

 これは極めて高度な技術の産物であって……」

 要するに勝手に怠けたり、都合の悪いことを忘れたり、時と場合によっては主人を裏切ったりさえするのだ。

「相変わらず意味不明な機能をつけてやがるな、おめえの国の機械は」

 

 弁解しているのか、説明しているのか。ギーネがどうでもいい事を喋っていると、ホテルの内部で激しい銃声が鳴り響いた。

 カウンターの傍でラジオに耳を欹てていた皮ジャケットの女が、弾かれたように振り向いた。

「……駐車場の方か……いや。西翼のエントランスの方だ!」

 レッドコートの兵士がホールに駆け込んでくる。

「保安官!トイレのマンホール!地下下水道から、ゾンビが侵入してきた!」

「馬鹿な!」

 恐怖に顔を引き攣らせながら、ゴードン保安官が絶叫した。

 喘いでいる彼を見て、駆け込んできたレッドコートのクリスは申し訳無さそうに付け加えた。

「……幸いにも一体だけだった。始末したけど」

「ああ、糞……裏の小川に通じているあれか」

 ホテルの従業員が焦ったように舌打ちし、マネージャーが髭を扱きながら睨みつけた。

「点検用のやつだな。鍵を掛け忘れていたのか」

 

 レッドコートのクリスは、血の流れている腕を押さえながら歩み寄ってきた。

「ああ……いたた。ちょっと噛まれた!ちょっとだけど」

 場が小さくざわついたが、ギーネが立ち上がってクリスの傷の様子を確かめる。

「大丈夫です。その子はバイオソルジャーですから」

 保安官の物問いたげな眼差しに、アーネイが全員に聞こえるように張りのある声で説明した。

 

「そもそも、うちの子たちはナノマシンプラント埋め込んであるから、大半のウィルスなんて無効化してしまう」

 薄い胸を得意げに張っているギーネ・アルテミスをラジオの傍、黒い革ジャンを着込んだ女がカウンターに寄り掛かりながら眺めていた。

「アルテミスさん。アルテミスさん。忠実な雇い兵のニーナさんに、そのナノマシンを分けてやろうとは思わないかい?」

「ニーナさん。ニーナさん。元スカヴェンジャーの知り合いを傭兵として雇ったんだが、食欲と給料ばかり一人前であまり役に立たないんだ。首にするかどうか悩んでいるんだが、どうすればいいかな?」

 やり込めたギーネだが、へたれたニーナを眺めてちょっと考えてから、付け加える。

「やってもいいが、給料から引くぞ?」

「くれ」ニーナ。

「よこせ」とクイン。

『頂戴』屋上にいる見張りの声が、テーブルの上の無線に届いた。

 

「ほら。静脈に注射しておけ。カプセル。それ一つで百年は持つ。

 まあ、生物学的寿命で見ても、環境的にみても、君らはそれほど生きないかもな。

 なにしろ、ここはティアマットだ」

 アンプルを受け取ったクインが、顔を歪めた。

「……どれだけ長生きするつもりだよ。糞……この注射痛えな」

「まあ、首筋の太い血管まで歯が届かなければ、ゾンビに噛まれても多分大丈夫」

 捕捉するギーネの説明に、クインは胡散臭そうに鼻を鳴らした。

「多分か。そいつは心強いね」

「死亡率100%が3%強まで落ちるんだぞ?」

 言いながら、ふわふわと室内を浮いていた小型ロボットを呼び寄せてアンプルを差し出す。

「これを屋上のジュリアに届けてくれるか?」

 

 不器用な手つきでナノマシンを注射しようとしていたニーナだが、危なっかしいので見かねたアーネイが代わって注射針を刺してやる。

「ふうっ……ところで、アルテミスさん」

「なんだ?」

「別に全員で、ワクチンができるのをのんびりと待つ必要はないよね。

 皆を先に安全圏に出発させてさ。武装したチームが此処でギリギリまでワクチンを創って、後からトンネルを追いかける手もあると思うんだけどさ」

「マーカーを置いていけば追いつけるが……ふむ、戦力を二手に分けるのか?」

 気が進まないといった口調のギーネだが、一応、ニーナは利点を説明してみる。

「足手纏いな民間人は先に安全圏に脱出させて、戦闘チームが自分たちの面倒だけを見ればいい状況にするのは、悪くないのと思うのさ」

「ふむ、言われてみると悪くないかな。より確実に大勢を助けられる。

 ヴァイオレットを民間人の護衛につければ、他は残っても戦力的には大丈夫かな」

 ギーネとニーナのやり取りに、保安官が顎を撫でながら尋ねてきた。

「おい。どんなに強かろうが、一人では百人は守りきれんだろう。

 それに撤退の時期を見誤れば、ホテルに残ったチームがゾンビの群れに囲まれて逃げられないって事もありえるぞ」

「ここに残ってワクチンの完成を待ってからでも、武装したチームだけなら比較的に危なげなく追いかけられる。

 ヴァイオレットと他に十名もいれば、避難民の護衛はこなせるだろう」

 

「うむ……悪い手ではない。そうだな。バッジはどう思う!」

 ゴードンが視線を向けると、中年の太った副保安官が額の汗をハンカチで拭きながら肯いた。

「よく分からんけどな。お前がそう言うなら、いい手だと思うぜ。俺は従うよ」

「よし。出発は正午。

 まず保安官たちが先行し、民間人を守りながらアテナ駅まで先導する」

 それまで床に視線を彷徨わせながら沈黙していたハンターのルクルスが、皮肉っぽい口調で訊ねてきた。

「で……誰が残って、誰が護衛に付くんだ?

 どちらも人を救う名誉ある仕事に違いないが……」

 

「我々は噛まれても平気だしな。言いだしっぺでもある。

 レッドコートが残って、ハンター組が護衛するのが妥当だろう」

 あまり熱の感じられない口調のギーネの態度に、ルクルスが疑わしそうな視線を向けた。

 本当に頼りになるのかと問うようなルクルスに、ゴードンは大きく肯きかける。

「大丈夫だ。ギーネ・アルテミスは最善を尽くして仕事を遂行する」

 保安官の言葉に取りあえず肯いてから、ルクルスは他のハンターたちに声を掛ける。

「みな、集ってくれ!今から三時間後だ!出発の準備をするように!」

 

 また一つ完成したワクチンを手に取りながら、ギーネが部下たちに視線を向けた。

 クインは渋い顔をしており、ニーナは飄々とした態度を崩さず、レッドコートたちはやや気の進まない様相で互いにちらちらと視線を交し合っている。

「残るのが嫌な者は、先行するチームに加わっても構わない」

 事も無げに言ったギーネに、クインが低い声で言葉を掛けた。

「成算はあるんだろうな。アルテミスよ」

「引き時を誤らなければ……ゾンビとは、何回も戦ってきた。

 ここの子……ウィルスは、取り立てて凶悪な変異を引き起こすタイプでもない」

 静かな自信を漂わせながら、ギーネは淡々と説明した。

「我々とお前がいれば、今回も生き残れるさ」

 暫しの間、クインは睨み付けるように鋭い視線をギーネに注いでいたが、沈黙したまま、やがて踵を返すとバーのカウンターに座り込んで煙草を吸い始めた。

 これはクインという人物の消極的な了承なのだろう。

 

 地図と睨みあっていたルクルスは、仲間たちとの協議の末に移動ルートを定めた。

 見晴らしのよさや道の広さ、斥候の見張れる地形を吟味しつつ、大勢の民間人を安全に移動させることの出来る経路を、何通りか用意して保安官のところへと向かう。

 一応は避難民も、バットやゴルフクラブ、ハンティングライフル、拳銃などで武装してはいるものの、精神的に見ても、技能的に鑑みても、彼らを積極的な戦力として当てにする訳にはいかないだろう。

 多数のゾンビに群がられてしまえば、少なくない犠牲者を出すのは間違えない。

 ただでさえ、ゾンビは数が揃えば勢いが増すのだ。

 そして中には、グールというかなりの知恵を保った恐ろしい変異種も潜んでいる。

 大抵の場合、グールは極僅かだが遭遇しないと決め付ける訳にはいかない。

 

「ゴードン。一応、ルートを定めたんだが見てくれないか?……ゴードン?」

 ルクルスは保安官に声を掛けようとして、思わず眉を顰めた。

 何かを探すようにしきりとロビーを見回しながら、あちこちを歩き廻っては、廊下を覗き込んだり、小部屋を出入りしていた。

 皆の精神的支柱のはずの保安官に何があったのか。

「おいおい、保安官殿。どうしたっていうんだ」

 ルクルスの呼びかけにも不安の色が滲んだ。

「ルクルスか。キリマンジャロの奴を見なかったか?」

 落ち着かない態度で歩き回っていた保安官だが、ルクルスに気づくと、はっとしたように顔を上げた。

「保安官助手のか?……彼女なら、ついさっきまでそこにいた筈だが……」

「先ほどから姿が見えんのだ。あいつめ、こんな時にどこへ行ったんだ」

 年若い保安官助手を案じるゴードンの表情には、焦慮の色が浮かんでいた。


初出 2013/08/07 

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