○感情○
「カーテンを閉めろ。モウ軍のスパイが来ている!!」
…スパイ?
「早く!」
私は言われるがままにカーテンを引いた。この部屋はモウ軍のいる方角に面していて、人が来ることはないらしい。
…トパーズが入ってきた。
「今は危険だ。お前は俺にひっついてればいい。それ以上のことはするなよ。」
「…うん。」
「勘違いするな。上から言われただけだ。お前が来たことは上の人はもう知っている。」
透き通った深い青の瞳が横目で私を見た。海のごとく冷たい目だった。
「お前はしばらくここにいろ。この階の人が動き次第、俺らも出る。」
「わかった。」
…それからは、トパーズとネオと私、しんとした空間の中にいた。1ミリも動かなかった。一体何分が経過しただろうか。ほんの2~3分のことなのだと思う。しかし、私には10分にも20分にも感じられる。もうこの静寂にも飽きたかな、と思った時、トパーズがすぅっと息を吸った。
「お前、」
その一言はため息と共に出てきた。
「名前なんだっけ」
…以外だった。私といるのをさっきまで面倒くさそうにしていたのに。
「…ゆり。」
「なんて?」
「百合。山本百合。」
「百合ね。わかった。」
よく考えると、今私は普通に人と喋っている。褒められるのが苦手だったり、まともに挨拶が出来なかったりするが、なぜかトパーズやネオ、悠馬君に言いたいことを言えていた。小学校のときは誰に話かけられても涙目で答えられずに、服の裾をつかんで上目遣いをすることしかできなかった。未だに学校には行けないままなのだが、バイトや一人暮らしを通して、自分のなかで何かが変わっていた。
「ねぇ。」
私は小声でトパーズにささやいた。
「なに」
「私、帰れる?」
うつむいたまま顔を上げれない私は、トパーズの表情を窺えなかった。しかし、
「あぁ。」
そう返事した声は、無愛想ではあるが、どこか優しかった。
「用が済んだらお前が嫌だと言っても返すよ。ただし、バカネコが来るように言えば来い。」
「ありがとう。」
自分のいる現実の世界にいたいと思ったのは、人生で初めてかもしれない。きっと、悠馬君が原因だ。彼の一言に、ハッとさせられたんだ。
―「いつもそうやって笑っていればいいんじゃね?」
…驚いた。笑うことのできなかった私に笑顔をくれたのだ。驚いて、嬉しくて、気付けば涙ぐんでいた。心から好きになった。好きって言いたかった。なのに、今は敵なのだ。知らなければよかったのだ。海のことも、ネオのことも。
「そんなに戻りたいのか?」
気付けば私は泣いていた。数秒前まで肩を上下しながら泣いているのに気付かなかった。
「…トパーズ……私、どうすればいいの?」
トパーズのことだから、私の話など聞いてくれないだろう。分かっているけど、苦しみを吐き出したい。今までとはまた違う苦しみを。
「……好きな人が、敵…なの……」
シカトされるだろうと思った。すると、
カシャッ
頭上に金属が乗っかっていた。パッと顔を上げる。そこには、そっぽをむいているトパーズの顔があった。金属は彼の着ている鎧だった。
「泣くな。俺らの居場所がバレるだろ。」
そう言ったトパーズは、そんな心配をしている顔ではなかった。少し、彼の優しい顔が見えた気がする。
「あ、百合。」
思い出したようにトパーズは立ち上がった。
「そういえば、その服じゃまずいから、着替えてくれ。」
「…は……?」
自分の服を見る。青のグラデーションのワンピースに、白いハイヒール。バイト生活のわりにおしゃれ着をしていた。もとは悠馬君に会うための服だったんだ。…確かに、動きにくい。走ってついていけないかもしれない。
トパーズは何もない壁に向かい、手のひらをスライドさせた。すると、タンスの取手のようなものが出てきて、服が引き出された。
「……!!」
「最初、簡素な部屋だと思っても、魔法を使い慣れればいい部屋になる。」
そのびっくり箱のような引き出しには、いろいろな服がかかっていた。しかし、その中に女性向けのものはありそうにない。きっとここは男性向けに作られた部屋だからだろう。
「とりあえずこれしかないな…。」
渡されたのは、飾り付きの長ズボンにカッターシャツ。劇団みたいだった。
「着替えてくれ。」
トパーズがいるところでか…。
「見ないでね…」
「俺を悪趣味みたいに言わないでくれるか」
「…」
先ほどにまして冷たかった。…ま、いいか。とりあえず早く着替えることにした。
着替えている最中、嫌な予感がしてしょうがなかった。部屋は決して明るくなく、なにが起こるかわからない。今この状況で敵が乗り込んだらどうなるんだろう、とすごく心配してしまう。
それなのに、トパーズは急ぐようにドアノブを握り、
「用を足してくる。」
と言って、振り向かずに部屋を出た。
「…え?」
数分前なんて言った?「今は危険」?危ないのならいかないでよ…。
再び、部屋はネオと私だけになった。
「…主。」
ネオが話し始めた。後ろを向いている。いつもは堂々と着替えの邪魔をしているのに。
「与のことは、嫌になったら捨てても構わん。」
…きっと、後ろを向いた顔はバツの悪そうな顔をしているのだろう。
「…主……」
「何」
自分の声のトーンが低くなるのを感じる。
「主は、胸が薄」
「しっぽ引きちぎられたい?」
「ごめんにゃさい…。」
ネオが抱えた罪は「セクハラ」なのではないかと疑ってしまう。
その時。
「山本♪」
声が聞こえてきた。
「全部聞いていたぞ。」
「悠馬君!!」
声は、紛れも無く悠馬君だった。すると、ベッドのカーテンからすぅっと影が現れて、男が姿を現した。黒く焼けた肌に、大きな瞳…やはり、悠馬君である。羽根付きの黒い服を身にまとって、なんだか雰囲気が違う。
「全部聞いていたの…!?」
「あぁ。」
いろいろと混乱していてよくわからない。どうやって入ってきたのか。なぜトパーズは気配に気付かなかったのか。そして、私が悠馬君を好きでいることはバレてしまったのだろうか。
「阿保だな、パリオス軍は。俺が敵だろうと、1ミリ以下の虫になればわからない。」
「え、悠馬く…」
私はその場に座り込んだ。いつもの悠馬君ではない。悠馬君は私に近寄り、にやっと笑いながら見下ろした。きっと、彼は小さな生物に化けて付いてきたんだ。
「そんなに辛いなら、俺と行かないか?我が海も悪いところじゃない。」
悠馬君はゆっくりとしゃべった。私を見下ろす彼の顔も綺麗だったが、彼にはいつもどおりいてほしい。
「山本。しばらく協力してくれたら、一緒に陸上に戻ろう。きっと今よりいい生活になるぞ。保証する。」
悠馬君の口元は更に緩んだ。そして、
「猫は封じてやろう。」
悠馬君の邪気にやられて弱ったネオを持ち上げ、ベッドへ投げた。
「主………!」
「ネオ…!?!?!?」
「ヴァルト・セ・クリスタル」
そして、悠馬君は懐から水晶を投げた。ネオは一瞬でその中に吸い込まれ、姿がなくなった。
「行こう。山本。」
悠馬君は私の手を引いた。
つづく。