○予定○
あっという間に、終業日になった。…今日は雨。でも、行こうと思った。…目的は一つ。
音楽室の件以来、悠馬君は毎日のように音楽室に来た。もちろん、ピアノを聞くため。蒸し暑い音楽室でピアノを弾くのは、汗すら拭えないし、辛かった。でも、全て弾き終えると、「凄い!」って悠馬君が拍手するから、頑張れた。
…夏休みはこんな日々はない。きっと一人になる。そう思った。
『8月19日9時ごろ』―それって、調べたんだけど流星群…じゃなかったっけ。私は、空も海も小さい頃はよく知らなかった。田舎で、その中でも区画整理を繰り返していた町だった。あまり外には出なかったし、団地の下の階でジグソーパズルをして遊ぶだけの日々だったのを覚えている。そんな私に、悠馬君は空や海に出会うチャンスをくれたんだろう。
…先日の、景色も歪むような蒸し暑さも嘘みたいに、コンクリートは雨水を吸い込むような黒になっていた。私は、あの日悠馬君に会ったコンビニに行く。
ピンポンピンポーン♪
…案の定、悠馬君はいた。
「おはよ、悠馬君。」
「お。珍しいな。山本から挨拶なんて。」
「聞きたいことがあって…」
流星群のことを聞こうと思って出た言葉は、
「…ピアノ、今日聴くの?」
全く違う言葉だった。
「ん?今日昼休みないだろ。え、家行っていいの!?」
…困った。話を後回しにしたい故こうなったのか…。
「あ、じゃなくて」
「…?」
「ごめん、ここ1ヶ月…」
聞きたいことが喉の奥で引っかかってしまった。何より、心臓がバクバクしてうまくしゃべれない。ここまで走って来た訳でもないのになんで…?突っ立ってしまった。どう伝えよう…。
「山本。」
ポン、と悠馬君は私の肩に手を置いた。
「!!」
「遅刻する。遅れても知らないぞ。」
また私は、その場に突っ立ってしまった。こんなこと、初めて…。
…ちなみに、学校へ来て、玲奈に正直に話すと、それは「恋」だと教えてくれた。あんたが恋するなんて意外だね、って…人付き合い少ない私だから、そう思うのが普通か…。
「大丈夫だよ。絶対言わないから。忘れる。」
「うん。ありがと。」
この人は、絶対的に信用できる人だ。
校長の長い話を経て、終業式は終わった。
…成績表もいただいた訳だが、予想通り最悪。参考書をパラパラとめくることは多いが、もうコサインのコの字を見ただけで頭が痛くなりそうだ。…まあ、これも終業シーズンの風物詩といえよう。ただ、私は放課後の方が待ち遠しいのだ。
キーンコーンカーンコーン…
早いと思えば早い。というか気持ち早まり過ぎていた。ただ、8月19日は来るか聞きたいだけだ。一緒に海に行けるか、と―。それだけだ。
それだけを考えながら、速攻学校を出た。悠馬君がそんなに早くないのはわかってる。本当に気持ち早まっているだけだ。…しゃべれないかもしれないけど、会いたい。
しばらくして、悠馬君は出てきた。
「あ、山本。」
「………悠馬君。今日、ちょっとだけ……ちょっとだけでいいから、うち、これる…?」
朝のことがあるから話しにくい…。
「お。ピアノ弾いてくれんの?」
「うん……」
「よっしゃ。行く。」
ほっ…。
多分、悠馬君は気づいているんだろう。不器用な私のことだから、表情に出ているに違いない。2つの傘の距離が縮まることのないまま、コンビニを通過し、公園を通過し、私の家に来た。
「おじゃましますっ!」
「どうぞ。」
「どうした?山本、今日なんかヘンだ。」
「き、気のせいだよ。さ、ピアノ、ピアノ。」
「……。」
私は焦りながら、悠馬君より先に部屋に向かった。そして、ピアノの方に早歩きで行く。
ガンっ
「痛っ!!」
…ピアノの足で打った。幸い、ケガはない。
「…ドジだな。」
「…悪かったね。」
さ、切り替えてピアノに向かおう。
私は、ピアノの前に座ると、自然となんでも出来る気がする。小学校の時から、発表会でミスをしたことはない。それがどんな時であっても、たとえそれがたった一人のためのピアノであっても。今日も、ミスはしないはずだ。
外は雨が、ぱらぱらという音を立てて窓へぶつかる。うるさくて仕方ないからカーテンを閉める。閉め切った部屋で二人。私は鍵盤に手を触れた。
♪♪♪♪♪♪ ♪~
今日はゆったりめの曲を選んだ。「風」。題名通り、どこからか風が吹いてくるような曲だ。旋律がしっかりしてる曲だが、強弱、リズムで手こずってしまう。
♪ ♪ ♪
まず3連符。なめらかな曲調が続く。
♪~♪ ♪♪♪ ♪♪♪
ためて、左手につなげて。強調された旋律を生む。
♪ ♪ ♪ ♪~ ♪ ♪ ♪ ♪~
そして、エンディングの切なげな旋律。別れとでも言うようなメロディーだ。正直、夏休み悠馬君に会えなくなるのが寂しい。1ヶ月間の別れだと思った。だから…
♪~
「まじですげぇ。」
「ありがとう。結構練習したんだよ。」
「お前どんだけレパートリーあるんだよ。」
「月に2~3曲練習して、気に入ったのは何回も…。成功した曲は1ヶ月は頭に残ってる。それに、私絶対音感あるし。いま自分が喋ってる音階もわかる。」
「マジですか・・・」
悠馬君が呆気に取られている。…ちがう。話したいのはそういうことじゃない。8月19日は…
「にゃ~」
…奥の部屋から、なにやらお気楽な鳴き声が聞こえた。扉を開けると、ひょこっと黒猫が顔を出す。
「おはよ、ネオ。」
「お前猫飼ってたんだ。」
「うん。まあしょっちゅう寝てるから、普段は気配を消してる。」
黒猫、ネオは、普段は人見知りでなついたりしないが、今日は悠馬君に甘えん坊だった。彼がネオの背中を撫でている間、ネオは喉を鳴らしてリラックスしていた。
私も落ち着けただろうか。
「ねえ。」
「なんだ?」
「8月19日、流星群の見れる最終日だよね…。」
「まあ…。ピークの日は月が出るし、条件は良くない。しかも俺の事情があるから。」
「事情で……ってことは…!」
「おぅ。一緒に見よう。」
「本当に!」
急に嬉しさがこみ上げた。それに…
「あと、時間あるときはお前んちにピアノ聴きに行っていい?」
「もちろん。」
ひとりじゃない。夏休み、短い間だけど友達と過ごせることは本当に嬉しい。
「なぁ。」
「ぅん?」
ぐ~きゅるるるる…
「…腹減った。何かない?」
「…。」
うつむき立ち上がった私は、即キッチンへ向かった。これから、もう一つの特技の披露だ。
つづく。