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第3話「つぎの日も、そのまたつぎの日も」

 ざわめく景色の中、てるてるぼうずは、強い風とは対照的に、やわらかく、ふわりと僕のほうを振りかえった。強い海向きの風が、すこしの遠慮もなしに、てるてるぼうずのおおきなフードを脱がす。透き通るあめ色の髪の毛が、風にあおられてきらきらと光った。僕はなにもできずに、ただ立ち止まって、丘の上を見つめていた。めまぐるしく色を変えていた空は、やがて色がとけて、にじんで、まざって、夕方色に染まりはじめる。遠くからで、はっきりとは見えなかったけれど、そんな景色を背にしたてるてるぼうずは、どこか泣いているように見えた。




 どうしてきゅうに、そんなことを言いだすのだろう。彼女がとつぜんそんなことを言うものだから、僕はどうしたらいいかわからなくて、はね返すように、訊きかえしてしまった。もしかしたら、すこし冷たく聞こえてしまったかもしれない。途切れてしまった会話に、冷たくはりつめた港の静かさが、ゆっくりとのしかかってくる。

「あのね…………」

 ようやく聞こえた女の子の声は、港の静かさにつぶされて消えてしまいそうな、細い声だった。僕は、こんどはちゃんと待とうと思った。今よりもっと、彼女を不安にさせてしまうのは、いやだった。

 だけど、そんな僕の気持ちとは裏腹に、女の子は、今にも泣きだしてしまいそうだった。きっと、ものすごくいいづらいことなんだ。いろんなことを忘れてしまった僕には、はかり知れないくらいに。

「僕、へいきだよ」

「……え?」

 気づけば、僕はそんなことを口にしていた。女の子は、やわらかい色の瞳に涙をためたまま、おどろいたように、きょとんとしている。僕はそれでも止まらずに、坂道を転がるように、早口でつづけた。

「それがどんなことでも、へいきだよ。僕、おどろかないから。それに……その、今はつらかったら、つぎの日までも、そのつぎの日までも、そのまたつぎの日にまでだって……待つから! いつまでだって、きみが話せそうになるまで待つから……だから、その――――」

 なかないで。そう言ったつもりだったけれど、最後のほうはあまりにも小さな声になってしまって、彼女に聞こえたかどうかはわからなかった。どうして今日は、うまく話せないのかな。気持ちばっかりがあせってしまう自分が、もどかしくて、悔しかった。

「うん……」

 女の子は、悲しそうな声でちいさくうなづくと、またうつむいてしまった。さっきよりおちついているようだったけれど、うつむいた彼女の表情は、白いおおきなフードに隠れてしまってわからない。うまく話せない僕は、どんな風に声をかけていいかわからなくて、ただ隣にいることしかできなかった。

 また訪れた、長い沈黙。僕はもういちど彼女を撫でようと、手を伸ばしてみたりもしたけれど、今はなんだか、彼女には触れてはいけないような気がして、僕は思いとどまった。かわりにその手で、肩に積もった綿ぼこりをぱたぱたとはらう。白くてやわらかくて、そして冷たい綿ぼこりが、たくさん落ちた。僕は、それくらい時間がたっていたことに、すこしおどろいた。でも、待つと決めたのだから、たとえ降り積もる綿ぼこりに埋もれてしまっても、彼女の涙がかわくまで、待とうと思った。

「ね、帽子屋さん」

 やがて、空があたたかいうすみどり色に染まりはじめたころ、女の子はうつむいたまま、遠慮がちに言葉をつむいだ。僕はなるべくふつうに聞こえるように、「なに?」とこたえた。すると女の子は、またすこし深呼吸をした。

「ほんとに、どんなことでも……たとえば、わたしがもし、わるい子でも、へいき……?」

 どうして、彼女がわるい子なんだろう。とてもそんなふうには見えない。父さんは、ごはんを残した僕を怒るときに、よくそう言うけれど、いま目の前で、不安そうに僕の顔をのぞきこむ彼女は、それとはぜんぜんちがう。

「え、わるい子なんかじゃないよ。だからへいきだよ!」

 すこしでも安心させてあげたかった僕は、そんなふうに、明るくこたえる。

「それじゃあ、もしわるい子だったら、へいきじゃないの……?」

「えっ、ちがうよ! そういうことじゃなくって――」

 安心させるはずだったのに、もっと不安にさせてしまった。どうして僕はこんなにも、気持ちを言葉にするのがへたくそなのだろう。僕はあわてて、つぎの言葉をさがした。

「――そうじゃなくって、僕はただ、笑ってほしいって、思ったんだ。たとえわるい子でも、ぜんぜんへいきにきまってるよ!」

 ずっとにぎったままだったつるつるのボタンを、あやうく落としそうになりながら、僕は防波堤の上に立ちあがって、夢中でしゃべった。コートの重たい袖を、風が起こるくらいにおおきく振って、なんとか言葉にしようとする。袖についていた綿ぼこりが、くるくると舞い上がった。

 女の子はおどろいたように目を丸くして、そんなあわてた僕を見上げていたけれど、そのすぐあとには、ちいさく笑ってくれた。風が吹くと飛んでいってしまいそうな、ちいさな笑みだった。僕は、この時ばっかりは、風なんて吹かなければいいと思った。

「……よかった」

 女の子は、心底安心したように、真っ白いコートの胸をおさえた。その顔は、どこかうれしそうにも見えて、僕もうれしくなった。ほっとして、つられて笑う。

「帽子屋さんは、やっぱりやさしいね」

 とつぜん女の子が、僕を見つめたまま、ふわっとしたかおでそんなことを言うものだから、僕はきゅうに照れくさくなって、大きく広げたままになっていた両手を、おおいそぎでコートのおおきなポケットにしまいこんだ。そのまま、思わずそっぽを向いてしまう。

「えっと、泣いてるより、笑ってるほうが、にあってると思ったからっ」

 とくに読むわけでもないのに、魚屋さんの看板を見ながら、僕はまた早口で言った。僕の手と、すっかり同じ温かさになってしまったボタンを、ぶあついポケットの中で、なんとなくころがす。そんな僕を見て、女の子は、また笑った。なつかしい、そよ風のような笑い声が、耳をくすぐった。

「そ、そうだ、おさんぽ、まだとちゅうだったよね」

 僕は、防波堤から、ぴょん、と降りながら言った。ほんとうはすごくうれしかったけれど、「やさしい」なんて、いわれたことがなかったから、照れくささのほうがずっと大きくて、どんな顔をしたらいいかわからない。僕は、ぽふっ、とわざとおおきな音を立てて着地すると、彼女のほうを振り返って話しかける。

「こんどは、えっと、こっちの通りに行くのは、どう?」

 僕は、たくさんの石造りの階段が顔のぞかせている通りの入り口を、ちいさくゆびさした。べつだん、そこへ行きたかったわけではないけれど、いまは、照れくささから逃げるために、新しいお話がしたかった。

「えっ…………」

 すると彼女は、一瞬だけとまどうような表情を見せた。だけどすぐに、さっきまでの元気のなさがまるでうそのように、顔をぱあっと明るくしてこたえた。

「……うんっ! そうだね!」

 女の子の思いがけない表情に、僕は面食らってしまう。僕の言ったことが、そんなにうれしかったのかな。理由はわからないけれど、なにより笑ってくれたのだから、僕はきっとこれでよかったのだと思った。

「じゃあ、いこっか」

 僕は、まだ防波堤に腰かけている女の子に、手を差し伸べながら言った。女の子も、ひらひらの真っ白い手を伸ばして、僕の手を取る。彼女の手は、やっぱり冷たい。

「あのね、さっきいい忘れたことがあるの」

 女の子が、僕の手を取った姿勢のまま言った。

「なに?」

 僕は彼女の手をしっかりとにぎって、降りるのを手伝いながら訊いた。女の子は、ひらひらのコートをふくらませながら、ふわりと僕の隣に立つと、ちょっと恥ずかしそうに口を開いた。

「あの……ありがとうっ。さっき、待つって、言ってくれたとき、すっごくうれしかったんだ……。すぐにいえなくって、ごめんね?」

 女の子は、そう言ってまた笑った。こっちまで暖かくなるような、お花みたいな笑顔。あしたも、あさっても、そのまたあさっても、この笑顔が見られたらいいなぁなんて、そんなことを思いながら、僕は彼女の手を引いて歩き出した。

「い、いいよそんなの。気にしないでってば」

 それでもやっぱり、照れくさいのは変わらなかった。手をつないで歩いているのに、彼女のほうをまともに見られない。

「そんなにいそがなくてもいいのにー」

 僕の隣で、そう言って笑う女の子の声は、どこかたのしそうだった。だったら、もっといそいでみようかな。そんないたずら心のはたらいた僕は、彼女と手をつないだまま、通りの入り口に向かって駆けた。

「きゃあっ、きゅうに走らないでよう」

 それでも、つないだ手は離さない。僕と女の子は、冷たいほこりをたくさん舞い上げながら走った。

 そのとき、僕と女の子のあいだを、こっそり風が通り抜けたような気がしたけれど、それはきっと、僕たちが走っているせい。だってこの港には、風は吹かないのだから。帆をすっかりたたまれて、寂しそうに浮かんでいる小船たちの横を駆け抜けながら、僕はそう思った。

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