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作者: カンナ

 暗い闇の底。

 そこは穴の底でもなければ、海の底でもありません。


「おい、もうちょっと詰めてくれないかい?」

「無理言わないでくれ、こっちだってぎゅうぎゅうだよ」

「おい、誰かが俺の紙を引っ張ってるぞ」

 髪、ではなく紙。ここは鞄の底。中では書類が所狭しとひしめいています。

「まったく、この鞄はなんて整理が悪いんだ」

 若い紙が愚痴をこぼしました。

「ん、その声は新入りかな? 私みたいに鞄の底に押し込められていると、苦しすぎて何がおきても分からなくてね。馬路さんの鞄にようこそ。ここの長老、ピンクチラシじゃ」

 その愚痴に応えたのは鞄の奥底にある紙でした。時には雨にぬれ、時には他の紙の束に潰され、よれよれになりながらも今なお元気な長老は、厳格な、しかし軽やかな声調で話しかけました。

「なんでそんなものがこの鞄にあるんだよっ!」

「まぁ、それはおいおい話していくとして。君はどんな、紙かね?」

「おい爺さん、あまり大きな声を出すなよ。馬路さんが会社に着いたら重要会議なんだ。会議中しおれないようにしっかり休まないといけない」

 ホッチキスでまとまり、シャキっとクリアケースに入れられた極秘書類がこもった声で口を挟みます。

「うんうん、それはよく分かるが、新入りの歓迎とて大事なこと、違うかな?」

「関係ないさ、俺の使命は馬路さんが書類で恥ずかしい思いをしないようにすることだ」

「うんうん、そうだの。わしもそう思って長い長い間、この鞄で過ごしてきた」

「ピンクチラシと一緒にすな! 俺は極秘書類なんだぞ!」

 極秘書類は憤慨しました。人に対する貢献度が違う。奴は馬路さんに金を使わせるため、俺は馬路さんが出世するために生まれた。もって生まれた資質が違うのだ。同じように思われてはたまらない。

 そう思ったのです。

「ご、極秘書類なんですか? はじめまして、顧客情報です」

 初めの若い声が喧嘩の間に入ってきました。声と一緒にインクの香りが飛び、周りの紙たちはその匂いをうらやましがりました。

 しかし、極秘書類とピンクチラシは全くうらやましいとは思いません。

「おぉ、何だ仕事で使われる同士のお仲間か。それは失敬した。馬路さんの仕事書類同士、がんばろう」

 極秘書類は同志の存在に喜んでいましたから匂いなんて気にもとめていませんでした。

「よろしくお願いします」

 顧客情報も緊張しながら精一杯の返事をしました。

「顧客情報とは、最近大変じゃのう。わしは電話番号さえ消えなければ役に立つが、お前は濡れたりすればそこで役立たずになる。気をつけるんじゃぞ」

 ピンクチラシは、鼻が利かなかったので何も分かりませんでした。

 ピンクチラシは電話番号の下三桁が消えかかっていましたが、鞄の底、闇の中では誰もそれに気づくはできません。

 そのとき、鞄が上へ上へ一段ずつ上がっていきます。それに合わせて鞄の中身ががさがさと揺さぶられした。

「おい、そろそろ会社じゃないか? 階段だよ。結局ろくに休めなかった」

「あまり揺らさんでおくれよ、傷に響くでの。年寄りが一番下というのがそもそも……」

「実は、今日僕も出番らしいんです。朝印刷されたばっかりなのに、うぅ緊張する〜」

「そうか馬路さんが朝パソコンに向かっていたのはそれでか。あまり気を張るなよ、持たれたときに千切れてしまう。気を張るのは紙のふちだけでいいんだぞ」

「はい、製紙工場の機械の方にそう教わりました! がんばります!」

「紙たちよ、元気がいいのはかまわんが、私の中であまりがさがさ動かないでおくれ。私の底だっていつまでも丈夫ではいられないんだからね。おや、ピンクチラシ、今日はなんだか落ち込んでいるね」

 そう言ったのは鞄でした。馬路の肩にぶら下がって、底のほうから声を上げます。

「今日は年寄りをあまりいたわらない日のようでの」

 ピンクチラシの声からは厳格さも、軽さも消えて、ただどろんと沈むだけでした。

 顧客情報と極秘書類は会話を弾ませ、会議中での息抜きの仕方だとか、持たれやすい形だとかについて話しています。その間、他の紙はみんなしばらくはやってこない自分の出番に飽きていました。


 馬路を初めとして会議が始まりました。 机の上には、極秘書類、顧客情報、その他にも色々な紙が並んでいます。

 極秘書類は会議の初めから大活躍でした。馬路の震える手にもたれながら、気張らず抜きすぎず。会議は円滑に進みました。

 やがて、顧客情報の出番がやってきます。彼は少し緊張しているようでした。馬路が手に取ろうとすると一枚を残してしまいました。クリップに留められていたので、一枚だけ宙にぶら下がってしまったのです。紙にとって、留められているのに、手にとってもらったとき、手の中に収まっていないのはとても恥ずかしいことなのでした。

 他の人間の前におかれている紙が、顧客情報を軽蔑の目で見ました。恥ずかしさのあまり顧客情報はますます緊張してしまいます。緊張のあまり、少しだけ体を震わせてしまいました。すると、馬路が紙をめくったときにクリップがはずれてばらばらになってしまいます。

 これは、一枚垂れ下がるよりもっと恥ずかしいことです。

 もう駄目だ。いっそ破れてしまおうかと思ったそのとき、極秘情報が目配せして励ましてくれたのです。

 顧客情報は大いに喜びました。先輩の励ましのおかげで顧客情報はすっかり気を取り戻しました。しおれたり、シワを残したりせず、見やすい紙として最後までがんばることができました。


 昼休み、鞄の中身たちも休みを取ることができます。

「顧客情報、よくがんばったな!」

 そう言ったのは極秘書類でした。

「ありがとうございます!」

 嬉しそうに答えたのはもちろん顧客情報でした。

「まぁ、確かにのがんばった。だがわしらは紙じゃ、気をつけるんじゃぞ。なんせ……」 ピンクチラシはそこで言葉を切りました。

「何だよ爺さん」「どうかしましたか?」

 それからピンクチラシはまた何も言わなくなりました。


 昼休みが終わり。馬路が戻ってきました。

 普段は昼休みが終わっても鞄を片手に大忙しの馬路ですが、今日は少しゆっくり出来るようでした。

 ピンクチラシは底の方でびくびくし始めました。ほかの紙がどうしたのだとか、なにがあったのだとか尋ねても、「うぅ」やら「あぁ」やらよく分からない返事が返ってくるだけです。やがては誰もピンクチラシのおかしさを気にも留めなくなりました。

 実は、怖くてたまらなかったのです。馬路がゆっくり出来るときには必ず、恐ろしい時間がやってくるからです。それを誰にも言えずに紙の端をプルプルいわせるしか出来ませんでした。

 そして、ピンクチラシが恐れていたことは起こってしまったのです。

 馬路は鞄を机の上に乗せ、鞄を開けて中の物を片っ端から引っ張り出し始めました。鞄の中に取り残されたピンクチラシはいよいよ震えだしました。

「爺さん一体どうしたって言うんだよ」

 我慢できずに机の上の極秘書類が怒った様に聞きました。

 返事はありません。机の上にばら撒かれた紙たちはどことなく不安になりました。

「ふぅ、少し整理しなきゃ。えぇっと」

 馬路はつぶやくように言葉を吐きました。

 机の上の紙のうち、一枚が拾い上げられました。馬路はそれを机の端に置き、次々と紙を拾い上げてはそこに積み重ねていきます。そのうち顧客情報をつかんでその紙の山に加えました。

「この紙の束は、何でしょう?」

「分からないなぁ」

 顧客情報も、極秘書類も何がなんだか分かりません。

 馬路は一通り紙を眺め、分け終えると机の端の紙の束を持って席を離れました。

 残された極秘書類は不安で仕方がありません。

「なぁ、一体何があるっていうんだよ」

「……シュレッダーじゃよ。まぁ、何。わしは鞄の奥底のチラシで関係はない」

 そう言ってピンクチラシが乾いた笑いをすると、他の紙に言葉は何もありませんでした。

 紙の湿気が飛んでいきそうな空気がしばらく続いた後、馬路が鞄の元に返ってきました。

 ピンクチラシはまだ笑っています。

「ん、なんだ? 鞄の奥に」

 馬路が手につかんだのは一枚の薄汚れたチラシでした。

「うげ、こりゃ……」

 チラシは丸められてゴミ箱に捨てられました。

 やはり紙たちに言葉はありませんでした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 意外とあったらあったで邪魔になる。 なければないで必要になる。 私はその筆頭が紙とペンだと思いました。 改めて、紙とは何かを記すため、引いては情報を一時的に記憶しておくために生まれてきたもの…
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