ほんの少しの思い出1-6
処女作です。これまで読む立場だったので、いざ書いてみると難しいこと。おこがましいことは言いませんが、自分が得てきた世界観を出したつもりです。感想いただけると幸いです。
(チェックはしましたが。誤字があるかも・・・すいません)
1. 小学校にもヒエラルキーが存在する。
こんなことがわかっていれば拓也のように苦労しなかった。ピラミッドの一番上にいる子供は同性からも異性からも学校の先生だってよくみてくれる。しかし、最下層に落ちた人間は縦軸も横軸も行きつく先は同じなのだ。学校では下校途中に同級生に石を投げられた。夜中に担任から電話があって、
「宅のお子さんはほかの子供と違って学級運営に支障をきたします。ほんとうになんとかしていただかないとこちらもどうしようもないわけです。それくらいの問題児だということをお母様はご理解いただいているのでしょうか」
とあった。母親は平身低頭しながら細々と「すいません、すいません」と呟いた。電話を切ると、食卓に上った茶碗を拓也にぶつけて、
「クワザワから電話があった。あんたがいるから食事がまずくなる」
と叫んだ。
おおざっぱに言えば拓也の日常とはこんなものだった。
拓也の中にも自分の人生のせいで他人に迷惑をかけているという意識はあった。あったから、翌日の登校日はずるけた。
ずるけたけれど行き先がなかった。自分には居ていい場所というのは多分ないだろうと思ったからだ。
2. 私鉄沿線に「日吉通り横丁」という通りがある。この道と線路を挟んだ通りは学校の規則で通ってはならないことになっている。親からも通ってはいけないと忠告されていた。ただ、どうして通っていけないかは誰も教えてくれなかった。拓也は―そしてほかの子供もそうだろうが―「横丁通ると罰が当たる」と思っていた。通ったら何か良くないことが起こる、大人がそう言っている。呪文のように暗記させられて今日まで通らなかった。
しかし日吉通り横丁以外に自分の場所を見つけ出すことができなかったのである。
日吉通り横丁と書かれた割れかけの看板の下をくぐると線路沿いの一本道が見えた。何もなさそうだと思って歩き始めた。左側を見るとスナックと書かれた店が黒いカーテンを閉めていた。日中は営業してないのが普通だが、子供の拓也にはスナックも黒いカーテンもただの異物でしかなかった。もう一歩進んでみると、今度は紫の字でスナック艶と書かれていた。ここも仕切りで閉ざされている。
一本道をただなんとなく歩いていた。人は拓也以外誰もいなかった。だが、微かに呻くような声が聞こえた。歩を進めていくうちに声は大きくなっていた。看板も仕切りもない真っ暗な部屋から、
「あし・・あしし。」
拓也は立ち止まってその音を聞いた。窓ガラスの中は暗くてわからなったが、何かがゆらゆら動いている。
「あししだよ・・・あしし」
今度は金切声ともいうような悲鳴がきこえた。窓越しに見ると、二つの眼が拓也を覗いていた。眼は人間の瞳を逸脱したような、むしろ何か獣くさい、ギラギラと輝き、目の中心部に向かって毛細血管が何本も張っているようだった。人間と識別するのもやっとだった。
(あれは獣だ。獣なんだ)
そう思ったら拓也の足は一本道をひたすらに走っていた。
3. 次の日も拓也は日吉通り横丁にいた。先日の光景が目に焼き付いている。それに、昨日クワザワから電話があって、怒り出した母親が拓也の頬を張った。父親はくそったれのくそガギめ。生むんじゃなかったと叫んで腕を捻じ曲げた。痛みで叫びながら、脳裏に浮かんだのは昨日の眼だった。怖いはずなのに自分の場所は日吉通り横丁にあると拓也は思っていた。
ランドセルを背負って横丁の看板を抜けるとまたまっすぐな一本道が見えた。時折けたたましい音で電車が通過した。
電車が通過する中、左側のあの黒い部屋から女が出てきた。女は黒いキャミソールを着ただけで裸足だった。よたよたと歩きながら道の真ん中まで来た。風が時折キャミソールを吹き上げた。肌色の中に小さな黒い丘があった。女は下には何もつけていなかった。このことに気付いた途端、拓也の顔は少し赤くなった。
「ねえ・・・」
拓也は下を向いたままだった。この女を凝視したら何かとんでもないことが起こるような気がした。
「ねえ・・・」
やっと女が自分に話しかけているのがわかった。しかし、顔を上げるのがなんだか怖かった。下着を穿いていないことを知ったことも理由の一つだったが、彼女の眼を見るのが昨日のギラギラした毛細血管の集合体を見るように思えたのだ。
「ねえ・・・顔あげて」
女の声は優しかった。
女の声に促されて拓也は顔を上げた。優しい笑みを浮かべた下着姿の女がいた。体は細くて、肉付きもそれほどない。むしろ骨と皮に近かった。しかし、胸ふくらみは下着越しからでもわかったし、風に靡いた下半身は母親が時折見せるそれとは全く異質のものだった。スリッドを覆い隠す黒い布は最低限で、肌は白い絹のようだった。
「ここね。小学生が来るところじゃないよ」
女はゆっくりとしたテンポで拓也に話しかけた。拓也は無言で立ったままだった。
「学校はきらい?」
拓也はうなずいて見せた。それが精いっぱいの返答だった。
女は拓也に近寄ると手を握り、部屋の中に入れた。
「ここにいていいよ」
4. 学校をずるけて女の部屋に行くのが拓也の習慣になった。家に帰るたびにクワザワから、
「今日おたくのお子さん来てませんけど」
と無愛想な連絡が来る。そのたびに母親は拓也を叩いたが次第にそれもなくなった。拓也は家に帰るという選択肢を捨てたのである。
女は拓也の髪をなでた。きれいな髪だと褒めてくれた。時々、入口から男の声で、
「みゆちゃん、みゆちゃん、今日はさせてね。いいでしょ、いいでしょ」
といってくるのがある。そのたびに女は入口のガラス戸をドンとひとたたきして追い出した。夜になって、また、
「みゆちゃん、みゆちゃん。どうしてあってくれないの。いいでしょ、いいいでしょ」
という声があった。みゆと呼ばれた女は何も返答しなかった。ずっと暗がりの部屋で拓也とみゆは内緒話をするようにこそこそと話しをしていた。もう、外の男のことはどうでもよかった。
外のほうで、
「え?3枚か。うん、いいよ、いいよ。そっちにいこう」
という声が聞こえる。そして男の声は聞こえなくなった。
5. 「学校にはね、僕ともう一人馬鹿な子がいるの。その子はね、女の子の着替えとか覗いたり、幼稚園の子供のアソコを触って臭いをかぐんだ。僕は馬鹿だけど、そんなことしないよ」
「拓也はおりこうね。」
「お利口じゃないよ。小さい子には興味がないだけだよ。他はきっとそいつと同じなんだ。」
「どうして?」
「国語も算数も図工も全部できていると思っていたんだ。でも、僕はできていなかった。出来ないからお父さんもお母さんも僕を叩くんだね。」
「腕が青いね」
「お父さんはね、いろいろなものでぶつんだよ」
「痛いよね」
「痛いよ。痛いけど、僕が悪いんだからしょうがないんだよ、きっと。僕の中にはなにか悪い虫が入っているんだろうね。だから手も足もみんなの期待通りに動かないんだ」
「そうかな。拓也の手はねとても暖かいよ。私の体は冷たいから、氷みたいだから拓也に触れると気持ちがいいの」
「気持ちがいいのはいいこと?」
「いいことだよ。私はうれしいもの。」
「みうといるとね、何もかもいい感じがするんだ」
「何もかもいい感じがするのはあたしがどこかで嘘をついているからだよ」
「嘘?」
「まだ見せていないところ」
「それはなに?」
「なんだろうね。きっと拓也が嫌になっちゃうところだよ」
「僕はみゆを嫌いにならないよ」
「ありがとう。もうおやすみ。いい夢がみれるといいね」
「うん・・・。おやすみ」
6. 警察署の中では罵詈雑言の荒らしだった。
「あんたが毎日毎日電話してくるから息子が出て行ったのよ。学級運営できないのはあんたの技量じゃない。それを人のせいにして」
拓也の母親はお茶の入った茶碗を、担任の桑沢になげつけた。
署員が落ち着くようにと母親が立ち上がって母親が怒りをぶちまけるたびになだめていた。
「しかし拓也君がもう一人の子と一緒に学級内で問題児だったのは事実で・・・」
桑沢は下を向いたまま、ぼそぼそと返答した。
「うちの倅をあんなふうにしたのはあんただよ。あんたに騙されて女房と二人できつく叱ったがそれは間違いだったんだ。全部あんたのせいだよ」
今度は父親が叫んだ。
「あんたが算数ができないというから因数分解を教えたらこれは小学校で習わないから駄目なんだという。倅は倅で習ってないからできなんだという。俺の言うとおりに勉強していたらクラスでトップだってとれたんだ」
父親は机を何度も叩いた。
「ともかくですね、おたくの息子さんのせいで我が校の名誉が著しく傷ついているんです。それを叱ってどこが悪いんです」
桑沢も金切声をあげた。
「お宅のお子さんは学力の低下に加えて、他の子供の邪魔をしたり、授業をさぼってどこかへ行ったりします。そして今度は家出でしょう?お宅のお子さんは私の手には負えない児童です」
そこに署員が割って入った。
「それよりも息子さんがどこにいるか探すのが先でしょう。叱ることなら後でもできます。皆さんはお子さんが帰ってこないほうがいいのですか?」
三人は黙った。自分たちにとって拓也は邪魔な存在だと思っていたことはあった。担任は他のクラスのだれかと交換したかったし、両親もいっそどこかへ預けてしまおうかと考えたこともあった。
「我々も全力で探します。ここは皆さんが協力していただかないと」
署員はそれこそ手の付けられない児童をあやす様に言った。