五月の夕方
五月の夕方、幸子は公園にいた。
風はやわらかく、昼の暖かさを少しだけ残していた。木々の葉がかすかに揺れて、光を細かく散らしている。
特に用事はなかった。
散歩の途中で、空が赤くなってきたから、ベンチに座って見ていた。
ベンチは少しだけ温もりを持っていた。昼間に日を受けていたのだろうと、なんとなくわかった。
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夕焼けというのは、急ぐと損をする。
幸子は、そう思っていた。
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子どもたちが遊んでいた。
三人、四人と走り回り、声を上げている。靴が地面を蹴る音が、乾いたリズムで続く。
その中の一人が、シャボン玉を吹いていた。
小さな丸が、いくつも空に上がる。
風に乗って、ゆっくりと流れていく。
夕焼けに透けて、ピンクになったり、オレンジになったり、虹色になったりした。
その色は一定ではなく、見る角度によって少しずつ変わる。
幸子はそれを見ていた。
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飴玉を口に入れる。
ゆっくりと甘さが広がる。
悪くなかった。
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別の子どもが、紙飛行機を作っていた。
しゃがみこんで、一生懸命、折っている。角を合わせて、指でしっかりと押さえる。その動きが、妙に丁寧だった。
折り終わる。
少しだけ構えてから、投げた。
紙飛行機は、すっと前に出て、空気をつかむように伸びた。
まっすぐ飛んだ。
夕焼けの中を、すーっと滑るように進んでいく。
子どもが歓声を上げた。
その声は、少しだけ高くて、弾むようだった。
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幸子も、少し声が出そうになった。
堪えた。
公園で声を上げるのは、恥ずかしかった。
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堪えきれなかった。
「あら」
小さく、出た。
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紙飛行機が着地したとき、白いものがふわりと入ってきた。
紋白蝶だった。
夕焼けの中で、その白さが少しだけ淡く見える。
紙飛行機の近くに止まった。
子どもが近づく。
蝶は逃げなかった。
子どもと蝶が、しばらくそこにいた。
動かない時間が、ほんの少しだけ続いた。
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幸子は見ていた。
空が、もう少し赤くなる。
赤の中に、少しだけ紫が混じり始める。
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シャボン玉が一つ、幸子の方へ流れてきた。
風に押されて、ゆっくりと。
ベンチの前まで来て、止まるように浮かび、
ぷつりと消えた。
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消える直前、夕焼けが全部入っていた。
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「そうか」
幸子は小さく言った。
シャボン玉というのは、消えるときが一番きれいらしかった。
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子どもたちが帰り始めた。
呼ぶ声が遠くから聞こえる。足音が少しずつ減っていく。
紙飛行機を持った子が、幸子の前を通った。
「うまく飛んだね」
幸子は言った。
子どもが少し照れた顔をした。
「また飛ばす」
「また見てます」
子どもはうなずいて、走っていった。
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公園が静かになった。
さっきまでの音が、少しずつ消えていく。
夕焼けが、ゆっくりと暗くなっていく。
紋白蝶は、いつの間にかいなくなっていた。
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幸子は、もう少しベンチに座っていた。
急ぐと損をするから。
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家に帰る。
玄関を開けると、少しだけひんやりとした空気があった。
靴を脱ぎ、鞄を置く。
メモ帳を出す。
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書く。
「夕焼け、見た。シャボン玉、きれいだった。紙飛行機、よく飛んだ。紋白蝶、逃げなかった。」
一つずつ、確かめるように。
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メモ帳を閉じる。
口の中を確かめる。
飴玉は、もうなかった。
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明日、買っておこうと思った。
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悪くない夕方だった。
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