窓の外は全部昔だった
土曜日、幸子は電車に乗った。
朝は少しだけ風があって、駅のホームに立つと、スカートの裾が揺れた。電車が入ってくる音が遠くから近づいてくる。
孫の家に行く日だった。
幸子は手土産の袋を膝の上に置いた。白いビニール袋の中で、ふりかけの小袋がかさかさと触れ合う。
のりたまと、ごま塩。
二種類。
どちらが好きでもいいように。
几帳面な性格だったから。
—
窓際の席が空いていた。
幸子はそこに座った。ガラス越しに、少しだけ冷たい外気の気配が伝わってくる。
電車が動き出す。
ゆっくりと、街が流れていった。
—
見覚えのある通りが見えた。
商店街だった。
昔、よく通った商店街。
魚屋があった。肉屋があった。八百屋があった。
店先に並ぶ野菜の色や、魚の匂い、揚げ物の音。どれも覚えている気がした。
今は、コンビニの看板が立っていた。
ガラスの向こうに、均一に並んだ商品。
「そうか」
小さく、言葉がこぼれた。
いつの間にか、そうなっていた。
—
川が見えた。
水面が光を受けて、ゆらゆらと揺れている。
子どもたちと、よく来た川だった。
夏になると、網を持って降りていった。石の下を探って、小さな魚をすくい上げる。
捕った魚は、また川に返した。
なぜ返すのかと、子どもたちが聞いた。
幸子は答えた。
「また来年も捕れるようにするためよ」
子どもたちは、納得した顔をした。
—
本当のところは、さばくのが面倒だっただけだった。
けれど今となっては、どちらでもよかった。
—
公園が見えた。
ブランコが三つ、並んでいる。
昔は二つだった。
一つ、増えていた。
誰かが増やしたのだろう。
知らない誰かが、知らないうちに。
幸子は、ブランコが見えなくなるまで、首を少し回して見ていた。
—
電車が止まった。
孫の最寄り駅だった。
幸子は立ち上がった。膝の上の袋を持つ。
ふりかけが、かさかさと小さく音を立てた。
—
インターホンを押す前に、ドアが開いた。
孫が立っていた。
気配でわかったらしかった。
「おばあちゃん」
「ただいま」
言ってから、少しだけ間があく。
孫が首を傾けた。
「ただいまじゃないでしょ」
「そうだった」
幸子は小さく笑った。
「こんにちは」
孫が笑う。
幸子も笑った。
—
袋を渡す。
孫はすぐに中をのぞきこんだ。
「のりたまとごま塩」
「好きでしょ」
「好き」
孫は顔を上げた。
「どっちが好きかわかる?」
「のりたま」
孫が目を丸くする。
「なんでわかるの」
「おばあちゃんだから」
—
本当のところは、のりたまの袋のほうが、少しだけ減っていたからだった。
けれど今となっては、どちらでもよかった。
—
夕飯は、幸子が作った。
台所に立つと、少しだけ手が覚えている動きをする。包丁の音、鍋のふたが揺れる音。味噌の匂いが、ゆっくりと広がる。
鯖の味噌煮だった。
—
食卓に並ぶ。
湯気が立ちのぼる。
孫が箸を持って、少し止まった。
「これ鯖?」
「鯖」
孫がじっと見る。
骨を探すように、少しだけ身をつつく。
—
一口、食べた。
少しだけ間があく。
二口、食べた。
幸子は何も言わない。
三口、食べた。
—
幸子は、自分の鯖を食べた。
黙って、食べた。
味噌の味が、ゆっくりと口に広がる。
—
帰り道、また電車に乗った。
夜のホームは昼より静かで、電灯の光が床に白く落ちている。
窓際の席が空いていた。
幸子はそこに座った。
電車が動き出す。
—
夜の街が流れていった。
来るときと同じ景色が、暗くなっていた。
川が光を映している。
公園のブランコが三つ、夜の中に浮かんでいる。
揺れてはいなかった。
—
家に帰る。
鍵を開けて、静かな部屋に入る。
鞄を置いて、メモ帳を出す。
いつもの場所。
いつもの動き。
—
書く。
「孫の家、行った。ふりかけ、喜んだ。鯖、三口食べた。」
少し考える。
ペン先が止まる。
—
書き足す。
「三口。」
もう一度、同じ文字を書く。
紙の上に、同じ言葉が並ぶ。
—
それは、几帳面な性格だったからではなかった。
嬉しかったから。
—
飴玉を一つ、口に入れる。
甘さが、ゆっくりとほどける。
悪くない土曜日だった。




