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短編集  作者: カズナオト


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13/14

桜の絵と写真

四月の午後、公園の桜は雲のようにふんわりと空を覆っていた。

枝いっぱいに咲き誇る花びらは、淡いピンクと白が混じり合い、まるで遠くの霞のようにぼんやりと輝いている。

点々と散らばる花びらが、風にそよぐたび、陽光を透かして淡い影を地面に落とした。

 幸子はベンチに腰を下ろし、スケッチブックを膝の上に広げた。

隣に座った男は、カメラを首から下げたまま、静かに桜を見つめていた。

ただ、隣に人の気配があることだけが、なぜか心地よかった。

 ふたりはしばらく、無言で桜を見上げていた。

風がそっと吹き抜けると、桜の花びらが一斉に舞い上がった。

まるで淡い雪が逆さまに降っているようだった。

花びらは幸子の白髪に一枚、二枚と優しく乗っかり、すぐにまた風にさらわれて行った。

 男がカメラを構えた。

シャッターの軽い音が、春の静けさの中に小さく響く。

幸子も鉛筆を握りしめ、紙の上をゆっくりと動かし始めた。

柔らかい桜の雲を、点々の花びらを、なんとか形にしようと試みた。

しかし、線は思うように重ならず、色を重ねてもぼやけてしまう。

それでも、幸子は諦めずに鉛筆を走らせ続けた。

散る花びらを、ちゃんと捉えたいと思ったから。

 男がもう一度シャッターを切った。

幸子が鉛筆を走らせた。

風が吹いて、花びらがまた一斉に散った。

二人は、申し合わせたように、同じ瞬間に動いていた。


 うまく描けなかった。

紙の上にできたのは、ただの淡い雲のような塊と、ところどころに散らばった点々だった。

それでも、幸子は満足した。

「散る花びらを描こうとした」という事実が、そこに確かに残ったから。

 帰り際、桜の木の下で立ち止まった。

淡い花びらが、二人の肩の上をゆっくりと通り過ぎていく。

 男が少し照れくさそうに言った。

「また来年も、ここに来ますか?」

 幸子はスケッチブックを抱きしめたまま、静かに答えた。

「来ると思います。もう少し上手くなって」

「私も」と男は言った。

「もう少し、違う構図で撮ってみたくて」

 ふたりは同時に小さく笑った。

笑い声が、桜の木の下に優しく溶けていった。

 来年また会うかどうかは、わからなかった。

でも、来年の桜が、少しだけ楽しみになった。

その気持ちが、胸の奥で小さな灯りのように揺れた。

 家に帰ると、夕陽が窓から柔らかく差し込んでいた。

幸子は引き出しからメモ帳を取り出し、眼鏡をかけて丁寧に書き込んだ。

「桜、描いた。雲みたいになった。

カメラの人に味があると言われた。

来年また来る。」

 スケッチブックをテーブルの上にそっと置いた。

指先で表紙をゆっくりと撫でる。

ざらりとした紙の感触が、今日の出来事を優しく思い出させた。

 悪くない春だった。

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