会話と盗聴
九時五十五分。
由弦が待機していると、五人は揃って約束五分前に指定したカフェに姿を現した。
「すみません、お待たせして」
軽く頭を下げたのは、久藤帆恭――熱海の警察署で由弦に話しかけてきた少年だ。彼に倣うように他の四人も頭を下げる。
「こちらこそ、急にすみません。なかなか動く気力が貯まらなかったもので……いそがしいところ集まってくれてありがとう」
軽く自己紹介を済ませ、飲みものの注文を完了する。
由弦が向かい合って左から、佐々木順也、久藤帆恭、園田彩結、古舘実幸、堀本理仁が席についている。いずれも表情は強張っていた。
「決して怒っているわけではないと言いますか……妹と一緒に旅行していた君らのことは少なくとも一切恨んでないです。六花が亡くなったのはあくまでも事故のようなもの、避けようがなかっただろうことは理解してます」
まず、由弦が口火を切った。それとなく敬語を和らげるのも忘れない。初対面でいきなり馴れ馴れしいと警戒される可能性はあるが、年長者がかしこまった対応を続けていては場の雰囲気が固まってしまいかねないだろう。
由弦の目的は、話を聞くこと――話せることを話せるような空間にするためには欠かせない配慮だと判断した。
「だから今日は、ただ、話を聞きたいんです。六花は海へ行くの初めてで、何よりも楽しみにしていたし、何より大好きな君らと行けるの嬉しそうにしてたから……学校では、同じクラスだったの?」
「はい。みんな同じクラスです」
佐々木が答える。ハリネズミを思わせる髪質だが、ジレンマなど知らないような純粋な明るさがある。
「出席番号で、自分が六花、さんの前の席に座ってます。彩結がその後ろです。んで、帆恭がその隣です。よく話すようになって、今回の旅行もその延長で一緒に行こうってなりました」
「前から佐々木くん、六花、園田さんの順だということかな。出席番号順なら、久藤くんは園田さんの右隣ですか?」
「はい」
「席が近いと話しやすいよね。あれ? だとすると、堀本くんと古舘さんは……同じ部活とか委員会とか、別のきっかけで話すようになったのかな?」
自然と堀本、古舘両名へ視線が集まる。恐縮が伝染したのか、古舘のポニーテールが小さく跳ねた。
「えっと……体育のとき……体育の時間に、六花さんから話しかけてくれました」
「あの子から?」
「やっぱり、珍しかったんですか?」
「いや、そういうわけじゃあないと思うけど……私とは違って明るい子だから、君には何て話しかけたんだろうって」
「それは……今思うと、よくわからないんですよね。古舘さん、名前なんて読むのって。体育で、しかも、シャトルランしてるときだったので、今? って、思いました」
「たしかにTPO弁えないこと多かったよね、ごめん」
「いえ、それが六花らしさでもあったと思います。理仁と私の席が近くて、それでいつの間にか六人でひとつのグループになって話したり勉強を教えあったりするようになりました」
正確に座席表を思い浮かべられたわけでは無かったが、仲良くなった経緯や垣間見える六花らしさが感慨深かかった。穏やかに「そうだったんだ」と言いながら瞳を閉じて一息ついた。
「休日もよく出かけてたんだけど、君たちと遊びに行ってたのかな?」
五人から肯定を返されて、由弦は「ところで、どうやって熱海旅行することになったの? 海の日が近いから海行くって言うのは妹から聞いたんだけれど」軽く首を傾げた。
「誰からともなく……ですかね。高校で初の夏休みだったので」久藤が言った。
「基本的に、行きたいところへ行こうって方針で決めました」園田が続ける。
「海に行くのがすんなりまとまって、交通を考えて熱海に決まりました。中日は海を満喫するとして、初日と最終日をどうするか相談しました。みんな行ったことない土地だったので、いくつか候補あげて、あとは多数決です」久藤が何度か頷きながら重ねて補足した。
「陶芸教室とか温泉とか体験するところも、美術館や起雲閣みたいな鑑賞する感じのところも、半々くらい候補挙がりました」自己紹介以来、はじめて堀本が声を発した。これに対して佐々木が「神社行こうって提案したら、伊勢神宮は却下されました」恨み節のようなものを吐く。
「伊勢は三重県だからね。熱海からは三百キロ以上離れてるよ?」
由弦が指摘すると、それみたことか、と言わんばかりに高校生たちの視線が佐々木に視線が集中した。旅行計画を立てるときも同じようなやり取りがあったのだろう。呆れた眼差しばかりだった。
「初日は終業式終わってから集合することになっていたのとチェックインが十五時だったので体力はあっても詰めこまないスケジュールにしようと決まりました。熱海に着いたらお昼にして荷物をホテルに置いたら起雲閣かトリックアート迷路館に行って、合流して夕食を外でとり、ホテルに戻り就寝。二日目は思いっきり海を楽しんで、最終日はホテルが十一時にチェックアウトだということもあり、前日の海水浴で疲れてると思ってのんびりしようということになって、来宮神社に参拝して熱海駅に戻って新幹線乗って帰ることになりました」
改めて代表するように久藤が二泊三日の旅程をまとめた。
「ちなみに、二日目の二十時五十七分は何かあったのかな?」
意を決して尋ねると、
「寝る準備してる頃だったんじゃあないでしょうか。その時間を気にされるのはどうしてですか?」
落胆を隠せない由弦を労わるような声色で久藤が問う。
当然、由弦は空振りの覚悟はしていた。想定以上に堪えてしまった手前、心なしか居心地が悪かった。
「……電話が、あったんだ。六花から。タイミングが悪くて取れなかったんだけれど何か知らないかと思って――それだけだよ。そうだ、せっかくだから最初から詳しく聞かせてほしいな。六花が楽しんでいたのか知りたい」
「終業式が終わったらすぐ帰って、十三時くらいの新幹線に乗って熱海駅行きました。たぶん、十四時前には着いてたと思います。ホテルのチェックインが十五時だったので、大きな荷物は駅のロッカーに預けてご飯食べに行きました」
「大きな荷物というと?」
「スーツケースとかリュックサックとかです。貴重品はショルダーバックやポーチにまとめたり、佐々木たちは手ぶらだったよね」
「うん、財布とスマホぽっけに入れてった。六花、さんも手ぶらだったっけ?」
「そう。白河さんも荷物リュックサックにまとめてきていたので手ぶらでした。そのとき二千円渡されて、足りなかったら後で追加で払うから持っててと言われました。でも、足りたので駅戻って荷物取りだしたタイミングでおつりは返しました。ちょうど十五時直後くらいだったのでホテルにチェックインしに行きました」
「理仁と実幸と自分が、迷路館ていうトリックアートのとこ行きました」
「私と白河さんと久藤くんは、起雲閣です」
「二手に分かれたんだ……六花、どうだったかな。理系科目のほうが得意だったけど、日本の文豪好きだったんだよね。たまに引用してた」
「そうだったんですね。起雲閣行きたいと提案したのも白河さんだったんです。入場してからずっと楽しそうでした。本当に、ずっと目キラキラさせてて」
「……旅館だったときに使われていた部屋もそれぞれの文豪をなぞらえて造られた部屋も、興味深く見てましたね。何度もすごいねって。本当、ずっとテンション高かったです」
「そっか、良かった。えっと、それで、合流の後は?」
「どっちも閉館が十七時だったので、十七時三十分に合流しました。そこの近くで海鮮が有名なお店があって、夕食を取りました。歩いてホテルに戻って……二十時くらいだったと思います。初日は、僕らは大浴場行って、すぐ寝ました」
「私たちも、三人で大浴場行きました」
「二日目は、九時半くらいにみんなでホテル出発して海行きました」
「親水公園のテラスで写真撮ったりして」
佐々木から由弦にスマホが差しだされる。表示されている写真では、六人とも満面の笑みだった。
そっと画面を操作して写真の撮影時刻を確かめる――九時四十三分だった。
「借りたグッズを設置して、海水浴しました。んで、十四時半くらいに近くのカフェで」
「待って? この写真、十時前だけど……ずっと海で遊んでたの?」
「はい。腹減ったら近くの売店とか自販機とかで買ってましたし。な?」
同意を求められ、ほかの四人も首肯する。
「ごめん、遮って……。十四時三十分に、カフェで?」
「食べたいモノ食べて、ホテル戻りました」
「四十五分くらいには着いたのか」
「たぶん、そうだと思います」
「十八時にホテルのレストランで夕食にしようってことだけ決めて、それまで自由時間でした。自由時間といっても、仮眠時間のようなものでしたけど」
「だな。理仁と帆恭に起こされるまでずっと寝てた」
「俺も直前まで寝てたよ。帆恭が帰ってくるときの扉の音でなんとなく目が覚めただけ」
「久藤くんもどこか行ってたの?」
「プリン買ってきてた。ホテル戻るとき、白河に会って一緒にエレベーター乗った」
「六花は何しに外出たか、わかる?」由弦は久藤に尋ねた。
「絵描いてたと言ってました。海の絵、見ながら描きたくなったからって」
「そっか。プリンって、どこか有名なところ?」
「熱海プリンです。かなり並んでいたので自由時間ほぼ使い切りました」
「暑い中、大変だったね」
「いえ。まあ、ご当地のお菓子、みんな食べたいだろうなって……。十八時に夕飯食べて、二十時前に部屋に戻って、みんなでプリン食べました」
「そうだね、二十時には私たち部屋に引き上げたから」
「男の子と女の子で分かれた後は、あとは寝ただけ?」
「いえ、その……いろいろあったので」古舘の視線が軽く泳いだ。由弦が軽く首をかしげると、園田がフォローするように「軽く汗ばんでいたのでシャワー浴びようってことになりました。古舘さんがダウン寸前だったので最初に、次が白河さん、最後に私の順です」と言った。
「古舘さん、大丈夫だったの? 熱中症か脱水症状とか?」
「いえ……眠かっただけ、です」
「あ、そっか。海で疲れたよね」
「はい。自由時間のときだけじゃあ足りなかったみたいで」
「この子が髪濡れたまま寝ようとしていたので、私と白河さんで協力して世話を焼いて、ベッドに寝かせました」
「そ、そうだったんだ……ありがとう」
「古舘さんが疲れてるのはわかってたから……。それで、たぶん四十分くらいに六花さんがシャワーを使って、私はその後だったので二十一時近かったと思います」
「五十五分とか?」
「正確には覚えてませんけど、まだ二十一時にはなってなかったと思います」
「その後は六花を見てない?」
「はい。シャワーを入れ替わりで使ったので」
「あの子、そのとき何かしてた?」
「え? 普通に、タオルドライしてたと思いますけど」
「そっか、そうだよね。えっと、その後はどうしたの?」
「私も自由時間はほとんど寝てたんですけど、夜あまり眠くなかったんです。でも、古舘さんはぐっすり寝てて六花もまた外に絵描きに行ってて、ちょっと手持ち無沙汰みたいな感覚でした」
「六花がそう言ったの? 絵を描きに行くって」
「いえ。私がシャワー使ってる間に出てたので、直接は……。自由時間のときも外に描きに行ってましたし。学校で、スイスにいたころ外で絵を描いてたら寝る時間過ぎても帰えらないまま描き続けてて怒られたことがあるって話を聞いたことあったので」
話ながら不安になってきたのだろうか、園田は視線を降ろして
「私があのとき探しに行っていたら」
「違うよ、大丈夫」
由弦は言葉を被せるようにごまかした。
「夜、眠くなかったんだよね? それで、どうしたの?」
「あ……えっと、久藤くんに電話しました。少し、話したいことあって」
「初日、ふたりは六花と起雲閣行ったんだよね? そのとき何かあったの?」
「あ、いえ、そういうわけでは」
「六花さん、旅行楽しみにしてたんですか?」
言いよどんだ園田に代わって、古舘が口を開いた。
「うん、そうだと思うけど」
「本当ですか?」
古舘は猜疑の瞳で由弦をみつめた。両隣の少年少女は労わるように不安そうに古舘を見つめる。
由弦は何も言わず、軽く首をかしげて先を促した。
「私……先月のはじめに、喧嘩したんです。いえ、喧嘩じゃなくて、私が一方的に怒鳴って……すごく悲しそうな顔、させました。悪いの、六花じゃないってわかってたのに」
「あの子がまた変なこと言ったのかな?」
古舘は強くかぶりをふってうつむく。その隣で堀本が「あの……」声を上げる。
「自分が、やらかしました」
この言葉について、体をよじらせて身を乗り出しながら友人らを見遣る佐々木を除いて、高校生たちは諦念のような息をついた。
「……恋路の、詫び寂び?」
「綺麗な言いかたをすれば、そうなるんですかね」
由弦の曖昧な予想に対して古舘は困ったように眦を下げた。
「高校生なら、思春期というか、そういう……ごめん、そのあたりの機微には疎くて。でもさ、なんだろう。ほら、愛は最良の教師だって言うし」
フォローにもならない何かを勢いで口走った。これ以上は経験の浅さを露呈させたくなくて「それに、どうにかするためだったんだよね、旅行は」乗った船を壊しかねない乱暴さで舵を切った。
幸いにも「余計なお世話だとは思ったんですけど、六花さんすごく落ち込んでいたので」園田が引き継いでくれた。
「初日に大浴場行ったとき、ふたり仲直り出来て……本当に安心して、久藤くんにも伝えておこうと思ったんです。廊下やロビーだとホテル側の迷惑になると思って、ふたりで五階のラウンジに行きました。他にも人はいましたが、騒ぐつもりはありませんでしたからそこで話してました」
「ずっと?」
「三十分くらいです。二十二時にホテルマンに叱られて、部屋に戻りましたから」
「二十一時三十二分です、電話。僕も部屋にいるだけで特にすること無かったのでエレベーターホールで合流しました」久藤が通話履歴を見せる。たしかに時刻は合っていた。
「それで、部屋に戻った後は?」
「あ、えっと」
「古舘さんがこっちの部屋いたので、園田さんも呼んで五人で話してました」
「あれ、寝ていたんじゃあなかった?」
「彩結のスマホのアラームが鳴って、目が覚めたんです。喉乾いていたんですけど備え付けの冷蔵庫には何もなかったので自販機に何か買いに行こうと思って……」
古舘は気恥ずかしそうに軽く身じろぎすると
「そしたら、あの……ほんとにバカなんですけど、ルームキーを持たずに出たのか何なのか、戻れなくなっちゃったんです」
「ああ、よくあるよね」
「本当ですか……?」
「うん。私も六花に何度か怒られたよ。家の鍵は閉めろ、って。今は財布にくっつけて忘れないようにしてる」
「なんだか、意外です。しっかりしてそうなのに」
「だらしなさが他のでカバーされているように見えるだけだと思うけど……。ああ、ごめんね。それが何時くらいだったの?」
「あ、はい! 彩結のアラームが、毎日掛けてるやつらしくて」古舘がそっと視線を向けると、園田は「二十一時二十五分です」丁寧にも、すぐにスマートフォンを起動させてスクリーンを見せてくれた。
「それで目が覚めて、三十分くらいに部屋出たんだと思います。あっ、そのとき彩結とすれ違ったよね?」
「うん。それで、ルームキー持ったか聞いたら首横に振ったから、私のカード持たせたんだよ」
「え、じゃあ、彩結はどうやって入ったの?」
「カードタッチしてから開けたままドアノブ離さなかっただけ」
「そうだっけ、あんま覚えてないけど……ああ、でも、そっか。みんなで集まったとき私が座った近くに一枚カードあったもんね」自分の言葉に納得するように頷くと「たぶん、そうですね。寝起きであまり覚えてないです。でも、私が座ってた近くにあったので、ポケット入れて忘れてたんだと思います」
「アラームを止めたのは古舘さんなんだよね?」
「はい」
「そのとき、園田さんは?」
「落ち着かなくて、廊下を行ったり来たりしてました」
「あっ。すれちがったとき、髪の毛まだ湿ってたよね。ドライヤー使ってなかったの?」
「寝てるのに起こしちゃうかなって、私髪短いからタオルでもちゃんと乾くと思って」
「全然使って良かったのに」
「だね。結局私のアラームで起こしちゃったし」
園田に何か言おうとしたが、やり取りを見守っていた由弦の視線に気がついて古舘は話を戻した。
「戻ってきたときは、カードキー持ってないと思ってて。一応探したんですけど見つけられなかったので、まず彩結に連絡しました。部屋にいると思ったんですぐ反応してくれると思ったんですけど」
由弦が「ラウンジに行ってたんだよね」確認すると園田が首肯する。
「古舘さんとすれ違ったとき、何か取りに戻ったの?」
「スマホを」と言う園田に対して「ああ、必要だね」由弦は同意を示して、再び古舘へ視線を向けた。
「なかなか出てくれなかったので、もういいやって思ってみんながいるほうにSOS出しました」
「グループラインに実幸が締め出されたって送ってきたので開けてみたら、本当にそっちの部屋の前でしゃがみこんでて」
「えーっと……二十一時三十七分です」
佐々木と堀本が答えた。「たしかにいろいろあったね」由弦は労わるように言った。
「その後……二人がラウンジから戻ってきた後は?」
「二十二時くらいに集まってからは部屋で話してました」
「誰か席立たなかったの?」
「お手洗いだけです。みんな五分以内には戻ってたと思います」
「グループにみんな男子の部屋のほういるよって流してたので、戻ってくるの待ってたんです」
誰が戻ってくるのか、聞く必要はなかった。
六人で旅行して五人が同じ部屋にいるのだから、足りないのはたった一人だけ。
簡単な計算だ。
残酷な事実だ。
静謐。
六人とも何も言いたくなかったために生まれた沈黙だった。由弦は年長者として、自らがこの集会を終わらせなければならないのは理解していた。
「警察から連絡を受けたのかな」
「いえ、違います。二十三時過ぎてると気づいたときにさすがに遅すぎるって心配になって探しに行きました。エントランス通ったら怒られると思ったので、みんなで非常階段から降りました。そしたら、近くでパトカーのサイレン聞こえて……」
久藤が弱弱しく言葉を切った。
「夜遅くだったのに探してくれたんだね。ありがとう」
由弦は静かに立ち上がった。
「今日はありがとう。私はもう行くけれど、みんな残ってて構わないから」
五千円札を置いて暇を告げた。
カフェを出ると、陽光に焼かれる。帽子を深くかぶり何度か瞬きをした。
同じかそれ以下の年齢層の男女が多かったが、上の年代は少ない。夏休みと平日が重なっているからだろう。それ以上深く考えるのはやめた。
目的もなくゆっくり歩く。まだカフェに戻るには早い。時間を確認せずともわかった。
「……」
ひとつずつ考えていく。
六花は殺された。明確な動機のもと、殺害された――これが前提だ。見知らぬ人間に偶然襲われたとは考えたくない。何のために死んだのかわからなくなるのは避けたかった……とにかく由弦は妹の死に納得できる原因が欲しかった。
一緒に旅行していた彼ら五人は、約束した五分前に一緒に姿を見せた。事前に集まっていたとしても、それほど猶予は無い。時間を守る力はある……二日目、言葉のとおり九時三十分にホテルを出発したのだろう。きりがいい時間だから誤差はともかく間違えることは無い。写真が撮影されたのは、親水公園ムーンテラスだった。九時四十三分には到着していた。熱海で対応してくれた担当者の話を考慮すると、ホテルから遺体発見場所までは十分前後で到着できる。
ここで問題になるのは、六花はどのように死んだのか……刑事は教えてくれそうもなかった。
他方、由弦は、ホテルで死んで現場まで運ばれた可能性は除外できると考察する。複数人が協力したとしても意識のない人間を運ぶのは骨が折れる。交通手段が徒歩しかないなら尚更だ。また、ホテルには防犯カメラが設置されており、観光シーズン真っ只中の海辺という立地のため宿泊者も多い。目撃される危険はあまりにも高い。そうなると現場付近で殺された可能性が大きい。ホテルから現場を往復して二十分、走れば十五分程度だろうか。
事件当日、二十時よりもあとに六花はひとりホテルを出た。
二十時以降に意識を向ける。
刑事は何も教えてくれなかった。ネットニュースにも、未明に遺体が発見されたとしか共有されていない。
六花からの電話があったのは二十時五十七分。六花のスマートフォンの緊急連絡を用いた警察からの電話があったのは四時四十一分。それぞれ履歴の残りかたが異なっている。
夜の電話は、ロックを解除した上で通話アプリから掛けられた六花本人によるものだろう。どのような状況下だったかまではわからないが、由弦は他者が掛けられるものでは無いと考えた。普通、パスコードは他人に教えるものでは無いのだから。
六花に何かがあったのは二十時五十七分より後だと信じた。
しかし、彼らの話を聞いてみて、どうだっただろう。
おそらく六花が由弦に電話を掛けたり部屋を出たりしたのは、園田がシャワーを使用している間だっただろう。湯船につかっているときならともかくシャワーを浴びながらでは電話を掛けられない。園田が最後に六花を見たのはシャワーを浴びる直前である二十一時前……電話はそれ以降に掛けられたのだとすれば、入れ替わったのは五十五分前後だと予想がつく。
タオルで髪の毛を乾かそうとしたりその他のケアをしたりした後で二十一時二十五分のときには園田はシャワーを終えて廊下を歩いていた。歩いていたとて、遠くへ離れたわけでは無かった。だから、部屋にもどってスマホを取り二十一時三十二分に久藤に電話をかけられた。二十一時三十七分に古舘が締め出されたと連絡したことも、時間的に無理はないだろう。
そこから二十二時くらいまで二人ないし三人で一緒におり、以降、五人はひとつの部屋にいた。誰かひとりの姿が見えなかったとしても五分ていど。
誰も十五分以上ひとりで行動していないらしい。強いて言えば部屋に戻った後の女子の行動は曖昧だが、三人のうちひとりが姿を消したのだから、論うのは無理がある。
古舘が眠りについて園田がシャワーを浴びているとき、六花には話し相手がいなかった。それで電話を掛けてきたのだと信じたかった。しかし、なぜひとりで部屋を出たのか理由がわからなかった。
そもそも、なぜ六花は夜遅くにホテルを出たのか。
近くのコンビニや自販機で軽食や飲みものを買うだけならスマートフォンか財布があれば十分だ。発見されたときスマートフォンと財布は持っていた。妹の遺体と一緒に確認した。しかし他の荷物は見つかっていない。荷物をまとめたリュックサックをもって出る必要は無い……六花もまた外に絵描きに行ってて……園田の言葉を思い出す。その日、外へ絵を描きに行くのは二度目だった。一度目のとき、海水浴を終えたあとの自由時間のときも六花はリュックサックを背負って絵を描きに行ったのだろうか。本当に?……こうしてハンカチとペンも入れておけば拭きたいときに拭けるし描きたいときに描ける……ジップロックに入れたトラベラーズノートとハンカチとペンがあれば絵は描けるのではなかったか。リュックサックまで持って外出する必要は無い。
仮に、あの五人全員あるいは一部が結託して六花を殺したのだとしたら……大した名優揃いだ……急に鼻で笑ってしまい、すれ違う数名の集団に睨まれた。
歩きながら勝手に考えているだけだが、急に居心地が悪くなった。
もう戻ろう――あの集団を追い越すのは気まずかった。引き返さない順路で件のカフェへ向かった。
入店しなおすと、高校生たちはまだ席にいた。
「あの」
「ごめん、スマホ忘れてってた! あっ、まだいて良いから。ごめんね」
すぐに立ち去ろうとして、足を止めてふり返った。
「また聞きたくなったら、連絡しても良いかな……?」
「でしたら、グループ作っておきます」
「本当? ありがとう!」
努めて明るい声で、再び暇を告げた。
今度こそ由弦は速足にカフェを離れた。信号の待ち時間で、ブルートゥースイヤホンを接続すると、両耳に押しこんで録音を再生する。
「行っちゃったね……優しそうな人で良かった」
「だな。ちょっと拍子抜けっつーか、なんか」
「わかる。私、正直、来るのめっちゃ怖かった」
「僕も。話聞かせてほしいって連絡来た夜、寝れなかった」
「俺も。何言われるんだろって」
「帆恭から連絡来たとき殺されるかと思った」
「とくに理仁はやらかしたからね」
「あれは、ほんとに……実幸、その目やめて。もう絶対やらないから!」
「六花にも言われたんでしょ? 大浴場で聞いた」
「マジでもうしません」
「ね。それ、俺、初耳なんだけど」
「佐々木くんは何も言わなくても来てくれたでしょ?」
「順也、余計なこと言いかねないし」
「じゃあさ、じゃあさ! もしかして初日に二手分かれたのも、そういう理由?!」
「それもあるけど……白河さんは起雲閣行きたいって言ってたし。佐々木くんはアクティブに体動かすアトラクションのほうが好きでしょう?」
「いや、否定はしないけどさぁ! 一言くらいあって良くない?」
「だから、言ってたらポロっと零してたでしょ。当事者には何も言ってないし」
「気づいてたよ、六花も。私ですらわかったんだもん…………ちゃんと謝れてよかった」
「ねー、待ってよ。どういうこと? 何があったの?」
「理仁がフタマタ掛けようとして失敗したの。そのしわ寄せが、私と六花に来たってだけ」
「おー……え、めっちゃしっかりやらかしてんじゃん、お前。もし六花が乗ってたらどうしてたん?」
「それは無いよ。六花、校外にいるし」
「いるって何が?」
「彼氏」
「そうなん?」
「名前呼び捨てにしていたから。誰って聞いたらお兄ちゃんのことって誤魔化してたけどさ。彩結も聞いたことあるでしょ?」
「ええ。何度か」
「お兄さんじゃないの?」
「そうかもしれないとは思ったけれど、ユヅルさんでしょう? だから、違うと思う」
「ピッピいるのに男女旅行オッケーだったってこと? それともスイスってそういう文化?」
「永世中立国から総攻撃受ける物言いやめたほうが良いと思う」
「前言撤回しまーす……でもさ、お兄さんに言わなくてよかったの?」
「学校外のことだもん。六花、ちゃんと教えてくれなかったし」
「まあ、そっか。曖昧なこと言わないほうが良いよなー。……んでさ、理仁はなんて断られたの?」
「その言葉は軽蔑する、って」
「おー。結構、辛辣なんねぇ」
「さすがに刺さった」
「純度百パーセントのまっすぐさだもんね、六花の言葉って」
「初会話がシャトルランだったのは初めて聞いた」
「ほんとだよ、もー。五十超えたくらいのタイミングだったからね? なんか近づいてくる人いるなーって思ってたら……ねぇっ、古舘さん! 名前なんて読むの?」
「ははっ、めっちゃ似てる!」
「もう一生忘れらんないよ、意味わかんなさすぎる!……もー、ごめん。なんか、やっぱダメだ」
「実幸」
「なんで六花だったの? 六花じゃなきゃいけなかったの?」
「……なんでっていうとさ、気になるよね」
「何が?」
「そうですね。お兄さん、どうして話聞きたくなったのでしょう?」
「どういうこと?」
「ライン交換して一日挟んでから、急に連絡きたんだよ」
「落ち着く時間欲しかったとか? 怒ってないって言ってたし、急には受け入れられなかったとか」
「でも、なんか無理してるように見えたよね。本当に怒ってなかったのかな」
「何言ってるの」
「通夜が行われるとしたら昨日か今日でしょう? 何もおっしゃいませんでしたよ」
「それは」
「家族だけで執り行うってこともあるよ」
「……そうだね、そういうことかな」
「あれ、お兄さんじゃない?」
「ほんとだ」
「どうしたんだろ」
「テレビドラマで見たことある。最後にもう一つってやつ」
「ドラマだろ?」
「ちょっと……!」
「あの」
「ごめん、スマホ忘れてってた! あっ、まだいて良いから。ごめんね。……また聞きたくなったら、連絡しても良いかな……?」
「でしたら、グループ作っておきます」
「本当? ありがとう!」
録音はここまでだった。ボイスレコーダーアプリを起動させたスマートフォンを椅子の上に置いていたから収音距離が不安だったが、問題なく聞き取れる音質だった。音声だけだが、声色や内容でなんとなく聞き分けられる。
卑怯な自覚はあったが、それを上回る成果だと思った。
話しているかぎり違和感は無かった。しかし、六花を取り囲む確執は存在していた。
今年の六月上旬。六花は、いきなり兄の部屋に入ると勝手にベッドを占領した。まだ就寝するつもりはなかったが、由弦は無視できなかった。それほど妹は明らかに様子がおかしかった。
「どうした?」
「……人間、好き?」
「何の問答?」
「私、人間好きじゃないかも」
ベッドに腰かけて、妹の身体を起こさせながら「学校の話?」確認がてら尋ねた。
「傷つくと思って……ううん、傷つけられると思って言葉を使った」
「どうして?」
「酷いことしたから」
「……」
「許すべきだった? ねえ、許せた?」
「事情がまったくわからないから結論は出せない。だけど……父さんを殺したやつを許せる保証は無い」
「……」
「クリスの感情と言動を否定できるほど大人じゃない。許したいなら許せばいいし、許したくないなら許さなければいい」
腕に預けられた頭部の重さは……
……温かさは今でも思い出せる。もう存在しないとは思えないほどの鮮明さは――不意に――刑事の質問を思い出す。無神経な問いに憤慨したが、思い出すきっかけになった。恨まれていたかどうか断言できるわけでは無い。妹の怒りも理解できる。同時に、逆恨みの原因にもなる。
あのとき許すよう諭していれば、殺される原因をひとつ解消できただろうか。
右腕に触れているだけの左手に力が入る。
六花の泣き声が聞こえていたのだと信じたかった。気づいたことに気づいてくれたと思いたかった。知らないふりをしてない、ちゃんと向きあってくれたのだとわかっていて欲しい。
すべて本人にはもう直接確かめられない以上、願うしかない。
「……」
知らないのだ、と。由弦は妹の本質を何も知らなかったのだと割り切ることにした。消去法をとるにしても解答群の中に正答が無ければならないのだ。
時間をかけて教科書を読み込めば自力で理解できる程度の読解力ならあるが、頭脳面における自身の平凡は痛感している。だからこそ、試行を重ねるしかない。非凡であれば瞬く間にすべてを解き明かしてしまうだろう。羨望は、ある。しかしながら、できないのだと自らの能力を理解している。考えるしかない。それが妹を理解するための最短距離に、自分なりの答えを見つける道標になると信じることにした。
何より――
「ねぇ、何見てるの?」背後からひっついてきた彼女に「眼鏡のフレーム」と答えた。
「壊れたの?」
「踏んだら戻んなくなった」
「寝ぼけてたの?」
「逆立ちしてたらバランス崩した」
「何してるの」
「眼鏡のフレーム探してる」
意味のない問答にすぐに飽きて、しばらくパソコンのスクリーンを一緒に見ていた。
すると「これ、良くない?」画面を指さした。
「赤って……なんか、なあ」
「大丈夫だよ、今までのも十分ダサいから!」
「……え?」
「え?」
「……」
「ごめん、あの……ごめんなさい」
「……」
「……ねぇ、なんで隠すの?」
「何が?」
「眼鏡」
「この国じゃ目立つから」
片方だけ頬を膨らませて、気の抜ける声を漏らす。頭を撫でながら言う。
「クリスには関係ないよ」
「無いの?」
「無いでしょ」
「たまに見たくなる」
そういうと、前に回りこんで膝に乗る。両手で顔を掴まれ、そのまま見つめ合う。
「おばあちゃんと同じ色でしょう? パパのこと思い出す」
「父さんと同じなのはクリスなのに?」
「鏡か自撮りじゃないと見えないもん。ゲンがいれば安あがり!」
華奢な妹の手を引きはがしながら「使いかた違うでしょ」文句をつけてみた。
「んー……便利?」
「はいはい、便利な下僕です」
「シモベ?」
「召使い」
「ふふっ――ワタクシ、空腹ですの。やきそばパンを用意なさい」
「あいにくパンが不足しております」
「あら。パンが無ければケーキを食べればよろしいのではなくて?」
「やきそばケーキはさすがに不味いでしょ」
「だね、頭悪いの次元が違う! だけどね、おなか空いたのは本当っ。作ろう!」
手を引かれてふたりでキッチンへ向かう。
「不思議だよね、おばあちゃんの名前もらったのは私なのにゲンのほうが似てるんでしょ? 先に生まれたから血が濃かったってこと?」
「さすがに現代科学に失礼だよ。減数分裂とか乗り換えとかで遺伝子の組み合わせの多様性が増すだけ。そのあたりの法則は未解明だけど……まだ生物でやってない?」
「細胞の話だけー、遺伝子はこれから!」
キッチンの電灯をつけて、ぱっと振り向く。
「さて。そんなゲンに中学生レベルの理科! 晴天はなぜ青く見えるか、説明できる?」
「太陽光がオゾン層で屈折したり散乱したりして、うまい具合に」
「そうだね、うまい具合に人間が見やすい波長の長い青の光が水晶体へ届き視神経が情報を脳へ運ぶからね。どれだけまっすぐ見つめようと、結局は曲げられた光を見るしかないの」
冷蔵庫から適当に食材を選んで取りだす六花を見つめる。
「ねえ、眼鏡はずしてよ。そうしたら、水晶体には何も干渉されていない純粋な光が届くよ」
由弦は何も答えず、フライパンを火にかけて油を引いた。作りたいものはなんとなく把握できた。必要な調味料を手身近なところに並べる。
「後は、網膜へ届くまでに光が屈折して、視神経が良い感じに帳尻を合わせて脳へ情報を送ってくれる。ただの透明なガラスを経ることないんじゃあない?」
「どうして」
「レンズに度が入っているなら、正面から見たとき屈折を確認できる。変なフレームに気を取られなければわかるよ。パパの真似っこでしょう?」
「……」
「違くても良いよ、どっちでもいい。私たちと一緒だよ、スイス人でも日本人でも、どっちでもいい。多様性が増すなら、はっきり分かれてるわけじゃないってことだよね? 気持ちだって考えてることだって同じだよ。わかってほしいわけじゃない、聞いて欲しかっただけ。まずはそれだけで良いんだよね!」
――どうやら妹のほうが妹として上手らしい。ならば、わからなくても仕方がない。
ふと『科学の價値』の著者を思う……水源は不明でも、やはり川は流れている……水が流れ始める場所やどうして流れるか説明できなかろうが、実際、川は流れている。ポアンカレは、論理より閃きに頼る節があった。行き詰った今、これに倣おう。偶然はそれを受け入れる準備ができた精神にのみ訪れる。
あの花が綻ぶ季節はもう二度と訪れない。
ならば、もう良い。
すべてを投げうってでもこの事件だけは、この手で必ず真相を解明する――そのためにもまずは――……帰宅するなり、由弦は必要だと思ったものをベッドに並べた。ただし、容れるものに困った。リュックサックは六花に課したまま戻ってきていない。警察署で見せてもらった持ち物はスマートフォンと財布のみ。リュックサックはまだ見つかっていない。
ふとシオンに視線が留まる。
首元のリボンが曲がっている気がして軽く整えた。それでも曲がっているように見えて、座りなおさせた。
満足してシオンの頭を撫でる。
結局、日常的に買い物に使っていたトートバックにベッドに乗せたものを押しこんで家を出た。
電車に揺られながら熱海駅行きの新幹線のチケットを購入する。待ち時間は生じるが、現状、持っている情報を整理するには有り難い。近くのカフェに入りコーヒー片手に、空いていた奥の席についた。
列挙するのはデジタルのほうが使いやすいが、整理したり考えたりするのはアナログのほうが好みだった。由弦は新幹線の時間の三十分前にアラームを掛けてから、クリップボードを開いてシャーペンを軽快にノックした。
クリップボードのポケットに詰めてきたルーズリーフ束の中に以前、六花に渡すために書いた歴史の解説が紛れ込んでいた。もう使わないだろうと、半分に折って一番下に入れなおした。
コーヒーを一気に嚥下してから――刑事からきいたこと、六花の友人らに聞いたこと、それぞれ比較しながら紙面を次々埋め尽くしていく――丁度良い頃合いでアラームが騒いだ。
ふと顔を上げた視線の先。
六花と同年代の子が目に留まった。夏休みの宿題なのか、問題集を進めている。歴史分野で苦戦を強いられているらしかった。
由弦は閉じかけたクリップボードを開きなおして、ルーズリーフを一枚セットする。六花もなかなか解けなかった問題の類題だ。すぐに解説をまとめられた。それを黙って当人に差し出し、何も告げずに立ち去った。