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考察と後悔

 第一発見者の少年をその両親立会いのもと聴取したが、特に有益な情報は得られなかった。深く息をついた鷲見の隣で髙橋は机に肘をついて両手に額を押しつけた。

「わかってたじゃないですか、どうせ何も知らないって言われるのは」

「念のためだ」

 疲れが隠せないのは連勤だけが原因ではない。早くも捜査が暗礁に乗り上げようとしている感覚があるためだ。

 完全に停滞しているわけでは無い。周辺への聞き込みにより、事件当日の二十一時ごろに女性が言い争うように声を荒げていたのを聞いたという証言が複数得られた。被害者と関係がある保証は無いが、無視はできない。だからこそ、断続的な小雨で流されてしまったかもしれない証拠の存在やまだ発見されない被害者の荷物など、積み重なる小休止が澱のように張りついて雰囲気に重さを加えている。

「顔見知りか通り魔か、どちらだと思います?」

「一般的には顔見知りだな」

「ほら」

「旅行先である必要はない」

「確かに心理的負担はホームに近いほうが軽いですけど、結局は人を殺すっていう負担は比べられないでしょう?」

 髙橋は軽く椅子を引いて横座りしなおした。

「班長。仮の話です。あくまでも仮なので、予想です。先入観とか、そういうの無しでお願いします」

「予断は」

「認識した上であれば予断は推測の列挙です」

「……ガキか」

「じゃあガキの戯言遊びにつきあってください」

 髙橋は嬉しそうに笑って、ひとつ手を叩いた。

 鷲見は苦虫を噛んだようにその剛毛な眉を顰める。

「あの高校生たちを疑ってるのか?」

「旅行先の顔見知りですからね」そう言いながら手帳を開くと、

「二十時四十七分、ホテルのエントランスに設置された防犯カメラにリュックサックを背負って出ていく被害者の姿が捉えられています。この時点では被害者は生きていました。そして、およそ二時間十五分以内に殺された。自殺では無いのはいいですよね? 発見したとき被害者は自らの首をさせる鋭利な何かを持っていませんでしたから。それこそ氷の凶器が雨とか気温で融かされてウンヌンなんて机上の空論は無しです」

「被害者の荷物もまだ行方不明。誰かによって持ち去られた、か?」

「刺した人間と同一人物だってこともあり得ますし、違うかもしれません」

「だとしても、あの高校生たちには無理だ。ホテルのルームキーの記録は書き替えられた痕跡はない。おまけに、カードごとに埋め込まれた固有チップが何もかも記録している。遺留品のカードキーは確かに宿泊していた部屋のものだった。被害者が発見されるまでの二時間十五分間において、二十一時二十九分に内側から女子部屋の扉が開けられるまで五人は部屋から出ていない。その後もホテルと現場を往復できる時間は確保できていない。被害者をどうこうできる以前の問題だ」

「二十時四十三分に内側から解錠したのが被害者であることは疑いようもありません。ただ、このとき被害者ひとりだけが出たとは限らないでしょう?」

 ようやく部下の言い分を理解した。「非常階段か」鷲見は電灯の眩しさに目を閉じた。髙橋は「ご明察です」若干、早口になりつつ続ける。

「被害者が解錠したついでに一緒に出たなら残る記録はひとつだけです。防犯カメラはエレベーターホールだけ。曲がった先の客室までは映せていない。だったら、客室のさらに奥にある非常階段も映せていません。幸い、あのホテルは非常階段関連に防犯カメラを設置していませんし内側からなら扉を開けられます。外からの侵入を防げれば良いだけだから内側からのセキュリティなんて設定されていないようでしたし。非常階段から出るときに何か噛ませておけば戻ってくるときにも使えます」

「仮に被害者の後を追って非常階段を使ったとする。じゃあ、帰りはどうするんだ? 非常階段で戻ったとしても部屋に入るにはルームキーで解錠する必要がある。残念ながら、次に女子部屋が開けられたのは二十一時二十九分、内側からだ」

 髙橋の反駁を遮るごとく「それに」と続ける。

「一部屋に三枚のカードキーが割り振られていたわけだが、女子部屋に関しては、一枚は被害者が持っていたから残り二枚。三十分に外から解錠され施錠、三十二分に内から解錠され施錠。この記録は動かせない。三分間に三回開け閉めされたわけだが、同時にカードをセットして客室内の電気や換気のスイッチの役割を担うソケットからルームキーが抜かれた。これが三十分だ。三十二分時点、女子部屋にはルームキーが一枚もなかった。実際、事件発覚後に話を聞いたとき彼女たちは一枚ずつ持っていて、どちらも女子部屋のものだと確かめられた。被害者と同室に宿泊していた子たちがそれぞれエレベーターホールを経由して移動する姿が捉えられている。ひとりは一緒にいた男子のひとりと三十四分に宿泊階のエレベーターホール、三十六分には五階のエレベーターホールで捉えられ、もうひとりは三十二分の行きと三十六分にペットボトルジュース片手に戻る姿が捉えられている。後者の子に関してはその後、男子部屋に入れてもらったと話していただろう。女子部屋がしばらく解錠されなかったのは」

「彼らが共謀してたら?」

「何人で?」

 腕を組んで挑戦的な眼差しを向ける。髙橋は教師に怒られる前の小学生のような面持ちで沈黙した。

「そりゃあ、お前。被害者を除いて五人いたんだ。部屋のカードキーだってひとり一枚ある。協力すればいくらでもやりようはあっただろう。だが、それこそ机上の空論だ」

 鷲見は髙橋に倣って、椅子を引いて向かい合うように座りなおした。

「人を殺すってのは重労働だ。面白半分にチャレンジするようなものじゃない。スイカ割りとはわけが違う。やろうと誘ったからって何人がそれに乗る? ネットで集めてないんだ。同じ学校に通うようになって偶然同じクラスになった子たちの中に、たった数か月のつきあいで誰か殺そうと共謀するだって? 馬鹿言うな。推理作家だってもう少しマシなストーリーを作ろうと頭を捻る」

 部下の表情をよく確認する。目は逸らされているが、反抗の色はすっかり薄れている。鷲見は心の底から安堵した。

 髙橋の話を聞いた上で、高校生たちを擁護できる隙を見つけて彼らに反論の余地を残せたことに安心した。髙橋の言うように、鷲見も、なんらかの抜け道を考えなかったわけでは無い。だが、話を聞く前から推測を進めてしまうのは恐ろしかった。特に、それが子どもの話であれば尚更だった。

 かつて鷲見が他の所轄で経験を積んでいるころ、地区内で殺人事件が発生した。この事件でも初動はそれほどの成果は上がらなかった。だからか、当時の先輩や上層部の焦りは、青い鷲見にも伝わるほどだった。何度も何度も周辺への聞き込みを重ねた。その際、まだ小学生くらいの少女が「お巡りさんですか」鷲見を呼び止めた。厳めしい刑事よりもひよっこのほうが話しかけやすかったのだろうと納得し、どうしたの――そう言おうとした。しかし、直後「鷲見!」鋭く呼ばれた。

「ごめんね。今は急いでいるんだ。これ、ここの番号に掛けてくれたら君の話を聞けるから」

 それだけを早口で告げて先輩がハンドルを握る隣に乗りこんだ。

 ちょうど容疑者が浮上したころだった。今は急がなければならないんだ――心の中で言い訳した。

 数日ほど、少女に話しかけられたことなど忘れていた。

 容疑者の自殺未遂と他の有力容疑者の急浮上、警察署前の道路を挟んだ向こう側の歩道で彼女と邂逅するまでは。

 渡した名刺の番号に通報は無かった。それは鷲見が知っている。少女は電話を掛けてこなかった。しかし、勇気を出して声をかけたそのときに対面で話すほうが改めて電話をかけるよりずっとハードルが低かっただろう。相手は小学生だった。親類や友達、顔が見える範囲の交友関係の中でしか電話を掛けるという行為をする必要がない環境だった。知らない大人に話しかけるだけでも相当緊張しただろう。怖かっただろう。それでも、声をかけた――けれど、話は聞いてくれなかった。

 あのとき少女が何を証言しようとしたか、今となってはわからない……重要な内容だったのか、最初に浮上した容疑者を守る内容だったのか、真犯人を告発する内容だったのか……邂逅した少女の表情は、絶望に染まっているように見えた。

 悪意でも憎悪でもない。しかし、鷲見は生まれて初めて背筋が凍るというものを経験した。冷酷な殺人犯でもなく狡猾な知能犯でもない、年齢が二桁になるかどうかすら曖昧な少女の表情に怖気づいた。

 二度目は御免だ。

 恐怖の根源は再発、ならばもう繰り返すわけにはいかなかった。

「ヤケを起こすな。ガキじゃないんだ。まずは、彼らの証言を待つしかない。違和感があれば、お前の仮説だって採用する気になるかもしれない。関東からの報告を待とう」

「わかりました。すみません」

「馬鹿野郎、仮の話だったんだろ。謝るな」

「……はい。大城さんと望月のほうに期待ですね」

 気を取りなおしたのだろうか、髙橋は両腕を持ち上げて思い切り伸びをした。

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